《4》

キナギはサファイアの様に澄み切った水の上に浮かぶ珊瑚礁の町。そこから北に100歩程歩いた場所に小さな岩場と間欠泉があ る。
火口街のルネを造りあげたその溶岩脈がここを通過しているのか、その熱で温められた地下水が地上に押し出されるのだ。
セ氏100度を 超える水蒸気にさえ気をつければ、キナギ住民の温泉として十分に機能する。




「この町さ、ヒマワキみたいだよ な?」
「は?何でだよ?」

ホーリィがタオル一枚で団扇を仰ぐモラロに言う。丁度この2人はその間欠泉のある温泉地から上がっ たところである。
彼らの周りは大概が漁業を終えた腕っ節の太い男達が野太い地声で談笑している。

「俺が最初にヒマワキに来た 時も、今日こうしてキナギを初めて目にした時と同じ位、開いた口が塞がらなかったな」

…直ぐに嘘だとわかった。彼は夜のヒマワキに入って 一日もしないうちに大地震にあったから
ヒマワキの情景など禄に見ていないはずだ。モラロを気遣っているのか、彼の本意はわからないけど歪んだ顔は 元に戻らなかった。

「…そうだな。こういう変わった町は探せばいくらでもあるぜ?」

モラロは記憶の片隅に消えかけた 自分の両親の事を思い出した。生返事になってしまったがまぁいい。
ふと入り口からどたどたと慌てるような足音がこっちに向かってくる。そいつは自 分達と同じようにタオル一丁で、

「カインか」
「この街すごいぜ。サニーゴの上に建ってるよ!」

舞い上 がった子供のように高らかにカインは喋る。2人は顔を見合わせてしばらく黙っていた。

「そんな事はもう皆知ってるぜ?」
「へ?」
「相変わらず気付くの遅いね」

カインがそんな返答にぽかんと突っ立っている間に2人は服を着ようと脱衣所に足を向け た。
彼は持ち切りの話題が空回りに終わって呆然としている。すれ違いに肩を置いて2人は去った。
しばらくカインは動けなかった。



「さっ、ここよ」

のれんを分け、2人は硫黄の匂いの染み付く風呂場に入った。
村には女性も多かったが、規定された入浴時間のほ ぼ終わりの辺りなのか誰もいない。
私は「もう少し早めに行ってゆっくり浸からない?」と提案したのだがシアンは何故か頑として受け入れようとしな かった。

「海沿いに温泉があるなんて…私、てっきり山の上にしかないんだと思ってた」
「珍しいけどちゃんとあるのよ。中 は間欠泉が至る所にあるから気をつけてね」

そう言うと彼女は袖と裾を捲り、頭巾も付けたままで手拭いを手に外へ出て行ってしまった。
上 着を取り去った私は彼女の行動に眼を疑い、少しの合間何も言えなくなったが、

「シアン?」

私も慌てて後を追った。そ との冷気に冷やされて靄と化した蒸気を掻き分けて、ひっそりと座り込んで
お湯で軽く手足を洗うだけの彼女の元に歩み寄る。うっかり素足で出てし まったのか、足の裏が岩肌にあたって切れた。

「どうして服を脱がないの?」

私が問いかけるとシアンはびくりとしゃっ くりの様な痙攣を一発起こし、上目遣いで私を見つめる。
こうして見ると頭巾をかぶった彼女はまだ年端もいっていないシスターのようにも見える。
作 り笑いをして彼女は言う。

「やっぱ言わなきゃダメかな?」

彼女の様子は周囲に対する恐怖心に駆られているといって 良い。昔の私を見ているようだ。
住んでいる家で考えてもそうだ。彼女の家は沿岸の砂嘴のように細く長い一本道の先にぽつんと建っている。
彼 女を傷つける発言かもしれないが、腹を決めて尋ねてみる。

「シアン、もしかしてその頭…」

私が言い終える前に彼女は 頭巾を取り去った。やけに何の摩擦もなくするすると布は滑り、
バックの電球に反射した光に私は思わず言葉を失った。
それと同時に離れた場 所で暮らしているのも、遅い時間に人目を盗んで風呂に入る理由も分かった。

「簡単に言うとね、私は病気なの。
髪も生え ないからこうして頭巾を被っているから、私のあだ名は『僧侶様』…」
「…ごめんなさい」
「いいのよ。いつもの事だから」

彼 女の言葉1つ1つが自分と重なって聞こえてくる。胸元がやけに苦しくなった。
シアンは石鹸で二の腕と脚を軽く手で撫でるように洗い続ける。その背 中越しに鼻をすする音も混ざった。
私は自分の身が彼女の死角に入っている隙を狙ってすかさず涙を拭って、後ろからきっぱりと言った。

「ちゃんと洗お?」

その言葉にシアンはぎくりと振り返った。私は出来る限り強くした眼で彼女をじっと見据える。
シアンは顔を蒼 白させながら挙動不審に辺りをきょろきょろと眼を泳がせた。

「で、でも私っ…」
「背中だけでもいいから。私が洗ってあげ る」

片手で止めようとするが私はそれを払い、少々力ずくでシャツを取り去った。
やはりというべきか、背中は人の肌とは思えない色 に変色していて爛れている。私は一瞬ためらったが、
直ぐにお湯を駆け、石鹸で念入りに洗う。

「痛くない?」
「だ、大丈夫。平気」
「よかった」
「気持ち悪くない…?」
「ちっとも」

私の返した言葉に彼女は両手 で顔を覆った。

「ありがとう…シィラちゃん」

涙声のその言葉に私は無言で作業を続けた。全然違ってそうだけど、彼女 と私はとてもよく似ている。
最初に会った時からそんな感覚が自分の中に根付いていた。と、その時だった。
外の波音に紛れて鳥の羽ばたきが 向こうの岩山にこだましてくる。私は作業をやめ、立ち上がって空を見上げた。
最初は誰か他の入浴者が来たのかと思っていたが、それはないと直ぐに 考えを改めた。

「シィラちゃん?」
「シアン。すぐに服を着て隠れ…」

私が言い終えるその前にとてつ もない轟音にかき消された。岩が吹っ飛び、天然の風呂場は一瞬にして荒れる。
シアンが恐怖に叫ぶが、私は岩の後ろ側に彼女を引っ張って隠した。
そ こから十数メートル離れた場所、温泉の湯気で視界は悪いが何か大きく黒い羽のついたモノが蠢いている。
ただの鳥にしては普通の家と同じ位の身長を 誇り、岩をも砕く圧倒的な力を持っている。

鳥頭は飛び散った石つぶてをがらがらと落としながら起き上がり、アホ毛のように突き出ている赤 い角のついた顔を
こちらに向けた。眼光はやけに鋭く光っていて、岩影から除き見たシアンが震え上がった。

「俺達も舐められた ものだ。呑気に病人を労わっている暇があるとはな…」

男の声。深緑の装束でスカイ団の一味と分かるのに時間がかかった。私はすかさず手持 ちのボールを手に取る。

「そういうあなたも、女湯に奇襲をかけるなんて…卑劣ね」
「行け、ムクホーク」

引 き締まった羽を軋ませながら黒い羽を大きく掲げ、風の抵抗を無くしてこの低い空間を滑空する。
シアンの手を取り、その場を離れようと飛び出し岩の 地面に受身を取っている間に巨体の鳥は激突する。

―― 無茶苦茶な攻撃力ね…

「ピィィイイイッ!!」

ム クホークは頭から正面衝突を2度もしたというのに、血の一滴も出さずに耳障りな鳴き声をけたたましくあげる。
あんな危険な攻撃を1発でも喰らえば そこで終わりだ。寒気にボールをもつ私の手が身震いするも必死に腕を振るった。
繰り出したのはやはりヒンバス。だがそれは今まで私のよく知ってい た頃の姿をしていない。
桃色のラインに瑞々しい艶の体表の姿をしたヒンバスは今でも私は眼を疑う。

「ほぅ、それがヒンバス か。俺が書庫で知っている限り、川底に沈んでいる薄汚れた奴だと思っていたがな」
何なら俺に売ってくれないかな?」
「なっ…」

私 の目が男の言葉に鋭く尖る。今まで何人ものトレーナーと会ってきたが、目の前で売買を提案してくる人間は初めてだ。
彼の様な非道な輩がスカイ団の 大概とあらば、メリーがルネの街で奴らに突然見切りをつけたのも頷ける。
結局メリーはあの後姿を見せなかったけど、援護にここに来てくれると期待 しない方がいいかもしれない。

「もうスカイ団は崩壊寸前でね。俺もその代わり映えしちまったヒンバスをこの眼で見定めてから
逃げようと思ったところ。どうだ?今なら高く買ってやるからさ…」
「断ります」
「強気なフリをしたって無駄さ。お前も本当は そいつが進化する前は随分苦労したんじゃないのかな?
美形に進化してくれたから急に情がついた、そんな所だろ?」
「…絶対に違 います」

男の聞こえるような舌打ちと同時に指を空中に振るうと大鳥はそれに呼応するようにこちら目掛けて飛び込む。
今度は避けよ うがない。避けられたとしても後ろのシアンに直撃して終わりだ。いつもの手立てで行こう。
手を軽くヒンバスの目の前で踊らせる。合図を受けたヒン バスは真向かいに津波を起こす。
立ち込めていた温泉の蒸気が急に消えうせていった。

「うわぁ…」

シアンは私 の影で目の前の光景に唖然と口を開けている。この地方では見る事もかなわない、ムクホークと
呼ばれた大鳥自慢の軌跡も津波の前には速度も幾らか遅 くなる。私はすかさずヒンバスの湾曲した首と腕で掴み、
逆の手にはシアンの手を引いて右手に逃れる。大鳥は地面に強く叩きつけられ、直下型の地響 きが轟く。
砕けた無数の岩は空中に弧を描いて飛び交い、そのうちの1つの軌跡が吸い込まれるようにシアンの足元に届く。

「うっ…」
「シアン!」

彼女は悲痛にその場に蹲った。普通の子ならともかく、彼女は病人という特殊なパターンであるからこ そ、
軽そうな怪我でも彼女には深刻かもしれない。私は当たってもいないのに鋭い痛みに眼界が青く染まっていくのが分かる。
ヒンバスは掴ん でいた私の腕からするりと抜け出て、私達を庇う様に大鳥の前に立ちふさがる。

「しつこく粘るな。だがそれもここまで」

大 鳥は津波を当てられた事に相当憤慨しているのか、奴の目は怒涛の感情一色に血走っている。
その眼は眼にも留まらぬ速度で最後のブレイブバードをか ける。

「死ねっ!」


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