Page 22 : 激動
 林が始まるあたりでポニータは木の陰に隠れてクロと金髪の少年の様子を見つめていた。
 その背中の上で不思議そうに同じく覗きこむラーナー。逃げろと言われたがポニータが足を止めてしまったのだ。
 どうしてなのか理由はラーナーには分からなかった。そして今クロが何をしているのかもよく分からない。
 遠くからでも耳に入ってきた金属音の後、しばらく戦いが止まったように見える。
 ポニータは目を細めて必死に遠くに焦点を合わせる。
「ポニータ」
 遂に出てきた言葉にポニータは後ろを振り返る。少し不安そうなラーナーの表情。
 彼女の紐を握る力が強くなる。視線をクロに向ける。しかしうまくラーナーの目には映らない。距離が遠すぎるのだ。
 風が流れてくる。瞼を少し閉じるラーナー。火閃の炎が消えているのが分かった。クロの傍に金髪の少年がいる。会話をしているだろうか、しかし何も聞こえてはこない。
 服装を見ると、まるで正反対だ。白い上着を羽織ったクロと黒い上着を羽織った金髪の少年。あの黒い上着はラーナーにとってトラウマともいえる。あれを見るだけで、記憶が甦ってくる。
 けれど混乱している彼女がいた。あの時自分に刃を向けた不気味な笑みを浮かべた男と、幼く憎めない笑顔をした少年。同じ黒の団だ、それはラーナーも分かっている。しかしラーナーは本当に悪い人なのだろうかと疑うのだ。
 笹波白。沸々と彼女の頭に浮かんできたワード。
 前も聞いたことがある。あの時、ウォルタでの出来事の時にも男はクロを見てそう言った。そしてクロは言った、笹波白は死んだと。クロと笹波白がよく似ているのだろうか、とラーナーは当たりをつける。けれど分からない。訳が分からないうちに事が走っていく。
 彼女を置いてきぼりにして全てが走り去っているようだった。そのことにラーナーは確かに不安を感じている。

 *

 クロは一つ大きな息を吐き、足に力を入れてみる。確かに感じる地面の固さを確認して、その場を後ろに離れる。
 顔を上げて目を丸くする金髪の少年。そして少し淋しげな顔をして、それにクロは眉をひそめた。同時に胸の奥が揺れる。
 火閃は一度袋の中に戻し、ナイフを右手に持ち替える。細い呼吸をして精神を集中させる。耳鳴りがひどいがそれも遠くなっていく。
 いつでも跳び出せる、隙を与えてはいけない、そう心に言い聞かせる。クロの肩は軽く上下していた。
「白さん、僕は」
「笹波白じゃないって何度言ったら分かるんだ。ものわかりが悪い奴だな」
 金髪の少年は唇を少し噛む。
「あいつは死んだよ。とっくの昔に」
「あなたは白さんが死んだところを見たというんですか」
 その言葉にクロは息を止める。少し動揺したが落ち着かせようと深呼吸をして、もう一度まっすぐ少年の瞳を見る。
 金髪の少年は深緑の瞳を改めて見て表情を歪ませる。吸いこまれそうなくらいにまっすぐな視線、緑の奥に潜んだ歪んだ色。
 ずっと追ってきた人じゃなければ誰だというのか。金髪の少年の心臓は大きく鼓動を打っている。
「そうとも、言えるかもな」
 呟いたような声は少し笑っているようにも聞こえる。
 金髪の少年は言葉を探したが絶句したまま、握っていた拳の力を少し緩めた。生温かい風が横に流れていく。
「僕は、僕は……白さんとずっと会いたかったんです。ようやく願いが叶ったと思ったんです。あなたを見て絶対白さんだって思ったんです。今でも信じられない。白さんが死ぬなんて、あの人が死ぬなんて、そんなこと信じられない」
「人は死ぬものだ」
 静かに滑らせた言葉。クロの心は落ち着いている。言葉で金髪の少年の心をかき乱す。
 金髪の少年は動揺しているのがそのまま表情に表れている。正直クロにとってはやりやすかった。金髪の少年は本当にらしくない黒の団の団員だった。
「曲がりなりにも笹波白も人間だったんだよ」
 そう言い切った時、金髪の少年は身を震わせた。浅い眠りから突如目がはっきりと覚めたような衝撃が少年を叩く。
 その瞬間の隙をクロは逃さなかった。顔を引き締めて一気に接近しようと足に力を入れた。
 が、それは叶わなかった。踏み切る直前、冷たい気配を遠くに感じた。まだ遠いが確実にこちらに向かっている。高いところだ、空を飛んでいる。
 その気配に金髪の少年も気付いた。そして同時にそれが何なのか理解した。動揺が走る。
 雲が西の方角からどんどん空を覆い尽くしていく。ゆっくりと時間をかけて辺りが少しずつ薄らと暗くなっていた。風が僅かに強くなっている。
 クロの脳裏に危険信号が閃いた。早くこの場を離れなければ。そう思ったのと足が動いたのはほぼ同時。金髪の少年ははっとした。急接近してきたクロに対応しようとしたが、間に合わない。近づいてくる気配に気を取られすぎたのだ。クロのナイフが振られる。せめて急所だけは避けようと金髪の少年は咄嗟に身体を後ろに反らせる。
 その瞬間にクロの体内で燃え上がるような痛みが彼を一蹴した。次瞬、頭のてっぺんから足の先までそれは駆ける。
 金髪の少年は目を見開いた。
 一気に頭が熱くなっていくのをクロは感じた。雪崩れるように込み上げてくるものを抑えきれずに口から吐き出した。せめてもと手で口を抑えたが、そこからも噴き出る。
 草が薄らと生えた地面に落ちたのは異様に鮮やかな赤い液体。金髪の少年の身体は固まった。
 クロは掌を離す。温かな血がべっとりとついて、そこからまたたれる。口の周りについた赤を拭くところまで彼は頭が回らない。
 遠くなっていく意識。熱くて痛い。痛い、熱い痛い。頭が割れんばかりにただ痛い。ナイフが彼の足元に落ちた。少しでも痛みを抑えようと左手で額を押さえるが意味は無い。
 途端にふつ、と何かがクロの中で切れた。
 足の感覚が無くなる。
 その場に崩れ落ちる。
 金髪の少年は絶句して動けずにいた。痺れて動かない。先程確かに様子が一変したが、今度は訳が違った。かろうじてか細い呼吸をしている。震えていた。顔中が赤くなっていて高熱であることが分かる。
 白さん、とせめて呼ぼうとした金髪の少年だが、後ろから聞こえてきた走ってくる音に振り向いた。
 ポニータとラーナーだ。その姿に金髪の少年は驚く。確かに林の中に消えていった筈なのに戻ってきた。
 ポニータは険しい形相だった。ラーナーは突然走りだしたポニータに戸惑いを隠せなかったが、クロの姿をはっきりと捉えると息を止めた。震えが起こった。クロの傍にやってきた。ラーナーはすぐに下りた。少し高さがあったおかげで足に痺れが走ったが堪える。
 目の前の状況を呑みこめなかった。少し手を差し伸べて途中で止める。激しい血の匂い。頭の中がぐるりと回り、気分を悪くさせる。思わず咳き込んでしまう。その間にセルドの姿がラーナーの頭に甦った。右手をクロの額につける。
 熱い。凄まじい熱であった。驚きに思わずすぐに手を引いてしまう。そしてその掌にはクロから噴き出している汗が付着する。
 ラーナーの少し冷たい手に反応するように薄らと瞼を開くクロ。ポニータが顔を覗きこませ声をあげる。それに応える余裕などクロには無い。
「クロ、どうしたの。こんな、すごい熱だよ!」
 しかしクロの口から声は出てこなかった。息だけが震えている。
「あなたがやったの?」
 疑いの目を金髪の少年に向けるラーナー。その途端に金髪の少年は慌てて首を振った。
「違いますっでもさっきもこれに近いことがあって」
「さっきも? そんな突然にこんなことって……ポニータは分かっててずっとクロを見てたの?」
 その言葉にポニータは頷いて応える。
「そんな……どうしよう、病院、病院? バハロに病院ってあるの?」
 明らかに動揺しながらラーナーは呟く。
 クロは力無い手を動かしてポニータの足を指先で叩く。それに気付いたポニータはクロを見る。クロとポニータの視線が絡み合う。
 軽くクロは頷いた。ポニータは空を仰ぎ遠くに耳を傾ける。遠くにある気配。
 金髪の少年は立ちすくんでその様子を見下ろしていた。手が震えているのが分かった。近づいてくるのは彼の知った人。だからこそどうしたらいいか分からなくなる。
 ポニータは足を畳むとラーナーに視線だけを向けてクロを鼻でさす。
 その仕草に首を傾けたラーナーだったが、突然に浮かんできた。クロを乗せる、と伝えたいのかもしれないと。
 ラーナーは腕をクロの身体の下に入れると力を入れて少し持ち上げる。が、やはり同じくらいの年の男の子を運ぶのは苦難だった。
 金髪の少年は唇を噛み、その後ラーナーの隣にしゃがみ込むと一緒にクロを持ち上げる。それに驚くラーナーだったが、懸命にポニータの背中へと持っていく。
 クロの血がラーナーの素肌に少しついたが、仕方がない。ラーナーは金髪の少年を見る。彼は少しはにかんでみせた。
「あなたは本当に黒の団の人なの?」
 思わずラーナーから零れ落ちてきた言葉に、金髪の少年は力なく笑った。
「そうですね。でも僕は、白さんは僕の恩人ですから」
 目を丸くするラーナー。空はいつの間にか厚い雲が大部分を占めている。
「この人は白さんと密接につながっている。本当は僕はこの人が白さんじゃないかって思ってますけどね。ただ、どうであれこの人には生きていてほしいんです」
 ラーナーはその言葉に息を止めた。強い風が髪を揺らす。改めて見ると綺麗な金色の髪だった。
 最初はその服装のおかげで恐怖しか感じなかった相手だが、もうラーナーにはその気持ちは微塵も残っていない。寧ろ淡い信頼すら寄せている。
「行ってください。多分ポニータならどこに行くべきか、分かると思いますから」
 ラーナーの心を押す金髪の少年。それに数秒経ってから深く頷くラーナー。そしてポニータに乗ろうと身体を構える。
 その時、金髪の少年ははっと思い出したように顔を上げる。
「あと、白さんが起きたら伝えてくれますか?」
 白さんとはきっとクロのことだろうとラーナーは解釈して一つ頷いた。
「ありがとうございます。……ブレット・クラークが今“疾風”です、と」
 その言葉の意味が理解することはできなかったが、ラーナーは少年の発言を心の中で繰り返す。
 ポニータは空に視線をやった。金髪の少年もはっとして上を見上げる。合わせてラーナーも顔をあげる。
 雲の下、ピジョットがこちらに向かっていた。その背中には人が乗っている。黒い衣装は黒の団の印だった。
 茶色の少し長めの髪の少年。クロやラーナーと同じくらいか、少し年上くらいの風貌である。
 ピジョットは軌道を少し変えると急降下してくる。ラーナー達の方へ向かっている。ラーナーは身体が震えあがった。ポニータが鳴いた。
「はやく行ってください!」
 あらん限りに叫ぶ金色の少年の声。ポニータがラーナーの身体をつつくと、ラーナーは急いでポニータに乗る。
 二人分の体重を乗せたポニータだが少し力を入れて立ち上がる。走ることは難なくできそうだった。
 ラーナーはクロの後ろに乗ってクロの体勢を少し直してちゃんと座らせる。クロの意識はもう飛んでいた。細い呼吸だけをしている状態である。ポニータは走り出した。方向はバハロとは反対側の方。林を背に走る。ピジョットの空気を切る音。明らかにポニータ達を狙っていた。
 金髪の少年は歯を食いしばる。ピジョットの動きをよく見て足に力を入れ、その場を跳ぶ。ピジョットは大分地上近くまで下降していた。
 右腕を振る金髪の少年。ピジョットは目を丸くする。それは背中に乗っている人間も同じ。
 空中でピジョットを捉えた金髪の少年は眼にも止まらぬスピードでピジョットの首の付近を腕で殴る。それで体勢を崩すピジョット。そこで金髪の少年は止まらずに更に身体をねじり、蹴りを入れた。
 突然の味方の攻撃に防御を取れなかったピジョットは地面に叩きつけられる。乗っていた少年は咄嗟に離れて軽やかに地面に足を下ろした。
 驚きと憎々しさが混ざりあった表情で、金髪の少年を見つめたのはウォルタで金髪の少年と共にいたバジルだった。
「疾風、何のつもりだ」
 金髪の少年は地面に降り立つ。ピジョットはよろよろと身体を起こした。
「お前、自分が何をしたのか分かっているのか」
「分かっています」
 即答する金髪の少年の言葉は冷めている。
 遠くに消えていくポニータの駆ける音。気配が遠くなっていくのを金髪の少年は確認する。
「奴は笹波白と、この前取り逃がしたラーナー・クレアライトだ。この目で確認した。それを逃がすとは、どういうつもりだ?」
 低い声は怒りがありありと出ていた。金髪の少年は小さな溜息を吐いて、力強い眼でバジルを睨む。
「僕はずっと会いたかったんです。白さんに」
 少し間をあける金髪の少年。
「白さんに僕は生きていてほしいと思ったんです」
「ふざけるのも大概にしろ」
「ふざけてはいません。僕は本気ですから」
 金髪の少年は片足を出して体勢を低くする。怒りで高い声をあげたピジョットをバジルは見やると、腰にあったモンスターボールを出してその中に戻した。
 かき消えた鳴き声。途端に静かになる周辺には、川の音だけが響く。遠くに意識を投げる金髪の少年。まだポニータは近い場所だ。
 バジルはボールを元の位置に戻すと、また金髪の少年と向かい合った。
「俺はお前の努力を知っていた。だからこそ、様々なことにお前を起用した。出来損ないでも」
「その事に関してはとても感謝しています」
「だからこそ、今回のことは許せない。許される筈がない」
 バジルは手首の骨を軽く鳴らす。金髪の少年は一瞬流れ込んできた恐怖を振り払おうと頭を振る。
「お前はこの場で俺が始末する。ブレット・クラーク」
 その言葉に金髪の少年――ブレットは唇を噛んだ。


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