Page 24 : 目覚め
 ボロボロのカーテンの隙間から差し込んでくる太陽の光。
 古い本に鉛筆で黒く書き殴りがしている紙が床中に散らばって、更に衣服といった生活用品なども加わって部屋の中は混沌としていた。足の踏み場も無い、とは正にこの部屋のことを言うのだろう。が、かろうじて人の通った跡のような物がどけられた場所もある。まるで獣道のようだ。
 電気がついていない為に太陽の光のおかげで少しだけ明るくなっている部屋。ただ古い小さな扇風機が危なげな機械音と共に稼働していた。
 風が送られている先は低く小さなベッド。詳しくはその中の人へ向かって。
 ベッドの上、クロはゆっくりと瞼をひらいた。
 彼の目の前に広がるのは木の低い天井。一瞬戸惑ったがクロにとっては見覚えのある景色だった。何度も見た天井だ。
 だから彼がいる場所も、少し頭を整理させて考えてみればクロは分かった。だけど今どれくらいの時刻なのかは分からない。
 起き上がろうと思い身体を動かそうとしたが痛みが全身を麻痺させる。どうにも動けそうにない。
 溜息をつく。額に浮き上がっている汗を拭くことすらできない。指先なら動くが腕を上げることは叶わなかった。
 もう一度瞳を閉じて眠りに戻ろうとしたが眠れるような気がしなかった。全身がだるさで包まれているが、眠気はどうも吹き飛んでしまったらしい。それでも無理矢理に寝ようと暗闇の中に自分を落とす。
 その時、ドアが軋みながら開く音が響き、クロは目を開けて視線をそちらに向ける。
 思った通りの人物だった。ドアを開いた男の子はクロが起きているのに気付き、目を丸くした。
 黒い短髪、濃い青の半そでのパーカーに白いプリントTシャツ、それにジーンズを穿いている。
 クロは首を少し動かして彼と向き合った。ドアに立つ男の子はにやりと笑って見せて、ベッドに近付いていく。途中で机の上に持っていた本などを置いて、クロの傍らに立つ。
「よぉ起きたか。今回こそはまじで死ぬんじゃないかなって思ったわ」
 両手を腰に当てて笑いを含みながら彼は言う。それに応えるようにクロは少し笑みを浮かべた。
「そんな簡単に死んでたまるかよ」
「目ぇ覚ましたから言える台詞だよなー。お前今回どんだけ寝てたか分かってんのか、分かってないだろ。二週間だよ二週間。最高記録を一気に塗りつぶしたんだよ。なげえよ長すぎるよまじこっちの身にもなってみろ。いっそ死んでくれた方がましだぜ。いや死んじゃだめだな、折角の稼ぎ相手が消える」
「二週間、か」
「そうだ二週間だ! その間飯がいらなかったのに今日からはお前の分が必要なのか……くっそ面倒くさいな。まあ今日はまだそんな食えねえか。二週間も寝た寝坊野郎に食わせる飯なんざ大してないぞ」
「……お前、今日はやけに喋るな、アラン」
 少し呆れたように言うクロに、相手――アランは眉をひそめる。
「そうか? いつも通りのつもりだけどな」
 大きく溜息をついてアランは小さな窓に近づいてカーテンを一気に開け放つ。途端に部屋が眩しい光で照らされて、クロは目を細める。光によって細かい埃が舞っているのがよく分かった。いつから掃除をしていないのか、想像もつかない。
 固い窓を開けるアラン。油でもさした方がよいのではと薦めたくなるくらいに開けるのに手こずっていたものの、開けると僅かながら空気が循環し始める。
 二階の部屋であるが故に景色は少し高く、日当たりも悪くない。それなのにこの散らかり具合なものだから、勿体なさを感じずにはいられない。
「で、お前に聞きたいことは山ほどあるんだ、もう、本当に――お前、なんで女の子と旅なんかしてんだよちゃっかりと!」
 言いながらクロの頭の上にアランは顔を近付けた。一種の怒りにも近い形相で、クロは思わず顔を引きつらせる。
「なんだお前突然」
「しかもあれだ、普通に可愛いし性格もいい子だしなんなんだ、お前あんだけ人嫌いしておきながら女の子と……ラナちゃんと二人きりで旅とか……信じられねぇ今でもまだ信じられねぇ」
「おい勘違いしてる。二人きりじゃない、ポニータがいる」
「ポニータがなんだって言うんだポケモンじゃん! くっそおなんだろうなこの敗北感っていうのか、くそ。で、なんでだ、どういう経緯でそういう関係になったんだ!」
 ますます顔つきが険しくなっていくアランに目を逸らすクロ。ただでさえ気温が暑いというのに尚更暑苦しさが増す。
 クロはだんだんと頭痛がしてきたのを感じ、確実に嫌気がさしていた。
「色々あったんだよ。色々」
「そんな簡潔なことですまされるようなことじゃないだろ絶対に! 基本的に人と仲良くしないお前が、どういう風の吹きまわしだよ!」
「ああ分かった分かった。そのうちちゃんと話すから。まだ起きたばっかでけっこう辛いんだよ。静かにさせてくれ」
 できるならアランのどこかを殴って黙らせたいという衝動に駆られたクロだったが、相変わらず身体は動かない。
 それを聞いて少し落ち着いたのか諦めたのか、アランは深い溜息をついて体勢を伸ばした。
 急に静かになった部屋。風に飛ばされた数枚の紙が音を立てて空を舞う。
 アランは身をひるがえすと部屋を出ていこうと足を動かす。その途中で足を止め、クロを振り返った。
「早く動けるようになれよ。ラナちゃんが相当心配してんだ。お前知らないから言うけどな、あの子も大変だったんだ。三日間くらい風邪で寝込むわ足は痛めてるわ痛々しいにもほどがあったんだよ。それでもずっとお前のこと心配してたんだ。自分が辛くても」
「……」
「心配させんじゃねえよ」
 最後に吐き捨てるように言うとアランはそそくさと部屋を出ていき、勢いよくドアを閉める。
 本当の静寂が訪れる。部屋に一人取り残されたクロ。
 ようやく静かになってクロは息をついた。アランのおかげで若干頭痛がしていたがそれもようやく治まる。
 目を閉じて静寂の世界に浸かり、外から少しだけ聞こえてくる微風の音に耳を傾けた。
 そうして心を落ち着けさせようとする。けれどやはり眠気は来ない。かといって動くことはできずもどかしさが彼に訪れる。
 何もできずそのまま数分時間が経った後にクロはぱっと瞼を開く。耳に入ってきた廊下から何かが近づいてくる音。
 二度ノックの音が部屋に響き、ゆっくりとドアは開く。クロは少し目を丸くした。部屋に入ってきたのはポニータだ。
「ポニータ……家の中に入ってきちゃだめだって前から言われてたろ」
 そう言いながらも満更でもなさそうな表情をクロは浮かべていた。少し嬉しそうである。
 ポニータは部屋に足を踏み入れると再び鼻を使ってドアを少し開けながらもほとんど閉める。ドアノブ無しだからポニータでも開閉可能なのだ。
 ゆっくりと床にある物を踏まないように慎重にクロの元にやってくるポニータ。少し細めた目の睫毛は相変わらず長く、安心しているように見えた。
 身体に燃えている優しい炎が風に揺れる。その頭を撫でてやりたいクロだったが痛みに堪えることはできない。
「今回は許してもらえたってやつか。アランの奴、なんだかんだいってあいつも心遣いはあるんだよな」
 ポニータは顔を近付ける。
「あいつ、風邪ひいたって本当か。足も痛めたって」
 その言葉に少し間を置いてからそっとポニータは頷いた。それに深い溜息をつくクロ。
「俺が寝てる間に随分と色々あったみたいだな。といっても俺もまだ動けない状態なんだ。身体が痛んで手も満足に動かせない。もうちょっともってくれるかと思ったけど、予想外に黒の団と会ったせいだな。やばかったのに火閃を使いすぎた」
 力無くクロは笑う。それから急に顔を淋しげに曇らせる。
「自分の身体だってのに暴れ馬でうまくいかなくて、馬鹿みたいだ」
 口元で息を吐くように呟いた。
 しばらく声を発さず静かな空間になる。この部屋の中でクロしか話すことはできないから、クロが話しかけなければ静かになる。
 ポニータは足を運んで窓の傍にやってきた。部屋から下をそっと見下ろす。
 ポニータの目に入ってきたのはラーナーの姿だ。家の前の狭い道路の掃き掃除を行っているようである。小さな竹箒を持っていた。服装はウォルタを出た時のものではなく、青と白のボーダーのTシャツにジーンズを着ていた。少しサイズが大きいようだがラフで涼しげな格好だ。
 黙々と掃除に取り組むラーナーは、まだクロが目を覚ましたという事を知らない。アランは彼女にそのことを話していないのだ。
 今でこそ肌の血色も良く元気な姿を見せているラーナーだが、ポニータは先週のことを頭に思い起こすと更に頭を俯かせる。
「そろそろ……」
 呟いたクロの言葉にポニータは振り向いた。
「少し眠くなってきた。ちょっと、寝るよ」
 既に声はほとんど眠りに落ちていて、一分もしないうちに部屋に彼の寝息が小さく浮かび始めた。
 ポニータと話すことで安心したのだろうか。一方のポニータも安堵を浮かべて音を立てないようにそっとドアに近付いた。あらかじめ数センチ開けておいたドアの隙間に鼻を入れるとそれを引いて、部屋を後にする。残念ながら部屋から出ていく時にポニータはドアを自分で閉める事ができない。
 が、ドアは閉められた。傍で待機していたアランによって。
 アランはクロの様子をちらりと覗いた後にドアを閉めて、ポニータに向かって微笑む。
「悪いなポニータ。やっぱさあ、クロを落ち着かせるのはお前が一番いいって思ったんだよな」
 言いながら木の床の廊下を歩くアラン。その横について歩幅をポニータは合わせる。
 と、途中でアランは足を止めた。少し唇をきつく締めてからそれを開く。
「ラナちゃんにはもうちょっとしてから言おうと思うんだ。そりゃあ今すぐにでも教えてやりたいけど、あいつまだ動けないじゃん。動けるようになってから会わせてやらないと、下手になんかあったらクロが困るし。どこまでラナちゃんが知ってるか知らないけどさ」
 アランは途中で言葉を区切ると大きく声も入れて溜息をついた。
「くそ、あいつはこれだけ俺が気ぃ使ってるってことも知らないんだろうな。腹立つほんと腹立つ」
 ポニータは少し喉を鳴らして笑う。アランはそう言うが、クロは気付いているのだから。
 アランは腕を頭の後ろで組んで低い天井を見つめる。廊下にある窓は開け放たれて、外から少し強い風がやってきた。
「ほんとに、腹立つよなあ」
 言葉を噛みしめるようにアランは言う。その後思いっきり伸びをして再び歩き出し、クロのいる部屋から遠ざかっていった。


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