NO.10

 この大きな建物は、ポケモンセンターを兼ねた万能施設のようだった。
ポケモンに対する治療は勿論のこと、対人医療設備から役所、果ては小さな食堂まで、何でも揃っていた。
最近、大規模な改修工事を終えたらしい。そういえば以前来たときは工事中の箇所もいくつかあった。

あれだけボロボロだった体も、一晩寝た後にはすっかり回復した。
前回はもう少し時間がかかったような気がするが、医療技術の発展によるものだろうか。

彼も恐るべき回復能力を見せ、ガラス張りの飲食コーナーでおいしそうにトーストをかじっている。
胸に「波乗り」の文字が印刷された白いTシャツに、煤けたジーパン。脇には小さなリュックが置かれている。出発の準備は出来ているようだ。

朝の日は既に真夏の色を帯びて、ガラスの外からも容赦なく照り付けてきた。
公共施設独特の強い空調もあって、暑いわけではなかったが。

私は、彼の向かいに座っていた。いつの間にか、私は彼のポケモンだということになっているらしい。
私にとっては願ってもないことだった。森へ帰ることすら覚悟していただけに、これは素直に喜ぶことが出来た。

だから、私はどうしても彼にお礼が言いたかった。
しかし、私には声が無い。
トントン、とテーブルを叩くことで、なんとか彼の気を引かなければいけない。

「ん? どした?」

彼はすぐに気付いてくれた。最後の一口を飲み込んで、視線をこちらに向ける。
ひょい、とテーブルに飛び乗り、とりあえず、人間がやっているように頭を下げてみた。
足りない。これだけでは到底足りない。
身振り手振りで、何とかこの気持ちを伝えたかった。
違う。これも違う。何もかもが違う!
気がつけば空回りするだけで、ただテーブルの上で黄色いポケモンが踊っているだけ!

伝わらない。こんなのでは、この気持ちが伝わるはずがない。
悔しい。誰かに何かを伝えようとしたことなど無かったから。
いつも誰かから逃げているだけで、声が出ないことなど不便に思わなかったから。
誰かに伝えたい気持ちが芽生えたことなど、初めてだったから……。

いつの間にか支離滅裂な動きになって、自分でも何が伝えたいのかわからなくなって、悔しくて
嫌な気持ちだった。嫌な気持ちでも、涙は出るのだと知った。

「慌てんなって。ゆっくりやりゃいいさ」

最初は、彼が何を言っているのか理解できなかった。
ただ、暖かい手が、優しい手が、頭の上に乗せられて……

「誰かに何かを伝えるなんて、声が出たって難しいんだからさ」

その言葉の意味が理解されるに従って、嫌な気持ちが全部、嘘のように逆流し始めて、熱くなった。
伝わっているのだ。間違いなく、この気持ちは。
伝えるまでも無いのだ。私達は、既に呼吸のみで通じ合っているのだから。
真夏の陽光に照らされて、それでも尚、自らの輝きを失わない笑顔が語りかけてくる。

『共に歩んでいこう。どこまでも』

ああ、どこまでも行こう。
頑強な壁が私達の前に立ちはだかっても。
深き暗闇が進むべき道を隠しても。
どこまでも共に、歩んでいこう。

どこまでも……。


その瞬間から、私と少年は、声なんか無くても通じ合える、唯一無二の大親友になったのだ。








目を開けると、そこはベッドの中だった。
開いた窓の隙間から、蒼白い月が顔を覗かせている。
布団を跳ね除けて、デリカシーの欠片もないような物凄い寝相で眠る友に、腹だけでも冷やさないようにと布団をかけた。

さて、明日はどんな冒険が待ち構えているのだろう。
親友の腕は、今も変わらず暖かい。


戻る

 

inserted by FC2 system