【C】

最悪の事態だ。申し訳なさそうに佇むモラロとホーリィを背に私は目を赤くしていた。やはり使い手としては
パートナーを奪われる悲しみは人一倍強い。たとえ虐めという辛い出来事があっても、ヒンバスとは無二の友達だ。
ロルが持ってきてくれた『盗難届け』の書類を埋める私の手が震えて、もはや自分の筆跡とはまるで違っていた。

「うぅ…ぐすっ……」
「泣かないで、この施設でのトラブルは私達の責だ。君のパートナーは総力を上げて捜しだすよ」

ロルがなだめてくれたが私は泣き止めなかった。ホーリィが隣のモラロを見た時、彼が驚くほどモラロは蒼い顔をしていた。
試験の順番からして次はモラロの番だというのに。緊張している様子ではない。ホーリィはすぐに気付いた。
―― そっか、こいつは妹を無理言って連れ出した事を後悔してるんだな。

「にしてもひどい奴だな。後ろからいきなり殴った上に盗むなんて」

ホーリィは思いつく限りの言葉でモラロを励まそうと懸命だ。だが結果は空しく、兄妹揃って同じ顔ぶれをしている。

「……」
―― やっぱり似たもの同士だ…こいつら。 ホーリィは内心で思った。と次の瞬間、モラロの身体が急に動いた。

「…すまねぇっ!シィラ!」

私は兄の突然改まった言葉に未だ涙で滲んでいる目で兄の方を見たとき、開いた口が塞がらなかった。
いつも背丈で見上げていたモラロの姿が、今は席に座っている私より下にある。兄の土下座する姿なんて想像すらしてなった。

「なっ…お兄ちゃん…」
「元はといえば、俺のせいなんだ。無理して誘わなけりゃお前の『親友』を盗られずにすんだものを…」
「……」
「すまねぇっ…本当にすまねぇ……」
「……」

私は失語症になったように唇が石化していた。別に恨んでいる訳でもないし、モラロがそこまで追い詰める理由はない。
ただ、何と言おうか。何か私の周りに壁を感じる。私は力無く立ち上がり、そして冷たくこう言った。

「次、お兄ちゃんの番じゃないの?早く行ったら?」
「…あぁ」

モラロは自分の19と書かれた受験票を見て、仕方なく答えて去っていった。ロルはパイプを加え直し、
盗難届けを持って―― では、見つかり次第連絡をよこすから。 とボードを手に受験生たちの居る場所へ戻る。
俯いている私にホーリィの手が差し伸べられた。

「大丈夫だよ」
「ホーリィさん…有難う。そう言えば受かったの?」
「うん、何とかな。俺は今日からこのサメハダーとパートナーだぜ」
「ふぅん…おめでとう」

私は今までにないぐらいの無愛想だった。
―― ホーリィさんなりに私を慰めようとしてくれてるのに、酷い答え方をしちゃったな。


ぼんやりとドームの片隅に座り込み、猛獣系ポケモンを相手に格闘するトレーナー達を見る。
バシャーモの炎の拳に手持のポケモンを全滅させられ降参する者。
フォレトスのタックルに負傷して棄権する者。
カビゴンの頑として眠り続ける姿にトレーナーは成す術もなく時間オーバーになって失格になる者。
失格になるも多彩な負け方をしているものだと。私は少しだけ悲しさを紛らわせるようになった時、事態は急変した。

私の前に背の高い青年が居る。おおよそ身長175cm前後、歳はだいたい18ぐらいと私は推測する。
その男がパートナーにしているのは背中の裂け目から噴出す炎を持つ巨体。ジョウトに生息するバクフーンだ。
相手はやや薄手の緑色と蟲独特の無数の紅い瞳を持つ、砂漠に巣食う竜。通称『蟲竜 フライゴン』
男は少し甲高い声で『ブラストバーン!!』と指示する。背中からバクフーンが物凄い熱気を放ち、
その熱エネルギーは私の居る場所まで届いた。 ―― え、まさか… 私の予感はすぐに的中した。

そのブラストバーンとやら、敵はおろか私のところまで術が向かってくる。このままでは私まで黒焦げに…
しかも私、今は手持のポケモンが居ないからヒンバスの水で防いで避ける事すら適わない。
―― っていうか…コレ、死ぬじゃん。

炎の熱気は私の眼前2メートルに迫っている。そばにいたホーリィが慌ててサメハダーを繰り出そうとするが到底間に合わない。
刹那、私が叫びをあげる前にブラストバーンは相手のみならず私を丸呑みにした。

「カイン!」

ロルの罵声でその背の高い青年はギクリと身体を震わせた。騒がしかったドームの人の声とポケモンの技の音は水を打ったように静かになる。
バクフーンの周りの床は焦げてはいないものの、まだ火遁がちらほらとその空間を踊り舞っている。
その背後に一体の亡霊ポケモンが立ち、牙を剥き出しにして笑っている。 ゲンガーだ。
その影に私が腰を抜かして座り込んでいる。私の居る周りだけがまだ相当熱い。
―― 間一髪で私は助けられたんだ。

「何やってんの!このバカ!」
「へっ?」

威勢のいい張りのある女の声にカインと呼ばれた青年は間の抜けた言葉を思わず発する。まだ状況を把握していないな。
カインはバクフーンが出したブラストバーンの跡を見回し、仁王立ちするゲンガーとその背後にいる私をみて
ようやくハッと我に返る。 その直後、一人の赤毛の女性が拳でカインをボカッと殴る。

「あんた、周りをよく見なさいよ!私のゲンガーが護りに入ってなかったら今頃あの娘焼け死んでたのよ!」
「あ…しまった」
「しまった、じゃないの!早く謝りなさい!」
「…ご、ごめん」
「い、いえ」

私は心の中でこの二人を夫婦漫才師とあだ名した。すると監督のロルがカインに告げた。

「18番、カイン・アグルヴァルゼ君。合格」

その言葉に誰もが耳を疑った。本人でさえも赤毛の女も、ロルは厳粛のイメージを保ちながら言った。

「中々の使い手だ、バクフーンに『ブラストバーン』を覚えさせるとは…相当トレーナー歴が長いだろ?」
「へ?はぁ…まぁ…」

カインはぼりぼりと照れるように曖昧模糊な返事をした。赤毛の女がイラつくように肘をつく。

「それに見てみろ、フライゴンも君とバクフーンの力に恐れ入っているようだよ」

―― へ? とカインは試験相手の蟲竜フライゴンを見る。体勢を低くとり人間に対して敬意を示している。

これはドラゴンポケモン共通の主従契約を交わした時の行動だといわれている。フライゴンを含め『竜系』は
基本的に気高い上に感受性も極めて鋭い為か、人間の邪な心や弱い心を見透かす力を持っている。
その為にドラゴン使いはどのポケモンの『系』よりも扱うにも難しく、家系や血族に頼った『才』も要される。

とはいってもこのカインという人柄からして、果たしてそういう人間なのかどうかは…少し疑問なのだが。  

「ただし、欠点も克服の必要があるね」
「え…」
「まず周りを見る事。戦闘に夢中になって味方を巻き添えにしては何もならない」

それは赤毛の女性も同じ事を言っていた。

「それに…」
「それに?」

カインが言う。

「礼儀を知らんのか、君は。言葉遣いをもっと勉強しろ」

そのロルの言葉に周囲からいくらか笑い声が飛んできた。カインがひどく赤面し、もう一度私を向いて―― すまなかった、と謝る。
合格者なのに彼の腰は低く、こそこそと人混みの中に隠れていく。赤毛の女性は―― 大丈夫?と声かけながら私に肩を貸してくれた。

「あの、ありがとうございます」
「いいのよ、別に。あんたも怒っていいのよ?あの馬鹿に」
「友達…何ですか?」

その問いになぜか赤毛の女性は赤面する。丁度さっきのカインと同じといってよかった。

「な、違うわよ。隣合わせだっただけよ」
「…見えませんね」
「何とでもお言い。ところであなた、名前は?」
「雪原椎羅です」
「私、オルビア・メリー。宜しく」
「は、はい…とはいっても私、受験生じゃないんですけど」
「え、あ…そうだったの」

オルビアが気まずそうにそう答えると、遠くで―― 次、19番から23番! とロルの締まった声がドーム内に響く。
番号を聞いて私はようやくモラロがステージに立つ番だと悟った。呼ばれた受験生は各々新しいボールを箱から一つずつ取る。
箱に入っているのは檜の明るい茶色だけで何の着色もされていないシンプルなモンスターボール。

―― ん?

両目共に視力が2.1の私には分かった。私の居る位置からその箱の中に詰められたモンスターボールの中に
『赤印』の烙印が押されているのがはっきりと見える。何か特別なものでも入っているのだろうか?
私は疑問に一瞬だけ思ったが、モラロの「うおっ、寒いっ」の言葉で頭から消し飛んだ。モラロの方に目を移す。
漆黒の浮遊体に厚い氷を纏っている。不気味な冷気がここまで伝ってきた。私にとってみれば浮遊するポケモンを
目の当たりにすることすら初めてであったが。

「19番 雪原 猛羅呂 オニゴーリ 始め!」

ロルの張り詰めた言葉が場に緊張をもたらす。私はなぜか見る気になれず、檜のフローリングを眺めて
木目からできた人の顔を無意識に捜していた。モラロのワンリキーは牽制をオニゴーリに当てる音が響き、その度に氷が弾けた。
他の人もその場に一緒に試験を受けているが、観衆の視線はモラロとワンリキーの方に集中している。

「あいつ、すげーぞ」
「いきなり攻撃するなんて…無茶ね」
「進化ポケモンに楯突くなんて度胸あるな」
「勇気あるー」

私はちらちらと兄に目を配りながら下を向く、兄に向けては下を向く、その繰り返しをしていた。
ロルの方を見る。彼は兄に感心しているのか、他の人を見る目と比べて幾らか熱さのようなものを感じる。

その時だった、私が最初に異変に気付いたのは。ロルの隣に置いてあるモンスターボールを詰めた箱。
そこに近づく一つの人影が、その近くにすっと現れる。いきなり何も無い所からぬっと…間近のロルすら気付いていない。

「あ…」

その人影は深緑色の衣を身に纏い、頭からマントを被っている。いつしか私が学校の屋上で出会ったメリーと名乗る女性と
どこか近いものを感じさせる。風のように表れ、風のように去る…そんなイメージと全く重なっていた。
私ははっきりと見た。人影は箱の中を探り、『赤印』をつけたモンスターボールを掴み取った。
そしてそのまま物音を立てずにこのドームを出ようと出口に向かう。私の第6感は、野放しにしてはいけないと警告している。

すっくと立ち上がり、人影の男を追う。オルビアが、―― お兄さんのバトル、見ないの? と声かけるが聞こえなかった。
言うまでもなく、それは他ならぬスカイ団の装束である。



廊下をかける。腰のベルトにはヒンバスもキノココもいない所、やけに軽い。
スカイ団と思しき男は下の階へと走る。しかしマントの靡く音ですぐ後ろにいる私は居場所が手に取るように分かる。

「待って!待ちなさい!」

口調が厳しくなった。男もこちらに気付いたようだ。だが躊躇いもせずに階段に貼られたテープを飛び越え、
更に下の階へ走っていく。地下へ通じる階段はもう夕暮れで光が行き届かず、闇に覆われ始めていた。
暗がりは少しだけ怖い。―― 何か灯りが必要ね。 と見渡すと、1階廊下の突き当たりに非常用の懐中電灯が目に入った。

―― よし

階段を照らし、ごくりと生唾を飲み込んで丸腰の私は下っていった。
地下1階、扉が2つ目に入ったが2つとも鍵が掛かっている。壊した形跡もみられない。もっと下だろう。
地下2階、無数のダンボールが乱雑に打ち捨てられている。扉は適当な木で封鎖されている。更に下だ。
地下3階、ペンキの落書きが至る所に書かれている。扉には鍵が… 一体どこまで…?
地下4階、落書きは『幽霊出る』『呪』『殺』などオカルトになってくる。…不気味。
地下5階、懐中電灯の電池がきになりだした。ここまでくると正直怖い。

そして地下6階、下への階段はもうない、最下層だ。この施設はなぜこんなに深い所まであるの…? 
私が息を切らしながら疑問に思っていると眼前に埃かぶった古い鉄扉が見えた。鉛色で錆びたような鼻をつく独特の臭い。
足元には黒い南京錠が壊されている。手を触れてみると、水で濡れている。いや、床全体が水びだしになっていたのだ。

―― ポケモンの技かしら?

錆びた鉄扉を力の限り押した。油を差していない鉄扉は鼓膜をつんざく金きり音をたててゆっくりと開く。
見てみるとそこは意外と広い空間となっている。丁度私が通っていた学校の教室ぐらいの広さといった所か。
天井の明かりは灯ってはいるものの、電球が切れ掛かっていて点滅を続けている。やっぱり懐中電灯は必要だ。

そしてその空間の奥に、マントの男は仁王立ちしている。私を待っていたようである。

「その赤印のボール…どうするつもりなの?」

私が尋ねる。すると男は急にケタケタと笑い出した。

「くっくくく…まさか見られていたとはねぇ…私もスカイ団としてはまだまだかなぁ…」
「やっぱり、あなた…」
「…だがねぇ、無事任務は果たさせて貰ったよ」
「任務…?」

男は赤印のボールを高くかかげ、今にもボールを落として中のポケモンを放たんばかりだ。

「凶状持ちのレッテルを持つこのエアームドの強奪。そしてこいつをあのドームのど真ん中に開け放つ事だ」
「な…」
「分かってるよな?凶暴な性格のこいつがあんなに人がいる中で暴れだしたら…」
「何を…」
「悪いけど、見られたからには消えてもらうかな」

男は腰元のベルトからボールを取り出す。私がその仕草で自分が丸腰だとようやく思い出した。
出てきたのは水のペンギンのエンペルト。目の光り方が異様だ。焦点を失ったように真っ赤に血走っている。


「水を流し続けろ」
「…!」

エンペルトは可愛く小さな羽根を小刻みに揺らし続け、ほぼ密閉された部屋に水を出し続けている。

「死ぬ前にお前に聞きたい。メリーという女…あいつと何を話した?」  
「え?」
「ハルス部隊長は雪原椎羅というものから情報を売った、と言っているんだな。…何を聞いた?」
「何も、聞いてません!」
「シラを切る気かな?こいつらがどうなってもいいのかなぁ?」

男の手の中に見覚えのある2つのボールがあった。そしてもう片方の手には銀色に光るナイフ。
ケラケラと笑う男の持つナイフは今にもボールを真っ二つに裂こうとしている。

「っ!?や、やめて…!」
「何を聞いたんだ?教えろ?」
「本当に知らないんです!私はただあの人に助けられただけで…」

男はちっと舌打ちする。そのまま2つのボールを無言で私めがけて投げた。返してくれた事にとりあえずほっとする。

「やれやれ、とんだ無駄足だ。じゃあ退かせてもらうとするかな」
「…」
「おい、エンペルト。

お前はもう動くな。そのままこの部屋を水で満たせ」

「えっ!?」

その男の指示に水ペンギンは身震いをさらに深めて水を放ち続けた。もう部屋の水位は腰まで来ている。
私があたふたしているその隙にもう男は部屋の出入り口の前でたっていた。 

「だが、お前は予定通り始末させてもらうぜ。この地下のどん底で溺れ死になぁ」
「なっ…」
「馬鹿だね、お前。普通、出口のない地下に逃げる馬鹿がどこにいるんだよ?」

男は扉を閉める。鍵をかける音が私を絶望においやった。

「我らがスカイ団…その情報を知ったものは否応なしに死の制裁を…それが我らの鉄則なんでな」
「…ぁ…」

男は最後にもう一度言った。

「言っておくが、エンペルトを止めようとしたって無駄だぜ。そいつは俺たちのいう事しか聞けない。
…いまやただの人形だ」

男は笑いながら階段を上っていった。赤印のエアームドもまだ奴の手の中に…。
水はとめどなく水ペンギンから流れ続けている。このままでは本当に私は溺死してしまう。

「誰かぁ!助けて!!」

地下6階のこんな部屋で誰が気づいてくれるか…分からない。


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