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列車は山道を抜けて広大な田園地帯へと差し掛かった。ずっと遠くまで続いている平原に真紅に輝く夕日が降り立ち、大地を山吹色に染めている。時々、紅色に染まった空を背にカラスと思しき鳥が何羽かの五,六話ほどの群れとなって飛んでいるのが見えた。
今、このコンパートメントには、人間が二人とラコンが二人。そしてラコンの内の一人は人間の振りをしており、回りはそれに気づいていない。また人間の一人 は隼を連れている。もし状況を知る赤の誰かがこの光景を目にすれば、実に奇妙な組み合わせであると感じずにはいられないだろう。
コンパートメントに腰掛けている四人の内、エア以外は眠ってしまっていた。ただ隼のクレフだけは己の主人に何らかの危害が及ばないよう警戒するかのように、そのギラギラした鋭い目をよりいっそう輝かせていた。
あとどのくらいでゴルドバへと到着するのだろうかと考えた。ゴルドバでは最近になって特にラコン被害が顕著化してきたという。原因は分かっていない。しか しそこに行けば何か分かるかも知れないという思いがあった。そしてエアにはもう一つ気がかりに感じていることがあった。先ほどのアリアとの会話の内に出て きたアルゼナという遺跡がそれだった。会話に寄れば一ヶ月ほど前にゴルドバ火山で起きた小噴火によって山崩れが生じ、それによって偶然発見されたとのこと だった。ゴルドバの山に住むラコンに急激な異変が生じ始めたのもつい最近になってとのこと。この二つのことは何か関係があるのではないかと彼は考えてい た。列車の揺れに会わせてあれこれと考えを巡らせる。
次に彼は森のことを思い出した。思えば彼はここまで森から離れたことがなかった。ハク リューに進化したときに初めて己の中にある「飛ぶ力」に気づいたときでさえ、あまり森を離れることはなかった。なぜだと言われればエアは答えに詰まること となるだろう。森以外の世界に興味が無かったのかも知れない。ともかく、エアはこれまで森をほとんど離れたことがなかったし、また離れようとも思わないで いた。
ルインは今どうしているのだろうかと彼は考えた。エアとルインはほとんど物心付くか付かないかのうちからよく遊びあっていた。きっかけは 両者とも忘れてしまってはいるが。エアの覚えているルインは、他の子ラコンとの喧嘩に負けたことがなかった。当然エアと喧嘩することもあったが、やはりエ アもまた勝った記憶がほとんどない。勝ったとしてもほとんどそれらは偶然の産んだ産物ばかりであったと言えよう。いつか勝てると思って、突進したらその当 時ルインが身につけたばかりの影分身による幻影で、そのまま木に激突したときはおもわずエア自身も笑ってしまったものだった。そしてその場にいたアイリス も。

「どうしたの? 怖い顔して」

見ると、いつの間にか向かいの席に今まで眠っていたアリアが目を覚ましていて、エアの方を怪訝そうな表情で覗いていた。

「いや、なんでもないよ」

エアは慌てて取り繕ったが、アリアはなにやら腑に落ちないような表情のままだった。
アイリスのことを思い出すと、無意識のうちに顔が強ばっていたらしい。

「そういえば、アリアはどうして遺跡の調査に行こうと思ったの?」

半分話題を逸らす意味合いもあったが、本当に疑問に思っていたのでエアはそう話題を振った。

「そういえばまだ言ってなかったわね」

アリアはそう前置いてから、チラと対角線上の席に座っているシェイドに目をやった。シェイドの顔はローブのフードによって完全に隠れきっていたが、どうやらまだ眠っているようだった。それを確認すると安心したように、彼女は語り始める。

「父が考古学者でね。ティトゥス=レグナートといってそれなりに有名な考古学者だった。だから私も昔から父の部屋にある本を絵本代わりみたいに読んでたの」

エアは戸惑った。自分は遺跡の調査に行こうと思ったそのいきさつを問うただけだというのに、思いもかけず過去の話から始めるとは思ってもいなかったのだ。
そんな考えが顔に表れてしまったのか、

「気にしないで、このへんから話した方がやりやすいから。それになんとなくだけど、あなたたちなら話してもよさそうだしね」

アリアは人の良い微笑みを投げかけてそう言った。

「まあ、そんな感じで小さい頃から歴史や考古学に興味を持ってたのは必然的だったし、お父さんに憧れていたってのもあったわ。よく調査で家を留守にしてたけど、帰ってくるたびに珍しいものをプレゼントしてくれたしね」

話をしているアリアの目には懐かしむような色合いが見え隠れしていた。自分の過去を他者に話しているのが、自分自身がその過去に浸り込んでしまってる、そ ういった風であった。だから彼女が父親から愛されて育ったことはそれだけで分かる。だが、この懐かしむような目はそれだけが要因ではないようにエアは思え た。
太陽が間もなく大地のずっと果ての向こうへと立ち去ろうとしていた。草原の海が広がった。

「で、ちょっと端折るけど、そんな感じで私もそっちの分野を専門的に勉強することになったの。お父さんの遺志を受け継いだっていうのかもしれないけど」
「遺志?」
「うん、発掘中の事故で亡くなったの。病弱だった母さんも後を追うようにそのあとすぐに死んだわ」

エアの予感は的中していた。やはり先ほどの言葉に見られる懐かしむような調子は、そこから来ていたのだ。

「あ、でも今は寂しくなんて思ってない。シェイドもいてくれるし。ごめんね変に気を滅入らせるようなこと言って」

その言葉には嘘や強がっているような雰囲気は見られないことから、おそらく本当にそう思っているに違いない。エアはシェイドのことも訊いてみようと思った がすぐにその考えを振り払った。今自分が背負っている嘘を考えると、どうしてもこのバシャーモのことを教えてもらうことが、なにかズシンと大きなおもりを 背負うような、そんな気がしたからだ。

「いいよ。それで……どうなったの?」

エアはなるべくシェイドのことを話題にしたままにしておきたくなかったがために、無理に彼はアリアに話を進めるように促した。しかし言った後にいくらなんでも露骨な言い草ではないかと後悔した。
彼女はそんな様子のエアに気にしていないらしく、かえって横道に逸れたことをわびるように、「ああ、そうだったわね」と返す。

「それでここからが本題なんだけど、お父さんが残してくれた研究書のなかに、『二千七百年前の神話時代より以前にさらに全く別の文明があった』というものを見つけたのよ」
「神話……時代?」
「ラシュの塔にいる生命の始祖である最初のラコン、ホウオウが天地を創造したという話ですね」

いつの間に目を覚ましていたのかルアが突如横から話に割り込んできた。アリアとエアの両者は突如入り込んできたルアに驚きの目を向けた。ルアは目をこすっていて、小さな欠伸を繰り返している。どうやらつい今し方目を覚ましたばかりであるようだった。
――神話時代? ラシュの塔? ホウオウ?
次々とエアの知らない固有名詞が飛び交い、首を傾げている彼の様子に、まずルアが「ラシュの塔というのは首都ハプスブルクより少し北にあるラシュ山の山頂に建つ塔のことです」と注釈した。

「神 話時代ってのは、ホウオウが天地を創造し、人間、ラコン、そして人間とラコン以外のあらゆる生命を創造した時代のことを指すわ。そして人間には自然を利用 する力を与え、ラコンには自然とともに生きる力を与えた。天地・生命・秩序、百年かけてホウオウはあらゆるものを創造し終えると、天地を創ったその起点と なった場所、すなわちラシュ山に塔を建ててそこに身を休めるようになった。それがこの国に古くから伝わる神話ね」

この話を聞く限りでは、最初のラコンであるホウオウが、この世界と生命と秩序を作り上げ、全てを創った後にラシュの塔に身を休めることになったというのが世界での常識ということであるらしかった。

「じゃあ、アリアのお父さんは、その『世界はホウオウによってが創られた』という常識を覆すような発見をしたってこと?」
「まあ、そうなるわね。ただ確証が得られなかった。でも根拠はあったわ。だから……」

そこで一旦アリアは言葉を止めた。

「私はお父さんが言ってたことが本当なのか確かめたい。それで行くことに決めたの」

彼女の言いたいことは一通り言い終えたらしい。そしていつのまにか自分が熱く語りすぎていたことに恥じたのか、顔を赤らめて少しばかり憔悴したように、

「やだ、私ったらまだ会ったばかりの人に……。ごめんなさい。もう、シェイドいい加減に起きてよ」

どうやらシェイドは一度眠りにつくと、少々周りがうるさくなろうとも一向に目を覚まさないタイプであるらしい。今までアリアがまるでおしゃべりインコのよ うにまくし立てていたにもかかわらず、ガクンと首部(こうべ)を垂れて気持ちよさそうに眠っていることが厚いフードを通してでさえ分かった。
ア リアは恥ずかしさのはけ口をシェイドに求めるように、身を乗り出して彼の頭をポカポカ叩く。それでようよう彼は目を覚まし、「え? あ、……俺どのくらい 眠ってました?」とぼんやりした調子で訊いた。やはりエアにはその声が分かるというのに、敢えて分からない振りをしなければならないことが心苦しく思えた のだが、ちょうどそのときエアの目に入ったものが幸か不幸かその感情を忘れさせることとなった。
すっかり日も落ちてしまった無限に続くような平原。そのずっと向こうにポツリと灯りが一つばかり見えた。

「大丈夫ですよ。私は一向に気にしてませんから」

恥ずかしがるアリアにルアがそう取り繕う。
その間もエアは遠くに見え隠れするその灯りに目をやっていた。灯りは星や月のものでもなければ、人家があるというわけでもない。なぜならそれは明らかに次 第にこちらに近づいているからだ。最初は列車と併走状態だったのだが、徐々に列車の方へと接近していく。そして近づくに連れて灯りの正体を悟らざるを得な いこととなった。

「ルアさん! あれ!」

エアは思わず叫ぶように言って、まっすぐ灯りの方へ指を指した。何事かとルアだけでなく、アリアもシェイドも車窓から外へと目を向ける。クレフが怒るように嘴をカチカチ鳴らしていた。
その瞬間灯りの正体を掴むと同時に、その灯りの主がこちら客車に向かって、突如ゴオと夜の闇を赤々と照らす巨大な炎を放ってきたのだ。

「伏せて!」

エアのその声とともに、炎は窓へと衝突した。ガラスに見る見るうちにまるで蜘蛛の巣が猛スピードで張られていくかのごとくヒビが入り、二秒と経たないうち に粉々に砕け、真っ赤な炎がまっすぐ車内を貫いた。アリアだと思われる叫び声が聞こえる。同時に砕けたガラスが床に落ちる耳を付くような音が響いた。気が 付くと、コンパートメントの中はエアとルアはその場で顔を伏せ、シェイドはとっさの判断で行動したのか、自らの身を以てアリアの縦となるように覆い被さっ ていた。幸いにも今の炎は一瞬だったため、あたりのものを少しばかり焦がした程度で何かに燃えうつるということにはならずに済んでいた。シェイドもまとも に炎を受けたはずだが、自身が炎の属性を持つためであるのと、ローブが燃えずに済んだことと相まって無傷に等しかった。さすがはアリアが「ボディーガード のようなもの」と紹介しただけのことはある。
そして四人は割れた窓を通して外を見た。
そこには二体のラコンが列車と併走していた。一 体は先ほどから見えていた灯りの正体であるが、全身に炎の尻尾と荒ぶるようなタテガミを持ち、逞しい五体を以て疲れを知らないように走る者、ギャロップと 呼ばれる者だった。そしてもう一体は全身黒い体毛に覆われた大きな犬のようなラコンで、一度狙った者は絶対に逃さないと言わんばかりの鋭い目を持った者、 ヘルガーだった。
エアは二体の列車と併走するラコンの眼をみて愕然とした。二体ともその眼から感じられるのはただ「狂気」の一言のみであり、彼の者たちもまた正気を失っていることがヒシヒシと伝わってくるようだった。
と、ギャロップがスピードをあげて前の車両の方へと向かっていった。ヘルガーは依然として四人のいる車両と併走している。

「どうやら、ゴルドバも手遅れかもしれませんね。ギャロップの方は私がなんとかします。アリアさん、シェイドくんにヘルガーをどうにかするようお願いできませんか?」

ルアはこのような状況下でも冷静な調子を崩さない声でそう言った。アリアは一瞬戸惑ったがすぐに外を眺め、そこにいるヘルガーの姿を目をやると少しばかり考えた後に、

「うん。こっちは引き受けるわ」

そしてルアはすぐにくるりと向きを変えると、コンパートメントを出て前の車両へと向かった。エアが追いかけようとしたとき、ルアは首を曲げてエアを一別すると、もの柔らかい声でこう言った。

「エアくんは、アリアさんに何かあったときに守ってあげてください」

それだけ言うと、ルアはエアの返事も聞かないまま廊下を走っていった。前の方の車両では他の乗客も気づいたのか、次々と叫び声が上がり始めていた。


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