Page 33 : トローナ

 クロが宣言した通り、トレアスを鉄道で出た後に首都へ、すぐに乗り換えてトローナへ向かった。ひたすら身体を揺らされる中で車窓から見える景色は一日でめまぐるしく変わる。トレアスの趣のある歴史的な町並みから、首都らしい高層ビルの立ち並ぶ大都会の風景へ、そしてトローナへ向かう旅路にて瞬く間にビルは減っていき、山沿いで緑がよく見え、建物は点在しているほど。畑が続いている様子はバハロを彷彿させ、のどかな田舎町の風景が広がっていく。首都にいる期間が短かったことに少しラーナーは残念そうに俯いたが、仕方が無いとクロは宥める他なかった。
 太陽が西に傾こうとしている頃にトローナに到着して、今は駅の近くのバス停で目的のバスを待っている所だ。トローナの駅は非常に小さな駅で、クロとラーナーが着いた頃には年老いた男性が一人、駅員として改札口に座っているだけである。眠っていたところをクロが起こし、老人に直接小さな切符を渡すことで改札口を抜けた。駅から出てすぐそこにバス停はあったが、そのバス停も随分と古びていて、申し訳程度に貼ってある時刻表は汚れていて今にも風に煽られ剥がれてしまいそうだ。
 鳥の声が彼方から聞こえてくる。それ以外に聞こえてくるのは、少し歩いた先にある道路を走る車の音だけ。それも断続的なものである。無音の世界に陥ることもしばしばだ。
 クロはつまらなさそうに周りを歩き回り、駅の壁に沿って立てられている掲示板を見る。そこにはいくらか張り紙が並んでおり、有名人が来るお知らせから飼い猫を探しているというものまで種類は様々だ。が、殆どが半年以上前のものである。その中で、この駅が一カ月後に廃止されるという比較的新しいものがあり、クロは淋しげに神妙な面持ちで目を細めた。
 都会から離れた場所で、発展についていけず寂れていった町といったところか。恐らくクロやラーナーは久しぶりの町に訪れた客であるだろう。
「バス、いつ来るんだろうね」
 ラーナーは古びた木のベンチの埃を手で払ってからそこに腰かけ、溜息をつくように言う。
 さあ、とクロは呟いた。時刻表通りに来るならばバスはもう十分ほど前に来る筈なのだがまるで訪れる気配はない。今日の最後のバスらしく、これを逃せば明日になるところを運良く捕まえられたことに喜んだが、あまり待たされると今度は苛立ちが募る。待ち始めてから二十分が経過しようとしていた。
 背を倒すとぎしりとベンチは音を立てる。ラーナーは座り心地の悪さに仕方なく再び立ちあがる。
「クロの探してる人が、リコリスにいるかもしれないの?」
 クロの眺めている掲示板の元にラーナーもやってくると、ふと尋ねる。クロはラーナーの方をちらりと見てその目を少し丸くすると首を軽く横に降る。
「いや、それとは全然関係ない。俺がずっと探してる人がここにいる期待は殆どしてない」
「あ、そうなんだ」
 それからまた声は消えて、暇をゆっくりとすり潰すような時間が続く。時が経過するのは随分と遅く、駅の壁に掛けられた時計を見てもなかなか分針は進まない。
 ゆっくり、本当にゆっくりと過ぎていく時間の中で、傾いていく太陽の光で町の景色はオレンジ色に染まろうとしていた。空に視野を広げると、不思議な色をしていた。青と赤が混ざり合い、紫にも近い色合いをした雲が薄く伸びている。
 クロは時刻表をもう一度見直す。けれど何度見ても当然ながら書いてあることは同じ。
 その時彼の背後でぽんと弾けるような音が二つ聞こえてきて、クロは咄嗟に振り向いた。音の正体はラーナーがエーフィとブラッキーをボールから出したものだというのはすぐに理解できた。二匹は軽く身体を伸ばし、辺りを興味津津という風に見回す。その二匹の背をラーナーはしゃがみ込んで撫でる。
「ずっとボールに入れてても可哀想かなって。外の空気に当ててあげたくなったの」
 ラーナーはクロを見上げて笑う。もうラーナーに随分と懐いている様子が見て取れる。
 ここは物寂しい場所ではあるが都会の喧騒とはかけ離れていて、その静かさがエーフィやブラッキーには心地よいのかもしれない。気持ち良さそうに伸び伸びとして、ラーナーの手をすり抜けるとそれぞれ辺りを散策し始めた。その様子をラーナーは微笑ましく見つめていた。頭の良い二匹であるから、それほど遠くには行かないであろうことを前提にできて慌てることも必要もない。
 一方のクロは手持ちのポケモンを出すことはなく、ブラッキーの歩いている様子を何となくに見ている。
「リコリスには」クロは相変わらずしゃがんでいるラーナーに向かって話し始める。「別の人に会いに行くんだ」
「別の人?」
 ラーナーは咄嗟に彼を見上げて聞き返した。
「ああ」
 一呼吸置いた後、もう一度口を開く。
「紅崎圭っていう奴」
「こうざきけい……」
 ラーナーはゆっくりと繰り返す。クロと同じくアーレイスではあまり聞かない名前の種類だ。アーレイスの人間というよりは西の隣国の李国の人間を連想させる。ラーナーはクロにどこの出身であるかを言及したことは無い為はっきりと断言することはできないでいるが、李国に何らかの関連があるであろうことは彼女自身何となく想像していた。
 クロはふいに帽子を取る。長めの髪が完全に露わになって垂れる。伸びた前髪を煩わしがるようにクロは少し分けた。随分と伸びたものだと思い前回切ったのはいつだったか記憶を辿ると、丁度ウォルタを出た日だったと気がつく。ラーナーも同日に伸ばしていた髪をばっさりと切った。ボブになって一カ月程経っているが、量が増え暑い日々が続く中では鬱陶しいと感じることも増していた。
 帽子の中にあって蒸していた状態だった髪を風に当て、少し涼しさを感じることでクロは心を落ち着かせる。
「友達というより、俺の仲間っていうのかな。俺が一番信頼してる奴なんだ」
 静かに平然と言ってのけるクロとは反対に、ラーナーは驚き呆気にとられたようにクロを凝視した。その視線にクロはすぐに気が付き、不審げに眉をひそめる。
「何?」
「いや……クロが自分から他人のこと話すだけでも珍しいのに、一番信頼してる人だまで言うなんて凄いなって」
 今度はクロがぽかんと停止し、数秒後に僅かに苦笑いをする。
「そうだな……そうかもしれない。けど、言葉の通り」
「そりゃあ、よっぽどだね。会うのが楽しみなような、不安なような」
 少し意地悪げに言うラーナーにクロは少し顔をしかめた。不安ってどういう意味だよ、と不満そうに小さく呟いたが、口元で消えた言葉はラーナーの耳にうまく届かない。けれど何を言っていたのかおおよそ検討はついているから、ラーナーは楽しそうに笑うだけで何も問い返そうとはしなかった。
 クロは眠たげに一つ大きな欠伸をした。鉄道から見える風景を終始飽きることなく楽しんでいたラーナーと違い、クロは数時間にわたる旅の大部分を顔を俯かせ睡眠に割いていた。それにも関わらずまだ眠気があるというのだからラーナーは呆れすら感じる。恐らく今夜も何の苦もなく眠りにつくだろう。ここ最近はクロは一日の多くを睡眠に使う日が続いている。まだ出逢って間もないため断言はできないが、それは本調子ではない印ではないかとラーナーは内心疑っていたりもした。
 古びた時計の長針がまた一歩踏み出して間もなく、駅の中から年老いた駅員がゆっくりと外に出てきた。いち早くそれに気付いたクロは反射的に振り返った。老人は老眼鏡を少し上げて目を凝らして二人を見つめ、あぁと間の抜けたようなしわがれた声を発する。
「あんた方もしかしてバス待っとんのか?」
「え、あ、はい」
 内向的なクロに代わってラーナーが慌てるように返事をすると老人は細い目を更に細めて、杖を突きつつ外に歩き出す。その足取りはおぼつかず、今にも転んで倒れてしまいそうである。思わずラーナーは立ちあがって駆け寄るが、老人は軽く手を突きだして遠慮する仕草を出した。
 老人はバス停に貼ってある時刻表に顔を近付ける。その距離差は十センチにも満たないほどで、しばらくゆっくりと目を通した後に落胆したように声を落とす。
「やっぱりなあ」
「何がですか?」
 クロは少し大きめの声ですぐに尋ねる。彼の脳裏に一抹の不安が走った。
「次のバスは廃止になったやつだあ。この時刻表はもう古いけんねえ。まあ、明日の朝になりゃあまた来るけんそん時また来るだな」
 突如明らかになった事実に愕然とするクロとラーナーを余所に老人は再び時間をかけて駅に戻っていく。
 少し開いた口が閉まらず老人の姿を凝視していたクロは今日で一番大きな溜息をついた。今回ばかりはラーナーも同じ気持ちになり、肩を落とす。
「無いなら無いって書いとけよ」
 呆然とした状態で怒りを静かに込めて呟いた言葉にラーナーは何度も深く頷いた。それなりに長い時間待っていたのにも関わらずそれらが無駄になってしまったのだから仕方がない。しかしその理不尽さに気を落としたまま、しばらく立ち直れないように二人はその場に立ちすくんでいた。
 その様子を不思議に思ったのか、少し近くを歩いていたエーフィとブラッキーが元の場所に戻ってきて大きな瞳を彼等に向ける。ラーナーが二匹に向かってできたのは力無く笑うことだけだった。
 結局その日はトローナで過ごすことになり、リコリスに辿りつくのはもう少しだけ先の話になってしまったのだった。


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