第8話 異名の裏に



レイルの振り返った視線の先には、大きな影が見えた。
暗闇の中に潜んでいるせいで、どんな姿なのかはっきりとは見えない。
だが、こちらを睨む鋭い視線はレイル達の体を差すように伝わってきた。

その大きな影は、月明かりの届かない陰になっている場所にいたようだ。
開けた土地の明るさに気をとられていたレイルは、その存在に気がつかなかった。
彼より周りの気配に敏感になっていたリーフが気づき、その恐怖から思わず声をあげたというわけだった。
「……!」
自分の中の恐怖と戦いながら、レイルはその影を見据える。
後ろで震えているリーフを庇うように、その場から一歩も動かない。

レイル達の姿を確認でもするかのように、影はゆっくりと光の当たる方へと出てきた。
蒼い体に、赤みがかった大きな翼、そして四肢には鋭い爪。その影がボーマンダだと判断するのに、それほど時間はかからなかった。
そして、その首筋には痛々しい三本の古傷があった。

体の色やその鋭い爪、首にある古傷から、目の前にいるポケモンが『蒼の殺人鬼』と見て間違いはないだろう。
ボーマンダにはそこにいるだけで十分な威圧感がある。
その迫力に負けそうになりながらも、リーフの前に立つレイル。
「……何だ、お前達は?」
重みのある低い声でボーマンダが言う。
目を細め、こちらを探るような目つきで眺めていた。
「……っ」
何かを言おうとしたレイルだったが、言葉が出てこない。
自分の口が、まるで自分のものでないかのように動かなかった。
ひょっとすると、大いなる力を持つ者を前にして、いつの間にか怯えていたのかもしれない。
リーフに安心しろと言った手前、怖じ気付くような真似はしたくなかったが、これ以上虚勢を張り続けるのは正直厳しかった。

「その様子からすると、私を殺しに来たわけではないようだな……」
その場に立ちつくして動けないレイル。その後ろで震えているリーフ。
ボーマンダから見れば、彼らの姿はちょっと情けなく思えてくるかもしれない。
「あ、あなたは『蒼の殺人鬼』では? 殺しにくるって、どういう……?」
重みのある口調だったが、ボーマンダの声は案外穏やかだった。殺人鬼と呼ばれていた者のそれとは想像し難い。
少しだけ勇気が出たのか、レイルはおそるおそる尋ねた。
「……いかにも私は『蒼の殺人鬼』だ。私の名前は危険な存在として世間に広まっている。
私に恨みを抱いて、殺そうと狙っている者も少なくない。お前達はそうは見えないが」
「危険な……存在?」
ボーマンダは確かにそう言ったが、レイルにそれは感じられなかった。
さっきから感じているのは今、彼がそこにいるという威圧感であって、危険な感じは全くしなかった。

「あなたはそう言うけど、もしその話が本当なら……」
「想像していた姿とは違う。そう言いたいのか?」
レイルは黙って頷いた。今自分の目の前にいるボーマンダが『蒼の殺人鬼』と呼ばれていたことを思うと、妙な違和感が残る。
彼がいきなり目の前に現れた時は、その外見から怖いと思ったかもしれない。
だが、落ち着いて見てみると多少の怖さは残るものの、自分が殺されるかもしれないという命の危険は全く感じなかった。
「確かに、私がやろうと思えば……お前達を殺すことも出来る」
「!」
さすがに、その言葉にはレイルも一瞬身を引いた。後ろで体をこわばらせていたリーフにぶつかる。
「……れ、れ、レイル」
消え入りそうな声で、リーフはレイルに訴える。彼の服をつかむ手の震えはやみそうになかった。

レイルは少し間をおいて、大丈夫だよと囁く。
もし彼が本気なら、レイル達に対して殺意を持っていることになる。
目の前に殺そうと思っている相手がいれば、表情や口調には少なからず変化があるだろう。
だが、ボーマンダからはそれが全くと言って感じられなかった。
さっきと同じ、重みはあったがどこか穏やかな声だった。
「本気じゃ……ないですよね?」
もし本気だったらどうしようかという心配はしなかった。
彼の口調から、どうしてもそうとは思えなかったから。

「ああ。誰かを傷つけ、そして死に至らしめる……。そんなのはもうたくさんだ。
私は他の者を傷つけたり、殺したりはしない。……信じてもらえないかもしれないがな」
聞いている側まで気分が暗くなってしまいそうな、重みを帯びた声だった。
ボーマンダが偽りを語っているとは到底思えなかった。
「僕は信じるよ」
まったく迷いを見せず、レイルは即座に答えた。
彼の後ろからおそるおそる顔を出したリーフも、小さく頷く。もう震えてはいなかった。
「あなたは……っとそう言えば、あなたの名前は? 僕はレイル。で、こっちがリーフ」
まだ自分たちの名前も教えてなかったことに気がつき、レイルは慌てて自己紹介する。
会ってすぐは、言葉を交わすこともままならなかったが、今は普通に落ち着いてそれが出来た。

レイル達が自己紹介するのを聞いたボーマンダは、少なからず驚いていた。
それを見たレイルとリーフも、ちょっと戸惑う。彼がそこまではっきりと感情を変化させたのを見たのは、初めてだったからだ。
「ど、どうしたの?」
たどたどしい言い方だったが、ボーマンダと会ってから一言も喋っていなかったリーフが口を開いた。
彼に対する恐怖も、少しは解けたのだろうか。
「……他人から自己紹介をされたのは本当に久しぶりだ。ここ数年、まともな会話もほとんどなかったからな」

ボーマンダは淡々と言ったが、自分達には予想もつかないような孤独を彼は抱いているような気がした。
本当に何年もの間、誰とも会話をせずに過ごすことが出来るのだろうか。
レイルは想像して思わず首を横に振った。もし自分だったら、きっとどこかで気が狂ってしまいそうだ。
『蒼の殺人鬼』の名が広がっている今、普通なら彼に近づこうと考える人はいないだろう。
まともな会話が出来なかったというのも、仕方のないことなのかもしれない。
「ああ、紹介が遅れたな。私の名はヴィムだ……ん? どうかしたか?」
怪訝そうな顔をしているレイル達に、ヴィムが訊く。
「寂しくなかったの? ヴィムはずっとひとりぼっちだったんでしょ?」
「……もう慣れてしまったよ。寂しい、というのがどんなことなのか分からなくなっているのかもしれないな」
その言葉とは対照的に、話している彼はとても辛そうに見えた。
本人は気がついていないかもしれないが、彼の瞳はどこか寂しさを含んでいるような気がしてならなかった。

「そうだ、さっき言おうとしたことなんだけど。どうしてヴィムは他の者を傷つけたくないって思い始めたの?」
レイルからはヴィムに対する警戒心がすっかり消えてしまったようだ。最初の敬語口調は影も形もない。
ヴィムは少し俯き、そして顔を上げた。その数秒の時間の間に、彼は何を想っていたのだろうか。
「……知りたいのか?」
呟くように言ったヴィムの口調は暗かった。訊くことを躊躇わせるような、そんな雰囲気がある。

レイルはリーフと顔を見合わせ、そして小声で言う。
「どうするの……レイル?」
「僕は聞いてみたい、リーフは?」
「……うん、僕も。まだちょっと怖いけど、ヴィム……のこと、もっと知りたいし」
リーフはまだ彼を呼び捨てにすることに抵抗を感じているようだ。
だが、あんなにヴィムを怖がっていたリーフから肯定的な返事をもらえたことが、レイルは嬉しかった。
「教えてくれるの?」
ヴィムの方を向き、レイルはもう一度訊ねた。
「教えてもいいが……決して気持ちのいいものではないぞ? それでも聞くのか?」
忠告ともとれるヴィムの言葉。一瞬ためらいを感じた。
確か、ヒュエナからキラーの話を聞く前にも、似たようなことを言われた気がする。
彼女の言葉通り、内容は決して明るくはなかったが、レイルは聞いて後悔はしていない。

あのとき聞いたおかげで、キラーのこと、そして『蒼の殺人鬼』のことを知れたのだ。
それらについて知らなければ、『蒼の殺人鬼』に対して興味を持つこともなく、ヴィムとも出会うこともなかっただろうから。
もう、レイルの答えは決まっていた。
「……それでも、構わないよ」
「…………分かった。話してやろう……私の過去をな」
ヴィムは静かに地面に腰を下ろした。結構長い話になることを思わせる。
レイルもリーフもそれに続いて草の上に座り、ヴィムの方を見た。


語られるヴィムの過去に、彼らは耳を傾ける。


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