―6―

夜は更けていき、この時間を昼とする虫たちが本格的に声を交わしあうころ、ルゼックから西に半里ほど離れたところにある林の奥にある赤煉瓦造りの家の二階の窓からは、朧気な淡い光が漏れだしていた。
アリアは観音開きの窓に向けて置かれている机の上にランプを置き、羊皮紙の上に羽ペンを走らせていた。すぐそばには論文や資料が山のように積み重ねられて おり、あちこちに付箋が貼られている。同じように黒く固い表紙の厚い本も今にも倒れんばかりに積み重ねられている。ほんの少しの地震どころか、ちょっと激 しく机を揺らしでもしたら、それらは一気に雪崩を起こしてしまいそうだ。
時折、筆を止めては眼鏡越しに自分の書いた文章をチェックする。視力が悪いわけではないのだが、どういうわけかアリアは勉強しているときや調べごとのときなどは眼鏡をかけた方が捗る。故にだが、眼鏡は当然伊達眼鏡である。
油を燃やすタイプのランプは、シューと空気の流れがそこだけ速くなっているかのような音をたてながら光を放つ。その光は机で何か作業をやる分には十分な明るさであるが、部屋全体を照らすとなればやはり薄暗くなり、不十分であった。
昼間は後ろをお下げにして纏めていた紺色の髪の毛を、今はおろしている。前髪はおろしているときも纏めているときも、変わらずに額を隠すように垂れている。
羽ペンにインクを吸わせ、再び羊皮紙に走らせようとしたとき、後方にある扉が二回ノックされる乾いた音を響かせた。

「いいわよ」

彼女はノックに対してそう返事をする。するとノブが回り、扉が高い人の声にも似た音をたてると、その向こうからバシャーモのシェイドが片手に何かが載っているお盆を持って現れた。

「夜食を作ったんですが」

彼はそう伝えると、アリアは一度ペンを置き、眼鏡を外した。

「いつも悪いわね」

そういうと、アリアはいすに座ったまま両腕を上に伸ばして思いっきり背伸びをして同時に深呼吸をした。それからランプの調節ネジを回すと、光量が少しばかり多くなる。
アリアは立ち上がりながら後ろを振り向く。シェイドは無地の黒いエプロンを付けている。そんな光景はアリアはすでに慣れてはいたが、初めてバシャーモであるシェイドがそんな格好をしたときには、あまりの滑稽さに思わず笑い転げてしまったことだ。
お盆の上には丸い取っ手のついた碗と、紅茶の入ったガラスのコップが載っている。碗からは暖かげな湯気が出ている。

「ほんとに羨ましいくらいの料理の腕前ね」

お盆をシェイドから受け取りながらアリアは言った。

「あまり根を詰めると体をこわしますよ」
「分かってる。もう少し書いたら今日はもう終わるつもりよ」

アリアは、シェイドから受け取った盆をいすに座ってから膝に載せると、湯気の立ち上る碗を手に取り、傍らに置かれている銀色に輝くスプーンを持つ。
碗の中には、黄色っぽく透き通ったスープにキャベツの葉を剥いたものと、人参、玉葱、そしてウィンナーが入っている。野菜類はいずれも長い間煮込まれてクタクタになっており、よくスープが浸みているようだった。
今日の夕食で出たオニオンスープにキャベツと人参とウィンナーを加えてポトフにしたのだろう。
秋もそろそろ深まる頃で、これから少しずつ冬に向けて寒くなっていく時期だ。真夜中あたりになると意外に冷え込むものだ。かといってポトフだけでは暑くなるほどの気温なので、飲み物はアイスティーにしたのだろう。
アリアはスプーンでポトフのスープをゆっくりとした動作で掬い、溢さないように口へと運ぶ。

「それにしても……」

シェイドは周りを見回しながら切り出す。

「また本が増えましたね」

この部屋の周りは机のある側を除き、扉のある側でさえも、それ以外の部分にはぎっしりと本棚が詰められている。そしてそれらの本棚の中には、掃いて捨てるほどの量の本がほとんど隙間なく所狭しと詰め込まれている。
だいたいこの部屋の広さは四メートル四方とかなり広めであるが、この本棚のおかげで実際よりかなり狭くなってしまっている。どの本棚も下の段から上の段ま でもれることなく本でいっぱいになっており、一冊取り出そうと使用ものなら一緒に二、三冊くっついて出てしまうのではないかと思われた。

「これ全部読んだっていうだからすごいですね」
「そうね。右側の本棚の本の内容はだいたい頭に入っているわ」

そのアリアからみて右の壁側にある本棚もまた、他と同様ぎっしりと本が詰められている。パッと見た目だけでも百五十冊はゆうに超えているに違いないという量だった。
もし今の言葉を世の学生や、勉強でやっきになっている者たちなどに聞かせでもしたら皆仰天して卒倒するに違いない。

「あ、悪いけどこの本をそこの本棚の一番上の段に片づけてくれる? 一カ所だけ開いてるからすぐ分かると思うけど」

アリアは積み重なっている本の山の一番てっぺんにある一冊を取ると、扉のすぐ左側にある本棚を指さしながら頼んだ。その本棚の最上段には確かに本一冊入るほどのスペースが空いている。
本棚に片づけられている本は、どれもきちんと手入れが行き届いており、少しもホコリが積もっていない。アリアが定期的にハタキを使ってつもったホコリを払 うようにしているのだ。留守している間の家事はシェイドもいくらかはやってくれるが、料理以外のことはほとんど自分でやるようにしている。
片付 けられたその本の背表紙には「Water Paradise 著:R=ミルキア」とかかれている。その人物の別の著作なのだろうか、しまってある本の右端の方には同一の名前で「永遠の三日間」と書かれている本があっ た。とは言っても、バシャーモであるシェイドは字が読めないのでそのことには全く気がつかなかったのだが。
そのときアリアはシェイドに対して少しも憚った様子もなく大きなあくびを見せた。

「やっぱり寝た方がいいんじゃないですか? 研究の方も大事でしょうけど体をこわしては元も子もありませんよ」
「その方がいいかもね……」

言い終えながらアリアは再びあくびをする。この二度目のあくびで眼鏡が右側にずれてしまった。
そしてアリアは眠たそうに目をこすると、なんとなくシェイドに目をやった。しかしそのときのシェイドの様子は半ば眠りの世界にアリアを引き込もうとしている睡魔を無理矢理引き離したのだ。
シェイドは明らかにアリアとは別の方向である窓の外に視線を移し、そのまなざしは殺気だってはいなかったものの、なにか異様な威圧感のようなものを発していた。アリアは一瞬今にその手首から炎が吹き出すのではないのかと錯覚さえした。

「どうしたのいきなり?」

その異様な気配を発しているシェイドにたまらずアリアは話しかけた。まるで心だけ別の世界へ行ってしまった彼を引き戻すかのように。その声にシェイドは逆に驚いたように我に返った。

「え? ああ、なんでもありません。眠気で変な気分になったんでしょう。正直俺も眠いですから」

そしてシェイドは既に空になって机上に置かれている碗を盆に移すと、いつもの落ち着いた物腰で扉を開けて部屋を出て行った。
彼が出ていった後、そういえばまだアイスティーを貰っていないことにアリアは気づいたのであった。
窓の外に何かいるのかとなんとなくアリアは立ち上がって、外を眺めたが、そこには毎夜のごとく深い闇が世界を眠りに誘っているだけで、ときおり梟かラコン のそれに似た種類の者かホーホーと鳴く声と時折吹く風によってかすれる葉っぱの音、そして秋も深まる頃に歌い出す虫たちの声が聞こえていた。それらの音も この夜の静けさをかえって引き立てているかのようだった。
この家に住む者はアリアとシェイドだけである。両親は二人ともこの世にはいなくなっていたのだった。
そのせいで一人っ子であるアリアにとっては、たとえシェイドと一緒でもこの家は広すぎですべての部屋のうち半分ほどしか使っていない。この研究部屋とここには置ききれない本を保管する書庫と寝室。シェイドはアリアの寝室の隣部屋を使わせている。
なぜ人間であるアリアとラコンでバシャーモであるシェイドが一緒に住むようになったかは、いずれ語る必要が出てくるだろう。
時計は午前十二時三十分あたりを指していた。
アリアは椅子から立ち上がると、ランプを手に取り研究部屋を後にした。

「未知の古代文明……かぁ……」


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