第2話 訳ありの頼み事


「……ねえ、レイル。何か実験室の方が騒がしくない?」
「ああ、また姉さんが実験でもやってるんだろう。何にせよ、関わらない方が安全だね」
レイルと呼ばれた少年は、落ち着いた様子で答える。
「うん、やっぱり巻き込まれるのは勘弁だよね」
彼の隣でまだ少しそわそわしたような声がする。
その主はというと、緑色と黄色の体に赤い爪を持つ二足歩行のポケモン、キノガッサだった。

家の中の居間。二人は椅子に腰掛けてテレビを見ていた。
いや、内容はちゃんと聞いていなかったので、テレビがかかっていたと言った方が正しいのかも知れない。

『あいにく、昼間は雲の多い天気ですが、夜になれば晴れ、星の見えるところも――――』

プツンとスイッチの切れる音。レイルがリモコンを握っていた。
天気予報を長々と解説されるのを聞いていても、面白いとは思えない。
「……何か暇だな、リーフ」
「そうだね。けど、外に行くにしてもこの天気じゃあね……」
リーフと呼ばれたキノガッサは窓の方に目をやる。
青い空が見える部分は少ない。薄曇りという表現が合いそうだった。

『レイルー! ちょっと来てくれないー!』

静かな家の中に突然響いた姉、セリアの声。
レイルとリーフは一瞬硬直し、顔を見合わせた。
「来いって言ってるけど……どうするの、レイル?」
もし、レイルが行くのならば自分も行くことになるだろう。正直言うと、あまり実験室には行きたくなかったのだが。
もっとも、この気持ちはレイルも同じだっただろう。
「無視できれば苦労はしないよ。家の中にいるのを知られてる以上、行かないと」
反応しなかった場合、向こうから呼びに来ることは分かっていた。
返事をしなくて色々と小言を言われるのなら、さっさと行った方がまだいい。
レイルは椅子から立ち上がると、重い足取りでセリアの待つ実験室へ向かう。リーフも彼の後に続いた。



扉を開けると薬のような臭いが鼻を突く。
レイルやリーフはどうもこの臭いを好きになれなかった。
「待ってたわよ」
薄暗い部屋の中、セリアはいつもの白衣を着て机越しに立っていた。
「何か用? 姉さん」
部屋に少しだけ足を踏み入れ、レイルは姉に訊ねる。
「まあ、たいしたことじゃないの。あんたにちょっと頼みたい事があるのよ」
「新しい薬の実験台とかなら、勘弁してよね」

セリアは時々薬の調合も行っていた。だが、彼女の薬の混ぜ方は適当だ。
ちゃんと分量を量り調合したものならともかく、どんな効果かも分からない薬を飲む気にはなれない。
その場合の事を考えて、レイルはあらかじめ釘を差しておいた。
「ああ、そんなんじゃないのよ。これを村長さんの所に届けてほしいの」
そう言ってセリアは、机の上の黒い物体を指さした。
レイルとリーフはおそるおそるそれに近づき、眺める。
「……何なの、これ」
「そうね……。元・竜の鱗とでも言っておこうかしら」

実験室の中に数秒、妙な沈黙が流れた。
最初にその空気を破ったのはリーフだった。
「えっ!? 竜の鱗なの? これが?」
竜の鱗が元々白い物だということは、レイルもリーフも知っていた。
いったいどうやったらその白がよどんだ黒へと変わってしまうのか想像も付かない。
「姉さん、また何かやったんだろ」
「いや……まあ、その、いろいろあったのよ。ふふふ……」
姉は引きつった笑い声をもらす。その反応は、レイルの問いが図星だったことを暗示してもいる。
確か竜の鱗は借り物だったはず。それを勝手に実験に使う姉の行動原理は、弟でもあるレイルにもさっぱり分からなかった。
「で、何で僕らがこれを届けなくちゃならないの?」
「たしかにこれは私が借りてきた物。けど、こんなにしちゃって返しづらいのよ。
でもあんたが返しに行ってくれたら、事を起こした本人でないからさ、怒るに怒れないと思うの。だから、お願い、レイル。ここは私の代わりに返してきてよ、ね!」

セリアは手を合わせて必死に頭を下げる。
形だけの態度なのか、それとも本当に頼んでいるのか、やっぱり分からなかったが。
だが、最初に返ってきたのはレイルのため息だった。
まあ無理もないだろう。何で姉の起こした厄介事を自分が引き受けなければならないのか。責任逃れもいいところだった。
「はあ? ちょっと待ってよ。それは姉さんが勝手に借りた物を実験に使ったせいでしょ?
借りた物を大切に扱わなかった姉さんが悪いわけであって、僕には関係のない話だよ。とばっちりを受けるのは勘弁してほしいね」

レイルは自分の思っていたことを全部ぶつけた。
妙な爽快感に浸っていたレイルだったが、背中を小突かれリーフの方を振り返る。
「れ、レイル。まずいよ……」
そう言われ、慌てて姉の方を見るレイル。
セリアは無表情だったが、やがて口元を引きつらせて微笑んだ。
(しまった……。言い過ぎたか)
気づいた時はもう遅い。不気味なほどに優しい口調でセリアは言う。
「心配しないで。もし不安なんだったら……」
右腕を上げ、レイルを指さすセリア。
それが合図だったのか、彼女の後ろからスッと現れたケルド。
「ケルドに着いていってもらってもいいのよ?」
彼の姿を見た途端、レイルの目の色が変わった。
それが何を示しているのか、この光景を何度も見てきたリーフはよく分かっている。

「……俺は別に、お前と一緒でも構わないぜ?」
毒々しい羽をはばたかせながら、ゆっくりとこちらに迫ってくるケルド。
レイルはそれを避けるように一歩下がる。
「わ、わかったよ。い、行けばいいんだろ」
さっきとは手のひらを返したような態度でレイルは力無く言う。そして、サッと机の上の鱗を掴むと、慌てて外へと駆けだしていった。
やれやれ、と思いながらもリーフは彼の後を追いかけた。





「やっぱりこうなるわけか。レイルはよっぽど俺が苦手みたいだな」
セリアがケルドを使って彼に脅しをかけるのはこれが初めてではない。
自分の望みを通したいときなどに、彼女はよくこの手を使っていた。
「まあ、そんなに無理な頼みってわけじゃないし、村長さんは話の分かる人だからレイルも大丈夫でしょう」
「そうだな。セリアに物を貸してくれる時点で、かなりいい人だな」
「ちょっと、それどういう意味?」
「さあね」
「まあいいわ。今回も役に立ってくれてありがと、ケルド」
少し不服そうな顔をしていたセリアだったが、すぐに笑顔でケルドに言った。
「役に……ね。俺の外見はあまり好かれるような物じゃないからな」
「うん、それはそうかもしれないけど、私はあんたのこと、好きよ」
「……ん、そうかい、そいつはどうも」
素っ気ない返事を返すケルド。
しかし、自分のトレーナーから「好き」と言われて悪い気はしない。
「と、いうわけだから、片づけ手伝ってね」
(どういうわけだよ)
なんでそうなるのか分からなかったが、ここは黙って手伝うことにする。
「……分かったよ。手伝う」
「ありがと、ケルド」
再び礼を言うと、セリアは早速鍋の焦げ付きを落としにかかった。



なんだかんだ言っても、セリアといることに嬉しさを感じる自分がいたのかもしれない。


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