−19−

谷の底からは煙がもくもくと湧き上がり、その煙から硫黄の臭い感じる。
道は山の斜面を無理に切り開いたもので、木材などを作って壁が崩れないように補強されている。そして道を踏み外すと、少し斜面を滑り降りるとそのまま谷の底へと崖がほぼ直角に続いていた。
道の幅自体は結構余裕がありそこまで狭いものではないので、よほどのことが無い限り落ちることはないと見えた。
斜面には緑色よりもむしろ茶色に近い草が生え、大小さまざまな大きさの岩石が顔をのぞかせている。

「少しここらで休憩しません?」

谷に沿った道を歩き始めて少し経ってからルアが提案した。ちょうど道には斜面を転げ落ちてきたと思われるいくつかの岩石が、あたかも椅子のような塩梅になってもいた。
それにずっと歩き続けて全体的に(特にアリアが)疲れ始めていたこともあり、この提案はすぐに採用された。

「遺跡にはあとどれくらいあるでしょうね」

岩の一つに座っているアリアに向かってシェイドが話しかける。

「うーん、そうねえ」

アリアは己の鞄から一枚の四つ折にされた紙を取り出し、おもむろに広げた。登山道の地図である。渦巻きとも年輪とも取れぬ複雑でいびつな円形の線が重なるように書かれ、それが山の輪郭を現している。

「たぶん現在地はここね(そう言いながら彼女は地図の一点を指差した)。でもこれ遺跡が出現する前の地図だから、うーんまだもうちょっとありそうね」

しかしアリアにはどうしても解せないことがあった。それは遺跡がなぜ火山の近くにあるのかである。まだ実物を見ていないし、目撃情報も乏しいのでその遺跡 は「街」の遺跡なのかそれともある一つの建築物の遺跡なのか、それ以外の何かであるとか分かりかねることはある。だが、どの可能性にしろ人間が造りその場 所に置いたことだけは変わりないこと。
なんのために昔の人はいつ噴火するかも分からない火山のすぐ近くに遺跡なる建物を建築したのか。そんな危険度の高い場所にあるからにはそれなりの理由があるには違いなかったが、それが何なのかは実際にそこへ行ってみたいことには想像の域を脱することは出来ない。
だがそんなアリアの思考は、突如響いたラコンの彷徨により中断されることとなった。
人間の男性と女性の叫び声を混ぜ合わせたようなその叫び声は、四人のいるちょうど真上のあたりから鳴り渡った。四人は一斉に声のした真上方向を見上げる。
一つの大きな生き物の姿がちょうど太陽と重なり、逆光によって真っ黒なシルエットを描いている。そしてそのシルエットは明らかにこちらに向かってどんどん大きくなっていた。
近づいて初めて、そのシルエットの主は体が燃えていることが分かる。いや、体毛が炎というべきだ。赤々と燃える翼を持った巨大な鳥だ。体の大きさはその場に居る四人よりもはるかに大きく、それはさながら、一つの巨大な意思を持った炎というべきか。

「なに? あれ、ラコン!?」

アリアが叫ぶ。
炎をまとった巨大な鳥は手を伸ばせば届くのではないかと思うほどの高さで大きく時計回りに旋回を始める。

「まさか、ファイヤー?」

先回を続ける巨鳥の姿を、一種の恭しさを見せるようにアリアはそう呟いた。
ファイヤー。
エアはハッと無くしていた物を見つけ出したかのようにあることを思い出した。いつだったか、渡ってきたオニドリルだったかピジョンだったかは知れないが、 この世界には『永遠に生き続ける者』が存在するということを聞いたことがあった。地域から地域への渡ってくるラコンたちの話を聞くのは、森に住むものたち の大きな楽しみの一つであった。
そしてその『永遠に生き続ける者』として全身に炎をまとった鳥がいて、それがファイヤーと呼ばれているという話を聞いたのだった。
『永遠に生き続ける』かどうかは信じがたいところであるが、今目の前に居るその鳥はまさに話に聞いた通りの姿をしていた。

「来る!」

エアが直感的にそう叫んだ。それは同時にやはりこのファイヤーも狂気に侵されていることを意味していた。
ファイヤーは今まで規則的に旋回を続けていたが、突如ちょうど太陽を隠すように空中停止をし、四人をまっすぐ見据えた。
そしてまた一声大きく彷徨をあげた。その声にエアは思わず耳を手でふさぐ。するとファイヤーは翼を大きく広げ、四人めがけてまっすぐ急降下してきた。

「下がって」

シェイドの言葉に、アリアとエアは思わず引き下がる。そこで初めてエアはシェイドの言葉を分からないふりをしなければならないことを思い出したが、今の事態ではそんなことを今更揚げて入られない。
そしてシェイドは接近してくるファイヤーに向かって、火炎放射を放った。ファイヤーはその炎が自分にぶつかる直前に、大きく羽ばたきまた空高くへ昇ってい く。炎の属性のものに炎と攻撃を浴びせるのは効果的ではないことくらいはシェイドも承知の上だが、自らに気を引きつけることが目的だった。

「いけません。適いませんよ」

ルアがシェイドの目的を察して言い放つ。

「だめよシェイド。今は逃げないと」

アリアも先ほど初めてファイヤーの名を口にしたことから、その鳥についての何らかの知識を持っているらしい。だからシェイドが適わないことも十分わかっていてそう言ったのだった。
アリアはシェイドをとめようと彼に近づいた。
だが間の悪いことに、ここは一本道で片方はとても登れそうにない急坂、もう片方は深い谷と逃げようにも逃げ場所が無い。
ファイヤーはいったん高度を上げるとそこでまた空中停止し、四人を見下ろすような形となった。

「いったい何を……」

エアがそう呟いた直後、彼は一瞬空気が異常な流れを起こし、一部の空気に非常に強い圧縮が起こっていることに気づいた。
目には見えないが空気の渦はファイヤーを中心に起こっている。このあと怪鳥が何をしようとしているのか察しが着いた。

「エアスラッシュだ。伏せて!」

エアは今自分が人間の姿をしていることも忘れて叫ぶ。
次の瞬間ファイヤーが上空で大きく翼を広げると、まるで何かを投げ落とすように翼を羽ばたかせた。
光の屈折現象によって空気の刃がその姿を現す。しかしそのときには遅かった。
空気の刃は猛スピードでアリアとシェイドに牙を剥く。
刃は運が良かったのか、それともファイヤーが意図的にそうしたのかちょうどシェイドとアリアの間に入り込むように当たった。
だが、それによって地面は大きくえぐれ、圧縮されていた空気が一瞬にして広がり、爆発ほどではないが、大きな衝撃波が巻き起こった。

「きゃああ!」

アリアとシェイドは大きく飛ばされ、シェイドはほとんど壁のような坂に背中から叩きつけられた。そしてアリアの方は、谷側の方へと飛ばされたが、奇跡的にあと少しでも飛ばされていたら真っさかさまとなるようなところで、倒れていた。

「痛たた……」

彼女は大儀そうに体を起こし、顔を上げた。ちょうどシェイドも起き上がるところだった。
そして後の二人のほうへと彼女は目を向ける。ルアの表情はよく見えなかったが、エアは青ざめた顔をしてこちらの方に走り寄ってきていた。そして彼の視線はまたもファイヤーの居る上空へと泳がされている。
一体どうしたのかと彼女が上を見上げようとした瞬間、視界から一瞬にしてエア、シェイド、そしてルアの三人が消滅した。エアスラッシュの二発目は、ちょうどアリアが倒れているすぐ前の足場を切り刻み、足場ごとアリアを谷底へと突き落としてしまったのだった。

「アリア!」

シェイドが悲鳴をあげて駆け寄ろうとしたが、また次の瞬間彼は体を思わず凍りつかせてしまう光景を目にした。
もともとアリアを起こそうとして駆け寄っていたエアがそのまま全くスピードを落とさず崖に向かって走り……

飛び降りた。

エアの体は心が躊躇う暇も与えずに、谷底へと己を投げ出した。
だが彼の体は今までの人間の体をしていない。
今までの身長の倍以上の大きさの体を持ち、それを支える巨大な翼。
たくましい手足にそれぞれに生えている鋭く尖った爪。
翼はまっすぐ広げられ、落下速度をさらに加速させている。
もうすぐ目の前にアリアの自由落下する体が迫っている。だがその向こうには冷たい地面も同時に待っていた。
エアはさらにスピードを上げる。
そして自身の体をアリアの下に達するまで落とし、両腕でしっかりとアリアを背中から受け止めた。
直後、彼は翼を渾身の力を絞って羽ばたかせた。落下速度は急激に落ち、地面までほとんど文字通り目と鼻の先ほどの距離で止まった。
さらに彼は羽ばたき、今度は今まで落ちてきた谷を逆に上昇していった。
アリアは一体先ほどまでの数十秒間に自分の身に何が起こっているのか未だに理解できていない様子で、その目はまるで白昼夢でも見ているように宙を泳いでいる。
やがて元の道まで達するとそこでアリアを降ろしてやった。

「一体……何が?」
「お前、エアなのか?」

アリアとシェイドが順番に疑問を投げかける。
もうシェイドの声を聞こえないふりをする必要は無くなった。
しかしエアは今は敢えてそれを無視し、もう一度飛び立って更に上空へと向かった。
やがて自分とファイヤーの高さの位置が同じになる。
怪鳥はエアが人間からカイリューへと突然変身したことに何も驚いていない様子である。というよりも、もはやその驚きの感情さえも消失してしまっているようにも見えたが。
エアはいつでもファイヤーが攻撃してきてもいいように身構えていた。
しばらくの間両者に沈黙が訪れる。
エアとファイヤーはもちろん。下に居る三人さえも物音一つ立てずにいた。
一分ほどがたち、ファイヤーが突如背を向けると登山道をさらに奥へと行った方向へと飛び去った。
そのとき、エアはファイヤーの目の奥に何か言いようのない感情の渦を見たような気がした。
彼は下に居る三人の様子が気になり怪鳥を追いかけることはしなかった。

「ごめんね」

エアは三人に向かってポツリとささやいた。
アリアとシェイドは未だに白昼夢を見ていると信じ込んでいるように、焦点の合わない眼差しを見せていた。
ただルアと、強いて言えばクレフも驚く様子は見せていないが、その眼差しには一体何を言わんとしているのかエアには分からなかった。
人間の姿の時は見上げてたルアの目が今は見下ろす形となっている。改めてエアは自分はラコンなのだと自覚することとなった。


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