第10話 闇夜の涙



夕暮れ時の細い道。舗装はされておらず、地面がむき出しになっており荒々しい。
そのいかにも歩きにくそうな道を走る、いくつかの影があった。
何人かの男が後ろを振り返りつつ、死にものぐるいで走っているようだった。

一人の頭角らしき男を先頭に、三、四人の男がその後に続く。
随分と長い距離を走ってきたのか、息も絶え絶えな者も少なくない。
「り、リーダー! 何で空に逃げないんですか、奴なら俺らを乗せて飛べるんじゃ……?」
手下らしき男が、先頭を走っている男に向かって叫ぶ。
息が続かないのか、時折咳き込んでいた。
「……言ったはずだろう、討伐団の連中は空からも見張っている。それに、背中に誰かが乗っていれば動きが鈍る。それこそ……格好の的だ」
危機的状況にもかかわらず、先頭の男は冷静に受け答える。やはり、息は苦しそうだったが。
「……!」
先頭の男が立ち止まる。そして、視線の先の人影を見て歯を食いしばった。

そこには逃げている男達の人数の何倍に当たるか分からないほどの人々が、道を遮るように立っていた。
後ろからの追跡が来ているのは分かっている。引き返すことは出来ない。最初から挟み撃ちにするつもりだったのか。
「ちっ……討伐団め!」
手下の一人が憎々しげに怒鳴った。
圧倒的に相手側の人数の方が多い、戦うにしても多勢に無勢。いくら能力のあるポケモンを持っていたとしても、数で攻められては勝ち目はない。

「残念だったなあ? ザルガスさんよ」
討伐団の一人の男が、嘲るような口調で先頭の男に呼びかける。
ザルガスと呼ばれた男は何も答えずに、つまらない物でも見るかのような冷たい視線を男に投げかけた。全く動揺している様子はない。
この男が何故今の状況でここまで落ち着いていられるのか、討伐団も、そして他のキラーの団員達も疑問に思っていたことだろう。
ザルガスはニヤリと口元を引きつらせると、腰にあるモンスターボールに手をかけた。
「蒼の殺人鬼を出すつもりか……?」
討伐団の一人が口を挟む。その声はどこか震えているようだった。
「心配するな。奴への対策はしてある、何をしようとキラーはもう逃げられないさ」
さっきの男が冷静に答える。キラーのことをほとんど知り尽くしているようにも聞こえた。

ザルガスは薄笑いを浮かべたまま、手にしたボールを素早く空へと投げる。
空中でそれは開き、上空に大きな影を浮かび上がらせた。
それを見た何人かの人々は悲鳴を上げる。それだけ、彼らの間には『蒼の殺人鬼』に対する恐怖が刻み込まれているのだろう。
落ちてきた空のボールを受け止めると、ザルガスはヴィムに向かって叫んだ。
「ヴィム、俺たちは追いつめられている! どうやら逃げ切るのは無理のようだ! ……お前だけでも、逃げろ!」
突然のことに一瞬戸惑ったヴィムだったが、すぐに状況は察知できた。
今、ザルガス達は逃げ場を失って追いつめられているのだ。挟み撃ちに遭っているのが、上空からだとよく分かった。
「しかし、私だけ逃げることなど……!」
「これは命令だ! 逃げろ、ヴィム!」
自分だけ逃げるということに躊躇しているヴィムに向かって、ザルガスは再び声を飛ばした。

今までに、ザルガスがヴィムに向かって一方的に命令を下すようなことはなかった。いつもヴィムの気持ちを確認してから、ザルガスは指示を送っていた。
しかし、今の彼の声は有無を言わせないほど、鋭く、そして必死だった。初めて出会った時の彼を思い出させるかのように。
「……っ!」
ザルガスの気持ちを察したヴィムは翼を強く羽ばたかせる。誰も背に乗せていない彼は速く、その姿はどんどん小さくなっていった。
ヴィムの登場と、ザルガスの叫びに怯んでいた討伐団はハッと我に返ると、
「逃がすな! 奴を追うんだ!」
その一人のかけ声と共に、いくつかの飛行ポケモンが飛び出し、ヴィムの後ろ姿を追いかけていった。

ザルガスは、自分の手の中にある空のボールを少しの間見つめていた。
やがて、あきらめたような笑みを浮かべると、それを地面に落とし、足で踏みつぶした。
金属が砕ける鈍い音が何度か響いたかと思うと、もうボールは粉々になっていた。
「……これで、お前は俺に縛られることもない。今までありがとうな、ヴィム」
届くはずのない言葉だったが、それを呟いたとき、ザルガスは不思議と穏やかな気分だった。




ヴィムはひたすらに、さっきの場所から離れようとしていた。
討伐団の人数は多い。このまま見逃してはくれるとは思えなかった。
もし、一対一の戦いなら多少なりとも勝つ自信があったかも知れない。
だが、相手は複数。今の状況で戦いながら逃亡を図るのは相当困難だ。迎え撃つ余裕など有りはしない。
「……!!」
背後に何かの気配を感じた。予想通り、自分を追ってきているのだろう。
ヴィムは振り返らずに、一心不乱で飛び続けた。

刹那、ヴィムの首筋に鋭い痛みが走った。
「ぐっ!」
追っ手の誰かがヴィムに向かって攻撃したのだろう。首の辺りになま暖かい感触が伝わってきた。
すぐ側まで追っ手は迫ってきていた。このままではやられてしまう。
攻撃を受けた瞬間は一瞬よろけたが、すぐに体制を立て直し、ヴィムは必死に飛び続けた。
自分を逃がしてくれたザルガスの意志を、無駄にするわけにはいかない。それが今、ヴィムが彼のためにできる唯一のことだった。

どこに向かえばいいのかも分からない。

これからどうすればいいのかも分からない。

追っ手、傷の痛み、心の迷い。いくつもの障害が自分を押しつぶそうとしている。
それでも、ヴィムは飛ぶことをやめなかった。




「なあ、あいつはどこへ逃げたんだ?」
上空から声が聞こえる。おそらく追っ手の一人だろう。
「分からない……どこかに隠れているのかも」
「でも、あの傷じゃいつもみたいに戦うことは出来ないでしょ?」
「一太刀でも浴びせることができたんだ、それに辺りは暗くなりかけてる。暗闇から不意打ちされる可能性もあるかもしれない」
「……これ以上、ここに留まるのは良策とは思えないわ。ここは一旦退きましょう」
「仕方ないな。……悪運の強い奴だぜ」
悔しそうに呟いたその声を最後に、辺りはしんと静まりかえった。




夜の闇が辺りを覆ってくる。ここら一帯は森が広がっていて、より一層闇が濃くなっていた。
その分、身を隠すのにはもってこいの場所だったのだが。

森の中にある、大きな岩の影にヴィムは身を潜めていた。
これ以上空を逃げ続けるのは無理と判断し、咄嗟に眼下に広がっていた森に飛び込んだのだ。
運良く身を隠すのにちょうどいいこの岩を見つけ、追っ手が去るまで隠れていたというわけだった。
「……くっ」
さっきの傷が痛むのか、苦しげな声が漏れる。
紅い筋が三本、首筋に痛々しく痕を残していた。追っ手の中の誰かが、爪で引っ掻いたのだろう。
飛んでいるヴィムに追いつき、傷を負わせることのできる相手だ。かなりの実力を持ったポケモンではないかと思われる。
血はもう止まっていたが、傷跡は今後も残りそうだった。

「……ザルガス……私はこれからどうすればいいんだ?」
孤独な呟きは、辺りに空しくこだまするだけだった。いざ離れてみると、言っておきたかったこと、聞きたかったことがどんどん頭に浮かんでくる。
側にいたときはそんなことは思いもしなかったのに、今になって初めてそれに気がついた。
あの後、彼はきっと捕まっただろう。もう、二度と会えることはないかも知れない。
「……」
やりきれない想いが頭の中で渦を巻いていた。しかし、ここで苦悩したところで何の解決にもならない。
心の靄をどうすることもできず、ヴィムは黙って地面に寝そべった。
空を飛び続けた疲労もあったせいか、そうしているうちに、ヴィムはいつの間にか深い眠りへと落ちていった。




どれくらいの時間が経っただろうか。ふと、何かの音が聞こえてきた。
木々のざわめきでも、草が揺れる音でもない。どこか不気味で、暗さを伴っている。
「人の声……?」
ヴィムは疑問に思い、頭を起こすと耳を澄ませた。風の音に混じって、不気味なノイズが耳に入ってくる。
どうやらその声らしき音は、ヴィムの隠れている岩の反対側から聞こえてきているようだ。
「……?」
ヴィムは岩陰からそっと顔を出して様子をうかがった。

岩の反対側の木々の先に、開けた広い土地があった。所々に建物があることから、小さな集落か何かだろう。
だが、その建物はあちこちひび割れたり、崩れたりしていた。
「……!」
ヴィムはふと気がついた。そこは、何日か前にキラーが襲った村だということを。
奥の建物を壊したのが自分であることを思い出す。
「……うっ……ううう」
さっきの暗い声が再び聞こえた。どうやらこの声は一人の物ではない。何人かの声が集まって聞こえてくるようだ。
その声の主達は、集落の中心部にいた。数人の人々が地面に座り込んでいた。




「その人達は……何をしていたの?」
レイルの質問に、ちょっとだけ間を置いてヴィムは答える。
「泣いていたんだ。本当に……心の底から嘆いているような悲しみに満ちた声で……」
俯きながら話すヴィムの声は悲痛に満ちていた。
それを聞いているレイル達まで、悲しい気持ちにさせられるような暗さを伴っていた。
「その時ようやく、私は自分がしてきたことの重大さに気づかされた。
自分の行為がどれだけの人々を悲しみの底へ突き落としてきたか……それを思うと悔やんでも悔やみきれなかった……」
「キラーにいたときは、そんな風に感じたことはなかったの?」
「……ああ。私がザルガスや他の仲間と一緒にいたときは、そんな感情に捕らわれたことはなかった。
言い訳がましく聞こえるだろうが……ザルガス達と行動を共にするうちに、私の感覚も麻痺していたのかもしれないな。一人になって初めて、私は罪の意識を感じたよ……」

ヴィム達の行いが多くの人々を悲しませてきたのは事実だ。
キラーの行為をその目で見てきたわけではなかったが、ヒュエナの話からすると、見るに耐えない様子だったのだろう。
しかし、レイルには彼を責めることは出来なかった。
自分の行いに気がついたときのヴィムも辛かったに違いないだろうから。
「だから、ヴィムはもう誰も傷つけたくないって言ったんだね」
リーフがヴィムの顔を見ながら言った。
彼は黙って頷く。自分の犯した罪に初めて気づかされた時のヴィムの衝撃は計り知れなかっただろう。

「私は自分の行動で自分を孤独へと追い込んでいったようなものだ。だから私は、寂しいなどとは感じない。これが当然のことだと思っているからな」
ヴィムはそう言って立ち上がると、さっき自分がいた影の場所に向かって歩き出す。
「ちょ、ちょっと待って!」
慌てて彼の後を追い、その前に立ちはだかるレイル。
いきなり立ち上がったのレイルに少し驚いていたリーフだったが、自分もレイルの後に続いた。
「何だ? もう話してやれるようなことはないぞ」
そこをどいてくれ、とでも言いたげなヴィムの視線。
睨むような眼は他の者を怯ませる迫力があったが、レイルは動じずに訊ねた。
「ヴィムは自分のしたことに後悔しているんでしょ? だったら、どうしていつまでも自分は孤独だって決めつけるの?」
「私は決めつけてなどいない、それが当然のことで……」
「それは決めつけているのと同じだ」
彼を遮るように、レイルは厳しい言葉を返す。
リーフはヴィムの目の色が変わったような気がして、ドキッとしていたのだが、レイルはそれに気がついていないようだ。
「今のヴィムは優しい心を持ってる。それを他の人達に分かってもらえば、きっと……」

「知ったふうな口を叩くな!」
突然、ヴィムが叫んだ。咆哮にも近い声で。森の中の静寂を破り、声が響き渡る。
いきなりの不意打ちを食らったように、レイルも、もちろんリーフもビクッと体を震わせた。
「私が彼らの涙を見たとき、どんな想いだったのかお前に分かるのか!?
キラーの一員として、何の罪もない人々を巻き込んできたことを知ったときの苦しみが、お前に分かるというのか?!」
ヴィムの声は怒りに満ちていた。本当に、凄い迫力だった。
きっと、これがボーマンダの本気の咆哮なのだろうと、一瞬レイルは感じた。
体の底から震えがこみ上げてくる。それを抑えようとしても、修まりそうにはなかった。
「だ、だ、だけど……」
レイルは恐怖に負けじと何かを言い返そうとしたが、自分の隣にもうそれに負けてしまっている人物がいることに気づく。
リーフはその場に固まっていた。石のように硬直し、動かない。いや、動けないと言った方が正しいだろう。ヴィムの叫びが突然のことだったので、なおさらダメージが大きかったようだ。
「……ごめん、リーフ」
レイルはそっと呟いてボールを取り出し、リーフを戻した。

ヴィムは何も言わずに、木々の影の中へと入っていった。
レイルは呼び止めようとしたが、言うべき言葉が見つからなかった。
「所詮私は、過去の闇からは逃げられないのだ……」
ヴィムは背を向けたまま、レイルに小声で言った。
「……」
これ以上何か言ったところで、ヴィムが考えを変えてくれそうな気配もなかったし、自分が彼を説得させるような自信もなかった。
レイルは黙って俯くと、森の外へ向かって歩いていく。その足取りは、来たときよりもずっと重いものだった。


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