第3話 森の中の憂鬱



家の外は地面がむき出しの土地で、アスファルトなどの舗装はされていない。
芝生が生えているところもあるが大半は黄土色の地面が顔を出していた。
家々の周りには森が広がっている。自然のままの大地が残されている分、森の木々は元気よく育っているのだった。


「待ってよ! レイル」
家を飛び出した彼の後を追いかけるリーフ。元々あまり速くは走れないのだ。
リーフの声に気がつき、レイルは立ち止まって振り返った。
「あ、ああ、ごめんごめん」
相当急いでいたのかレイルの息も荒い。
ため息を交えながら近くの芝生にどかっと腰を下ろした。
「僕はどうも、ケルドに迫ってこられると……ダメだ」
なんともばつの悪いことに、レイルは姉のパートナーであるケルド、ドクケイルを大の苦手としていた。

あの毒々しく不気味な羽、紫色の複眼など、彼にとっては考えるだけで背筋が寒くなってしまうのだった。
「仕方ないよ。どうしても苦手な物って誰にでもあるよ、きっと」
レイルを慰めるように言うリーフ。あいにく自分はレイルほどケルドは苦手ではない。
もっとも、相性的にもバトルだけは避けたいとは思っていたが。
「あいつも悪い奴じゃないんだけど……。もしケルドがドクケイルじゃなくて他のポケモンだったら、僕も仲良く出来ると思うんだけどな」
ケルドを見ると、どうしても退いてしまう。
克服しようにも、姉のケルドを使った脅迫のせいで、苦手意識は消えそうにもない。

とりあえず今はケルドのことよりも、優先して考えるべきことがあった。
「結局、僕がこれを返すことになったんだよな……」
レイルは自分の右手を見る。手の中には黒ずんだ鱗がしっかりと握られていた。
表面に皺などはなく、色は変わってしまっても鱗の強度は変わらないようだ。
「レイル、ヒュエナさんに何て言うの?」
「……考えてないよ」
ヒュエナと言うのはリスタの村長の名前だった。
この村のいわゆるまとめ役で、まだ若いながらも住民に信頼されている。
「下手に嘘の言い訳をするのも、わざわざ姉さんに龍の鱗を貸してくれたヒュエナさんに悪い。だから、正直に話そうと思うんだ」
「でも、怒らないかな」
「どう考えても悪いのは姉さんだよ。だから僕がちゃんと事情を話して謝れば、分かってくれるさ」
自信ありげに話すレイル。そんな彼の言葉を聞いていると、根拠はなくとも本当にそうであるかのように思えてくる。

レイルもリーフもヒュエナとは割と親しい間柄で、何度も家を訪れたことがある。
自分達の知る限りでは、ヒュエナは物分かりの良い人物で穏やかな人柄だった。
目くじらを立てて怒るような姿は、いまいち想像が湧かない。
「そうだね、ヒュエナさんなら分かってくれるよね」
レイルの妙な自信が、いつの間にかリーフにも伝わっていた。
「玄関口でさっとこれを渡して、謝ればいい。行こう、リーフ」
「うん」
リーフは肯くと、レイルの後に続いた。



ヒュエナの家はレイルの家から少し歩いた所にある。
森の木々に挟まれた、幅4メートルほどの道。それを歩いていけばたどり着く。
リスタの中では少し離れたところにあるのだ。

歩みを進めていくと、ヒュエナの家が見えてきた。
レイルの家よりも一回り大きく、玄関の周りにはたくさんの花が植えられていた。
「いつも思うけど、ここの花ってきれいだよな」
辺りに広がる色とりどりの花々を見て、レイルが感心したように言う。
ガーデニングと言うのだろうか、花を育てるのがヒュエナの趣味らしい。
「きれいだよね」
リーフも嬉しそうに同意する。
花が大切に育てられているのを見るのは、草ポケモンとしては嬉しいことだった。

庭先の花で少しだけ心を和ませた後、玄関へと向かう。
ある程度覚悟は決めていたものの、やはり緊張する。レイルは胸に手を当て、深呼吸してからドアをノックした。
小気味よい木の音が響いたが、返事は返ってこない。
「留守なのかな?」
リーフは耳を澄ませたが、家の中からは何も音が聞こえてこなかった。
その代わり、背後から羽の羽ばたくような音と共に、
「何してるの?」
と、声が聞こえてきた。

振り返るとそこには、緑色の体に長い尻尾、背中には羽を持つポケモン、フライゴンの姿が。
砂漠の精霊とも呼ばれるフライゴンだったが、今のように森の中にいてもそんなに不自然な感じはしない。
ただ、その手に持っているものは不自然だった。
「……じょうろ?」
フライゴンの手には青いじょうろが握られている。
緑の体に青という目立つ色が、アンバランスな感じを出していた。
「ああ、これね。さっきヒュエナと一緒に花の水やりをしてたんだ」
「そうか、だからじょうろをね……」
リーフは納得したように頭を縦に振った。
「ライン、ヒュエナさんはいる?」
レイルは目の前のフライゴンに訊ねた。
彼はヒュエナのパートナーだ。ヒュエナはラインと一緒に暮らしている。
もしかすると、パートナーというよりは、本当の家族に近い存在なのかも知れない。

「ヒュエナだったら、裏庭にいると思うよ。どうしたの、何か用事?」
「うん、ちょっとね……」
用事があることは確かだったが、内容が内容なので深くは話さない。
「こっちだよ。着いてきて」
レイル達はラインに連れられ、裏庭へと向かった。




ラインの後に続いて、家の脇を通り過ぎていく。
細い道を抜けた瞬間、目の前には様々な種類の花が広がっていた。
その花畑のような場所の真ん中で、水をまいている人物がいた。
ラインに気がついたのか、ゆっくりとこちらに振り返る。
「あら、レイル。それにリーフも。久しぶりね!」
彼らの姿を見たヒュエナはにこやかに微笑んだ。

「ちょっと久しぶりですね。ヒュエナさん」
そういえばここの所、しばらく会っていなかったような気がする。
自分よりも年上で、村長という立場の人間だ。親しいとはいえ、敬語は怠らない。
見た感じではセリアよりもやや年上で、二十代後半といったところだろうか。
村長というのは男が多いらしいが、ヒュエナはそれを全く気にすることなく、頼れる女村長としてリスタの人々に信頼されていた。
「私に何か用かしら?」
「あ、えーと、姉さんに龍の鱗貸してくれましたよね? それを返しに……」
奥歯に物が挟まったような感じで、何とかその言葉を切り出す。
いくら正直に謝るとは決めていても、いざ本人を目の前にするとやっぱり難しい。

「あら、わざわざ届けに来てくれたの。ありがとう」
とてもお礼を言われるような事ではない。借りたものあんなにしてしまったのだから。
これから話すことが言いづらくなるのを、レイルは感じた。
「せっかくだから、私の家でゆっくりしていかない?」
「え、でも……」
家に招待されてはますます謝りにくくなってしまう。
しかし、頭ごなしに断るのは失礼かなと思い、レイルは言葉を濁した。
「久しぶりに来たんだし、ゆっくりしていけばいいよ」
ラインも笑顔でレイル達に言う。

「…………」
何だかとても断るのが悪いように思えてきた。
リーフも怪訝そうな表情で、レイルを見ている。
この場合、相手の好意は素直に受け入れるものなのだろうか。
「……分かりました。じゃあ、お邪魔します」
少し考えた後、レイルは答えた。正直気が進まなかったのだが、断っては招待してくれた二人に悪い。
「ちょうど水やりも終わったところだから、お茶でもごちそうするわ」
「ありがとう、ヒュエナさん」
微妙に苦い顔をしたまま、黙っているレイルの代わりにリーフが答えた。

本当はこんなはずではなかったのに、という思いがレイルの頭の中で渦巻いている。
最初は玄関先で龍の鱗を渡し、謝ってすぐに帰るつもりだったのだが。
家の中に入ることによって、彼の気はますます重くなるのであった。


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