Page 21 : 頑な
 クロは右手をそっと腰にかざす。その指先には火閃の入っている袋がある。
 金髪の少年は足元を蹴り軽く跳ぶと、川の真ん中の少し大きな石に足を乗せる。軽やかな動きであった。表情もつい先程までの硬いものではない。柔らかな笑顔が見られ、ラーナーは息を呑んだ。震えは既に止まっている。
 その中で尚も警戒を弱めないクロ。足を少し動かしてラーナーに身を寄せる。一瞬ポニータに目をやり、ポニータはそれに頷く。
「白さん、僕です! 覚えてますか?」
 明るい声が響く。クロは火閃を手に持つ。鈍い重みが彼の手にかかった。
「こんなところで会えるなんて……ウォルタでのあれもやっぱり」
 金髪の少年は足を動かす。石の上を跳ね、あっという間にクロ達の目の前へとやってくる。
「閃火!」
 クロは金髪の少年が跳んだや否やその言葉を発し、持っていた閃火を突き出した。刃が筒から素早く出てきて、炎がそこから噴き出る。ラーナーはその武器の突然の出現に驚き、顔をひきつらせた。
 刃先が少年の方へと向かい、少したじろぐ金髪の少年。炎が風に揺れて、赤々としている。クロは少年を睨み続けている。
 金髪の少年はさすがに表情を引き締めた。自分に向けられている刃とクロとを見比べるように視線を動かす。
「勘違いするな」
 クロは低い声で言い放つ。
「俺は……笹波白じゃない」
 温い風が通り抜ける。金髪の少年の瞳が丸くなる。
 川の音だけが辺りに流れ込んでくる。いや、遠くに耳を傾ければ蝉の声もある。走ってきた林の中からだ。
 緊張の時間が彼等の間に訪れているその中で、金髪の少年は軽く息を吐きそっと唇を開いた。
「嘘をつくのはやめてください」
 クロは眉をひそめる。金色の瞳が少し憐れみを込めてまっすぐにクロを見ている。思わずクロは目を逸らしてしまいそうになった。
「その武器は……火閃は、白さんしか扱えないもののはずですよ」
「そう勝手にお前が思ってるだけだろ」
「嘘だ!」
 金髪の少年は一蹴するように大きな声をあげた。それにたじろぐラーナーだったが、クロは微動だにしない。 
 歯を噛みしめてじっとクロを観察する金髪の少年。クロは嫌悪感を表情に出し、ポニータに一瞥する。それに気付いたポニータは軽く頷いた。
 ポニータの足が少しだけ動く。ポニータはラーナーの肩を鼻で叩き、それにラーナーは気付いて急いで振り返る。
 大きな黒い眼がラーナーを見て、次に自分の背中の方に必死に眼球を動かす。その姿にラーナーはよく分からず首を傾げた。
 クロはその様子を見て口をきつく締める。そして息を少し深く吐くと、強い眼光を金髪の少年に向けた。その視線の強さに金髪の少年は思わず身体を震わせた。
 瞬間、クロの身体が動く。火閃を軽く後ろにそらせて金髪の少年の懐に体勢を低く飛びこんだ。火閃が振られる。が、金髪の少年はすぐにその場を後ろに跳び川の向こうに移動する。刃から出た炎が大きく円を描いた。金髪の少年はある程度の川からも距離を取って、手を地面につけしゃがみ込んだ。間髪入れずにクロは勢いよく後ろを振り向いた。
「ポニータに乗って逃げろ!」
 クロは声を張り上げた。ラーナーは一瞬の事に硬直していたが、その言葉にはっとする。
 ラーナーはポニータを振り向くとポニータは深く頷き、素早く足を畳んだ。少し迷っているのかラーナーはクロを見やった。クロはその視線に気付き大きく頷き再び金髪の少年と対峙する。
 両手を強く握るラーナー。早く乗るよう促すようにポニータは一声鳴く。仕方がなかった。遂にラーナーはその片足をポニータの身体の向こうに投げると、腰を柔らかな背中に乗せ紐を持つ。すぐにポニータは立ち上がる。
 今まで来た道に向かって走った。その様子を金髪の少年は見ていたがまるで追いかける様子は無い。クロは目を細め、その場を跳んで更に相手へと近づいた。

 どんどん遠くなっていく地面を走る音。数メートル先にいる金髪の少年を見るクロは火閃を振った。それに警戒する金髪の少年。
 地面に刃で円を描く。それに気付いた金髪の少年は目を見開き、少し足をあげる。
「炎渦鳳来!」
 叫んだ途端に金髪の少年の周りに炎がちらつく。しかしその直前に金髪の少年はその場を離れる。空中に炎の柱が上がった。
 クロは舌を打ったが攻撃の手は緩めない。炎の柱が金髪の少年の逃げる先々にいくつも上がる。その攻撃に段々と足のスピードをあげていく金髪の少年。
 炎は金髪の少年に掠りもしない。何も無い場所から噴火が起こったようなその攻撃は、十発程度やったところで一度止まった。
 少しスピードを緩めた金髪の少年だが、振り返った瞬間にクロがすぐ傍まで間合いを詰めた。火閃を振る。素早く金髪の少年は腰にあった大きいナイフを出した。刃がぶつかった。鋭い金属音。炎が二人の間で燃え盛る。
 お互い譲ることなく刃を交わらせて、しばらく硬直していたが金髪の少年は途中で後方に跳ぶ。
 大きく息を吐いた金髪の少年は、ナイフを握っていた右手を軽く叩く。衝撃で筋肉が硬直して痺れたような感覚が腕にかかっていた。
 額を流れる汗。炎による攻撃は金髪の少年の体力と気力を奪う。攻撃は当たらなくとも熱は嫌でも受ける。
 その様子にクロは再び足を蹴ろうとした。
 瞬間、クロの身体中に衝撃が走った。
 痺れと痛みが、一瞬だけ。
 一瞬で十分だった。それにクロは目を見開いた。火閃の炎は勝手に消えて刃は円筒の中へと吸いこまれる。
 その様子に驚いた金髪の少年は息を止めた。だが何よりこの状況に驚いているのはクロ自身の方だった。膝を地面につけ額を右手で抑える。
「白さん!?」
 叫ぶ金髪の少年はナイフを腰にある革の入れ物にしまい、駆け寄る。
 その言葉に弾かれるように顔を上げたクロは金髪の少年を睨みつけた。が、それにたじろぐことなく金髪の少年はクロの元に辿りついた。
「白さんじゃなかったら誰なんですか! こんな……白さんそのものですよ!」
「黙れ!」
 あらん限りに叫んだクロ。左手で腰の袋から素早く出したのは、小さなナイフだ。それを大きく振る。
 金髪の少年は驚き少し顔を動かす。直後、顔に痛みが走るのを感じた。右の頬から赤い血が滴り落ちる。
 大きく息を荒げるクロは金髪の少年が殆ど逃げなかったことに驚きを感じているようだ。目を見開いて、ただまっすぐに少年を見る。
 金髪の少年は手で血を拭うと、首を軽く振った。まるで力が無くなった様に静かに、落ち着いて。
「出来損ないの僕を見てくれた白さんは、じゃあどこに行ったんですか……」
 悲しそうに零れた声にクロは息を止めた。少し目を逸らす。
 少し間を置いて口を開くクロ。微風が流れていった。
「笹波白は死んだんだよ」
 平坦に言い放ったその言葉は、クロ自身はもう使い古した言葉だった。
 それに身体を固まらせた金髪の少年。突如として何か重いものが金髪の少年に圧し掛かったような、そんな不思議な感覚があった。
 ゆっくりと立ち上がるクロ。立ちながら金髪の少年から数歩離れる。もう呼吸は落ち着いていて痛みも何もない。
「僕は」
 呟いた声が金髪の少年から漏れた。少し顔は俯いている。
「信じない」
 その小さくも芯の通った声にクロは目を細めた。
 そっと顔を上げてクロを少し見上げる金髪の少年。拳は強く握られている。
「僕には、あなたが白さんに見えて仕方がないんですよ」
 頑なにそう言う少年は、少し口元を笑ってみせた。優しい表情は相変わらずその服装に合わないのだ。それを見るたびクロは動揺してしまう。
 どうしてこいつは笑っているんだろう。クロは頭の中で問う。さっきクロは金髪の少年に攻撃を仕掛けたのだ。
 思い出してみれば、金髪の少年は常に逃げるか防御の姿勢であった。最初バハロで会ったその時以来、攻撃はまるでしようとしなかった。
 クロは深い溜息をつく。
「お前、黒の団だろ」
 その言葉に少し戸惑いながらも、金髪の少年は頷いてはいと答えた。
「何が目的でそんなに笹波白にこだわる」
 少し気だるそうに言うクロ。金髪の少年はそっと笑う。
「自分でもよくわかっていませんから」
 その言葉にまた一つ小さな溜息をつくクロ。なんだか振り回されている気がしてならなかった。
 痛みは消えてもだるさは残る身体。クロは様々な考えを頭の中で駆け廻らせる。このおかしな場をどうやって切り抜けるか。
 少し灰色の雲が空に広がってきていた。
「ただ、白さんがいなかったら今の僕はいないので」
 相変わらずクロを見たままの少年。やはりクロを笹波白と断定しているのだろう。クロは火閃に力を入れる。
 距離はさほど離れていない。踏み込めば切れる距離だ。クロは視線を金髪の少年に刺し、それに少年は気付いていた。
「僕、あれから随分速くなったと思うので、避けれますよ」
 少し自慢げな部分も入ったその言葉に目を細めるクロ。自信があるようで、金色の目も輝いていた。
「随分自信があるんだな」
 皮肉を入れて言い放つクロに鼻を鳴らす少年。と同時に少し表情を曇らせる。
「僕にはこれしかないんですよ」
 自分を卑下するように吐きだした。その口元は薄らと笑っている。
 クロはじっとその姿を見つめた後に火閃に精神を傾ける。その途端また頭痛が走った。小さなものだが、脳内を叩いて響きわたる。明らかに自分の身体が異常であることをクロは悟る他無かった。だが、いつまでこの状態が均衡しているかどうか分からない。
 バハロの洋酒屋の老人の言葉を思い出した。少なくともバハロにはまだ三人黒の団がいる。その三人がどんな人間かは分からないが、クロの目の前にいる少年のような生温い人間ではない。
 時が経てば経つほど危険性は高まってくる。高鳴るクロの心臓の音。
 火閃は使えない。
 これ以上使えばどうなるか、クロ自身はあたりがついていた。


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