第二章「出会いと言葉」 どうか死なせてください どうか逝かせてください 私はあなたに何も出来ないから どうか悲しまないでください どうか嘆かないでください 私はあなたを許しますから ―9― 午後十二時二十分出発ゴルドバ行きの機関車に乗るため、エアとルアの二人がウィーネの駅へと着いたのは正午のほんの少し前だった。二人がなぜゴルドバへ行 くことになったかというと、ルアによるとゴルドバ山という火山に住むラコンたちがここのところ凶暴化し始めているのを聞いたからとのことだった。そしてエ アの方もゴルドバ山というのを聞いたことがあった。これもやはり鳥のラコンたちから聞いたことであるが、ゴルドバの山には普通のラコンたちとは違う何か特 別なラコンがいると教えられたことがあった。特別なラコン。教えられたときは特に関心を示さなかったのだが、ゴルドバ付近のラコンが凶暴化し始めていると いうことを聞いたときにそのことを思いだし、何か関係があると考えざるを得なくなったのだ。 エアは昨日、ルアに旅の同行を決意した際、旅に必要 な装束やその他いろいろな品を選んでもらっていた。冬が間近に迫っている現在にまず必要な外套。エアが着ているのは赤褐色に少し黄色の混じったような色の 厚手のもので、左胸の部分に一ヶ所と両脇腹に一つずつポケットがついている。靴は鞣した皮で出来ていて、足首より上のあたりまで覆うようになっているもの だった。カイリューの姿の時はそもそも服装を気にする必要なんて全くなかったエアにとっては、どんな服が良くてどんな服が悪いのかという見分けがまるで付 かない。だからこれらの品はほとんどルアに選んでもらった物だった。 そういうわけでプラットホームに停車しているゴルドバ行きの列車に 乗ろうとしたときだった。エアは乗車口のあたりに一枚の紙切れが落ちているのを見つけた。ただの紙切れだったらそのまま見過ごしても良かったのだが、それ が切符だったとしたら見過ごすわけにも行かなかった。行き先はエアたちと同じゴルドバになっている。 「ルアさ……ルア、これどうする?」 ルアはエアからその切符を受け取ると、少し考えるように顎をさする。 「そうですねー。まだ発車には時間があるようですし、駅員に預けるのがいいですね」 そしてルアは近くにいる藍色の制服と糊の利いた帽子をかぶった駅員に話しかけた。彼は切符を渡してなにかしゃべっていたが、駅員の目線はルアに向けられて いるというよりもむしろその肩に乗っている隼のクレフの方にばかり向けられていた。確かにほとんど動物を連れているだけでもおかしな姿に見えるであろう に、隼を連れているというのは異様なことこの上ない光景であるに違いない。 何はともあれ落し物の切符を受け取った駅員は、ルアに軽くお辞儀をするとつい今しがた見た異様な光景などは頭の中から消え去ったかのように踵を返して事務所のほうへと引き下がった。 「さてと、私たちも乗りましょうか」 「……うん」 やはりエアはまだルアのことを敬称を取り払って呼ぶことに抵抗を覚えているようだった。敬語を使うのは止めたものの、どこかぎこちない感があるように思え る。ルアは「そのうち慣れる」とエアに言い聞かせていたが、エアの方はなかなか自分の中にあるつっかえのようなものを取り除くことが出来ないでいた。しか しルアはそのようなエアの口調のぎこちなさについては何もいわないでいた。 -------------------------------------------------------------------------------------------- 午後十二時十七分。 アリアはさきほどまでの焦燥の感情からようやく開放されて、コンパートメントの窓際の席で一息ついていた。 向かい側の席ではフードつきの上から下まで黒インクに浸していたように真っ黒なローブをまとったバシャーモのシェイドが座っている。アリアは彼がラコンで あると悟られないために、さらに顔にはマスク、両手には五本指に見えるような手袋、シェイドにとってはかえって歩きにくいのに靴まで無理やり履かせている のだ。以前も鉄道を利用した際には、彼は同じような格好をさせられている。人間の変装をさせるたびに、アリアはバシャーモが極めて人型に近いラコンである ことにありがたがるのであった。 もしのこのシェイドの姿を誰かに怪しまれたらアリアは決まってこう口にするのだ。 「この人は以前家が火事になったときに全身に大やけどを負ったんです。それでやけどの痕を隠すためにこんな格好をしてるんです」 苦しい言い訳には聞こえるが、これが実に効果的である。人は大抵『傷の痕』や『やけどの痕』のように不快な気分になるようなものを好んで目にするということはほとんど無い。だから怪しいと思われても「もし本当だったら」という心理が働くものである。 そしてそのシェイドはというと、呆れたような様子で口元は隠されているもののため息をついた。 「まったく。切符を落とすなんて洒落にもなりませんよ」 アリアははぐらかすように笑いを交えて応える。 「あはは。いやー本当にどうしようかと思っちゃった」 「俺が『落し物として届けられてるかもしれない』って言わなかったら、いまごろまだプラットホームで這(は)い蹲(つくば)っていたでしょうね」 「うるさいうるさい」 アリアが顔を赤くして大声で叫ぶのとほぼ同時に、機関車がゴルドバへと発車することを告げる汽笛を轟かせた。二人が乗っている車両は前から二番目の客車で、比較的機関車から近いためにその音はより大きく響いた。 そして直後にガタンと車両全体が小さく揺れると同時に、外の景色が動き始める。足元からは車輪が線路の上を走るガタンゴトンという重々しい音が響く。 「ゴルドバに到着するのは少なくとも日没後かしらね」 「今日中には付くんじゃないですか? って話を逸らしてるでしょう」 「はいはい。私が悪うございました。……そうね。拾ってくれた人にお礼に行こう」 そういってアリアは揺れる車内で転ばないようにゆっくりと席を立った。シェイドは顔はほとんど見えないものの、アリアにはそのフードとマスクの下にある彼の笑顔が見えていた。続いて彼のほうも席を立ち、二人はコンパートメイトから出て行った。 駅員が言うには拾ったのはすらりと背が高くて、肩に隼を乗せた男性ということを二人は聞いていた。だからすぐ見つかるだろうと思った。 -------------------------------------------------------------------------------------------- 「エアは鉄道を使うのは初めてなんですか」 機関車が汽笛を鳴らして走り始めた直後に、エアの様子をじっと見ていたルアがそう尋ねる。 「う……うん、そうだけど」 実際に彼にとっては、鉄道というのはこうやって乗るのはもちろん、眼にすることも初めてのことだった。噂には聞いていた動く鉄のかたまり。真っ黒な煙を囂 々(ごうごう)とはき出し、人間が束になっても運ぶことの出来ない量や重さの荷物や人々を軽々と運ぶ。彼は正直の所そのようなものがあるとは、今この目で 見るまで、そしてこのように動き始めるまではにわかには信じられなかった。ルアから今のような言葉を投げかけられたのは、そのように思っているのが知らず 知らずのうちに動きに表れてしまったのかもしれない。 スピードとしてはカイリューのまま飛んで移動する方が断然速い。大空を舞って風を切る心地よさもこの鉄道というものには感じられない。しかしそれを差し引いてさえ彼はこの人間の作り出した『物』に、感動ではないが大きな何かを感じないではいられなかった。 「本当にこれが普及始めてから、以前より旅をするのがずっと楽になりましたね。まあ当然お金もかかりますし、まだまだ行き届いていないような場所もたくさんありますけどね」 「でもいろんな人が助かってるだろうね」 「そう、おかげで私の旅もだいぶ終わりに近づいてますからね……」 そういったときのルアは流れていく車窓からの景色のずっと遠くを眺めていた。眼を細めてなにか懐かしがっているような様子もうかがえる。 ルゼックの街でルアは自分の旅の目的は『巡礼のようなもの』だと教えていたが、実際はどういうことなのか詳しいことはまだエアは聞いていない。 「あのさ、ルアの……」 『ルアの言ってた巡礼ってどういうこと?』と言おうとしたときに、その言葉は突如開いたコンパートメントの扉の音で遮られてしまった。そして二人がその方向へと目を向けるか向けないかのうちに、女性の驚きとも喜びともつかぬ叫び声が部屋中にこだました。 「アあぁ! 隼を乗せた男の人!」 そこには二十代を超えているか超えていないかと思われる女性が片手を勢いよく開けた扉にかけたまま、まっすぐにルアの方を見据えていた。 女性の後ろには背の高い『人物』がいる。『人物』という表現したのはその者の姿はまるで極寒の地に住む者のごとく、上から下まで衣服で覆い尽くしているのだ。かなり着太りしているが実際はかなり細身なのだろう。 女性はズカズカとコンパートメント内へと入り込む。ルアの肩に乗っていたクレフが驚いたのか、バサッと羽を広げて少し飛び上がったかと思うとすぐにまた肩 の上に戻る。自分を驚かせた相手にちょっとした敵意でも持ったようだ。クレフはギラギラした鋭い眼差しをギロリと女性に向ける。 「私に何かご用でしょうか?」 ルアは怒った様子を見せるクレフと対照的に落ち着いた物腰で、女性に話しかける。 女性は後ろの人物と何か小声でぼそぼそと話した後に、すぐにルアの方へと向き直り深々と頭を下げた。 「私が落とした切符を拾ってくれたんですよね。ありがとうございます」 「ああ、そのことですか。だったら私よりこのエアくんにお礼を言ってください。拾ったのは彼なんだから」 そして女性の視線が次に向かい側の席に座っているエアへと向けられる。 「あ……君。いやなんでもない。ありがとう、気づいたときはもうどうしようかと思って」 「いや。よかった、ちゃんと届いて」 エアは照れて頬を赤くしながらそう言う。 「切符を勝手に拝見したんですが、私たちもゴルドバへ向かう所なんですよ。どうです? 差し支えがなければ、ご一緒にいかがです?」 ルアがそう提案した瞬間、女性の表情がわずかに強ばった。後ろにいる人物も顔の表情こそ見えはしないが、なにか狼狽えているような様子を見せている。 エアにはこの女性が何かルアの提案を断る理由を探しているように見えた。しかしそんな女性が何かを言おうとする前に、ルアがさらに言葉を発する。その発言は彼を除く残りの三人を驚かせることとなった。 「大丈夫ですよ。後ろにいる人がラコンでも私たちは気にしませんから」 ルアはまるで日常に交わし合う言葉のようにそう言ったのだ。 |