第9話 赴いた狂気 広い空洞だった。辺りはごつごつした岩壁が露出しており、無骨な印象を受ける。 天井はなく、吹き抜けになっており光が差し込んでいる。そのおかげで空洞内は明るかった。 岩壁の上部からは、たくさんの水が流れ込んでおり、滝と化している。 流れ込んだ水は滝壺を作り出し、そこから広がった水は小さな湖とも言える広さとなっていた。 その湖の中心部に、ちょっとした広さの陸地がある。 周りの地面より高くなっていたのか、水につからず地上に顔を出している。 そこの陸地に寝そべっている一つの姿があった。 滝の水を濃くしたような蒼の体。背中には大きな紅色の翼。 そして鋭い爪を持つ、ドラゴンポケモンのボーマンダだった。 体に似合わず、穏やかな寝息を立てて、何とも気持ちよさそうに眠っていた。 ザッ……ザッ……。 砂利を踏みしめる足音が聞こえる。 ゆっくりとボーマンダがいる方へ近づいている、一人の男がいた。 体格は普通ぐらい、少しくたびれたような顔をしているが、そんなに老けているわけでもなさそうだ。三十代前半と言ったところだろうか。 ぱっと見の第一印象は普通の男だったが、その眼には誰にも有無を言わせないような鋭さがあった。 何かに対して強い憎しみでも持っているのか。それが誰に向けられたものなのかは分からなかったが。 男は水に入らない範囲で、一番ボーマンダに近いところまで来た。 ボーマンダは気がつかないのか、さっきと同じように寝息を立てている。 男は薄笑いを浮かべると、ポケットからモンスターボールを取り出し、スイッチを入れる。 中から飛び出してきたのは、外側は黒、内側は白い翼に、胸には赤い模様のある鳥ポケモンのオオスバメだった。 男は黙ってボーマンダを指さすと、 「……頼む」 感情のこもらない冷たい声で言った。それでも、どこか辛そうだったが。 オオスバメは何も言わずに黙って頷くと、高く上昇した。 そして、ボーマンダに向かって急降下していった。 空洞の上部から真っ直ぐに下へと直進する。 いくらドラゴンポケモンの鱗に耐久力があるとは言え、不意打ちでオオスバメの嘴の攻撃を受ければ、かなりのダメージになるのではないかと思われた。 だが、後少しで体に触れるというところで、ボーマンダが突然顔を上げ、オオスバメに向かって炎の塊を吐きだした。 熱い炎がオオスバメの体を取り囲む。 反撃を受けるなど予想もしていなかっただろう。けたたましい悲鳴が空洞内に響く。 体を覆っていた炎が消え去ると、無惨な姿になったオオスバメは水面に向かって落ちていった。 「ご苦労。なるほどな……」 オオスバメが水に落ちる直前に、男はボールに戻した。 ボーマンダは頭を起こすと、男を見据えた。 男も負けずに睨み返す。 「……何も言わずに突然不意打ちとは、やってくれるな」 ボーマンダが男に向かって言う。 もし、良識あるトレーナーなら不意打ちなどはせず、正々堂々勝負を挑んでくるはずだ。 彼が何者なのか、ボーマンダには判断しかねたが、眠っている所に不意打ちを仕掛けてくる人間に、良い感情を抱くはずもない。 「なに、ちょっとした試しだ。それにお前は眠っちゃいなかっただろ?」 どこか笑みを浮かべているような表情で、男は言った。 ボーマンダを前にしても、彼は全くといっていいほど恐れを見せない。 (見抜かれていたのか……この男、何者だ?) ボーマンダは少し厳しい表情になる。 確かに、男がこの空洞に足を踏み入れたときからその気配には感づいていた。 相手の反応を見るために、眠っているふりをしていたのだが、彼はそれまで見抜いていたのか。 こちらを睨む眼の尋常でない怪しげな輝きといい、やはりこの男はただ者ではないように思えた。 「……俺はお前に用があって来た。が、その前にだ。 『お前』じゃ呼びにくい。名前はなんて言うんだ? 俺の名はザルガスだ」 自分をザルガスと名乗った男はボーマンダに訊ねた。 ボーマンダはしばらく黙っていた。その間ずっと、ザルガスを探るような目で見ている。 「……俺が信用ならない、か。まあ、無理もないが。 俺がお前に不意打ちを仕掛けたのは、お前の力がどんなものなのかを見せてもらいたかったからだ。そして、お前は俺の期待以上に見事な力を見せてくれたよ」 ザルガスは、自分がなぜ攻撃したのかを話す。だが、ボーマンダの厳しい表情は変わらなかった。 「さっきお前が攻撃したときの炎は、本気ではなかったはずだ。だが、俺のオオスバメを瀕死にまで追い込むほどの威力……たいしたもんだよ」 ボーマンダのことは何でも知っているかのように話すザルガス。 知ったかぶりで言っているのならそれほど驚きはしなかったが、それが的を射ていたのだから、ボーマンダは少なからず動揺していた。 自分がさっき放った炎は、確かに本気ではなかった。 もともとオオスバメというポケモンはそれほど耐久力に優れるわけでもない。 楽に倒せる相手に、本気で炎をぶつけるのも馬鹿らしく思えたからだ。 「お前、何者だ? なぜそこまで……」 「これでも、ポケモンの生態系には詳しいつもりだ」 自信ありげに言うザルガス。ボーマンダは、彼の言葉を疑いはしなかった。 だからといって、心を許したわけではないのか、黙ったままだ。 しばらくの間、互いに睨み合ったまま沈黙が流れた。 滝から流れ出る水音だけが、涼しげな音を立てて二人の間に響いていた。 「ヴィムだ」 「え?」 突然、ボーマンダが口を開いた。よく聞き取れずに、ザルガスは聞き返す。 「私の名は、ヴィムだ」 「……ヴィムか」 再びボーマンダから聞かされ、名前を教えてくれたのだと理解する。 聞き出すのに随分と時間がかかってしまった。やれやれ、といった感じでふっと息を吐くザルガス。 「……さっきも言ったが、俺はお前に用があって来た。聞いてくれるか?」 「わざわざ私に不意打ちを食らわせるほどだ。よほどの用があるんだろうな?」 ヴィムはまださっきのことを根に持っているのだろうか。少し馬鹿にしたような声だった。 「俺はお前に嫌がらせをしに来たわけじゃない。お前に頼みたいことがあって来たんだ」 ザルガスはムッとするような素振りも見せず、真剣な口調だ。もう薄笑いは浮かべていない。 どうやら何か重要なことでも頼むのだろう。ヴィムは彼の様子からそう判断する。 彼がどんな話を持ちかけてこようと、受け入れるかどうか判断するのは自分だ。それに、人間の話を聞くのもそんなに嫌いというわけではなかった。 「その頼みがどんなものかは判断しかねるが……いいだろう、聞いてやる」 ヴィムはもう一度腰を下ろした。 話を聞いてもらえることになったのが嬉しかったのか、ザルガスの口元は少し緩んでいる。 表面上には出さないように繕っているようだが、ヴィムはその変化を見て取った。 「お前は今自分が何をしたいのか、そして何のためにここにいるのか、考えたことはないか?」 二つ返事で答えられるような質問ではない。適当に聞き流そうかと思っていたヴィムは少し面食らってしまう。 「……突然何を言い出す?」 「答えてくれ」 さっきまでとは打って変わって高圧的な態度をとるザルガス。ヴィムが答えるまでは、その場を動きそうにはなかった。 「……ふん、くだらんな。そのようなことは誰が答えを知っているわけでもないだろう。考えるだけ時間の無駄だ。 そもそも……自分が何のためにここにいるかなど、分かっている者の方が少ないのではないか?」 自分自身の存在について聞く、深い質問だった。これが正しいと言えるような答えはないだろう。 だが、ザルガスは彼の言葉を足蹴にでもするかのように、鼻で笑って見せた。 「確かにそんな考え方もあるだろうが、俺から言わせればそれは随分と退屈なことだろうな? 俺はやりたいと思っていることがある、そして俺は……そのためにここへ来たんだ」 笑みを浮かべながら、自信たっぷりに言うザルガス。 何がそこまで大きな自信に繋がるのか、ヴィムには分からなかった。 「……では聞くが、ザルガスのやりたいことは何だ?」 きっと彼はこの質問を待っていたのだろう。極上の笑みを浮かべ、高らかな声で話し始めた。 「俺のやりたいことか? それは…………復讐だ。俺はこの社会、世の中を恨んでいる。 何もかも消えてしまえばいいとさえ、思ったことがある……。だから、俺はこの手で消してやりたいんだよ……」 ザルガスは拳を固め、不気味な笑みを浮かべていた。その眼はギラギラと光っているようにも見える。 「……続けろ」 最初に見たときからある程度、予測はしていた。目の前にいる男が普通ではないということを。 ヴィムは動じる素振りも見せず、話の続きを促した。 「だが、俺だけの力じゃ限界がある。そこで俺はお前を利用することを考えた。 俺は……壊したいんだよ。それが人だろうが物だろうが何であろうとかまわない……!」 高ぶるザルガスの声は、怒気に満ちていた。何が彼をそこまで駆り立てるのか、ヴィムには判断しかねたが、良識ある人の目から見れば、彼は狂った人物として映ることだろう。 「何があったのかは知らないが、たいそうな頼みだな。だが、目的をはっきりと決めているお前の思想……私は嫌いではないな」 「……え?」 一瞬、耳を疑ったほど、ザルガスはかなり驚いていた。 目的を話したら、自分を異常者扱いする言葉が返ってくるものだと思っていたし、それも覚悟の上だった。 だが、彼からの返事は、嫌いではない、というものだった。 「どうした? 私がお前を蔑んだ方がよかったか?」 「え……い、いやそうじゃない。でも、まともに返事くれるなんて思ってなかったからさ……」 ザルガスは、慌てて首を横に振る。 蔑まれるのを覚悟はしていたが、望んでいわたけではなかった。 むしろ、ヴィムの落ち着いた反応は嬉しかったほどだ。 「……私でよければ力を貸そう」 何が起きたのか分からなかった。時が止まったかのように、ザルガスはその場に硬直している。 ぽかんと口を開けて、傍から見れば何とも間抜けな表情だった。開いた口が塞がらないという表現が良く合いそうだ。 「い、今なんて!?」 「力を貸そう、そう言っている」 再び自分の耳で聞いたヴィムの言葉。 ザルガスの驚きは、やがて喜びへと変わった。 「は、はははは! そ、そうか、お前の力貸してくれるんだな!」 感情を抑えきれないのか、わけもなく笑い声を漏らすザルガス。口調も自然と強くなる。 「目的が目的だから、俺がこんなこと言うのは変かもしれないけど――――」 『よろしくな、ヴィム』 今までに見た、馬鹿にしたような笑みではない、心からの笑顔でザルガスは言った。 それを聞いた瞬間ヴィムは、言葉では表現しがたい感覚に陥った。 彼の言葉が、封印されていた自分の心を解き放ってくれたのだろうか。 不思議と心が満たされていくような、今までに感じたことのない充実した気分だった。 目的はどうであれ、ザルガスは自分を受け入れてくれた。 そのことがヴィムにとっては何よりも嬉しかったのだ。 「……ああ、よろしくな、ザルガス」 少し遅れて、ヴィムも返事を返す。 そして、自分のいた陸地からさっと飛び立つと、ザルガスの隣にふわりと舞い降りる。 「ヴィム、もう一つ言っておく。俺と来るということは、お前の爪を赤く染めることになる。それでも来てくれるか?」 本来なら、そういった質問は最初に言うべきだろう。 今更になってそんな話を切り出すのはお門違い。それはザルガスも分かっているはずだ。 もしかすると彼は、ヴィムの決心を試していたのかも知れない。 「訊ねる順序がおかしい気もするが……まあいい、私はそれも覚悟の上だ。 それに、野心溢れるお前といると、何か私にも目的が見つかるかも知れないしな……」 彼が自分を試しているのかどうかは分からないが、決意は変わらない。もう決めたこと。ヴィムは即答した。 「そうか、じゃあ……行くか」 「ああ」 ヴィムの返事に満足したのか、ザルガスはこれ以上訊こうとはしなかった。 空洞の外へと向かうザルガス。来るときよりも足取りは軽い。 背後には、しっかりとついて歩く蒼い影もあった。 「これが私と、後にキラーのリーダーとなるザルガスとの出会いだった。あの日から私たちはいくつもの罪を重ねてきた……」 レイルもリーフも、しばらくの間何も喋ることが出来なかった。 普通では考えられないようなザルガスと言う男の思想に、少なからず恐怖を覚えていたのかも知れない。 「その、ザルガスって人……昔何かあったのか?」 「……いや、分からない。彼は自分のことについては、私に何も話してくれなかった」 レイルの質問に、ヴィムは首を横に振って答えた。 ザルガスがこんな行動を起こしたのにも何かきっかけがあるのではないかと、レイルは考えていた。 その引き金となった出来事が、何なのかは予測しかねたが。 「あのさ、ヴィム……?」 「……何だ、リーフ」 少し遠慮気味になりながらも、リーフはヴィムに訊ねる。 「ザルガスって人のやろうとしていたことは、悪いことだって分かってたんだよね?」 「……」 それを聞いたヴィムの表情が、少しだけ陰るのをレイルは見た。 だが、リーフはそれに気づいていない。 「だったらどうして……その人についていったの?」 何も答えず、ヴィムは俯いたままだ。 「ヴィム?」 「リーフ」 再び訊ねようとしたリーフを、レイルは制する。 リーフはちょっと驚いて、彼の方を見た。 「誰にだって話したくないことはあるよ。今は、話の続きを聞こう?」 「……分かった」 レイルに止められるとは思ってもいなかったのだろう。リーフは残念そうに頷いた。 「さて……話の続きだ」 そのことに対しては何も言わず、ヴィムは話を切り替える。 しかし、レイルが自分の気持ちを察してくれたことに、嬉しさと、少しだけ感謝の念を感じていた。
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