〈5 A〉

コンコンと扉を叩く音が響いた。部屋の中のモラロは少しぶっきら棒に

「…ああ、入れよ」

とドアに言い放った。するとガチャリと素早く扉が開いた。現われたのはイスケだった。やけに焦っている様に見える。
「モラロさん、起きれたんですね。よかったぁ」
張り詰めた彼の表情から綻びが出てきた。笑っている。

「あぁ、イスケ…心配かけたな。」
「いつも通りですよ!」
「へっ」
モラロはこの二日間、昏睡で費やしてしまった為、このぽっかり明いてしまった期間の出来事を聞き出したくてたまらなかったのだ。

「イスケ、この二日間何があったか教えてくれないか?」

その台詞でイスケの表情に一瞬だけ曇りが出てくる。
重い口調だが…彼は一つずつモラロに教えたのだった…。

シィラの親友のリムがミナモの大海に墜落した事、そしてシィラが無断で浅瀬の洞穴に潜入し、その責任で解雇処分にまで追い詰められていた事など。
勿論、その時にファルツが彼女を助けてくれた事もちゃんと話してくれた。


「……で、シィラは今どうしてる?」
兄貴として、その台詞を出すのは当然だろう。イスケは前もってその問いの答えをイメージしておいた。
「シィラちゃん、単独行動は厳禁だってあれほど言われていたのに掟を破ったんです。
それで解雇処分…次のトクサネ経由ミナモ行きの船が来たら…」

イスケは言葉を止めた。モラロの眉間が怒りに皺よった。

「そうか…あの馬鹿…。少し、喝を入れてやるかな。」

「モラロさん!それは駄目ですよ…今日は安静に…」

「あ、ああ。分かったよ。…ありがとなイスケ、教えてくれて」

「…シィラちゃんは自分からあんな事をする人じゃない。
親友を亡くして気が動転してるだけなんですよ。全部スカイ団の所為なんです」

「わかってるさ」

モラロは枕に頭を戻しながらそう呟いた。海岸の砂で汚れた窓から潮風が入り込んでくる。
真っ白の天井をカンバスのように見立てて、妹の顔を思い描いた。

* * *

トクサネから南に数十メートル…一人の男が竜に跨っている。
オペラグラス越しに街を見定め、宿らしき大きな家を探している。

目当ての物が網膜に飛び込んできたとき、男は薄笑みを浮かべた。

「今夜の宴には、丁度いい…。」

* * *

西の彼方に太陽の明りが全部消えた時、月の明りがトクサネを包み込んだ。
今日も星を見る事はできなかった。

−− 家族は…どうしているだろう…?

解雇されて丸一日、既にホームシックという言葉が頭の中にあった。壊された私の町…

「おやおや、シィラちゃん」

若い男の声がした。華麗なる水使いのアダンだった。
声のする方にシィラは顔を向け、多分この人は将来ヒゲ面になるだろう−−と、心のどこかで予測していた。
そこで、アダンが少し心配そうに問いかけた。

「晩御飯、食べないのかい?」

「…いえ。私が居ては…気まずいし」

まともに発声もできなかった。彼の耳に届いたかどうかも分からない。ふと見上げるとアダンは海を眺めている。
聞こえてない。よかった。

「少し、後向きになりやすいのが欠点だね。」

聞こえてた。

「リムちゃんに顔向けできないんじゃない?」

涙を見せたくないと顔を下に向けた。今ここでこれを拭うように手を顔にあてがえたら最後、泣いているとアダンにばれてしまう。

「……」

けど、どれだけ下に顔を向けても無駄だった。
彼女は重力の存在を今になって恨みがましく思った。
流れた涙は球体の雫となって地面に落ちた。

「じっくり考えてみなさい。時間はまだたっぷりあるから」

その彼の台詞でやっとシィラは両手で顔を隠す事ができた。
アダンは目をそらしてやろうと、海のほうを見た。

刹那、彼の目は弓のように鋭く細くなった。若い彼のセンサーが正しいなら…恐らく…。

「おや?」

アダンが優しく俯く彼女に声をかけた。

「敵だね」

と、付け足した。

「…え?」

赤くなった目で空に目をつけると、すぐに分かった。

月を背に鳥のポケモンがはばたいている。紛れもなく、スカイ団の手だれの兵だった…。

刹那、視界が悪くなる。無数の白い鳥の羽。それらが辺りを纏う空気に踊らされ、舞っている。
月の光も民家の明りもこの羽で遮られてしまう。

―― フェザーダンス

急いでアダンは手元にいるシードラを、シィラは涙を無理無理に拭いながら鋼鳥エアームドを青色のボールから引っ張り出した。

枯れた声で絞るように言葉を口から発した。

「翼で羽を打ち落として!視界を広げるの!」

そこでエアームドは甲高い金属音を腹の底から吠えたくり、翼を大きく広げ−−−バサァ、と…

…ん?

「キィィァア…!?」

エアームドの攻撃が消えた…? いや、攻撃できない?
「…どうしたの?エア…」

シィラが駆け寄った所で、遥か高い空から

「『ドリル嘴』だ!!」

男の声がした…聞いた限りロルリーダーより低い声だ。
…と思った刹那、突然エアームドは倒れこむ。
それを認識できないほどの早さだった。

「え…?」

空にいるオニドリルの姿が一瞬消えたと思った瞬間、鋼鉄のアーマーを意図も簡単に突き破って…それもたったの一撃だった。

「あ……。」
「これは…。」

エアームド撃沈、アダンが呻くようにシィラに言った。
「シィラちゃん。物理系の技を持つパートナーは出さないで。
恐らくはこの無数の羽の影響で攻撃を阻まれているんだ。

…うん、ヒンバスを出そう。一番適任だね」

「は…はい」

言われるままにシィラは急いでネットボールを探り出した。
…実はこれも彼の計算なのである。オニドリルに乗っている男が笑った。

「ふ、それこそ俺様の思う壺だぜ?」

オニドリルは容赦もなく己の翼をこちらに向けている。
このスピードなら0.1秒もしない内に地面を狙われるだろう。

「ヒンバス!」

シィラは既に技を感知していたのか、『燕返し』が来るギリギリ手前で魚ポケモンを抱きかかえ、真横へと交わしていた。

アダンはこの様子を見て、やはり彼女は身のこなしは格段に高いスキルを持っていると見ていた。

「ちっ、すばしっこい小娘が…。」

「凍らせて!」

別の角度からもの凄い冷気をシィラが感じ取った。
すぐ様そっちを見ると口を酸っぱくしているシードラから放たれていた。

「んな……」

ネルファが顔を青ざめていた。そりゃそうだ…強い冷気は鳥ポケモンの羽毛をビキビキに凍結させてしまうので空をはばたけなくなる瀬戸際に成る程極度に弱いものである。

「うわぁあ!?」

流石にシードラの直線系氷魔法は交わす事ができなかった。
右翼をモロに喰らってしまい、平地に墜落…。

「…何とか勝てましたね」

シィラが安堵の息をつきながらつぶやいた。

「ああ、中々見事な動きぶりだったよ」

さて後は…ネルファを警察本部に送検する為に拘束する事のみだった。
アダンが倒れているネルファの前に辿り着き、右手にはロープを持っていた。

「…取り合えず、警察隊まで来てもらおうか。」

なんとかこれで勝利は確定…


突然、ネルファの周囲2,3メートルに奇妙な方陣が…

「何!?」

アダンも突然の異変に少し身構えてしまった。

夜の闇を幾筋も掻き消す方陣の光の中央でネルファが嘲笑していた。
よくよく見ると右手の中に奇妙な電気機器が握られている。

送信機か…?いやでも機器で方陣は作れるはずがない…。

「お前ら…只者じゃないと見たぜ。だが覚えておけ…
俺らスカイ団には『奥の策』がいくらでもある事をな。
どこまで足掻こうがお前らはいつか、俺らに敗れ…」

だがネルファの言葉はそこまでだった。光の方陣に包まれ、強く光ったと思うと次の瞬間ネルファもオニドリルの姿も消えうせていた。
そこにはまた静かなトクサネの闇と、虫の鳴く音がするだけになった。

「くっ…逃げられた」

潮風の音しか聞こえなくなった。

* * *


私はあの戦闘ではただ敵の攻撃を上手く交わせただけだった。
それ以外…結局何の力にもなれなかったと思う。

アダンさんは褒めてくださったけど、全然喜ぶ気になれない。

ミーティングならびに夕食を食べ終えて、シィラは宿の屋根で腰掛けている。
天の頂には上弦の月の明りが彼女の頭を照らしている。

ふとそこで…ガチャという音がした。
屋根の隅っこに金属の爪が二つかかっているところ見て、多分はしごだろう。

ギッ、ギッと木のきしむ音でこちらに登ってくる…
やっとあの真っ赤なバンダナが目に入った。

「よぉ、シィラ」

大きな体格に少し傷のはいっていて、前より凛々しさを身につけているモラロの姿だった。

「…兄ちゃん」

シィラのやけにか細い声はモラロの耳に入ったろうか?

「何だ?やけにしょぼくれた顔してんな?」

「…起きれたの?…大丈夫なの?」

彼女にとって一番の心配事だった。ここ最近のイザコザですっかり兄の存在を忘れてしまった事にひどい罪悪感を覚えている。

「はっは、俺はもう平気さ」

と言ってこれ見よがしに腕をぶんぶん降りまくり、
ドッカと私の隣に座り込んだ。その時瓦が尻に当たって痛そうだった。

「……」

モラロは急にその様子をみて、真剣な表情でこういったのだ。

「…三度目」

「え?」

「…お前がそうやって沈んでいる所を俺が見た回数だよ。
あぁ、確かにアダンさんの言ったとおりだな。お前は少し沈みやすいって」

アダンさん、兄ちゃんに私の事言ったのか。…どうせ私は帰っちゃうのに…。

「なぁ、お前はそれでいいのか?」
「…?」

モラロの突然的な問いかけにシィラは答えられなかった。

「お前の本心は…この後どうしたいんだ?」

そんな事言うまでもない。

「私…」

しばらく静かな状態が流れたのだった。それでも私の兄はじっと私の顔を見ている。

「…ここに…残りたい。…一緒に戦いたい」

その台詞を聞いて、モラロは安心したように笑った。

「だろうな。おめーならそう言うはずだぜ」

屋根瓦の上に腕枕をして仰向けに寝そべった。
シィラは本心を聞かれたのか…少し挙動不審だった。
その様子を見てモラロはにやりと意地の悪そうな顔つきに…

「なぁシィラ、男と女ってどっちが強いと思うか?」


戻る                                                       >>5Bへ

 

inserted by FC2 system