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彼女の腕の中には、数えきれない位のたくさんのシロツメクサがあった。
道中で咄嗟に草原から摘み取ったものだ。あまりにも急いでいたために花を用意しておくのを忘れていた。
せめて、昨日にでも買っておけば良かったと後悔はした。が、きっと許してくれるだろうとあっという間に開き直った。


それでもさすがに何も無いのは悪いと思ったから、溢れんばかりの白い花々を摘んできた。歩いてきた道沿いに群れているように咲き誇っていたのだ。
軽い足取りだった。光と影の織り成す綺麗な木漏れ日の中を、絶えず笑顔をこぼしながら歩いていく。
風で木が揺れると、木陰も同じように柔らかく揺れる。同時にポニーテールの彼女の髪もさらさらと風になびく。


砂利でできた道だったため、足音が辺りに分かりやすく響く。
その彼女の歩く道沿いに連なるようにあるのは、紛れもなく墓、だった。灰色の大きな個体が静かに並んでいる。それはある意味で不気味だった。

ラーナーが来ているのは、ウォルタ市街の外れにある、比較的小さな墓地だった。


朝早いせいなのかそれともただの偶然か、ラーナーの他に人はいない。
少し時間がずれると、お年寄りが数人訪れ手を合わせている風景が日常的になるのだが、今は彼女一人。
それは毎年のことだから、ラーナーは何も気にしていないけれど。

蝉の声が辺り一帯に響き渡る。夏の真っ盛りの時期に比べればそれほどうるさくはないが、聞くだけで暑苦しくさせるのはどんな時も同じだ。



ようやく、彼女の求めていた場所に来る。
そこは広い墓地の中でも、かなり奥の方だった。

「ふう」
少し安心したようにしゃがみ込む。同時にそっとシロツメクサの束を墓前に置く。他に比べると黒い墓に対するその白さは、眩しすぎるくらいだった。
と、思い出したように慌ててベージュのショルダーバッグの中を右手で探る。
そして右手に握られて出てきたのは、懐中時計。金属製だが所々が錆びていて、とても新しいものとは思えなかった。
かち。上のボタンを押す音と同時に、閉じた貝が開くが如くに蓋が開く。

時計の文字盤。古いものだが働きは現役だった。立派に秒針がかちかちと音をたてながら、時を刻んでいた。
九時三十四分。もうすぐ長い針が七の文字を指そうとしているところだった。


ほっとしたように彼女の口から安堵の息が漏れ、再び笑みがこぼれる。
そして改めて墓を見た。淡い灰色の、石でできたその小さな二つの墓を。



右の方には、リュード・クレアライト。
左の方には、ニノ・クレアライト。




そして両方に。
ここに眠る。
と、彫られてあった。




かち。こち。かち。こち。

かち。




時計の長針が、七の文字を指した。 




そっと、彼女は手を合わせた。
静かに。

風がそよそよとただ吹いていた。暑いけれど柔らかな空気。
時が止まったようにただ静かで。

瞼を閉じて祈るその表情は切なげで、悲しげで。
ラーナーの周りだけ世界が、次元がまるで違うかのように。


その間もひたすらに時は過ぎていく。立ち止まることのない時間の中、ずっとラーナーは止まっていた。
息が詰まりそうなくらいに、ずっと。 



人の名を刻まれた石碑は何も言わない。何も動じない。

なにも。








ザッ…………

そっとラーナーが瞼を開いたそれと同じタイミングで、彼女の背後で砂利を踏む音がした。
ほとんど無意識で彼女は振り返る。と同時に目の前の光景に眉を少し顰める。


「……こんにちは」
ぼそりと呟くように挨拶したのはラーナーではない。相手の方だ。少し苛立ちと戸惑いが混ざり合った低めの声。
彼女の目の前にいたのは、先程ラーナーと角でぶつかりかけた少年と、連れのポニータだった。


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