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ルアはまるで雪の舞う凍てついた大地を全くものともせずに咲いている花のようだった。
エアと女性、そしてもう一人の者も、そのルアの一言に凍り付いたように、一瞬の沈黙を漂わせる。
最初にその沈黙を破ったのは女性であった。その声は平然を装ってはいたが、明らかに焦燥による芯の通っていない頼りなさを感じさせた。

「なんで分かったの?」

エアは首を動かさずに目だけでルアと女性を交互に見回す。同じであった。
そしておもむろにルアが応える。

「今の一言で確信しましたよ」

「あっ!」という声が女性の方から放たれる。
女性の後ろにいる人物が、なにやら小声で彼女に話しかけた。二人はしばらくの間、ゴニョゴニョと話を続けていた。その間、ルアはわざとらしく窓の外へと顔を向けていたが、エアの方は不思議な心持ちで話をしている二人とルアを交互に見つめた。
もしルアが言うように女性の後ろにいる人物がラコンであるのなら、どうして彼女はそのラコンと話が出来るのだろう、そしてルアはなぜラコンであると分かったのだろうかと。
やがて話をしていた二人はこちらの方を向き直り、女性の方が一歩前へと踏み出してルアへと話しかけた。

「もう一度訊かせて。あなたどうしてこの子がラコンだって分かったの?」

口調には先ほどのような焦燥による攻撃的なものは含まれておらず、至極落ち着いた調子であった。

「旅をしていたらたまにあなたみたいな人を見かけますからね。人間に近い体型のラコンは化けやすいですし。それにあなた方がこの部屋に来た瞬間、わずかですが不自然に室温が上がった。炎タイプですね」

ルアの話に女性はぽかんとした調子で聞いていた。やがて大きくため息をつくと開き直るような調子で言った。

「あ〜あ。ばれっちゃあしょうがないかあ。シェイド、中に入って扉を閉めて。顔を出していいわよ」

そして、シェイドと呼ばれた後ろの人物は、言われたとおりにコンパートメントの中へ入り扉を閉めた。そして口元のマスクを下ろし、フードを取り払った。と たんに燃え上がるような金色の髪と炎の色に染まった顔、そして澄んだ緑色の鋭いまなざしが顕わとなった。それは明らかにバシャーモと呼ばれる種族のラコン であった。
思えばエアが森を出てからラコンに出会ったのはこれが初めてであった。それによって彼は自分自身が偽りを通していることを改めて実感 するのであった。もちろん彼が本当はカイリューなのであるという自覚を失ったことはまだ無い。しかしシェイドと呼ばれたあのバシャーモを見ると、自分もま たラコンでありながら人間のふりをしていることを思い知らされるのであった。

「もう一度聞くけど、あなたたち本当にこの子がラコンでも平気なの?」

彼女は不安げにその問いを発する。そのときルアの目線がエアへと注がれた。そしてエアはこの問いには自分が答えてやるべきなのだと感じた。やはり彼女もま た、最近のラコンの異変について知っているのだろう。例え自分のパートナーであるラコンが正常であっても、周囲からはどのような目で見られるか、どのよう な態度を示されるか分からない。だからわざわざラコンであることを隠しながら連れて行かなければならないのだ。
機関車はスピードを上げ、車輪が線路を走る音が大きくなる。エアはいつもより大きめに声を出すように心がけて彼女へと返した。

「うん。少なくとも僕とルアは大丈夫。……君が連れて歩いているからにはそのバシャーモは大丈夫だってことぐらい分かるから」

後の言葉は言うべきか彼は一瞬ためらった。しかし言った方が彼女ら二人を安心させることが出来るのではないかと思った。今の時世を考えると、人間とラコン とが一緒に生活すると言うことは簡単なことではない。もしこの鉄道車内でシェイドと呼ばれた彼がバシャーモであることが鉄道員にばれることがあれば、例え 彼が今のように特に変わったところもなく、人間と接することにも支障がなくとも、次の駅で強制的に降ろされるか、酷ければ走っている途中でもたたき落とさ れるということもあっただろう。
彼女はしばらくの間何か考えこんでから、一度シェイドに再び顔を隠させると、いったん扉を開けてコンパートメントを出た。一分ほど経ったか経たないかのうちにまたも扉が開き、二人が入ってくる。

「よかったら……えっと、同室してもいいかしら? この子を隠すためにはやっぱり人数が多い方がいいから」

当然のごとく二人はその頼みを快く承諾した。女性とバシャーモというこの奇妙な組み合わせの二人組はお互いに顔を合わせ、安心するようにほっと笑顔を交わ した。なるべく奥の席の方が車掌が来たときに対処しやすいということで、ルアはシェイドというバシャーモに窓際を譲り、シェイドとエア、そして女性とルア という組み合わせで顔を向き合う形となった。

「そういえばまだ名乗ってないのは私だけね。私はアリア=レグナート。そしてこのバシャーモはさっきも言ったけどシェイドって名前で、まあ言うなれば私の助手兼ボディーガード兼相棒ってとこかしらね」

そしてエアとルアの二人も改めて自己紹介をした。隼のクレフはというと、ルアから紹介を受けている間も、相変わらず新しくコンパートメントに入ってきたこ の二人に特に関心も示していないようにそっぽ向いていた。そして時折片翼に顔をうずめて羽の手入れをするのであった。エアもまた自分のことを紹介をした が、内容はやはりルアのときと同じで自分がラコンであることを今は明かす気にはなれないでいる。するとエアが一通りに紹介をすませた時、アリアが不思議そ うな顔を彼に問いかけてきたのだ。

「どこかで見たことあると思ったら……あなた何日か前にルゼックのナヤンセ広場にいたでしょう?」
「え? ……そうだけど」
「気づかなかったでしょうけど、噴水のベンチにあなたが座っていたときにちょっと遠くから見てたんだ」

ルゼックで広場のような場所で座っていたとするとルアに初めて会う少し前であったと彼は思いだした。そういえばあのとき誰かの視線を感じていたことを思ったが、それがアリアの視線だったのだろう。

「そうなんだ。でも、なんで僕なんか見てたのさ」
「それがなんだか自分でもよく分からないのよ。なにかあなたに違和感っていうの? そんなのを感じただけ。気のせいよね。変なこと言ってごめんね」

アリアははぐらかすように大手を振って、最後は笑い混じりに言葉をしめた。エアも彼女に合わせて笑顔を見せたが、内心まるで背中に氷を当てられたように凍 り付く思いでいた。確信には至っていないようだが、アリアは確実に自分の正体について何らかの疑問を意識しないにしても、直感的、あるいは本能的に感じて いる、そういう思いが彼の中にあった。もし自分の正体がばれるようなことがあれば。エアの奥底ではいつもそのような考えが自覚しなくとも渦巻いていた。 ひょっとしたらラコンに対して歩い程度の理解はあるように思われるルア、自身がバシャーモであるシェイド、そしてそのシェイドを連れているアリアになら明 かして良いかもしれないという思いもあった。しかしもし彼があとの三人に正体をばらすこととなれば、必ず自分の過去も明かさなければならない。実を言うと エアが一番恐れているところはそこであった。
そんなときルアがアリアに問いかけた。

「ところで、先ほどあなたはそちらのバシャーモと普通に会話していたように見えましたけど、ラコンの言葉が分かるんでしょうか?」

そう訊かれたアリアは一瞬迷ったように、ルアの隣に座っているシェイドと視線を交わした。

「その通りよ。私、自分でも理由は分からないけど、昔からラコンの言葉が分かるの。もちろん、こんなのは他の人と違うってことは昔から自覚してたし、このせいでちょっと辛いこともあったけど今はこの力があってよかったって思ってる」

「そのおかげでシェイドにも会えたしね」。言葉には出さなかった者の、言わずとも彼女はこの言葉を抱いているようにエアには思えた。

「ゴルドバへは何のために行くの?」

エアが言った。

「ゴルドバ山の少し奥にあるっていう『アルゼナ遺跡』に。こう見えても考古学の研究をしててね、今やってる研究とその遺跡の関連を調べるために向かってるの」

エアは先ほど彼女がシェイドを紹介するときに言ってた「助手」の意味がようやく分かった気がした。彼はなにげなしに向かいの席に座っているシェイドへと目 をやる。顔全体は隠れてはいるが、目だけが覗かれる。エアとシェイドの視線が一瞬合わさり、二人は思わず微笑を交わし合った。

「アルゼナ遺跡というと、つい先月くらいに発見されたばかりっていう」

ルアが言った。

「そう、今まで土砂の下に埋まってたんだけど、先月の噴火で偶然土砂が取り除かれて発見されたらしいの」

アリアが話す姿は実に楽しそうであるようにエアには思えた。なんとなくブラッキーのルインに雰囲気が似ているような気もした。ルインも楽しいことや嬉しい こと、何か話したいことがあれば遠慮無く話をするタイプであった。しかしそれでありながら、決して余計なことは喋らない。どの相手にはどの話をするべきで ないか、きちんと把握していた。気を遣っていないように見えて、ルインのような者が一番気を遣っているのかもしれないと彼は思う。
ふとエアは シェイドへと目をやった。すると不意に彼はシェイドに対して申し訳ないという思いを抱かざるを得なくなった。自分は人間の言葉もラコンの言葉も理解でき る。それにもかかわらず自分はそれを隠している。しかしシェイドはエアがラコンの言葉を話せると言うことを知らない。シェイドはアリア以外の人間に接した ことがあるのだろうか。エアは二人のいきさつについてはまだ何も知らないが、おそらくシェイドアリア以外の人間接する機会というのはきわめて稀であろう。 自分はシェイドに話しかけるべきなのだろうと感じてはいたが、彼はやはり過去を語ることから避けようとしていたのだ。いつか誰かに話すことにはなるだろ う、そう感じながらも……
機関車は休み無くピストンを動かし、終点のゴルドバへと向かう。太陽が西に傾き始めていた。


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