Page 14 : 行先

 約二時間前、ウォルタを二人は出た。
 朝日は高くまで上がっていた。照りつける日差しが痛いようにも感じる。
 道は市街を出て最初の方こそ整備されていたが、今はもう自然の乾いた地面の道。歩くと砂を蹴る音がする。
 この道に入ってから、ラーナーは何度水の町を振り返ったのだろうか。もう数えるのも億劫になるほどだ。その度に悲しげな瞳をするのを、クロは見ていられずにいつも目を逸らしていた。
 だいぶんウォルタからは離れた。街の中心にそびえる高い時計台だけが、今は見える。
 きっと今頃街の中は人と車で溢れているだろう。町を流れるほとんどの川は子供たちで溢れているはずだ。笑い声を携えて。
 クロとラーナーが現在歩いている辺りには、真っ直ぐに伸びる道の外側には草原が広がっていて、木々がぽつぽつと点在している。
 それぞれが生温い風を受けて、海の引いては寄せる波の動きのようにうねっている。
 またラーナーは振り返った。その瞬間に、クロは大きな溜息を思わずついてしまった。

「なによ、そんな溜息ついて」
 歩くのを止めて少し怒ったような声でラーナーは言い、クロを睨む。
「あんたさ、……いい加減そうするのもやめたらどうなんだよ」
 クロは帽子を右手で少し深くかぶりなおしながら、うざったそうに言う。
 その途端にクロの後ろにいたポニータが彼の背中を鼻で押し、うわっ、と声を出してクロは前につんのめる。
 ポニータは怒っているのか鼻息を荒くして、じっとクロの方を見ている。
 クロは顔をしかめて、ポニータと睨み合う。
「お前、あいつの肩持つのかよ……」
「故郷を離れるんだよ。これくらい分かってよ」
「故郷ねえ……」
 また溜息をついて、クロは両手を頭の後ろで組んで空を見上げつつ歩き始めた。
 もう、とラーナーは頬を膨らまして、小走りでクロの元に駆け寄る。
「なんかこう、クロはデリカシーないよね」
「別にどうでもいいだろ」
 唾を吐き捨てるように彼は言う。
 ラーナーはこれからの旅が激しく心配になってくるのを感じた。思っていたよりうまくいきそうにない。
 ポニータがいるとはいえ、ポニータは人間の言葉を喋れない。話し相手がクロしかいないのは分かっていた。
 不安が襲いかかる。けれど一人で旅をするのはそれと比べようがないくらい怖い。
 今は少しでもコミュニケーションをとって、仲良くなることが必要だとラーナーは結論した。

「あと、あんたっていうのもやめようよ。ラーナーでいいって。あ、ラナでもいいよ。友達にはよくそう呼ばれるの」
「よく喋るな……」
「なに?」
「いや、何も」

 それから数分間、しばらく二人は何も喋らなかった。ラーナーは最早何を話せばいいのか分からなくなってしまった。それはクロも同じ。空気を自分が重くしたという自覚は彼の中にあった。
 太陽が熱い。気温がみるみる上昇していくのが体中で感じる。こうも暑いといつか倒れてしまいそうだ。まだ暑くなるなんて信じられない。
 照りつける光、風の無い道。ラーナーは後ろ髪を両手で束ねて、少しでも首に空気に触れさせる。
 暑いのに加えて二時間以上の歩行は、ラーナーの足取りをだんだんと重くしていく。確実に遅くなっているのが自分でも分かった。
 先ほどまで隣同士にいた二人だったが、ラーナーが徐々に後退していく。
 ポニータはクロの頭を軽く突く。クロは相変わらず苛立ったような顔で振り向く。
 視線をポニータに移す経過で、クロはようやくラーナーの顔色と足取りの悪さに気づく。彼は少しだけ目を見開いた。
 頭を突いたのはクロにラーナーの疲れを気付かせるため。彼女の隣にいたクロより先に後ろにいたポニータは気付いていた。
 唇を固く結ぶクロ。両手を腰に当ててさり気無く周りを見渡す。
 あからさまに頭を動かさずに眼で周りの景色を追い、少し大きめの木が彼らのいる十数メートル先の左側にあるのを見つけた。
「あそこで休もう」
 ラーナーは若干俯いていた顔をぱっと上げる。
 クロが右手で指さす方向を見て、少し安心したように笑みを浮かべて頷いた。
 自然と彼女の足取りは軽くなり、彼の隣に戻った。ほっとしたのはクロも同じだ。
 後ろから風が押し始めてくれる。ぬるい風だがどこか心地よく感じさせられる。目標が目に見えるというだけで心が躍る。左にいたラーナーはいち早く乾燥した地面の道から草原へと足を踏み入れた。
 今までかたい地面ばかり歩いていたおかげで、草の絨毯は異様に柔らかく感じられた。
 花がちらほらと咲いている草原。夏の日差しは更に生き生きとした眩しい青さを演出させている。
 道からそんなに離れていない場所にその木はあった。ラーナーはその木陰に入る。瞬間に体中が急に涼しさに襲われる。特別涼しいというわけでもないが、これまで直射日光に当たっていたことを考えると、十分な涼しさだった。
 遅れてクロも木の下に入る。やはりクロも疲れが無かったわけではない。涼しさのあまり溜息をついた。
 その後ポニータも中に入った。

「涼しー」
 ラーナーは鞄を下ろして伸びをしつつ言った。体を絞って出したような声だった。
 クロも鞄を置き、木の幹に背中を当てて座った。この木だけ周りに比べると少し大きい。おかげで木陰も広い。
 涼しくなると頭も冷えてくる。クロは帽子をゴーグルがついたままで取った。途端に何ともいえない心地よさが頭を撫でる。
 帽子を取ったクロを見るのが初めてのラーナーは目を見開いた。そして自分も座り、まじまじと彼の髪の毛を見る。
「すごい、本当に深緑なんだね」
「そんなじろじろ見なくても」
 少し不快気にクロは言って目を下に向ける。ごめんごめんとラーナーは笑った。
「でもこんな髪の毛の人、初めて見た。染めてるって感じじゃないよね。なんか、外国の人みたい」
 ラーナーは言いながら微笑んで、服の襟元を手で掴んであおぐ。服の中に涼しい空気が入っていく。
 クロは少し顔を硬直させる。ポニータはクロの隣に四足をゆっくりと畳んで座り込んだ。
 それにしても休憩を始めただけでこのテンションが戻ってくるとは。クロはそう思うばかりだった。
 風が木を揺らす。木の葉と木の葉の間から生まれる日の光が踊っている。クロとラーナーの髪も風に揺れる。
 ラーナーの足の痛みが急速に冷えるように引いていく。
 二人とも額から汗が流れ落ちている。それを手や腕で拭う。
 大分落ち着いてきたのは事実。ラーナーの顔色が戻ってきたのは、木陰で暗くなっていても分かる。クロは安堵した。

「ね、これからどこにいくの」
 ラーナーはずっと気になってはいたがなかなか口に出せなかった質問をした。
 ああと思い出したかのような声を出すクロ。そして自分の脇に置いていた鞄のファスナーを開けて中を探る。
 すぐに折りたたまれた紙が出てくる。それを広げて草原に置いた。それは、他でもなくこの国――アーレイスの地図だった。
 右側と下側、つまり東側と南側は海に面し、北と西はまた別の国と面している。
「今がここ」
 クロはウォルタの南に少し外れたところを指さす。ウォルタは東の海に沿った町。
 もう少し南に位置していたら、南の海にも面する位置にある。ようするに角のところに近い。
「ここからこう行って、――バハロに向かう」
 指が左――西へゆっくりと動く。それはこれから歩いて行く軌跡。再び止まる。そこには一つの町がある。
 小さな町だった。というのも、書かれている文字の大きさでわかる。ウォルタは比較的都会であるために大きめの文字だが、バハロはとても小さい。
 ふぅん、とラーナーは喉の奥で声をだす。
「バハロならここからまあ割と近いし……小さいから奴らの手も薄い」
「……うんっ」

 クロはラーナーの言葉の弾みの良さに、自分ではよく気付かずに安心していた。


 *


「緊急任務、ですか!?」
 彼は驚きを隠せず、思わず大きな声を張り上げてしまう。その後すぐに、自分の口をそっと塞ぎ辺りを見る。

『すみません。一番近くにいる信頼できる人があなただけなんです』
「でもさっき僕……」
『バジルさんから話は聞いてます。でも、あそこには派遣人数も少ないですし、手薄なんです』
 話しているのは金髪の少年だった。ポケギアと世間で呼ばれる機械ごしに電話をしている。
 ポケギアと言っても名ばかりで、見た目は変わっていなくとも中身はかなり改造されてはいるようだが。
 相手も男。しかも声質からして、彼と同じくらいか。幼さの残る、けれど何か芯を持ったような声。
 彼はウォルタ市内の人のいない暗い場所で壁に背を寄せていた。壁の高い建物ばかりで、日があまり入ってこない。
 おかげで暑さはあまり感じない。けれど彼の中で何かたぎるものがあり、それでだんだんと暑くなる。
 少年は周りを見渡し改めて人がいないことを確認すると、深い溜息をついた。
『そんなあからさまに溜息つかないでください』
「すいません……」
『ココ・ロンドを見かけた、という情報が入りました』
 その瞬間、金髪の少年の表情が引き締まる。
 冷汗が額に滲むのを感じた。頭に巻いている包帯が熱を帯びている気がした。
『偽情報かもしれないですが。本当なら普通の人間がどうこうできるはずがありません。……行ってくれますか』
 金髪の彼は唇を噛む。本当の心の底は、あまり気が進まなかった。折角バジルから任をもらったというのに。
 ふぅと息をはく少年。ポケギアを持っていない左手を腰に当ててしばらく無言で考えた。
 けれども分かっている。自分の立場は低いがために、断りきることなどできないということは。
 固く結んでいた唇をそっと開く。

「――どこですか」

 電話越しに、緊張の糸が張られる。金髪の少年の声は低く、真剣なものだった。
 獣に似た瞳が光る。彼の気持ちが緊張に走るほど、少年の目はより獣に近くなり恐怖を感じさせられる。
 しばらく電話の向こうの男の声はしなかった。代わりに紙をめくるような音がした。恐らく資料を見ているのだろう。
 何秒かしてから紙をめくる音が消える。


『バハロです』


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