〈3〉

痛みに麻痺している…。体中傷だらけ…。モラロの意識はもう殆どなかった。 ただあるのは…
不気味なほどの身の回りの寒気、ただそれだけ。
そしてまだ壮大な力をまだ秘めているホエルオーがいた。
顔も身体も四肢も、血が流れていた。致死量なほどに。
モラロの生気は正直言って…もうないに等しかった。

「…が……はぁ…。」
血を少し吐いた。 手のひらに付く。それを…憎らしく見て…手を壊すように握った。

ふと目の前にカイリキーの姿があった。今のモラロほどでないが体力も限界らしい。 力の猛者が親を失う寸前の子供のように挙動不審の様子である。
うっすらと視界がぼやけてきたが…痛む腕をすっと差し出し、カイリキーに小さくいう。

「頼むぞ…全部お前のバカ力に賭ける」

とそこで口の中の唾液が声を詰まらす。呑み込み息をついて、

―― 妹を守らなきゃ…

奥底にある彼の心の根っこが、やっと台詞という形に現されたのだった。
もう…そこでモラロの意識は消え、砂浜に顔を埋めた。
その一部始終を見据えたカイリキーは…
ホエルオーの巨体の方をくるりと向きかえった。

さっきとはまるで違う、もの凄い雄姿。
それをモラロが見れなかったのは無念であろう。

もう今度こそ恐れはない、この一撃でカタをつける。
そのオーラを全身全霊で立ちこめ、拳から力を…

「ゴォオ!!!」

渾身の一撃、クロスチョップだ。それもさっきとは明らかに力の差というものがあった。
あれほど暴れ狂っていた海鯨が…その一撃で身を捩った。
悶絶の証だ。 海鯨はどっと浅瀬の海に倒れ込み、波の力に身を任せていった。

その先は…カイリキーも倒れこんだためか、覚えていない。

* * *

「全員、集まってくれ。」
ロル老人が手を高く掲げてこっちへ来いという手招きサインを送る。

よほどの疲労か、やっと勢力を抑えた後なのに全員来るのが遅かった。カインのシャワーズなんか、パワーポイントの使用負担で以前に服用したヒメリの実を麻薬中毒者のように欲しがっているのが分かる。
オルビアはやっと回復後に戦闘に戻れると意気高揚だったはずが既に終わっていたので悔しがった。
イスケはロルの前に近づいたとき、

ヒュオオ…

「うわっ…!」

一段と強くなった雨風に倒れそうになった。

「さて…突然に天候が悪化してきた。そこで…。」

ロルが風の音に声を奪われないように気を配りながら声を張り上げる。

「我が警察補佐隊は直ちにトクサネに先に向かおうと思う。」

その発言に一瞬固まった。この状態で…?
ファルツは苛立ちを露にしたように反論に手を上げた。

「何故です?いずれ乱気流で覆われるここで一旦休みを入れたほうが…」

「君は黙ってなさい」
ファルツを無視するように遮った。顔をまた顰めた。

ロルは無線越しにアダンとの連絡の取り合いで立てられた予測を皆に話し始めたのだった。

それは、スカイ団の狙いは『力』の収集である可能性からくる。
民間から強奪された「キングドラ」と「リザードン」
次にフエンの領主の「色違いボーマンダ」

この強い力を持つポケモンの強奪を集めるのが目的とするならばトクサネにもその目的の対象となる物が一つ存在する事からなのだ。


浅瀬の洞穴の「氷王トドゼルガ」

これが今度の強奪の対象となるであろう…という予測だった。
「…分かってもらえたかな?今民家の目撃情報でスカイ団と思われる
一団が真東に飛んでいったらしいんだ。
…無理してでも急ぐ価値はある。」

口調が少しずつ落ちているのが分かる。
ロルだって正直気は重かった。補佐員をこんなにまで引っ張りまわすのはやりたくない。 けど
「分かりました、行きましょう。」
最初にカインが答えた。 続け様に
「ええ、行ってみようじゃない。」
「…皆さん、モラロさんを忘れちゃ…。」
オルビアにイスケが言った。

それぞれの…意思の持った目に、ロルはふっと笑いを込めた顔を作った。

「…よし。今すぐ船の手配をしよう」
「僕は海岸に行ってきます。モラロさんに任せた任務、どうなっているのか」
「頼むよ。イスケ」

* * *

血の気が一気に引いた。この二つの足で立っていることすら辛い。
一段と強くなった風と雨の音が状況を煽っているように聞こえた。
「…モ…ラロ…さん。」
震えた口調でイスケが重々しく口を開いたが、言い終えるより前に身体が既にモラロの肉体の方へと向かっていた。
「モラロさん!!」
慌てふためき、一度躓いてでも駆け寄るがイスケには応急処置という知識という物はなかった。 本人ですらそれに気付くのに少しかかった。
目の前のモラロとパートナーのカイリキーはほぼ血だるまで…砂浜の砂が付着している。
「だ…誰かぁ!!」

* * *

ポケモンに乗って空を飛ぶ基本的な方法とは?
まず飛行タイプを手にする時に絶対的にぶちあたる障壁ともいえる。
そしてその障壁は、
「わ…わわ」
私がまず今回最初であった。エアームドの首に必死にすがり付き、そのせいか息苦しくなった鋼鳥はもがこうとまた翼をばたつかせて不安定の元を作る。
…さっきからこの繰り返しだ。

「シィラーー、気流を上手く掴むのよ!」
リムのアドバイスは抽象的でよく分からない。

* * *

「…今朝入った天気予報によりミナモへと温帯低気圧の乱気流が北上しているらしい。
今の所ミナモ側の報告は何も来てないが恐らくはトクサネに向かっているだろう。
皆、気をつけろ。雲の上に出たら、私らはやつらのいい格好の的だ。
なにせ障害物が何もない雲一面だからね。」

そうこう話している間に補佐員の身体に冷たい雨が感じられた。
思った以上に乱気流は近くに来ているかもしれない。

「上昇!」

アダンが手を高々と掲げた。それにまずフライゴン二体が、続けてリザードンが。
そして、エアームド…

「まずい…置いてかれちゃう」

このエアームドは最初、人を見るたびに威嚇するような低く唸っていたが不思議と私の前だと甘えるような鳴き声で頭をこすりつけようとする。
あの試験場でずっと看病していた私を信頼してくれているんだな。

空高く上るのにかなりの苦労を要したろう。
ぐんぐんと近づいてくる白い雲に私はレオンと墜落した霧での事を思い出させた。
強い突風を顔に受けながら、目の前…全体の視界が白く何も見えなくなる。
今空を飛んでいるのか、ここは何処か、それさえも分からなくなり、不安に思うのか、エアームドをつかむ両腕の力が強くなる。
だがそんな不安感はすぐに消えた。 前方から突然一筋の光が…。
その光が二つ三つ、やがて視界が白から青一面に変わる。

雲を抜けた!その上に居る仲間の三つの影がすぐ下の雲に影を作っていた。
上を見上げるとフライゴンの一体からリムが手を振るのが見えた。シィラも手を振り返す。

ちょっと普通ではなかなか見ることの出来ない。真っ青の青空に一面の雲、そして太陽。
しばらく見とれていて、ミナモに居るモラロの事を忘れていた。

* * *

そこから四時の方向。無機質な潜望鏡が除いている。 その傍観者が
「目標確認。フライゴン二体、エアームド一体、リザードン一体」
男の声が響く。その男は緑色の服を身にまとっている。…スカイ団だ。
フエンに未だ残っていた勢力。 少し小規模だが…不意を付けば勝機はある。

そう確信して、

「よぉし…この雲に身を隠しな。乱気流の底に打ち落としてやれ」

「はっ」

妙に間延びしたとぼけた口調の男が支持を出した。…他ならぬハルス隊長であった。
右手と左手、合わせて九本の指を違わせポキポキと鳴らす。
ハルスは薄く、暗く、笑みを浮かべていた。
「さぁ…行け、行って奴らを打ち落とせ…くくくくく…」
声も出さずにスカイ団の勢力、合わせて十体のエアームドとゴルバットが雲を利用して
接近していった。 羽をバタつかせない、いわゆる滑空状態で。
そして、
物凄い羽の音が間近で聞こえた。

「げっ」
心臓が凍る思いをした。全員息を詰まらせた。 だがその反面、一人だけ
「んぁ?何だ?」
ホーリィだけ相も変わらず場を読めない。
「ミラーコート!」
私は咄嗟にヒンバスに指令を出した。
いつの間にか目の前にはピンク色に光っている魔壁が現れていた。
その技はヒンバスのものだった。ヘドロはコウモリの方へと跳ね返された。
「お陰で助かったぜ」
ホーリィは乱れた髪を整えながら私に言った。髪が寝癖で乱れているのはいつもの事だが。

* * *

「部隊長」
後ろに残しておいたスカイ団員が後ろから竜越しに話しかける。
「どうしたかな?」
雲の中から潜望鏡を覗いているせいか、妙な威圧感を覚えた。それが口調をより一層低くさせた。  

「…あ、あの。そもそもこの少人数で大丈夫でしょうか。あまりに無謀では?」

その質問からほんのしばらくの間だけ沈黙が流れた。沈黙というより緊張か?
こちらを向くことなくハルスはおどけ口調で言葉を並べた。

「クク…この戦いの目的は…あいつらはただの捨て駒だ。目的は…こっちの方だよ。」

潜望鏡をはずし、服の内側からごそごそと何かを探っている。
そしてようやく取り出した。 金属がしなやかに曲がりその真ん中に長い鋭利な武器が取り付けられている。
団員がその見慣れない物に訪ねた。

「それは…一体何です?」

「遠距離の弓…まぁ簡単に言うと『ボーガン』だよ…」

* * *

「援護の必要はないね。ホーリィ一人で決着がつきそうだ。」

フライゴンにまたがるアダンがそういった。さっきあまで空気の読めない男の風に見えていたのは演技だったのかと疑わしい。
いつの間にか、フライゴン二体はすでに戦闘場から距離を取っている。

「シィラ…大丈夫かしら?」

リムが心配そうに鋼のエアームドの方を必死に目で探し、耳で鋼の翼のはばたきを探る。

一息をついてから再びエアームドを眼中に抑えようと目を凝らして…
ふと雲の隙間から何かが見えた。 自分の眼を疑うように目を細めると、

一人の男の頭が雲から覗かせた。多分姿形で一軍の将だと思う。

『あ…』と言葉を失う。その親玉と思われる人物は、右手に奇妙な物を持っている。
それはしなやかに曲がる金属とそこから張る弦のようなもの、そして真ん中の武器。

―― …あれは?弓?誰を狙っているの?

その弓が何処を狙っているのかリムは弓矢の狙う向きを見やった。そして顔を蒼白させた。
「まずあの娘から死んでもらうか…。」
その狙いの矢先に居るのは…背中を向けた私だった。まだ気付かなかった。
リムはまたがるドラゴンに雲の中に紛れるように下に迂回し、私の位置を計測して
「気をつけて、弓よ!」
叫び声とともに雲の上へと…躍り上がり、私を庇う。
「リ…リム? あなた一体どうして…?」
「伏せてぇ!」
だが時すでに遅し。はるか向こうから

バシュ!

弦のたわみを解くような軽い風の音がシィラの耳に入って、…すぐ後だった。


ドス


何か…肉を裂く嫌な音が私のすぐ前方で聞こえた。音源はリムの方からだ。
「ぁ……」
細々として聞こえがたい小さな声。けど私にはちゃんと聞き取れた。
よくよく見てみると、矢が…リムの胸元に…突き刺さって…

「リ…ム……リム………?」

私の口は油切れのロボットのように動こうとしなかった。


* * *

時はさかのぼる…

放課後、誰も居なくなったのをビクビクと確認してから夕日を背に作業を続ける。
机全体に掛けられた糊を剥がすだけで握力がすっかりなくなり、消しゴムを握る腕が痛む。
黒鉛筆や色鉛筆、フェルトペンはもはやどうしようもない。

バカ
死ね
カス
きもい

……

ヒンバスを皆の前で紹介してからずっとこの調子で、
胸元に拳銃でぽっかりと風穴を開けられたような気分であった。
何度も消しゴムを擦り付けてしまい、印刷がうっすらと掠れている。
すっかりぐしゃぐしゃになった教科書の上に涙が数滴落ちた。

その時、背後の扉を開けるのが音のない教室を響かせた。
それと同時に私もギクッと恐怖に怯え、おそるおそる背後を…

見渡してから、目に入ったものは…一人の少女。青いスカートを身に纏っている。
シィラの視点から見てこの娘は苛めをするようではないと見た。
でも今もはや対人恐怖症気味であったシィラは少しだけ冷たい口調で

「……何…?」

青スカート女子は引くどころかこちらに近づいてきた。

「……!」

私は即座に逃げる構えをした。大方、何かされる…その恐怖心で。

「あ、待って。あなた…確かシィラ、いや雪原椎羅…だっけ?」

「…うん」

恐ろしさのあまりに俯きかげんに小さく答えることしか出来なかった。

青スカート女子は机の上のシィラの教科書に目を移し、その現状に顔をしかめる。
そして少しずつ彼女の机の方に歩を詰め寄った。

「…消したいんでしょ?落書き」

「…うん。」

「…いいわ。色鉛筆なら丁度いい消しゴムがあるから。」

え?と顔を驚きに引きつかせて青スカートの女子を見上げた。
まだ警戒していたが、せっかくの好意には…一応でも答えなきゃならないのはちゃんと知っていた。

「…あ…ありがとう」

私は言った。けどその青スカート女子は目線を逸らしながら答えた。

「ごめん…」
「え?」
「助けらてやれなかった、隣にいたのに」
少し口調はぶっきらぼうだが、何を言っているのかだいたいわかった。少し沈黙が流れる。
「…ム」
「え?」  
「ルディス・リム…。私の名前」
そういってリムはほほ笑んだ。
…それが親友同士の最初の出会いでもあった。


* * *

それが今…目の前で……

吐きそうだ。 目の前に広がる世界全てが灰色へと色を無くした。
私の前方20センチに絶望の闇が私を飲み込んでしまったかのようだ。

「あぁ…」

一瞬の出来事のはずなのになぜか私には物凄く、スロービデオのように
時間の挟間というものを感じさせた。

今、リムは肉体的に矢に貫かれている。
今、シィラは精神的に心に風穴が通っている。

リムが…死んじゃう…。 その他何も考えられない。

フライゴンの上に呆然と立っているリムは、そのまま重力に身を任せて身体を傾けた。

ダメ…

少しの間だけ彼女は顔をこっちに向けようとした。

嫌…

真ん中に突き刺さるボーガンの矢が私の胸を痛く締め付けた。

嫌…

それなのにリムは…痩せ我慢みたいに、ホントに馬鹿みたいに

嫌…

小さく微笑んだ。そしてそのまま…
乱気流の底へとその身を落としていった。

「嫌ぁあ!!」

今までにない絶叫が轟いた。今上空50メートルは居るのにシィラは
リムを追うように飛び込もうと足を踏み切った。 

「危ない!!」

「嫌よ離して!!助けなきゃ!!」


「ダメだ!この真下には温帯低気圧の乱気流の渦だぞ!?
行ったら最後、君も死ぬぞ!」
アダンの言葉ももはや私の耳に届かない。放心状態になっていた。
―― どうせなら…それでも良かった…私のせいで…リムが、犠牲に…
苦悩に震える手で頭を抱えた。

その時真上からあの声が…

「おや?誤爆か。あの娘を狙い落とす気だったが…。まぁいいや。」
ハルスだった。カイリューの上に乗っていて、翼を大きくバタつかせている。
既に矢がなくなったボーガンを手に、彼は再び不気味な笑みを浮かべた。

「これであの『ゴミ』もメンタルに終わりかな?

…クク…ハッハハハ。」

ハルスの哄笑が周りを飛んでいた他の補佐員より脳裏に嫌というほど響いた。
シィラのボールを握る握力が今まで最高なぐらい強くなった。

「こ…の……ヒンバス…。」

怒りに狂いかけた。

「……波乗りぃ!!」
攻撃を仕掛けたが、『居たはず』のハルスの空間に大水が空しく迸っただけ。
右手にすでに回避していた。…もう動きを完全に読まれている。

「あばよ娘さん。あんたには期待してるぜぇ。
よぉーしお前ら!ズラかるぜ。」

「は…はい!」

もう気付いたときにはハルスの指示から数秒後にただ雲の上の補佐員たちだけだった。
相変らずに洗練された部隊である。たとえ少数部隊であってもだ。

攻撃を当てられなかった悔しさか、親友を失った絶望感か、両者か、
私は力なくエアームドの中にうずくまった。殆ど覚えてなかったが、泣いていたかもしれない。
まだリムへの未練を残しているように下の方をぼんやりと見つめていた…。


戻る                                                       >>4へ

 

inserted by FC2 system