【5】

「いらっしゃいませ」

愛想よくセンターの職員は無理して作った様な笑顔で私に話しかけてくる。顔からして前にここで会った人だ。
作り笑いといえど、こんな笑顔を私に見せてくれたのは家族の他に一人もいない。悲しいかな私は一瞬下を向いた。

「…あの、どうかなさいました?」

職員の言葉で私は顔を元に戻し、ポケモンパートナーの登録の申請の用紙をくださいといった。
するとニコリと職員は微笑み、ちょっと待っててくださいねと引き出しを探った。
この春先の時期になると私のような子供たちがこの古い木造建てのポケモンセンターに足を運び、
自分のパートナーとなるポケモンの名前を申請欄に書き込んでくる。

私はパートナー欄にまず昨日に捕まえたキノココの名前を書き、植物系の項をマルで囲んだ。
その時、植物系と書かれた項には魚系という項が隣接している。私の筆を運ぶ手が少しだけ遅くなる。
けどすぐに私はその下にヒンバスの名前を書き込んだ。その様子を見た職員は言うまでもなく驚きの表情だった。

「これでお願いします」
「は、はい…かしこまりました。しかし、女の子にしてはヒンバスなんて珍しいですね」
「…はい、皆そう言います。でも一昨日、この子と一緒に戦って…イスケ君を助けました」

一昨日、という言葉に職員は私の顔を見ながら手を顎に添えて何か記憶の糸を探っている様子だ。
だがすぐに思い出したように口を丸く開け、

「あー、もしかしてあなた昨日の道端に屯してる不良を『波乗り』一発で打ち払った子?」

この場の空気が急変したような気がした。私はどぎまぎしながらも答える。

「は、はあ…」

職員は凄いだの、初めてなのに強いだの、不思議と思っていいぐらいにきゃあきゃあとはしゃぎだした。
私はただポカンとした表情で職員の褒め言葉と応援の言葉にただ相槌を打つしかなかった。
登録を終えて、外へ出ようと振り返ると周囲の人達の目につく。私を見ながらひそひそと小声で話している者もいた。
少なくとも3日前にここで仮登録をした時と比べて、色眼鏡で見るような嫌な目線でない事は確かだ。

―― そんなに嬉しくない

これを俗に言う天邪鬼というやつか?虐めを受けていた時は自分自身の変化を求めていた。
毎晩夕飯のラジオ番組に出てくるアダンとかファルツとか…私のような世間知らずでも記憶に残るような人に
将来なってみたい、と思わないことも無かった。けど今の様に少しはやし立てられただけで、こんな風に思ってしまう。

まぁ何にせよ、変化が起こり始めているのは確かだろう。家に帰る私の足取りはいくらか軽かった。



海を走る。普通では考えられない事だが。
無数の岩山が矢のような速さで駆け抜ける。顔にあたる雨はほぼ真横の角度だ。でも彼女にとっては慣れっこだ。
目の前に一本の黒く錆び付いた摩天楼が目に入ってくる。あれが基地だ。彼女は今乗っているギャラドスに顔を伏せて言う。

「ギャラちゃん、着いたわ。ゆっくりにして頂戴」

その言葉に水色の巨体は全身をよじらせ水切り移動にブレーキを掛け始める。止まった頃には二人の位置は丁度
その高い摩天楼につながる岸の真ん前で止まった。上の言った通り、この岸に入り口の洞窟が開いている。
彼女は乱れた金髪を整え、小さなランプに火を灯して中に入った。奥へ奥へと進み、やがて外の光がここまで
届かない場所まで行ったとき、二股道が彼女の前に現れた。一つは上の方へと進んでいてもう一つは地下への道がある。

言われたとおり、彼女は地下へ進んだ。何の舗装もされていないただの洞窟は階段道へと化した。
所々に灯りが見え始め、ランプの役を成さなくなる。どうせなら入り口からちゃんとコンクリで固めてほしい、と思っていると
彼女の前に大きな鉄の扉が立ちふさがり、両サイドには自分と同じ衣装を身に纏った男2人が守っている。
茶のマントで全身を覆い、フードを目深に被っていて顔がよく見えない。辺りが暗いのも理由の一つだった。
その内の一人が彼女に話しかける。その際にマントの隙間から左胸に縫いこまれた緑のS字エンブレムが目に入った。

「メリー・グレーヌ様、任務遂行お疲れ様です」
「ゼウム首領は?」
「中におります。もう会議が始まりました」
「わかったわ」

重い鉄壁はゆっくりと開かれる。態々こんな重苦しい演出までする事はないだろうと、メリーは低い音の中で
聞こえないようなため息をつく。扉の奥はこの場所よりも更に暗く、錆び付いたステンレスの大テーブルと椅子が
置かれているだけで、それを除けばただの四角い空間でしかない。青い平原のような海がもう恋しくなった。

「メリーか、よく来た。そこに掛けるといい」

部屋の一番奥に老人じみた声でメリーはギョッとした。よくよく見ると大テーブルの奥の方にぼんやりと男の
輪郭が見えてくる。程なくしてサイドに2〜3人いる事に気付いた。メリーは取り合えず一番近くの席につく。

「フードを被りなさい」

もう一度老人の声がした。確かに彼女の纏うマントにはフードがあるが、何の為に使われるのかは知らなかったが。
今この場にいる人たちを目を凝らしながら見てみると、全員フードを目深に被っていて顔が全く分らない。
それぞれの席の上に60ワット…よりもずっと暗く光る小さな電球が吊るされているだけで、机の書類を照らす程度だった。
まず真正面の男の声が聞こえた。

「では会議を続ける。ネルファはすぐにミナモに向かい、先に行かせたフィンスに会って来い。
町長との話をつけてくるんだ」
「はいよ」

―― 随分とタメ口だ。 軽そうな男だわ。

ネルファと呼ばれた者はフードもはがさず部屋を出る。結局顔すら見ることも出来なかった。
顔を隠す、それがここの鉄則である。互いのプライバシーを見せず、ただ与えられた仕事だけをこなす。
マスコミじゃこんな団体がある事すら知られていない。それどころか内部の人間すら詳しい情報網が浮かんでこない。
裏では何をやっているのか…、それは幹部にまで上りつめたメリーですら調べるのは極めて困難である。

―― こんな暗殺稼業もどきの集団じゃ手も足も出ないわ…

メリーは暗がりの部屋の中で呻いた。脳裏の底で白い頭巾を巻いた少女がいつまでも頭の中を駆けている。
その子は私に笑顔を見せながら私の目の前から闇の中に雲隠れした。彼女は要は人探しの為にここに入ったのだ。

「では残った者達はいつも通り、捕獲を続けろ。『封印』を解く為の力を集める為にな。
手段は問わない。ただし絶対にこのスカイ団の情報を漏らさぬよう…それだけを肝に銘じておけ

…特にメリーはな」
「……っ」

メリーはよろめいた。これは貧血か?
どうもこの老人の言う台詞は心を鷲掴みにするような圧迫感を感じる。向こうの目からではこっちの姿は絶対に見えない筈なのに
千里眼でも持っているかのようにまるわかりだ。わずか10分程度しか同席してないのに、汗はとめどなく溢れ、ポタポタと床に垂れる。
会議を終えてふらふらと外に出た時の空気の旨さは格別だった。空を見ると塔がぽっかりと浮かんでいる。
周囲は点々とした岩場をおいて後は絶海のみだった。私は一呼吸し、会議室で手渡された書類に目を通す。

その紙面に14歳になるあの子の姿がホログラムの様にぼんやりと浮かんでくる。

―― 今は何も分らないけど、きっと探し出して見せるわ。だから待ってて、シアン。

メリーはすぐに腰ベルトにおさめたギャラドスを伴い、摩天楼を後にした。水竜の姿が水平線の彼方に消えたのを窓から見たゼウムは

「…ハルス」
「は…何でしょう首領?」
「あの女には気をつけろ。裏で何か探っている可能性がある。
ここの情報を部外者はおろか、内部の人間にも漏らすわけにはいかん」
「心得ております…クク……」
「それから『例のヤツ』の封印を解く『力』…ぬかりはあるまいな?」
「……」

会話が一度止まり、周囲の強い波音しか聞こえなくなる。時化がきたのか
風の力でその音は次第に大きくなっていった。
二人には聞こえなかったが…その波音の中に、どこかで断末摩のような雄叫びが紛れている。
フードの奥底に隠れたハルスの口元がにやりと笑う。

「お任せください…この命に代えましても、『碧竜』は必ずあなた様に献上して御覧にみせましょう
「…頼んだぞ……ハルス


ヒマワキに向かえ」


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