Page 19 女の子

「クロ、いつ帰ってくるんだろー」
 バハロの中で何が起こったかをつゆも知らず、ラーナーはバハロの町を見つめる。
 ラーナーは大きな木陰に入り、木の根元に腰を下ろしていた。涼しい風がラーナーに当たり、心地よい気分にさせる。
 先程一台白い車が出ていったっきり、何も町から出てくる人も車もない。しかもその車は、ウォルタじゃ見た事のないものだった。
 どことなく危なっかしい動きで出ていき、そのうちガス欠かパンクでもしそうな気がしてならない雰囲気だった。
 のどかで、耳に入ってくるのは鳥の鳴き声や風の音だけ。ウォルタの隣だから多分近くに川でもありそうな気がするが、水の音は耳に入ってこない。
 ポニータはラーナーから時々目を離し遠くの方を見つめている。それはバハロ市内であったり、青い空の向こうであったりする。
「暇だなー。もう入っちゃっていいかなー」
 ラーナーは不満げに言うが、ポニータはその途端にラーナーを軽く睨む。そしてはいはい、とラーナーは諦めたように呟いた。
 しかし本当に暇であった。何もすることがないのだ。時間はただ進むばかりで、勿体なく感じられる。
 どれだけ経ったのか時計が無いラーナーには分からない。まだ少ししか経ってないのだが、彼女の心の中ではもう数十分が過ぎている。

「クロのばかー自分だけー! そのまま忘れたら承知しないんだからー!」
 少し叫び気味にラーナーは言う。慌ててポニータは彼女を落ち着けさせようと傍に寄る。
 唇を尖らせたままラーナーは背中の木にゆっくり体重を乗せ、一つ深い溜息をついた。溜息と共に気分も下の方へ落ちていく。
 何となくに自分の横髪を軽く掴み、毛先を観察する。自分で切ったおかげで雑になっている。枝毛こそ勿論無いが、こんな生活を続けていたら枝毛ができるのは時間の問題だ。
 滑らかに髪の毛が指から落ちる。
「分かってるよ。クロが何で一人で行ったかくらい……」
 目を俯かせて言うラーナー。青い木の葉がさわさわと揺れる。
 ラーナーは傍に置いていた青いバッグの外ポケットに手を入れ、中を探ると数秒後に手を出す。その手にはブレスレットが軽く握られていた。
 今はいない、彼女の母親ニノの形見の品だ。ラーナーはブレスレットを軽く上に持ち上げて、下から見上げてみる。太陽の光を反射してきらきらと白い石達が光る。
「それ、隠しといたほうがいい」
 クロから今日の道中で忠告され、渋々とバッグの中に入れた。どうも黒の団はこれも狙っているらしい。
 溜息をつくラーナー。ブレスレットを自分の胸の前に持ってくると、じっと見つめる。よく見ると石はけっこう傷がついていて、少し古いものであることが伺える。
 何も知らないんだ。彼女は心の中で呟く。ニノを、自分の母親のことを自分は何も知らない。どうして母の大切にしていたものが狙われているのだろう。母と黒の団が関係とは一体何なのだろう。頭の中でもやもやと思い描くラーナー。途中でそれを振り払うように頭を二、三回振る。
 少し俯き加減だった顔を上げて、無造作にブレスレットをまたバッグの中に入れる。クロが来る気配は一向に無い。そもそも人が出てこない。車一台しか今のところ出入りがない。ある程度都会であるウォルタじゃあ考えられない。ウォルタをほとんど出た事がないラーナーにとって、ある意味で驚くべき過疎化具合だった。
 それほどウォルタから離れていないはずなのに。

 ポニータが顔を上げて後ろを見る。その時、ラーナーの後方から草を踏む音がした。
 驚いてラーナーは振り向く。木々の生える中で歩いてくる人がいる。思わず木から背中を離しポニータに無意識に寄り添うラーナー。
 風が止み、木の葉は音を鳴らすのを休憩する。
「!」
 ラーナーは目を見開く。前方から訪れてくるのは、ラーナーとさほど年齢が変わらなさそうな女の子だ。茶色の髪を高い位置でポニーテールにしている。
 近づいてくるほどにだんだんと明確になっていくその姿は、女の子にしては背が高い。そして足が長い。思わずラーナーは息を呑む。
 程よい筋肉が引き締まっていて、綺麗な体型をしていた。半袖にホットパンツという多少露出が目立つ姿をしているせいなのかもしれない。
 女の子はラーナーが自分のことを穴をあけるのではないかというくらいに見つめているのに気付き、笑った。 

「珍しい! ポケモン持った女の子だ!」
 明るいトーンで話しかけてくる女の子。思わず身を震わせるラーナーを見て、声をあげて笑いながら一歩一歩ラーナーに早歩きで近付く。
 ポニータは大きい黒い瞳を更に見開いていた。
 女の子は軽やかな足取りでラーナーの隣へとやってきて、見下ろす。綺麗な顔をしていて、ラーナーは心臓の鼓動が早まるのを感じた。
 可愛いというよりはかっこいい雰囲気をかもし出している。
「バハロに用があるの? ぶっちゃけ何もないよ。お婆ちゃんにでも会うの?」
「え、あ、まあそんな感じです」
 へぇと女の子は呟く。黒と白の太いボーダーの服の上に、薄い黒の半袖の上着を着ている。両手首にはオレンジのリストバンド。
 思わずまじまじと見つめてしまう自分がいることに、ラーナーは一人で頬を赤くしていた。
「そんなにじろじろ見られてもなあ」
 女の子はくくっと喉の奥を鳴らすような音を出す。ラーナーの頬がまた一段と紅潮する。
 とても社交性のある女の子に、ラーナーは戸惑いを隠せない。女の子はポニータを見ると、にっこりと笑った。
「このポニータ、すごくよく育てられてるね。毛並みが綺麗だ」
 感嘆する女の子に対し、ポニータの息は少し荒くなっている。女の子は少し目を細めた。
「あたしの友達にもさ、いたんだ。ポニータ持ってるやつ」
「そうなんですか」
「そうそう。超曲がってる奴だったけどね。もうずっと会ってないし。いやあ、なんか触ってやりたいけど、火傷するからやめとこ」
 ラーナーは思わず苦笑する。ポニータの炎はポニータが認めた者にだけ触る事ができるのだ。
 女の子は少し視線を逸らしてバハロを一目見やる。その瞬間に茶色の瞳が冷たくなった様な気がして、ラーナーは少し驚く。
 睨むような目つきだった。が、すぐにそれはなくなって、ふぅと息を吐く。
「なんだろうな。あなた不思議な感じがするなあ」
「え?」
 ラーナーは呟くように聞き返す。女の子は優しく微笑む。視線は再びラーナーに向いていた。
「気にしないで」
 首を傾げるラーナー。女の子は軽く笑う。
「可愛いねー」
「え、いやっそんなことないです!」
 慌ててラーナーは首を振る。これでもかというほどに振った為にくらくらとした感覚が彼女を襲う。
「あなたみたいに可愛い子は、狙われないように気を付けなよ」
 その言葉の意味をラーナーが理解する前に、女の子はさて、と呟いて後ろを振り返る。目線の先にあるのは、先程ラーナー達が通ってきた平坦な道だ。
 女の子がラーナーに背中を見せた時に、ラーナーは女の子が肩に鞄をかけているのに気付く。紫色の鞄だ。中身が多いのか膨らんでいる。もしかしたらこの人も旅をしているんだろうか、という考えをしつつもすぐに払う。
 ポニータが声を出す。軽く呼びとめるような小さな声だった。女の子はポニータを見やると、軽く微笑んで見せた。
 ラーナーは立ち上がり、ポニータの背中を撫でてやる。そういえば、ラーナーは女の子はこのポニータは自分のものではないと言っていない。
「まああなたには関係無いだろうけどね。ちょっと変な奴がこんな田舎にもいるみたいだからさ」
 女の子は表情を崩す。複雑な表情をしていた。口元は笑っているけれど、顔全体を見れば本心から笑っているようにはとても見えない。
 そのすぐ後に女の子は右手を軽く振って、じゃあね、とラーナーに明るい声で言う。
「あ、さよならっ」
「固い固い」
 女の子は苦笑する。ラーナーは少し頬の熱さが抜けていくのを感じた。女の子が日光の強く当たる木陰の外へと出ていく。ポニーテールが光を受けて上下左右へ自由に揺れる。
 ポニータがまた鳴く。ラーナーは落ち着かせるように慌てて首をさすってやる。炎の色がどこかいつもより赤い。
 段々と遠くなっていく背中。一瞬のことのようであった。実際たった数分間の出来事だった。とても初対面とは思えない口調で話しかけてきた女の子は、一体なんだったのか。ラーナーには分からない。
 静けさがゆっくりと戻ってくる。風はまだほとんど無いが、木々はまた揺れ始めている。木漏れ日が躍っている。
 女の子が見えなくなるまでラーナーはずっと見届けていた。やはりあの道を行くようで途中で曲がる。
 不思議な人だ。
 ラーナーは心の中で呟いた。それに尽きる。
 と同時に足の長い人だ、と思うのである。







 女の子はちらりと横目で小さくなっていくラーナーを見やる。そして同時に目に入るポニータ。
 日光が強く彼女を照らし、影が色濃く足の下で動く。目を細めて、少し考えるように眉をひそめた。
「似てたなあ……」
 ぼそりと呟いた声は彼女の口元で消える。女の子の頭の中で残像が掠める。
 少し重みのある鞄の紐が肩から落ちかけて、慣れた風に持ち直す。重い音が鞄の中で揺れた。しかし彼女の様子を見ていると重いようには見えない。
「気のせいだよね。うん、気のせい気のせい」
 一人でただ喋り無理矢理に自己完結させると、少し遅くなっていた歩きを速める。足の長さ故に元々歩幅は大きいが、それにスピードも加わる。
 早くバハロから遠く離れたいとでも言いたいかのように、早歩きで道を歩く。地面は夏の太陽によって干からびている。
 顔を上げると日光が視界を刺した。痛みに似た感覚が瞳に走る。

 本当に束の間のひと時であった。


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