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エアは地面に静かに着地し、その巨体を浮かび上がらしめている大きな翼を器用に折りたたんだ。心なしか硫黄の匂いがさきほどよりもきつくなったように感じた。
彼は自分の前にいる三人を眺め回す。ついさきほどまでほとんど自分と同じ、あるいは自分より高い目線だった者が今はそろって自分よりはるか下の方へと下がっている。

「見ての通り。これが僕の本当の姿。どうしてかは自分でも分からないけど、僕は人間に変身することが出来るんだよ」

いずれ聞かれるであろう事を先取りするように彼はそう言った。しかし言い終わってみると、自分のその言い方がなぜか妙に滑稽な表現のように感じられた。

「やはり……まさかとは思っていましたが」

ルアが先陣を切る。

「やっぱり。ルアは分かってたんだね」
「え え、ルゼックで話を聞いたときから違和感を感じてましたね。それに『ラコンの縁が深かった』と言っていたのにシェイドくんから妙に距離を置くのも変だと感 じてましたよ。あの態度は単にラコンを恐れているというよりも……まるで何かに感づかれるのを恐れているといった風でしたからね」

ルアはシェイドを一瞥してからエアの方を見据える。シェイドも一度ルアの方を振り向いてからエアへと再び視線を注ぐ。

「とはいえ、今ここで実際に目にするまでは確信には至りませんでしたがね。そんなことおおよそ考えられないことですし」

もっともなことである。いくらそれらしい行動が目に映るとはいえ、その人間の正体がヒトに姿を変えていたラコンであるなど、誰が信じられようか。
出来れば誰にも知られることなく済ませておきたかった事実。エアはこの場に流れる沈黙がそのうち巨岩のように重くのしかかるような思いにかられ、三人に背を向けようとした。

「待って、どこにいくの?」

アリアが声をあげる。エアは三人に翼を向けたまま、顔だけ振り向いた。その目には言いようのない疎外感とここにいてはいけないという孤独感とが渦巻いているようだった。

「ファイヤーを追いかけるんだよ」
「一人で行くつもり?」
「そうだよ」

エアはそれだけ答えると、いざ羽ばたかんと少しばかりしゃがみこんで翼を大きく広げた。

「……あなた、ひょっとして自分がここにいちゃいけないなんて考えてないでしょうね?」

エアの翼の動きがピタリと止まった。まるで金縛りを受けたように。エアは一瞬アリアが自分に向けて何を言わんとしているのかが全く理解が出来なかった。彼 女の言うとおりであった。自分はラコン。本来ならばヒトとの関わりを持ってはいけない存在。シェイドという存在もあるが彼は例外中の例外だとエアは認識し ていた。さらに自分はシェイドという例外が目の前に居ながら、自分と同じラコンを欺いて正体を隠し続けていた。ただ自分の過去を隠したいという目的だけの ために。
彼は再び後ろに居る三人の方へと振り返ろうとした。しかしその意思に反して体がまるで凍り付いてしまったかのように動かない。

「だって、僕はラコンだよ。それも人間に変身するし、人語までしゃべる。気味が悪いとか思わないのかい?」

彼はそこまで言いきると、飛び立とうとはしなかったが、力が抜けたように大きくため息をついた。しばらくの間沈黙が流れる。
太陽はまだその光を煌々と地上に注いではいたが、正午を既に過ぎその勢いはまだわずかではあるが弱まっていた。
そのときエアはフッと風の流れを感じ、首を少しだけ後ろに向けた。その瞬間ばさりと黒い大きな影が顔に覆いかぶさって、視界が塞がれた。

「わっ!」

影の正体はクレフだった。この隼はエアの視界をその大きな両翼で塞いだと思ったら、今度はまるでおしおきでもするように彼の頭を数回コンコンと突いた。カ イリュー持ち前の丈夫な皮膚の前にあまり痛みは感じなかったが、寧ろクレフがいきなり自分を突いてきたことに対する驚きが大きかった。
そしてクレフはまるで仕事を終えたように、また大きく羽ばたくと主であるルアの肩へと退いた。

「エアくん。少なくとも私は君の正体がラコンだろうと君の事を恐れてなんかいませんよ。まあ、驚きはしましたけどね」
「え?」
「むしろ頼もしい限りです」

ルアはさきほどよりもずっと背も体格も大きくなったエアに歩み寄る。肩の上でクレフがバランスを取っている。

「まあ確かに、今のご時世のなかでの自分の正体がラコンであると言い出しにくかったのは分かります。私は君のようにラコンに変身できないから、本当に君の立場になると分からないかもしれません。しかし……」

そこでルアは一旦言葉をとめた。この続きを言おうか言うまいかを迷っているそぶりが一瞬見受けられた。
冬が間近に迫っていることを告げるような、肌寒い風が吹き抜ける。ほとんど植物のない山の地肌から砂埃が舞った。 
そして彼は再びエアの目に視線を注ぐと、また言葉を続けた。

「それでも君が今まで正体を黙っていたのは、君自身が人間に変身できるという事実に向き合えてなかったからではないですか?」

エアは自分の体の奥底に何かこの世の何物にも比較にならないほどの思い塊が、ドスンという音をたてて落ちてきた気がした。そしてその塊はエアの心に直接揺さぶりをかけるかのように、じわりと体中を液体のように浸透していったのだ。
彼は思わず「違う」と返そうとしたが、自分のこれまでの行動や考えを瞬時の思い返し、何も言えなくなり、目を閉じてうなだれた。
まさしくルアの言ったとおりだった。エアは自分でも分からないが人間に変身することが出来る。そのことが分かったあの時の衝撃と、言いようのない不安はすでに自分の中で拭い去った気でいた。
エアは目の前にバシャーモのシェイドという存在がいながらも、自らの正体を隠し続けていた。その理由は自分の二年前の過去を知られたくないから、彼はそう理由付けていた。
だがそれは単なる口実でしかない。
それにさきほど自分の言ったことを思い出した。自分が人間に変身することに気持ち悪いと思わないのかと。それこそまさしく自分自身が人間に変身することを未だに自分の中で認め切れていないことの表れであるのだとそのとき悟った。

そのとき、パシンと顔に衝撃が走った。思わず目を開くといつのまにアリアが彼のすぐ目の前にいて、右手を下ろしているところだった。彼女は精一杯背伸びをしてエアの顔にビンタを食らわせたのだった。

「これは今まで隠してた罰よ。そしてさっき一人で行こうとした……ね」

アリアは笑っていた。

「これであのときルゼックで感じた違和感の正体が分かったわ」

快活な調子でそういうと、彼女はシェイドの方を振り返った。
シェイドは気恥ずかしそうに、後ろの方で所在無げに佇んでいた。
エアは彼の方に歩みを進めた。シェイドもまたエアのほうへと歩み寄る。

「ごめん。本当は君に一番に打ち明けるべきだったのに」
「いや、俺がもし人間に変身できたら、たぶんエアと同じように悩んだと思う。そんなことより、アリアを助けてくれて、ありがとな」

これにはエア自身が今までのことで忘れていたことだった。

「本当に。ありがとう」

アリアも続けてそう投げかける。

「ということは、この中でラコンと直接話が出来ないのは私だけになりましたね」

ルアが三人の様子を眺めながら笑った。


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