〈5 B〉

「…え?」

また突然な質問でシィラは答えるのに言葉を詰まらせた。

「そりゃ…男…じゃないの?」

セオリーな答えを聞いてモラロはこう返した。

「あぁ、肉体的にゃーな、大抵男の方が上だぜ。まぁ例外もあるらしいが。
だがな…女には、男にはない強さもあるんだぜ。」

「…え、何?」

するとモラロは片手の親指を自分の胸にさした。

「『メンタル』だよ。いってみりゃ精神力だな。」

いつもの彼らしくなく、妙に賢者っぽい口調であった。

「…どうして?」

シィラが不思議そうに聞き返した。すると

「女はな、子供を腹の中に身篭るから『守る意志』が強いんだぜ。
…だから『女は弱し、されど母は強し』って諺があるんだよ。」

私の顔がひどく赤くなった。微妙に変態な言葉を使う。それにモラロはまた笑った。

「まっ、そういう訳さ。ははは…」

今のモラロの言葉は恐らく遠まわしに『心を強く持てよ』と言っていたのだろう。

けどあまりに臭すぎる台詞だから遠まわしにこんな事を…

―― このバカ兄貴はっ…


馬鹿馬鹿しいのに…どうしてこんなに嬉しいんだろう?
泣きそうになった、胸元が急に暖かくなった。

「ありがとう…」

いまだ笑っているバカ兄貴のモラロにわざと小さく、聞こえないように…

私は確かにそう言ったのだ。

* * *

三日後のある昼下がり、シィラはアダンの部屋の前まで来ていた。
今の所、前科一犯(浅瀬の洞穴にて)である彼女では、何の話題かおおよそ分かっていた。

「失礼します」

と、シィラが部屋に入る。アダンとロルの姿があった。
「よく来てくれた。逃げるかな、と思っていたが」
「……」
「君の処分の事についてだが…」

予想通り、彼女が最も気に病んでいた事であった。
シィラの顔が暗雲のようにどんよりと立ち込め、血の気がさーっと引いたを感じた。

彼女の運命はロルの次の□に託されている。
遥か遠く、船の汽笛が海の向こうで響いている。

* * *

「カクタス号が来ました!」

イスケが宿屋に駆け込んでそう言った。

「おいおい、早くないか?…本当だろうな?」

「間違いないはずですよ。今日南から来る船はたった一隻しかないし、カクタス号でしたから」

「んじゃぁ…行きますか」

ホーリィが相変らずの寝ぼけ口調で言う。

かくして、ホウエン警察補佐員はいよいよトクサネを後にする…。


* * *

近くで見ると少し大きめだ。けど昔から多くの海を往復してきたのか
ペンキが幾らか剥がれ落ちているのが目に付く。

船の左右に書かれている『カクタス号』の文字でさえも少し掠れているではないか。
皆も少しだけ古い船に圧倒されていたのか呆然と突っ立っている。

「まっ、しばらくのお世話だ」

モラロが少しため息をついて荷物を肩にかけて船の桟橋に乗りかかったのだった。


上を見てみると所々白ペンキの剥がれ落ちているパイプが幾筋も通っている。

横を見ても白い壁、床は…流石に別の色だが、この廊下は殆ど白で統一されていた。
これはまさしく船の中の廊下をおいて他にない。

「おいファルツ、俺らの部屋はどこだか分かるか?」

モラロが見取り図を怪訝そうに右に左に回しながら訊ねてきた。

「…F1の方だから、この下の層だろ。」

と、そこで船が大きく揺れた。バランスを取れずに壁の方によろけてしまう。
肩にかけていた荷物が少しズレたのか…もう一度直そうと引っ張った。

今、カクタス号に乗っているのはこの補佐隊の他、よほど寂れているのか乗客は一人もいない。
居るとすれば船員と船長だけ…だ。

緊急で捕まえた定期船だったから部屋で休めず、廊下かデッキの方で一夜を明かす覚悟だったが…
これはとてもラッキーな事だった。

まぁ、トクサネの街で充分すぎるぐらいの休息を取っていたからそんな事どちらでも関係なかったのも事実だが。

と、そこでファルツが

「モラロ、お前意外と方向音痴だな。」

「何だと?」

「まぁまぁ…お二人さん。」

カインが口喧嘩に入りそうになった二人を何とか止めきった。

「…ちぇ」

モラロとファルツの関係は最初に会った時よりは幾らか良くはなったが、まだいがみ合っている事もある。

カインが「あっ」と思い出したように語りだした。

「そういえばモラロさん、荷物を置いた後でロルさんの部屋に来てくれって」

「ん、何の話だ?」

「…シィラちゃんのことでは?船に搭乗する時見なかったから…。」

「…そうか、…ところでどの部屋だ?」

「B3の109号室です、最下層ですね。」

「お前また迷いそうだな…俺が連れてってやろうかな?」

ファルツの嫌味っぽい口調にモラロが鼻で笑って返した。

「フン、余計なお世話だ。」

とその台詞を吐いた直後だった。モラロやカイン、ファルツでさえも『その』気配を感じなかった。

「……」

全くの無言。しかもその人はモラロのすぐ横に…

「うわぁあ!?」

久しく彼がその『男』に悲鳴をあげた。
見た限り船員の服を身に纏っていて、首元にベージュのスカーフをつけている。
長身痩躯な体つきで白髪が多いのかなぜか灰色だった。
瞳は髪と同じく灰色をしていて珍しさを感じるが、何故か生気というものが無さそうに見える。
年齢はどう見ても十代後半…

「……掃除の邪魔だ。どいてくれ…」

「へっ…?そ、そそ掃除…?」

挙動不審のままよく目を凝らしてみてみると、
その船員は手にモップを持っていて、足元にはバケツが…。

「あっ…!」

モラロが声を上げたときには既にファルツが袖をぐいぐいと引っ張っていた。
そしてファルツがその生気のない船員に告いだ。

「すまない、すぐにどける…ほら行くぞ、モラロ」

「あ、ああ……悪いな」

モラロが引っ張られながらすごすごと去っていき、下の階段へと降りていった。

―― ビックリしたぁ〜
―― 気配がまるでありませんね…

「……」

見届けた後、その船員は相変らずぼんやりとした目でモップをバケツの水に浸けながら黙々と作業を続けていた。

* * *

船の最下層。私と兄は呼び出された。

「そういう事ですか…?」

モラロは部屋の椅子に腰掛けているロルに問い詰めた。

「とりあえず解雇は免れたって事ですかね?」

「ああ、」

要するにリーダーの許可が私に下されたんだ。とりあえず安心した

「ただし、戦闘で一度でもミスしたら間違いなくクビだ。覚悟しておけ」

「は…はい」

と、すぐ隣の半眼な眼をしたモラロが踵を返して言った。

「今日から監視を一人入れておいたので、彼が君を見張っているから。」

「観察員ッスか?」

とモラロが聞き返したところで、背後でドアを叩く乾いた音がした。

「トレフ君、入りなさい。」

ギィイ……

半ば、押した力で勝手に開いていく扉に任せたように途中で手を開け放し…
反対側の壁に扉がガンとぶつかった。

その入り口の向こうに長身痩躯の青年が…

「ん?…お前は」

「……」

灰色の髪に灰色の瞳。船員の身形をしていて…生気に欠けた顔をしている男がいた。

シィラとモラロ、二人はしばらく呆然とトレフと呼ばれた青年を見ていると、

「彼がトレフ・ルメセトリ君だ。シィラ君のチェックを執り行うよ。」

「………」

あたかも人形のようだった。彼は全く無言の上に反応の欠片も見せようとしない。

「トレフ君、頼めるよね?」

「……はい」

突然、彼の口がそう動いた。正直な所、私にとってホラー映画をフルスクリーン(こんな時代に存在しないが)で見せられていると同じぐらい怖かった。

何となくだが、空気が淀んだように感じられる。元より声に出す事が出来ないのが事実。

「ではシィラ君。健闘を祈るよ」
「は、はい」

ロルはロルで全く動揺の欠片も見せようとしない。
ここはもはやお化け屋敷か、と私は二度とカクタス号の最下層には近づかない事にしようと心に誓った。


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