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エアは突然、何か殺気に似た気配を感じ取り、目を覚ました。洞窟の入り口のあたりが明るい。どうやら既に日は昇りきっているらしい。大量の水が激しく落ちる滝の轟音が、穴の中に響いている。
エアの眠る場所となるこの洞窟は、ゲルフ山の麓にある滝の裏にある。こんな場所で寝泊りするのだが、不思議と滝の轟音は音は大きいものの騒音とはならず、耳にすっと入りすっと消えていくようで、意外にも心地よく眠ることが出来るのだ。
エアは入り口のほうをじっと見つめた。どうしてこんな気持ちになるのか自分でも分からなかったが、とても嫌なものがこの森を訪れている。そんな気がしたのだ。
彼は自分の根拠のない勘に身を任せて起き上がった。そのとき、突然激しい耳鳴りに襲われた。金属同士を激しくこすり合わせているような、冷たく高い音。それは何かの叫びにも似ている。恐怖、助けを求めるような声、断末魔。
すると突然、頭を、いや頭の中を岩で殴られたような身の毛もよだつような激しい衝撃に襲われるとともに、冷たい何かが体の中を走り抜けたような気がした。それとともに沸き起こる幻影。デ・ジャヴ。彼は思わず叫び声を上げそうになった。
そして彼は、何かに憑りつかれたように洞窟の入り口まで歩み寄った。目の前には水の壁が立ちはだかっている。それはまるでエアをここから出すのを妨げてい るかのようだった。ここから出てはいけない。行ってはいけない。滝の轟音の間からそんな声が聞こえてくるかのようだった。
しかし、エアは翼を広げ、力いっぱい羽ばたくと水の壁を突き破り、一気に飛び上がった。
わき目も振らずに上昇する。そして下に広がる針葉樹が、絨毯のように広がっているかのように見える高さまで上がった時、彼は湖の対岸付近の森の上空で、大 きな鳥が四羽ほど、円を描いて飛び交っているのを目にした。まだ湖の対岸までは結構な距離があるにも関わらず、鳥の姿の輪郭がはっきり見えた。とすると、 それは野生の普通の鳥ではありえない。
それはエアームドと呼ばれている者たちだった。シャープな体型に、銀色と光沢のかかった赤色の翼を持ち、とがった爪と嘴を主な武器とする者。エアは不審な思いにとらわれた。なぜならこの森にはエアームドは存在していないはずであるからだ。
だんだんと距離が狭まってくると、エアームドたちはそれぞれ嘴に何かを銜えていることにエアは気づいた。何だろうと思い、彼は目を凝らした。そのとき、ま だそれが何であるか確認できていないというのに、突然エアの心臓が鼓動速度を速めた。それとともに、自分が自分自身に警告するかのように声が聞こえる。

――見てはいけない。見てはいけない!

そしてエアは、湖の真ん中あたりまで来たとき、“それ”がなんであるか、知ることとなった。
それはバラバラに引きちぎられた死体だった。
そしてそのうちの一羽が銜えていた“顔の部分”が目に入ったとき、エアはそれがミミロップと呼ばれる種族であることに気づく。
それは無残なものであった。最初の一人は引きちぎられたと思われる片方の大きな耳を銜えていた。ちぎられた部分から真っ赤な血が滴り落ちている。二人目が 銜えているのはおそらく左足であろう。三人目は胴体の下半分から右足にかけてだった。いったいどのような攻撃を受けたのだろう。おそらく動かなくなった 後、腸をあさられたに違いない。腹と思われる部分は肉が剥げ落ち、体の大きさをはるかに上回る長さの腸が垂れ下がっている。右足は肉のあちこちをついばま れたらしく、原型が分からぬほどにボロボロになっていた。足の先端からは骨格が飛び出して、その白い表面に付いた血液が太陽に反射していた。そして四人目 のエアームドが銜えている部分を目にしたとき、エアは思わず吐き気を催した。ミミロップは逆さ吊りの状態で銜えられており、両腕は?がれているのか、既に 食べられたのか、方から先が既に無かった。胸の肉がはがされ、肋骨と背骨がグロテスクに露出している。顔もまた、ほとんどの皮がはがされ、更に左目は啄ば まれたのか、眼球が瞼の外へと飛び出し、視神経によって辛うじてぶら下がっている状態となっていた。顔の右半分には激しくつつかれたと見え、頭蓋骨が一部 破損してそこから脳漿が漏れ出していた。
あまりにも凄惨なその惨状に、エアはそのまま動けなくなった。口が自ずと開き、声にならない掠れた音が口の中から漏れる。
目の前に光が溢れる。それとともにフラッシュバックされるモノ。二年前の記憶。夥しい血。

――忘れないで……

手が、いや全身が震える。地上のほうでは、何か悲痛な叫びが聞こえる。しかし今のエアにはまったく入ってこない。口から漏れ出すかすれ声。瞼が痙攣を起こ す。胸の奥から、何か熱いものがこみ上げていく気がした。それはたちまちの内にエアの全身を支配し、顔にまで昇っていく。そしてついにその熱が頭のてっぺ んまで達したとき、エアは頭が爆発するかのような感触に襲われるとともに、大気に木霊するような叫び声を揚げた。

「うあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああああああああああああああああああああああああ!」

次の瞬間、エアは自分でも気づかないうちに四人のエアームドのうちの一人に飛び掛っていた。翼の付け根のあたりを掴み、思いっきり体重をかけて、そのまま エアはエアームドの上にのしかかる形で地上へと落ちていった。そして地表が近づくと、エアは普段は隠している両手の爪を最大限まで伸ばした。それは一本一 本がしっかりと鍛えられた剣のようである。鈍い音ともに二人は地上にぶつかる。そして間髪入れず、エアは爪を伸ばした右手をエアームドの頭に振り下ろし、 その爪の一本を付きたてた。エアームドは一瞬抵抗しようと翼を動かそうとしたが、まもなくその動きを止めた。
本能的にもうこのエアームドが動くことはないと悟ったエアは、続いてまだ円を描きながら舞っている残りの三人をにらみつけた。

「エア!」

そのとき、森の奥からルインが飛び出した。
ルインもまた、この騒ぎを聞きつけ、この場所へやってきていたのだ。
しかしエアはルインに目もくれず、再び羽ばたき飛び上がった。

「よせ! 待つんだエア!」

エアが飛び上がったとき、エアームドたちはそれぞれの嘴から獲物を地上に吐き捨てた。その光景はとても理性ある「ラコン」のとる行動とは思えないものである。

「あいつら……『心』を失っている……?」

ルインはその光景を見て、そう呟いた。ミミロップの残骸は湖に落ち、透明な水に朱を混ぜることとなった。三人のエアームドはエアを敵とみなしたらしく、そ れぞれ翼をその場で打つように羽ばたかせると、刃物状に歪ませた空気の塊をエアに向けて放った。エアカッターと呼ばれる技である。しかしエアはそれを避け ようともせず、まっすぐ二人目のエアームドへ突進していった。案の定エアカッターのいくつかはエアの頬、右肩、左足を掠めた。エアはわずかに顔をしかめた が、それでも動きを止めず、まっすぐ二人目のエアームドを見据え、右手を振り上げた。
胸につきたてられる爪。それは背中から貫通し、エアームドは串刺しの状態となった。エアームドは首を反らせて苦痛の叫び声を上げた。エアはそのまま胸から爪を抜き取った。もはや飛ぶ力を失ったエアームドは湖へと落ちていく。
エアは続いて三人目を標的に入れようとした。しかしそれよりも早く三人目は高速移動を使って素早くエアの背後に回っていた。エアが気づいたとき、エアーム ドの方はその翼を刃物のようにして突進してくる。そしてその攻撃はまともにエアに直撃した。衝撃と怒りで我を忘れているエアには相手の攻撃を避けるという ことはまったく考えていなかったのだ。エアの背中からわき腹にかけて大きな切り傷が現れ、そこから血が流れ出す。
二人のエアームドは今度は二人で同時に攻撃しようとしているらしく、エアの周りを円を描いて飛び始めた。そのとき、二人の内一人に目にも留まらぬスピードで、無数の星型の結晶のようなものが襲った。

「こっちだ!」

今のスピードスターの主は地上にいるルインだった。彼はどちらでもいいので、一人の興味をこちらのほうへ寄せようとしていたのだ。そして試みは怖いほどに 上手くいくことになる。スピードスターを当てられたほうのエアームドは標的をエアからルインに変えて、翼を広げるとまっすぐルインの方へと降下していっ た。
自分のほうへとまっすぐ降下してくるエアームドをルインは余裕を持った顔で迎え撃つ。重力の力も借りて、エアームドは猛スピードで突進して くる。そしてまもなく、エアームドの鋭い銀色の嘴がルインの額に向かって突き立てられようとしたそのとき、ルインのはカッと目を見開いた。同時にルインの 目は赤く光、その光がエアームドを照らした。その光にあてられたエアームドは苦悶の叫び声をあげて、軌道を逸らせ、地面にぶち当たった。
ルインが放ったのは「怪しい光」という技である。

「……やっぱりな……。言葉まで失っているか……」

地面に激突したときの衝撃と怪しい光を受けて混乱したとで、その場でもがいているエアームドを目にして、ルインは悲痛な面持ちで呟く。
やがてエアームドの血走った狂気に満ちた目がルインに向けられた。エアームドは再び飛び上がって、樹木のてっぺんあたりまで上昇すると、そこからエアカッターを次々と放ってきた。
しかしそれをルインは難なく避けていく。グレゴールが現在この森一番の強さと言ったとおり、その動きは鮮やかなものだった。軽やかな無駄の無い動きで次から次へと避けていく。
自分の攻撃が悉く避けられていくのを見て更に怒ったらしく、続けて両翼を広げて突進する。もちろんルインはそれを甘んじて受けるつもりは毛頭無い。
ルインの額の丸い印突如カッと光を放ったかと思うと、次の瞬間そこから球状の黒い塊が出現していた。そして間髪入れずそれをエアームドにぶつける。
エアームドは突然現れたその黒い塊を避けることが出来ず、顔面からそれを受けることとなった。更にそれによってまたしても軌道がずれて、猛スピードでルインの後ろにある樹木に激突した。そして木にぶつかったエアームドはそのまま倒れこみ、気を失った。

「ったく。世話焼かせやがって……」

一方最後のエアームドは再びエアに先ほどと同じ攻撃を仕掛けようとした。高速移動で素早くエアに接近しつつ、再びエアームドはその刃物のような翼で彼の体を切り裂こうとする。
そしてその翼がエアに襲い掛かろうとしたとき、彼はカッと目を大きく見開き、ほとんど目にも止まらぬ動きで猛スピードで接近するエアームドの首を片手で受 け止めたのだ。突然首をつかまれ、その苦しさでエアームドは苦悶の叫びを上げる。エアは更にもう一方の手も首にかけ、歯を食いしばり、その首の主を慢心の 力で締め上げる。
首を絞められるエアームドは、なんとかエアの腕から逃れようと、もがこうとするがそれよりもエアの締め付ける力のほうがはるかに勝っていた。かすれた声を洩らしながら、エアームドの首は絞まっていく。

「うああああああああああああああああああああああああああ!」

そのとき、バシッと何か硬いものが勢いよく折れる音とともに、エアームドの首は本来なら曲がらない方向へ、ほぼ直角に折れ曲がった。そして口を大きく開けたような状態で、エアームドの全身から力がぬけ、強張らせていた足や翼がだらりと垂れる。
エアは突如この森を襲ったエアームド四人のうち、三人の命を絶ったのであった。


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