《5》

張り上げた耳障りな罵声は、障害物のない海の中の磯でさえも南風の中で不気味に反響して聴こえた。
私には真後ろのシア ンを引っ張ってでも逃げる猶予など与えられていないい。端目で見たミロカロスは私を護ろうと
くねらせた身体をバネのようにして飛び込もうとしてい るが、ムクホークの速さと見比べる限り、到底間に合わない。
手前味噌な言い方だが、何度も死に目を踏み越えてきた私でも、今度ばかりは死を覚悟し た。

渦潮が私の顔にかかるまでは…ずっと目を瞑っていた。

「な…?」

男が吃驚する間もなくムク ホークは断末魔のような鳴き声と共に間逆に吹き飛ばされて海に墜落する。
恐る恐る目を開くと目の前に水の竜巻が十数メートルという高さにまで舞い 上がっている。
根元の岩肌は跡形も無く消し飛び、温泉地としての機能を損なった。
水は次第に治まり、竜巻は形を失って水しぶきとなって顔 に拭き付けた。

「あ、メリーさ…」

いつだったか夕日が綺麗な日に会った金髪の女性の人物像が目の前の人と重なりだし た。
数秒という短い時間だったが、この合間にも昔の私が走馬灯のように流れ出していた。
名前を呼ぼうと口を開こうにも、言葉が思うように 出てこない。その前にメリーが

「随分と綺麗になったじゃない」
「え?」
「あなたのヒンバスよ」

先 の攻撃でずれた帽子を正しながらメリーはにこりと笑い、2人に背中を見せて立ち塞がる。
ギャラドスの牙は口の中で夕日に照らされて炯々と光り、よ り貫通の威圧感を与えている。
その向こうで黒装束の男と、漸く起き上がって低い空中を羽ばたいているムクホークの姿が見えた。

「…我らを裏切る気か?」
「あら?仲間になった覚えは更々無いけど?」

苦渋に歯軋りが聞こえたような気がした。

「まぁ今更どうでもよかろう。それなりの報復はさせて貰おうか?」
「えっ?」

暗い闇の中で指をパチッと鳴らし、聞こえたと 同時に3人の背中側から低い轟音が鳴り響き、
眼前に赤い光と影が伸びだした。私が振り返る瞬間、端整なメリーの顔が真っ青に染まっていたのが妙に 目に焼きついた。
南方…キナギの海上町に火の手が上がっている。そんな光景を目の当たりにした。

「そんな…私の町が…」

シアンがへなへなに崩れ落ちる。
隣に付き添うミミロップは炎が繰り出す赤い光と主人の落胆ぶりにオロオロと飛び跳ねている。
男 の鳴らした指を合図にスカイの手の者を乗せた無数の鳥達がキナギに強襲をかけようと低い空を飛び出す。

「やれやれ、良い光景だな?町 が消え行く様は…」
「何て事を…」

数え切れない戦闘の末、スカイ団の名声は消え失せ、既に壊滅寸前と小耳に挟んでいた。
そ れがもはやそこいらの賊と大差ない所まで既に堕ちている。怒りを通り越して哀れなものだ。

「メリーさん!」

私はヒン バスを一旦ボールに収めて、愕然としている彼女に至近距離で叫びたくった。

「止めよう。何としてでも」

いつの間にか 気絶しているシアンを抱きかかえ、シアンのモンスターボールを奪うようにして取り、ミミロップを収めた。

「貴方もヒンバスを一旦入れ ておきなさい。ギャラドスの背に乗せてあげるから」
「え」

私はぽかんとその水竜を見上げる。鋭利な牙をもつギャラドスはメ リーの−−頭を下げて、という指示に忠実に従う。
それでも威圧感が無くなったわけではなく、私は乗るのに躊躇っていたがメリーは急かすように後ろ から押した。

「大丈夫、初めての人は酔うけど」

言われるがままに硬いウロコの乗り心地しかしないギャラドスの背びれ に跨ると、長い尻尾をバネの様に曲げて
飛び上がる。メリーは私やシアンが投げ出されないように支えてくれたが、後から思えば彼女の腕力も相当なも のだ。
火の手が上がるキナギの少し東側、そこに広がる海をギャラドスは矢のように泳いだ。

−− お兄ちゃん…



海 の上で暮らす人間にとっては滅多に起こらない火事には何の対応もできないのだろう。
モラロは街中で妹を探すべく、火の粉を被らないように気を配り ながらざっと見渡したが、
消火活動する人間は海の水を汲み上げて燃え盛る炎に海水をかけている漁師ぐらいである。
せめてロルだけでも見つ けたい…。補佐員達は自由行動の時間帯で全員がバラバラの位置にいたのだ。

「ちっ…どうなってやがる」

すぐ後ろをつ いてくる相方のカイリキーがモラロを火傷から庇おうと4つの腕で火の粉を払っている。

「きゃぁっ!」

火の中から声が 聞こえた。煙で少し見えにくいが、人の姿が映った。大人と子供…声の高さで母と娘だろう。
日が回っていて家の形を失っている。こちらに近づいて像 がくっきりと見えた時、2人は全身煤に塗れていた。
大方、逃げ遅れたのだろう。

「あ…」
「こっちだ!町の皆は こっちに避難してるぜ!」

モラロは荒げた声で逃げるように伝えようと手を振りかざした時だった。
親子の頭上で燃えている天井がバ ランスを崩し、軋む音と共に崩れだす。
母親が火の粉先に気づいたが、到底逃げられない。子供だけでも護ろうと抱き寄せている。

「カイリキーッ!頼…」

汗だくのモラロが叫ぶ前にもうカイリキーは独自の反射で動いていた。巨大な右腕は
女子供2人を庇うには 十分な大きさで、子供は初めて見た陸のポケモンにぽかんと口をあけていた。
右腕が火傷を負ったのか、少し辛そうに震えている様子だったが、すぐに カイリキーは振り返り、
人間のような余裕を持った表情でこちらを見た。それに思わずモラロも笑みを浮かべる。

「へっ…言うま でもなかったか。やっぱ流石だぜ」

褒めながら上を見上げたとき、笑顔が急にしかめっ面へとはや変わりする。さっき見た時はただの空
だっ たのが今では火の隙間から鳥らの羽ばたきとすっかり見慣れたスカイ団の也をした人間たちが覗かせる。

「ひ…す、スカイ団…」

母 親がカイリキーの腕の中で、恐怖に怯えながら呟く。
確か…アジトがこの付近にあったからこそすれ、相当知れ渡っているのだろう。顔で大体察しがつ く。
その一人と真紫のコウモリ(クロバット)がモラロとカイリキーの前に降り立った。

「カイリキー、お前はこの親子を連れて 行け。ここは俺が喰いとめる」

カイリキーは頷くと、すぐに2人を抱えて走っていく。モラロは腰元に入っているもう1つのボールを放った。
黒 い塊に周囲の蒸気を凍らせた氷で覆うポケモン…オニゴーリ。だが出たと同時に苦渋に呻き声を上げた。
流石に火事の中の熱気では相当きついのだろ う。迷いに首を曲げる暇もない。何しろ彼の手持ちはそれしかないから。

「少し厳しいが…一撃で済ませろ、オニゴーリ」
「死ねぇ!」
「直ぐに終わらせっからよ」

オニゴーリの口元に青白い光が集まりだした。クロバットはあんぐりと開けた口から針 を作り出している。

「毒針!」
「吹雪!」

敵とモラロの声が炎の轟音の中でほぼ同時に重なった。崩れかけ た柱に突き刺さる針、海面が剥き出しになっている足場…
赤く染まった光景が技を出している間だけやけにゆっくりと見える。戦闘に入ると決まって現 れるパターンだ。
吹きすさぶ冷気は炎を沈め、火事の中心部だけ名の通りの大吹雪が荒れている。
相性のお陰もあってか、男とクロバットは何 とか一撃で眠ってくれた。だが熱気は直ぐに押し寄せる。

「よし、これで」
「居たぞ!」
「かかれ!」

男 の声が嫌に耳に障った。黒マントを纏う者達は全員クロバットを連れていた。炎の暑さに少し頭がぼうっとし始めてきた。

「くっそ…もう 一発。吹雪!」

今度は冷気を周囲に出来る限り広げるようにオニゴーリは技を放った。体表の氷は既に解け、オニゴーリは既に
ただの 黒い体に化している。モラロは焦りに身震いした。

「吹雪!」

限りなくスカイ団の手の者は湧き出るように出てくる。体 が火照って、段々立っているのも辛くなってくる。
誰かが毒針の指示が聞こえたが、もう十分に反応も出来ない。振り返る前に鋭利な針は滑らかな直線 を描いて背中を擦った。

「……っ」

僅かな痛みと同時に全身が弛緩する妙な感覚がある。自分なりに鍛え続けた足はこん な時に限って動いてくれない。
毒素が体を廻っているのか。くそっ…鉛のように重い。

「ちっ…」

震える手で ボールを取り、熱ですっかり弱ったオニゴーリを収めた。目に映る映像が段々歪んでくるが
炎をバックにマントの男たちが取り囲んでいるのだけはわ かった。死期のようなものが胸の中に張り付いてくるのを感じた。
さっきから妹の笑顔がちらついてくる。トクサネで白の天井に思い描いたのと全く同 じだった。

全身に針が深くつき刺さる。痛みは不気味なまでに感じられなかった。
見えたのは焼け落ちて陥没したキナギの足場から垣 間見た真っ黒な海があり、吸い込まれるようにモラロは落ちた。


―― 悪い、シィラ…俺、今度こそ駄目みたいだ


彼 は静かに水の中で思った。手の中にあるオニゴーリのボールは海の流れに乗せられて離れた。
キナギの浅瀬からカイナへの急流に流されていく…。最期 の感触はそんなだった。



「ハイドロポンプ!」

メリーと船酔い気味の私がギャラドスに命じてその場 にたどり着いたのは数分後の出来事だった。
焼き尽くされたキナギの木造住宅はことごとく消え去り、水平線が殆ど丸見えといっても良い。
ス カイ団の残党達はクロバット諸共大水に押し流され、蹴散らされる。

「これで何とかなったわね…」

私が酔ってふらふら した頭で辺り見渡すと、もはや港町のキナギの姿はどこにもなかった。
最初のヒマワキの大地震と似たような惨事だろう。ロルたちが率いる警察隊はス カイ団の残党を次々に
補導している。その中にファルツやイスケ、オルビア…煤に塗れてもメンバーは全員無事だった。

「シィラ ちゃん!無事?」
「う、うん」

イスケが最初に声をかけた。いつも通りの気の弱そうな声だ。

「ねぇ、お兄 ちゃん見なかった?」
「モラロさんですか…?」

住まいを失くしたキナギの住人達が虚ろな目で立ち尽くしている。暗いせいか兄 の姿がどこにも見えない。

「あの…」

私の背中から女性の声がする。振り返るとそこには眠っている小さな子供を抱きか かえる母親、
そして後ろには兄のカイリキーが不安そうな顔でモラロを探している。
女性は私の顔をまじまじと見つめると、ふっと笑みを浮か べた。

「雰囲気がよく似てるので直ぐに分かりました…あなた、あの妹さんですね?」
「…お兄ちゃんを知って…?」

ぽ つりぽつりと雨が落ち始める。火事の後に決まって起こるものだ。
そこでその女性からモラロに助けられた事を全部私は知った。
そこでモラロ が多勢を相手に必死で奮闘した姿が目に浮かぶ。

雨足がどんどん強くなる中、兄の身に起きた最悪な事態を私はどうしても想像したくなかった。


戻る                                                       >>6aへ

 

inserted by FC2 system