Page 6 : 不安



「どういう……意味?」
「そういう意味だ」
「訳分かんない!」

もはやラーナーの言葉に敬語というものは失せていた。

「殺されたくないならなるべく静かに暮らせ。…勇気があるならウォルタを出た方がいい。それだけだ」

口調はかなり早口で、少し焦っているようにも感じ取れた。
少年はいくぞ、とポニータに呟くように声をかけて、ラーナーに背を向けた。
頭をうなづかせ、、ポニータも後ろを向く。ただラーナーを気にしているのか、ちらちらと彼女を見ながらだ。
その様子を見たラーナーにはあっさりと逃げていくように見えた。一気に湧いてくるのは怒り。止められるものではなかった。


「ちょっと待ってよ! 言うだけ言って帰るわけ?! 殺されるって……何の根拠もなしに……ふざけないで!!」


少年の背中につばを吐くようにラーナーは叫んだ。
一瞬その言動に足を止めた少年だったが、少し顔を振り向かせただけですぐにまた砂利道を歩きだす。
耳障りな蝉の声と石を踏む音。


「ちょっと……」


思わずラーナーは足を動かしていた。考えるよりも先に体が反応していた。小走りで少年に近付く。
予想していなかったのかポニータは驚いたように目を見開いて、立ち止まる。

ラーナーは手を伸ばす。右手。ブラスレットが激しく揺れる。きらきらと光ってる。
その手は少年の右腕を掴もうとしていた。
白く細い指が彼の上着を、腕を絡み取ろうとした。あと数ミリ。
途端。光る彼の瞳。



「――さわるなっ!!」



反射とも取れそうなほど、瞬時に少年は右腕を振り上げる。はじかれたラーナーの手。パン、という鋭い音。
ラーナーの右手に痛みが走り、思わずその手を抑え込む。表情は痛みに歪んでいた。言葉はない。
同時に少年の目も見開かれていた。肩が上下にゆっくりと動き、唇を強く噛む。帽子と髪に隠された額に滲む冷や汗。


「…………すまない」

早口で小さな声で彼は謝り、そそくさと逃げるように足早にその場を離れた。
ラーナーを心配そうに覗き込んでいたポニータはそれに気づいて、慌てて追う。





その場に残ったのはラーナー一人だけ。
急に操り人形の糸が切れたように、ラーナーは地面に座り込んだ。
もう痛みは右手に無い。顔はただ呆然としていた。

小さくなっていく少年の背中。もう追おうとは思っていないようだった。
風が吹く。冷たい風だった。暑い毎日の中で珍しく心地よさを感じさせるほどの。

が、ラーナーにとってそれは悪寒を増幅させるものの他ならなかった。まだ体が小刻みに震えている。それを抑えるように、彼女は左手で右腕をきつく抑える。
まだ鮮明に思い出せる。少年の瞳。冷たくて鋭くてそして――真剣だった。恐怖さえ覚えるほど。
繰り返される彼の言葉。殺されるよ。頭の中で重く響きわたる。



「なんなの……」


ようやく出てきた独り言は霞んでいて、誰に届けられることもなく空気に消えた。











ブルン、とポニータが頭を振る。

木陰。少年は淡いブルーのベンチに座って何かを頭の中で考えていた。さっきラーナーに掴まれかけた右腕を押さえながら。
表情は浮かない。心配そうにポニータは、少年の顔の前に頭を少し突き出す。
それを見てハッと弾かれるように顔をあげた少年はハハ、と力無く笑い立ち上がった。

場所は錆びれたバス停のベンチ。青々と風に大きく揺れる林を背にしている。
別にバスを待っているわけではない。ただ座れる場所を探していただけだった。少年は目の前の広い田舎を見つつ、口を開いた。
瞳はあの時ラーナーに忠告をした時のような、真剣な色を帯びている。


「あの感じを見てると、まだ気付いてないみたいだな」


ポニータに話しかけ、その言葉にポニータは一度だけ深く頷いた。
軽く舌打ちをする少年。


「奴らもそろそろ気付くだろ。……容赦ないからな」

右手に力がこもる。ポニータの目付きが瞬時に険しいものになる。


「…俺らも長くはここに居られない。けど、ほっとくわけにはいかない。……恩を仇で返せないしな」
ちらとポニータを見る。真剣な眼。ポニータはこくりと頷き、一歩踏み出す。


少年は思いっきり腕を上に伸ばし背伸びをする。自然と喉から漏れる声。そして腕を勢いよく下ろす。
改めて夏の青空を見る。真っ白い雲がどこまでも続く、吸い込まれてしまいそうな青の中、フワフワと心地良さげに浮かんでいる。
眩しそうに眼を細める少年。


「……とりま、まだ当分寝れそうにないな」


笑って言う少年に、ポニータは少々残念そうにうなだれる。それを見た少年はポンと背中を叩いてやる。
とりあえず宿だけはとっとこう。そう少年は重い、白い石の道をポニータと並んで歩き始めた。









そこは真昼にも関わらず、暗闇に包まれていた。異臭が部屋に漂い、普通の人間ならまずそれに耐えられずに逃げ出してしまいそうだ。
闇の中で何かが蠢いていた。人間だった。光のないその場所では、恐らく人間であるだろうという憶測しかできなかった。
時を正確に規則通りに刻む時計の音だけが、恐ろしく冷えた部屋に響く。しれが夜の足音のようだった。
かちゃ、という音がした。金属が何かに当たった音だ。

数秒たってからクッという笑い声。声というよりはただの音に近く、喉から思わず跳び出した…そんなものだった。



「随分と丁寧に磨いているな」

闇の中で突如皮肉を吐いたのは、男の声。若さが伺えるが、少し低めの声だ。
その声に反応し楽しげに、今度は少しはっきりと笑う声が部屋の中を泳ぐ。

「ずっと待ってましたからねえ、この時を」

もう一人の男。先程の男に比べると若干年齢が高いか。笑う彼の手元でさっきから金属が掠れ合う音がしている。



「長かった」

笑う男の声。後に彼のふうという溜息。少し震えている。


「実に長かった」

声は高揚している。息遣いまでが手に取るように分かりそうだ。



木の床を踏む音。続いて何か古い戸を開けた音がした。ぎぃという軋む音。
「これは……」
若い男の驚いた声。どうやら戸を開けたのはそちらの男のよう。



「言ったでしょう、待ってたって。…準備はとうの昔に出来ています。シナリオは完璧ですよ」
「そうだな。これなら少しは安心してもいいか」
「心配して来てくれたんですか」
「ただの様子見だ」
「そうですか」

何の抑揚もない平らな会話。


敬語の男は相変わらず笑っている。やはり楽しんでいるようだ。暗闇の中で狂ったように笑うのは不気味であるほかない。
戸をそっと音が部屋に響く。その後、男は敬語の男に歩み寄り、紙袋と思われる物を乱暴に置く。恐らくは机の上に。


「手土産だ」
「…これはこれは。有り難く頂戴します」


途端金属を擦る音が止み、椅子から立ち上がる音。紙袋を探り、中の物を確認しているようだ。真っ暗にもかかわらず、だ。
次々と机に物がそっと置かれていく。古い机なのか、ギシギシと呻いているような音を出している。
重いものではなく軽いもののよう。置かれる音は決して大きいものではなかった。



音が止む。全部で8つ。フゥという溜息にも似た空気を吐く男。

「…気合が入っていますねぇ」

男は出し終えてからの感想を少し呆れたように言う。


「当然だ。重要性はAランク…Sに限りなく近い、な」
「Aランク…そりゃあ報酬も期待できそうだ。こんなに簡単そうな任務なのに」


また跳び出してきたクックッという笑い声。が、さっきよりも高らかだ。きっとその表情にも満面の笑みが浮かんでいるのだろう。
ギシ、という床の沈む音。物の一つ一つが古いようだが、この建物自体もかなり危ないようだ。
その中を若い男は歩いているようだ。



「…………油断はするな。我等に失敗は許されない」

「ハイハイ。分かってますよ。……万が一に誰かに邪魔された場合は?」

「分かっているだろう?」



冷たい声だった。氷のような、冷え切った声。闇の中で言っているものだから、恐怖さえも覚える。
時計の音。床を踏む音。と、足音がとまる。
一瞬の静寂が辺りを凍らせる。時計の針が動いたその後の一瞬。緊張の糸がピンと一直線に張られたような息の詰まる空気。



「殺せ」



何の感情もこもっていない。ただ平坦な言葉。
再び始まる金属を擦る音。耳障りなものの他ない。
足音が再び部屋の中に響く。ドアノブが周り、ギィという乾いた音で戸が開く。その奥にもまた光は…無い。
異臭が別の部屋へとゆったり流れていく。


完全に外の太陽のある世界とは遮断されたような場所だと再確認させられる。




「りょ―――かい」

声は笑っている。


少し遅れてドアの閉まる音がした。


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