第七話『それぞれの夜』


「おやすみ。リンド」
「ああ。おやすみ」

何故中途半端な区切り方で呼ぶのだろうか。
半分寝ている状態の少女を抱え下りてきた地下一階、そこにある薄暗い私の部屋。角に配置されたベッドに横たわらせると直ぐに寝息を立て始めた左眼を包帯で 覆った少女――アキラの言葉に返し、私は何処で寝ようかと考えながらそこを離れようと立ち上がると、なにやら頭に違和感が生じた。
何と言うか、重い。
訝しみながら重さを感じる場所を把握する。髪。一束ほどの髪が妙に重い。
重さを感じる髪の先端辺りをよく見てみると、アキラの右手が私の髪を掴んでいた。

「……何がしたいのだ貴様は」

返事は規則正しい寝息のみ。
その手を解こうとしてみるが、予想以上に強く握り締められており諦める。
未だ駆除の際に使用した拳銃を仕舞っていないのだが。――カスミモリのおかげで許可の下りたのは良いが、使用しない時は金庫に仕舞わなければならない。――
仕方ない。
ベッドの直ぐ隣に座り込む。そして、周りの壁を隠すように置かれた本棚を見回しながら、

「ミィ、だったか。これを金庫へ頼む」

取り出した拳銃を操作し弾丸を抜き出す。その弾丸が床に落ちる前に、闇に溶けるように掻き消える。
それを確認し、次いで拳銃本体を滑り落とす。その拳銃もまた、影に溶けるように掻き消えた。

「ふむ。礼を言う」

仕方ない。此処で寝るか。すえた臭いの立ち込める路地裏などよりは、かなりマシなことであるし。
あまり思い出したくない臭いを思い出した頭を軽く振り、ベッドに背をもたれ左膝を立て、その膝に左腕を乗せ、目を閉じる。
幸いなことに、直ぐに意識は眠りへと落ちていった。

≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠
「なんでリンドウは雨の日に訳ありそうな人を見つけるんやろ」

この家の最上階、三階にある自分の部屋でパソコンに向かって、来週――ん? 一週間て日曜からだから再来週? ちゅうと、オッサンが言ってた再来週てのは 三週目の日曜日か?――の大会のために手持ちのポケモンのコンディションやどんな調整していくかとか当日の天気とかを調べている最中、なんとなくそう思っ た。そしたら口に出してた。これが街中とかだったら俺はお巡りさんのお世話になるな。怪しすぎて。
まあ、賑やかになるのは嫌いじゃないんで別に構わないんやけど。男女比率が段々偏ってきてる気が。
俺とソーニャが『凶渦(まがうず)』とかいうアホに襲われてたときに匿ってくれたときにはオッサンとリンドウしか居なかったっちゅうのに、俺らが住み着い て増えて、さらに去年の真冬にサナとハルの二人をリンドウが見つけてきて。……これは才能か? ちゅう話やな。それとも体質か? 名づけて『少年マンガの 主人公体質』。ああ、ないない。アレはどっちかっちゅうとラスボスや。
なんて考えて、どうでもよくなる。我ながら飽きっぽい奴やね。
つか、大会だからって何で細々考えてねん。ポケモンバトルは楽しんでなんぼやろ俺! まあプロやし、入賞すれば賞金出るから入賞狙うけど。
スケアクロウでの給料だけでも何とかなるけど、金はあって困るもんやないし。リンドウやサナみたいに金銭感覚マヒするほど、とは言わんけど。ハルが欲しい言うたパソコン四〜五台まとめて買ってきたときは唖然としたし。ポケモン図鑑だって一〇〇万くらいするで。
って、金のことばっか考えてるな。自分で自分が嫌になるわ。他の事考えよ。
動かないからなんかおかしな考えにはしるのかと、座った椅子にもたれて背筋を伸ばす。そんときに頭に過ぎったのは、

「あー。ソーニャとハルんガッコの行事か。ああは言ったけど始まると本気になりそやなー」

まあ、怪我とかしなけりゃOKやけど。
あー、なんか楽しみや。右手で顔を覆い一人でクククと笑う。……気味悪いな。
俺は通信教育で最低限やって、後は各地のジム巡りやってたから学校とか通ったことないし、おもろそうや。
ん。眠い。寝るか。
パソコンを電源を落として立ち上がり、タンスの中の寝巻き――赤いスウェットの上下に着替え、部屋の照明を消してベッドに倒れこむ。
寝付きは良いので、すぐさまに意識がすーっと遠くなった。

=======================
「やったッ。誘えたッ」

二階にあるわたしの部屋。お風呂から上がっているので、お気に入りの水色のパジャマを着てベッドで万歳三唱中です。お風呂といえば、いつも思うんですが、 わたしを含めた四人とアスタルテちゃんが入っても平気なお風呂というのは、マヒロさんは何を考えていたんでしょうか。そしてサナさんとアスタルテちゃんは あんなに嬉々として乱入してくるのでしょうか。
まあ、そんなことより、とうとう誘えましたッ。大会が近いので断れられるかと思っていたのでとっても嬉しくてなんだかニマニマしてしまいます。部屋に響いている今流行りのラブソングが祝福してくれているような気分にもなってきました。
ケンタさんと一緒に、マヒロさんの家に住まわせていただいて五年ほどですが、誘えたのが今回が初めてというのはなんだか情けない限りです。……でも、がんばりますッ。
ふと、目をやると、ベッドに放り出していた水色のポケギアが光っています。ハイテンションだったせいか気が付きませんでした。学校のときのまま、マナーモードにしっぱなしだったせいかもしれませんが。
開いて確認すると、見知った名前。学校のクラスメイトの女の子からのメールでした。チカチカとした絵文字に彩られたその内容は、≪明日の漢字テスト、範囲どこだっけ?≫。受信した時間は一五分くらい前。
……あ。
そういえば明日の三時間目の現代文は漢字のテストでした。
とりあえず返信を。手当たりしだいに送っている、という可能性もありますが、返さないというのも気が引けるので。
机に置いてあったテキストを開き、欄外にテスト範囲をメモしたページを探します。えっと、三〇ページから三四ページまで、と。送信ッ。
返信はあるのでしょうか?
まぁ、漢字の勉強をしておかないといけなくなったので、もう少し起きているのですが。
気分を一新。机に向かいます。灯りを点けて、ペンケースからシャーペンを取り出しルーズリーフに漢字を書き取っていく、その合間に浮かんだのは新しく住むことになった二人。なんだか大変な生い立ちのようですが、仲良くなれると嬉しいですねー。

===============
「よしッ。この巻はかんりょー!」

アニソンがガンガン鳴り響く、二階にあるあたしの部屋。
パシィッと目の前のノートパソコンのエンターキーを押してそこから椅子の背にもたれかかって万歳状態のあたし。

「ポリリZ、ありがとねー。ポリリとポリリ2は穴塞ぐの終わったー?」

目の前の極薄のノートパソコンのデスクトップにクルクルと浮かぶように表示された赤と青色をしたやじろべえのようなマスコット、では無くポケモン、ポリゴンZのポリリZがディスプレイを点滅させてあたしの言葉に反応する。
その左右のデスクトップパソコンの無機質な記号やアルファベット、数字の羅列の並ぶコンソール画面を表示するディスプレイ。そこに表示され、チョコチョコ と動き回っているポリリZに似たシルエットのポケモン――ポリゴンのポリリとポリゴン2のポリリ2は無反応。見つけたセキュリティホール塞ぎ終わってない のかな。
三匹とも人工的に造られ、自分の身体をプログラムにして電子空間を行き来できる、という説明しがたい能力を持つちょっと変わったポケモンたち。結構可愛いと思ってるけど、どうも他の人の感性だと可愛くないらしい。
……ちょっと手伝おうかな。
二台のキーボードを引き寄せ、入力を始める。すると、二台のディスプレイには自分でも気持ち悪いと思うほどの速さで記号の羅列が増えていく。
あたしは特にパソコンに詳しい、というわけじゃない。ただなんとなく、こうすればいい、と頭がわかってる感じ。例えるなら算数の問題で、解き方はわからないのに答えだけがわかる、全く役に立たない勘みたいなものかな。
ほとんど反射的にキーボードを叩くあたしの指。ディスプレイの中でチョコマカと動くポリリとポリリ2。
二〜三分で作業は終了。ほとんどポリリたちが終わらせていたからだけど。
「おつかれさま。ボールに戻っていいよ」
あたしがそう言うと、無線の部分から出てきた三つの赤い光が机の上に置いたモンスターボールに吸い込まれるように収まった。ディスプレイからは三匹の姿が消えてる。
もう少し感情表現をしてほしいなぁ、なんて。まぁ機能優先でそういうのは最低限みたいだからしかたないけど。
「パチチおいでー」
今日の作業が終わったので、毛糸玉で遊んでたパチチを呼んでみる。
……って寝てる。
専用の黄色い毛糸玉に寄りかかるように、白と水色の毛玉になっているパチチをボールに戻して、さっきまで入力してたリンにぃのスケッチブックをぺらぺらとめくってみる。
初めて見たときも驚いたけど、すごい細かいデッサンとデータ。全部手書きな上に、規則性とかは皆無なのが珠に瑕(たまにきず)だけど。
バンギラスの次にはコイキング。その次にはヌオー、ラッタ&コラッタ。みたいな感じだし。
……しっかしコレってホントなのかなぁ。
あたしが疑問に思ったのはコイキングとコラッタ&ラッタのデータ。その中の、戦闘記録。戦った場所やトレーナーのデータとか、どんな戦闘だったかとかが書いてある項。
まぁ他にもちょくちょく嘘みたいなことが書いてあるけど、その中でも際立ってる気がする。
その内容は【コイキング:遭遇場所・一、シロガネやま(山)洞窟内の湖。一匹のみ確認。ヌオー三匹を蹴散らしているところを発見。気付かれ戦闘。レイのか みなり(雷)、フレアのはかいこうせん(破壊光線)、サンのアイアンテール、レインのれいとうビーム(冷凍ビーム)、ルシアのストーンエッジを悉(ことご と)く弾かれる。たいあたり(体当り)によりルシア、フレア、アクアが戦闘不能。勝てないと判断し逃走。後に師匠に聞いた話ではトレーナーが逃がした数匹 の内の生き残りで、あのエリアのヌシとのこと。 二、――】
と、【ラッタ&コラッタ:遭遇場所・一、カントー全域。基本的に弱いとされる。  二、シロガネやま(山)の草むらに三〇匹程の群で数グループ確認。集団で狩りをし、バンギラス一体を食い潰している現場を数度目撃。ラッタがリーダー格の ようだが、それを倒してもその次のランクのコラッタがその場で進化し引き継ぐため殲滅戦となる場合が多い。 三――】
……えーと、なんか住んでる世界が違うような気になってくる。というか『レイ』って何? 師匠って誰? アスちゃんとメテオが手持ちじゃなかった頃の記録なのかな。
まぁいいや。
さて家族が二人増えたことだし、いっぱいおしゃべりして早く仲良くなりたいなぁ。お風呂は楽しかったし。
ナッちゃんやナッちゃんのお姉ちゃんも心配だしなー。
まぁどうしようもないか。寝よう。……学校来てるといいなー。
ああ、プラモも作らないとなー。ちょっと積んでるし。アスちゃんにあげても結構残ってるし。
……。
リンにぃのとこ行ったアキラちゃんは平気として、ママのとこ行ったナナさん平気かな。

===================
「あの……他に、無いですか?」

一階の奥にある、サナと呼ばれる白い人の薄暗い部屋。わたしはそこで、差し出された黒いもこもこした物体を見、固まりつつそんなことを言ってみる。
すると、サナはサングラスを外した緋色の眼を「んー」と唸りながら瞑り、パッと何か閃いたように、見た限り生活感の欠片もない部屋に辛うじて置いてあるタンスの一番上を開き、

「その黒ウサちゃん以外だと、これくらいしか無いよー★」
そう言って出したのは、なんだか薄っぺらな布きれ。……何これ。
「何ですか? それ」
「え? スケスケのネグリジェ♪」
「黒ウサギでいいです。むしろ黒ウサギがいいです」
「じゃあ、はいッ」
受け取ってしまった、着ぐるみのような寝巻き。サナ曰く『黒ウサちゃん』。そうこうしている間にサナは着替え終え、あぁもう、フードまで被って白いウサギに大変身。
「さっきのもねー、リンちゃんとマーくんは軽く流しちゃうしハルちゃんには引かれるし、反応が初心(うぶ)だったのはケンちゃんとソーニャちゃんだけだったんだよねー」
「はあ、そうなんですか」

着替えつつ適当に相づちを打つ。なんなんだろうかこの人は。風呂場には乱入してくるし。
着ぐるみのような寝巻きを着終わると、その緋色の瞳を輝かせながら満面の笑みを浮かべている白い女(サナ)。
じっと見つめられると落ち着かない。少し後ずさると、
「あ、そだそだ☆ ナナちゃんに聞きたいことあるんだけどいいかな?★」
唐突にそう言ってきた。
まあ、ほとんど何も言わずに匿ってもらうことになったのだから当然か。放り出されない程度には情報を渡そう。そう考え、
「はい。答えられるようなことなら」
返答する。
すると、サナの緩みきった表情がほんの少しマジメなモノになり、しかし口調は軽く、
「ナナちゃんとアキラちゃんってさ、人工的に造られたって言ってたけど何か普通じゃないところってあるの?☆」
「……まあ、あると言えばあります。詳しくは理解できなかったですが、わたし達の身体の中には有機部品で構成された多量のナノマシンと、その生成器官が備わってるらしいです」
「ん。その効果は?」
サナの纏う雰囲気が若干変化した。口調からも軽さが少し消える。
ありえない、と一笑することもなく、先を促してくるサナ。
ま、本当のことなのでそう言われても困るのだけれども。

「わたしの場合は自己治癒力の強化と体内に入った毒物の分解、ですね」
それが、組織の研究員が最低ランクの発現と言ったわたしの最大限の能力。
「アキラちゃんのは違う。って言い方だよね? それだと」
「ええ。あの子はわたしのそれに加えて、衝撃波のようなものを放つこととテレパシーの送信ができるそうです。まあ、直接見てないのでよくわかりませんが、わたしと一緒に逃げた研究員は【『意思』の力の発現】だと言っていました」
発現のランクは結局、最高と最低の二つだけ。一〇〇体ほど造られた内、『最大』の発現度は三体のみ。ユウの話を聞いただけなので詳しいことはわからないが、わたしのような失敗作には無い能力を持っているらしい
一体目、Iron Maiden(アイアンメイデン)。
二体目、Valkyrie(ヴァルキリー)――アキラ。
三体目、psychic medium (サイキックメディウム)。
鉄の生娘、戦乙女、巫女の呼び名を与えられた三体の成功体。それがどのような境遇だったのかは知らない。自分のことで精一杯だったから。
「わぁッ♪ すっごい☆ でもなんで『テレパシーの送信』だけなの?」
「ああ、それはなんか予定外の能力らしくて、おまけみたいなものって聞いています。それに不完全なので、受信するためのナノマシン生成器官をポケモンに埋め込まなきゃならないらしいです」
その埋め込みも成功率は低いらしい。
サナは、ふぅん、と考え込むような仕草をとる。
全て信じているのだろうか。
「あの、こんな荒唐無稽な話を信じるんですか?」
……何故わたしはそんなことを聞いてしまうのだろう。別に信じて欲しいわけではないのに。
わたしの問いかけにサナはうさ耳のフードに隠れたその真白い髪を掻き揚げながら、今まで浮かべていた笑みとは別種の笑みをニタリと浮かべながら、
「ん? 知り合いに空間移動とか念動力とか透視とか出来るのが居るから☆ あと、ボクは二年くらい前までポケモンや人間の遺伝子弄ったり非合法の限りを尽くすような場所に居たから、特に驚くような話じゃないよ♪」

底の見えない濁った光を宿す赤い瞳で細めて笑うサナ。詳しく聞くのは止めた方が良いとわたしの中の何かが言う。
「じゃあ何でそんな場所に居たあなたがこんな場所に?」
少し話の軌道を逸らす。
「それはねー、カントーのヤマブキで派手にやったせいで壊滅しちゃってねー其処★ まぁ色々あって残党に追われることになって、試作体だったハルちゃんとシンオウまで逃げてきて、リンちゃんに拾われたんだよ☆」
端折られすぎてよくわからない。しかし、あの少女が『試作体』?
「その、試作体、というのは?」
聞いて良いのかはわからない。ただ、気になった。
サナの顔から笑みが消える。
逆鱗にでも触れたのだろうか。どう誤魔化そうかと焦る。どうしようか、何だか掴みどころがなくてどういった行動に移るのか想像がつかない。
「ハ ルちゃんはね、胎児の頃の遺伝子操作と産まれた後の刷り込みで、サイバーテロのために必要な技術を植えつけられたんだよ。其処ではサイバーデビルチルドレ ン プロジェクト、とか言ったかな。 研究員の夫婦の息子と娘――ハルちゃんのお兄ちゃんとハルちゃんを試作体にね」

実験が成功したら本格的に始動する予定だったらしいけど、その前に壊滅したから、残ったのはその二人だけ。と吐き捨てるようにそう説明したサナ。
「と、まぁ、ボクはハルちゃんの幸せの為にならなんでもするのですッ☆」
わざとらしいほどいきなりに、白いウサギを着た女(サナ)のテンションが上がり、少し前の雰囲気など一瞬で吹き飛んだ。
そして訪れる静寂。

「……あぁ、そうだ☆」
少しの沈黙の後、サナがそう切り出した。
「なんですか?」
「いや、そのさ。ナナちゃんって、この世界の悪い処の最下層にいるのよー。って感じの雰囲気してるけどさ、多分まだ境界線にいるだけだから平気だと思うよ☆」
……人間の形をした何か、として生み出され、戦闘技術を叩き込まれ、でも物として扱われ、逃走の際に殺人までやらねばならなかったのに、それがまだ『境界線』? 何を言ってるんだこの女は。

「どういう意味ですか? それは」
自分でも驚くほどに敵意を含んだ声色が出た。表面だけの感情制御は得意だったはずなのに。
でもサナは特に気にした態も無く、穏やかな声で返してきた。

「ボ クの考えだけどね、この世界に『闇』と『光』があるなら、その世界の形はトランプの『ダイヤ』の形みたいな菱形だと思うんだ☆ 正三角形の光の方に居るよ うな人は、そうだな、……うん。ハルちゃんやソーニャちゃん、ケンちゃんとかかな。世界の醜い部分をほとんど知らない人。まぁ普通に暮らしてたらこっち」
それでね、とまだ続く。
「逆三角形の闇に方に居る人は、ボクやリンちゃん、後は、多分アキラちゃん。自分で望んだかは関係ないけども、世界の醜い部分に踏み込んでる人たち。程度の差はあるけどね」
「それで? 境界線というのは?」
「うん。境界線は二つの三角形を繋ぐ場所。まぁ、闇と光、どっちの世界にも行ける人、それかどっちの世界にも行かない人、かな。マー君や、ナナちゃん――あなた」
「なんでそう思うんですか? わたしのことを何も知らないのに」

真っ直ぐと赤色(せきしょく)の瞳を睨む。
しかし、真っ直ぐとそれを受け止められ、微笑まれてはどうしようもない。

「血の臭いが薄い」
「は?」
自分でも驚くくらい素っ頓狂な声だったと思う。さらりと、そんなことを言われてはどう返せば良いのかわからない。
わたしがどんな表情なのかは自分ではわからないが、まあ、とても残念な感じになっているのは間違いない。
「あぁ、ホントに血の臭いがする。っていうわけじゃないよ。そんなの女の子としてどうかと思うし♪」
からからと笑いながら、補足してくる。
「なんて言うかな。んとね、雰囲気、かなうん。リンちゃんとかはそれが濃いんだけど、ナナちゃんはとっても希薄なんだよね。人を殺してても二、三人くらいじゃない? ボクとしてはアキラちゃんの方がそれが濃いのが心配かな☆」
……。確かに、殺めたのは逃走途中で追ってきた戦士(ソルジャー)二人。疲労か興奮か、それとも恐怖のせいかその時のことはあまり記憶にはないけれど。
でも――
「それがなんなんですか」
――だからなんだと言うのだ。
「たぶんそれは正当防衛」

淡々と、独り言のようにサナの薄桃色の唇から紡がれる言葉。

「ボ クみたいに最下層で全て受け入れ白濁としてるのでもなく。リンちゃんみたいに最下層に居ても決して染まらない漆黒でもなく。どす黒い血色に染まった世界に 踏み込んでいるアキラちゃんでもなく。マー君みたいにどちらの世界にも行かない灰色でもない。まあ、青空みたいなソーニャちゃんでも、太陽みたいなケン ちゃんでも、ひまわりみたいなハルちゃんでもないけれど、まだどちらの世界にも行けるセピア色。それが、ナナちゃんへのボク的な第一印象なんだよね☆」
まだ、手遅れではないと、そう言いたいの? だとしたらとてつもなく大きなお世話だ。
などと思っていると、
「ま、なんだか長くなっちゃったけど、正直ナナちゃんがどうなろうと興味ないんだよね♪ ハルちゃんが笑っているならそれで良いし☆」

ニパッと笑いながら、とてつもなくマジメな口調でそう言われた。
……一体なんなんだこの人は。

「あ。でもハルちゃんは優しいから此処のみんなを大事に思ってるから何かあったら悲しむし、ボクも全力で死守するから放り出したりはしないよ☆ ハルちゃんを悲しませないっていう約束だからねー☆」
あ、でも紫外線が嫌で昼間はそんなに外出しないから、夜ならねー☆ と朗らかに笑う。昼間は此処に引きこもれということだろうか。
「あ☆ 引きこもろうとか考えたでしょ★ 駄目だよー女の子が根暗にいたら」
「あの、わたしは追われているんですが」
「あぁ、大丈夫大丈夫♪ リンちゃんやケンちゃんと一緒に居たら印象に残るのはそっちばかりだろうから☆ マー君と一緒に居たら売春みたいに見えて目を逸らしてくれるだろうし☆」

満面の笑みでそう宣言された。というか最後の例は好ましくないんですが。
しかし、地の利みたいのも必要か。少しはこの街のことを知らなければならない、かな。
でも、リンドウ――あの無愛想な大男とケンタ――赤髪の男、それとマヒロ――やる気の無い中年男にサナ――目の前の掴みどころの無い真白い女は誰が一番強いのだろう。出来ることなら囮程度にはなりそうな人と行動したいな。
「そういえば、四人の中で誰が一番強いんですか?」
そういうことは聞くのが早い。
「強いって何が?☆」

……。これはどう答えれば。
……間違えたら「お酒に強い」とか「女に強い」とか言ってきそうな。
一番単純なので良いか。

「ポケモンバトルです」
「んー。それならケンちゃんかなー☆ 『ポケモンバトル』なら★」
「そうなんですか。ちょっと意外です」
あの赤い人が一番とは予想外。明日は一緒に行動してもらえるように頼んでみよう。
「さってとッ★ そろそろ寝よー♪」
「きゃッ!?」
じゃあ何で飛びついて!?
捕食者のような白兎に捕らわれた黒いウサギ(わたし)。見事なまでに重心を押さえられて身動き一つ出来ない。
マウントポジションでわたしを見下ろしながらニタリ、と笑いながら、
「いや、ボクってさ、なんか体質的になのか後天的になのか知らないけど快楽ってものが無いんだよね★ タバコもアルコールも性交もシンナーもスピードもチョコもハッパもアシッドペーパーもコークもエクスタシーもヘロインも全部吐き気しかしなくてさ」
「それとこれとにどういった関係がッ!?」
「いや、特に無い♪」
なんなんだこの人は!?
「ちょ、変なとこ触らないでくださいッ!」
「大丈夫大丈夫★ パジャマの上から触るだけだから♪ エグイこととかしないから安心してッ★」
「何に安心するんですかッ」
「恥ずかしいから言わな〜い♪」

とりあえず、明日からはこの人の部屋に一人で来るのは止めることは決定する。此処は魔窟だ。

≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠

「面倒くせえ」

俺一人が残った仕事の事務所で呟いた声が響いて消える。
ようやく誰も居なくなったのでタバコを吹かしながら、ナナとアキラのことどうすっかなーとか考えてたら面倒くさくなった。
寝よう。
そう、テーブルに散らかったビールの空き缶を見ながら思い立つ。
ああ、その前に風呂か。この時間は誰も起きてねえだろうし。このまま寝てもいいがそうしたら殺人級の攻撃を受ける未来に繋がっちまう。
いやあ面倒くせえ。
とりあえずタオルと着替えを持って風呂場に向かう。
予定外の人員増加はあったが、まあ明日からまただらけた日常が続くんだろ。
……追われてるんだっけかあの二人。面倒くせえ。
詳しく聞くのも面倒くせえからいいか。
つか、何でサナとかケンタとかが追われてたのか知らねえやそういや。まあ今更聞くのも面倒くせえか。
ああ何もかもが面倒くせえ。生きてるのも面倒くせえが死ぬのも面倒くせえ。
まあ、そんなこんなで、非日常の少し混じった日常が今日もまた終わった。

 


戻る                                                       >>第八話へ

 

inserted by FC2 system