〈6 A〉

ルネシティ付近、カクタス号でトクサネを離れてから既に10日という期間が流れていた。
ルネの町の遥か高い所でキャモメとペリッパーが群れを成していた。

みんな船のデッキの上で目の前の白い大岩の砦に圧倒されている。
あまりの大きさに、最初からずっとあったかのようだ。

「あれが…ルネかよ。 見渡す限り全部白じゃん。」

モラロが目を白黒させていた。 海の香りを全く感じなかった。

イスケが『真白の街−−ルネ』と書かれたパンフレットを棒読みにしながら

「何でも噴火する時、この辺の地層に炭酸カルシウムという白い物質が多く含まれていたらしく…」
「へーへー」
「流石は博学のイスケ君」

モラロが適当に聞き流した。イスケは余計な口出しをしたと独り小さくなる。

「…で、どうやって街の中に入るの?」
「潜るのかな?」
「はぁ?無理でしょ!?火口だもの」

オルビアとカインは白岩で囲まれた目の前の要塞を前に口論する。
私は背伸びするわ、しゃがみ込むわで入れそうな箇所を捜している。

―― 自然の力って凄いわね

「えーと、『街への入り口は、水中へ潜った際、スノーケルを装備した街の役員が内部まで引率します。
…あるいは空中から各自の飛行ポケモンで空から入ってください。』…とありますが」

「何だよ、空からは自分で入れって事か?ずいぶんサービス悪いな」

「私達、ほぼ全員飛行系持ち合わせているから…充分ここから飛べるよね?」

「そうね…じゃ、早速入りましょ。」

私は既にベルトから鋼鳥エアームドのボールを構えていた。

「では各自が持つパートナーでルネに潜入、持たぬ物は二体以上飛行系を
持つ仲間から借りる事。向こうに降り立ったらセンターに集合するのだ!」

ロルが並の人とは思えないぐらいの大声を言い放った。
すると彼は懐からロープガンらしきものを取り出し、次にボールからマルマインを…

「こういう時こそ、お前の『浮遊』特性に任せるぞ、マルマイン」

ロープガンの綱部分をマルマインの下部分にペタリとくっつけた。

「準備はいいな! では行くぞ!!」

『はい!』

補佐員全員が異口同音に応え、そしてカクタス号のデッキから飛び立った。
翼ではばたく音が響いた、その大きさは漣の音を打ち消すぐらいだ…。

一番低い所に緑色をした色違いのペリッパーが飛んでいる。
そしてその足のところに灰色の髪をした男がぶら下がっている。

「ん?トレフも来るのか…。」

少し目を細めて独り言を言った。前の方にいるイスケが

「え、今なんか言いました?モラロさん。」

「あ、いや何でもねぇよ。」


…なんとか誤魔化した。

* * *

ルネには朝と夕方がない。火口の岩棚に囲まれた土地だからか。

本当に一日が瞬く間に過ぎ去ってしまったかのようだ。もうルネを照らす太陽の欠片は赤い光で東の白い岩を照らす。

「寒くなってきたわね…」

「うん…」

私とイスケがまだ眩しい夕日を細目に見ながらそう語り合った。

―― 考えてみれば私とイスケ君がまともに会話した事がほとんどない。

初めて私がヒンバスをパートナーとした日は兄が傍らにいた。
イスケ君は当初、私の目から見ても彼が少し臆病な性格だと思っていたが、違った。
彼はあの実施試験の時、一人で地下6階まで行き、スカイ団の一味に監禁され殺される寸前のところを助けてくれた。

―― 何だかんだで格好いい。

あの日から既に七ヶ月の月日が流れた。私はもうすぐ15歳になる。

「…ヒンバス、出てきて」

と彼女がネットボールを放つ。少しだけ光り、中からあの魚がいつも通り…。
主人の顔を見るなり、ヒンバスは急に安心したようにヒレをピチピチと鳴らし、
私の膝元まで近づいてくる。 最初に会ったときより一層綺麗に纏まった体を撫でて言った。

「今日もお疲れ様。『波乗り』連発でヘトヘトでしょ?」

優しく話しかけてくるシィラに対してこの魚はまるで『全然平気さ!』と言ってるかのようにヒレを振るい、膝を叩いた。 

「あはは」

その言葉が分かっているかのような笑い方だった。

そしてそのまま一人と一匹………いや…『二人』は楽しそうにじゃれている。
つられて両手をポケットに入れて突っ立っているモラロも顔がほころぶ。

「戻ろうよ。もう十一月だから…暖かくしねーと風引くよ」

イスケが後から言ってきたときにはもう太陽はルネの岩に身を潜めていた。
夕日の最後の欠片が消え去ったとき、急に寒気が全身に走った。

「あ、うん」

コクリと頷き、ネットボールを構えてヒンバスを収めようとした… 
イスケはさっきの戦闘でよほど疲れたのか少しだけフラフラとセンターに行こうとした。
…センターと宿は暗い青色に写ったルネの湖を挟んだ向こう側である。
よってかこの水面には多くのボートが岸に規則正しく並べられている。
ここのボートの管理人は居ない。…というよりも火口の湖で囲まれている以上、舟を盗む理由すらない。


「ねぇ!」

階段にさしかかろうとした時、私はイスケを呼び止めた。

「どうした?」

「…ヒンバスの様子が変なの…」

モラロが頭を痒そうにぼりぼりと掻きながらその場所まで近寄り、上から覗いてみた。
見てみると腕の中のヒンバスは、何かに怯えているかのように震えている。
ただ震えているだけ、とあらば語弊が生じる。震えているのは確かだがその震え様が明らかに尋常ではない。
まるで何か強大な物に怯えているかのようにも見えた。

「寒いんじゃない?」

「ひとまずセンターに行って、診てもらおう。多分大丈夫だ」

「どうしてそう言い切れるの?」

「え…うん、その…勘だよ」

「…意外といい加減ね」

イスケは度肝を抜かれた。

「しぃちゃん。そのヒンバスの無事を信じないの?パートナーなんだろ?」

「あ、…うん。そうだね…」

―― ってかイスケ君、今あだ名みたく私を呼ばなかった?

と言って慌てて岸にあるボートの所まで駆けていった。その足早さから…少し焦っているのか一刻も早くセンターで診せてやりたい想いからだろうな。

…少なくとも、今の尋問から逃れようとしている…という風に私の目には映らなかった。

どっちにせよ、イスケの意外な一面だった。

* * *                  
ロルは白昼の戦闘以来、宿の中では姿を見せてはくれなかった。
夜になって全員で食事をしながらミーティングでさえも、ただずっと自分の部屋に閉じこもっていた。

それでイスケが現時報告を個室の扉越しにしても『分かった』の一言で終わり。
やはり同僚の人間があんな簡単にスカイ団に寝返る事が彼にとってはかなりのショックだったんだろう。

キナギ出陣は間近に迫っていた。

* * *

長旅は体力を削った。一日中あの凸凹したルネの地を歩き回って。
私は欠伸を一発し、ベッドの中に潜り込む。

もはや今日のミーティングの内容すらも眠気でうろ覚えであり、今ならぐっすり眠れそうだ。
と、布団から顔を出し…横を向き、あのネットボールが目に入る。
ヒンバスの事、あの場で言えなかった。その後悔で目が冴え渡った。

その後しばらく、眠りにつけなかった。



不思議な言葉が夢現に聞こえてくる。



もしも…

もしも…信ずる人がいきなり変わったとしても…


……貴方はそれでも…… 




ひどく気分が悪い。身体全体を縛り付けられているような気がする。気分が悪い。
辺りには何にも無い、本当に何にも無い…完全な闇の中で、私はその中にぽつんとただ存在している。

ああ…これは、前にも見た。…あの夢だ。 それも三度目…。
ボンヤリする頭で無理矢理目を凝らそうとすると、やっぱり居た。

あのとても綺麗な『それ』が私の周り一メートルを取り巻いている。
でも何故だろう? 今度は明らかに前のとは違う。 とても鮮明でくっきりと見える。

鮮やかな桃色に水色が混ざった長い尾、真紅の触覚らしきものがピンと張っている。
そして何より印象に残るのは、『それ』が持つガーネットのように澄んだ瞳…。

その瞳を見ただけで、分かる。『それ』が何を言いたそうにしているのか。
そして『それ』の持つ感情が『恐れ』と『不安』で満ちているのも分かる。

『それ』の秘められた言葉も一字一句漏らさず読み取れる……。…不思議だ…。

「 もしも…

もしも…信ずる人がいきなり変わったとしても…


……貴方はそれでも」


* * *

ガバッと布団を捲り、シィラは跳ね起きた。全身汗でびっしょりになっている。
胸元の寝巻きを手に取り、熱を帯びた寝巻きに空気を送る。ベッドに乗っている懐中時計を探り、窓の外から来る星の光に照らしてみた。  …午前四時半過ぎ……

―― 明け方前に起きるなんて、久しぶり

と独り言を部屋の闇に向かって言い、枕に頭を戻そうとしたときまた再び夢で聞いたあの『声』を思い出した。 聞いた事もない声なのにすごく懐かしい…。
何故かすごく身近な所にいそうだけど…あの容姿は何なのか分からない。

記憶なんだか、よく分からないものが私の頭をぐるぐる巡っている。
…その時、『何らか』を全身で感じた。 目元が釣り上がり、息が荒くなる。

―― 何か来る

こんな所で眠っている場合じゃない、私の本能が『行け』と叫びたくっている。
いてもたってもいられなくなり、机に置いてある三つのボールを掴みベルトに備え付けた。
その途中、ネットボールを手にした時にシィラの心に何かの予感を感じていた。

こっそりと個室の戸を開け、息を殺し、床がきしむ音だけで押さえ込もうと必死に努力した。
それに全身の力を使ってしまったのか宿の裏口に辿り着いたときにはすっかり疲れてしまった。

最後にドアノブを手で掴み、後を少しだけ見て誰もいないことを確認する。
一呼吸だけして裏口の扉をカチャリと開けた。 



…そして彼女は目の当たりにした物に唖然とした。口が丸く開き、言葉を忘れた。


ルネの街、至る所に点在する真っ白の民家が聳(そび)え立ち、それぞれが星明りで仄かな銀色に輝く。
空を見上げてみるとそこには埋め尽くすぐらいの無数の星が煌き、天の川までゆっくりと流れている。
そしてその満天の星空を大きな鏡のようなルネの湖が下の宇宙を作っている。

それはまるでルネの大地を境界線とするような大きな宇宙空間の中に立っているようだった。

―― 綺麗な所

こんな光景は十回人生をやり直しても二度とも見る事はできない…といっても過言ではない。
そんな神秘的な街をシィラとボール内のパートナーは歩いている。


ルネの階段を上り下りし、時折空を見上げて星明りを眺めている。
その繰り返しでしばらく歩いていた…その時、聞き覚えのある声が耳に入った。

「よぉ…こんな所でまた会うとはな」

やけにとぼけたような男の声。ハッとしてその声の元を捜そうとする。
そして東の空にその男の影が目に入った。 声がそこからした。
星明りの中、巨体の竜がその空間を低く飛んでいる。 翼の音が街の閑静を消していた。

「自分の親友が目の前で死んでいったとき……どんな気分だった?」

「な…」

「最高だったかな?」

あの時の憎しみが……リムを撃ち殺した男が、あろうことにその時の事を語りかけた…。

―― ハルスだ

低く構え、いつでも飛び出せるように身体の重心を前のめりにしている。
そんなことはお構い無しにボリボリとハルスは頭を掻きながら、

「や〜れやれ、まさかこんな簡単に見つかってしまうとはね…
俺それなりに気配消したんだけどな…。」

私はすかさずヒンバスに『波乗り』の指示を指で合図した。
技の名前をいちいち述べずに、簡単な手振りで伝える方がずっと容易い…。それは自分で学んだ事。
とはいえど、切羽詰ったときは自分の声を使うこともある。

「おおっと」

ハルスを捉えたと思った水の流れはあっけなく交わされ、カイリューが…眼前に覆いかぶさり、星の明かりが一瞬だけ消え去る。

「……え」

「ほらな、娘さん……遅い遅い…」

慌ててヒンバスを庇い、出来るだけ傷を防ごうとする。
直後カイリューの翼がシィラの背を打ち、背中に激痛が走った…。

「ぐぅ……」

反動で身体が回転し、星空がくるりと目の前で回り、空と地面が逆になった。
受け身のとり方を知っていたから何とか最小限の傷で抑えたのだった。

「ほぉ、少しはやるじゃん。雑魚だと思ってたけどな」

もう一度…もう一度攻撃する、そう思って怪我をしている左腕を奮ってハルスのいる位置に狙いを定めた。
その必死な様子にハルスは『やれやれ』と手の平をだらりと肩の高さでぶらぶらと振った。

―― もう一発!  

ヒンバスの口から飛び出した水流の柱がカイリュー目掛けて飛び立った。
それをぼんやりと見ていて、今度は交わそうとする素振りすら見せなかった。

山吹色の皮膚を持つカイリューは両手をクロスさせて、水流を受け止める構えを取った。
数秒後、自分のした事が無意味であった事に漸く気付く。ただカイリューをずぶ濡れにしただけだった。
ぽたぽたと雫が落ち、翼をバタつかせて水を振るい落とした。

「…そんな…」

「だからよぉ娘さん。分が悪いって事が分かんないのかな?」

挑発めいたハルスの台詞に私の頭は”動くな”と念じ続けた。
両手の握力が知らぬ間にものすごく上がっているのは本当の事だが。

「逃げな逃げな、俺は後ろから狙ったりしねぇから」

「…」

「ほら、行け」

その一瞬だけ、時が止まったように感じた、ボーガンの弓矢がやけにゆっくりとシィラ目掛けて空間を飛んだ…。
で、急にそこが明るくフラッシュバックした訳だ。ハルスが反射で手で顔を隠して、それからもう一度見てみた。

「邪魔か…」

目に焼きついた残像でよく見えなかったが、金髪に輝くあの女性の姿を見て私はハッとした。

「メリーさん!」

メリーは躊躇いもなしに、隣に連れたギャラドスに

「いかずち」

口元から溜め込まれた閃光は瞬く間に物凄い稲光と化し、ハルスめがけて迸る。

「ちぃ…」

身体を捻らせ、最低限の力で回避しようとカイリューの裏側に隠れこんだ。
幾らかだけ、雷が足をかすめたが何とか防御はできたようである。
受身を取り、地面に一回転して体勢を整えた。その間わずか一秒にも満たない。

カイリューの大きな体格の裏で、ハルスが何かを思いついたようににやりと笑った。

『大文字』!」


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