Page 4 : 9:35 彼女の腕の中には、数えきれない位のたくさんのシロツメクサがあった。 道中で咄嗟に草原から摘み取ったものだ。あまりにも急いでいたために花を用意しておくのを忘れていた。 せめて、昨日にでも買っておけば良かったと後悔はした。が、きっと許してくれるだろうとあっという間に開き直った。 それでもさすがに何も無いのは悪いと思ったから、溢れんばかりの白い花々を摘んできた。歩いてきた道沿いに群れているように咲き誇っていたのだ。 軽い足取りだった。光と影の織り成す綺麗な木漏れ日の中を、絶えず笑顔をこぼしながら歩いていく。 風で木が揺れると、木陰も同じように柔らかく揺れる。同時にポニーテールの彼女の髪もさらさらと風になびく。 砂利でできた道だったため、足音が辺りに分かりやすく響く。 その彼女の歩く道沿いに連なるようにあるのは、紛れもなく墓、だった。灰色の大きな個体が静かに並んでいる。それはある意味で不気味だった。 ラーナーが来ているのは、ウォルタ市街の外れにある、比較的小さな墓地だった。 朝早いせいなのかそれともただの偶然か、ラーナーの他に人はいない。 少し時間がずれると、お年寄りが数人訪れ手を合わせている風景が日常的になるのだが、今は彼女一人。 それは毎年のことだから、ラーナーは何も気にしていないけれど。 蝉の声が辺り一帯に響き渡る。夏の真っ盛りの時期に比べればそれほどうるさくはないが、聞くだけで暑苦しくさせるのはどんな時も同じだ。 ようやく、彼女の求めていた場所に来る。 そこは広い墓地の中でも、かなり奥の方だった。 「ふう」 少し安心したようにしゃがみ込む。同時にそっとシロツメクサの束を墓前に置く。他に比べると黒い墓に対するその白さは、眩しすぎるくらいだった。 と、思い出したように慌ててベージュのショルダーバッグの中を右手で探る。 そして右手に握られて出てきたのは、懐中時計。金属製だが所々が錆びていて、とても新しいものとは思えなかった。 かち。上のボタンを押す音と同時に、閉じた貝が開くが如くに蓋が開く。 時計の文字盤。古いものだが働きは現役だった。立派に秒針がかちかちと音をたてながら、時を刻んでいた。 九時三十四分。もうすぐ長い針が七の文字を指そうとしているところだった。 ほっとしたように彼女の口から安堵の息が漏れ、再び笑みがこぼれる。 そして改めて墓を見た。淡い灰色の、石でできたその小さな二つの墓を。 右の方には、リュード・クレアライト。 左の方には、ニノ・クレアライト。 そして両方に。 ここに眠る。 と、彫られてあった。 かち。こち。かち。こち。 かち。 時計の長針が、七の文字を指した。 そっと、彼女は手を合わせた。 静かに。 風がそよそよとただ吹いていた。暑いけれど柔らかな空気。 時が止まったようにただ静かで。 瞼を閉じて祈るその表情は切なげで、悲しげで。 ラーナーの周りだけ世界が、次元がまるで違うかのように。 その間もひたすらに時は過ぎていく。立ち止まることのない時間の中、ずっとラーナーは止まっていた。 息が詰まりそうなくらいに、ずっと。 人の名を刻まれた石碑は何も言わない。何も動じない。 なにも。 ザッ………… そっとラーナーが瞼を開いたそれと同じタイミングで、彼女の背後で砂利を踏む音がした。 ほとんど無意識で彼女は振り返る。と同時に目の前の光景に眉を少し顰める。 「……こんにちは」 ぼそりと呟くように挨拶したのはラーナーではない。相手の方だ。少し苛立ちと戸惑いが混ざり合った低めの声。 彼女の目の前にいたのは、先程ラーナーと角でぶつかりかけた少年と、連れのポニータだった。 |