第11話  昔日の業



辺りはもうすっかり夜になっていた。月明かりが目映いばかりに輝いている。
レイルは後ろ髪を引かれる想いで森を後にした。無意識のうちに、何度もヴィムのいた方向を振り返ってしまう。
だが、その視線の先には闇が広がっているだけ。そして木々のざわめき以外、何も聞こえない静寂がここに留まっていた。
「……」
しばらくの間そこに立ちつくしていたレイルだったが、リーフのことを思い出し、慌ててボールを取り出して投げた。
リーフがさっきと同じ、引きつった表情でそこに現れる。
「……あ、れ、レイル……」
何とか言葉を口にしているようだ。名前を言うことで精一杯らしい。
「リーフ、ごめんな。怖い目に遭わせて……」
「わーーーっ!! レイルーーー!! 怖かったよぉぉーーー!」
リーフはレイルの胸に飛び込み、肩を震わせて泣いた。彼の目から止めどなく涙がこぼれ落ちる。
自分が付き合わせて、怖い思いをさせてしまったのだ。何ともやるせない気持ちで、レイルはリーフの背中に優しく手を当てた。
「大丈夫か?」
「うん……」
少しは落ち着いたのか、さっきよりははっきりした声でリーフは答えた。
「帰ろうか。遅くなったし、姉さんが心配……はしてないと思うけど」
森の中のヴィムが気になったが、いつまでもここにいるわけにはいかなかった。
リーフはレイルの提案に、小さく頷く。
深まった夜の闇を感じながら、二人は家へと向かった。


ドアに手を掛け、そっと開く。居間にいたセリアがこちらを振り返った。
ケルドの姿はなかった。彼は主に研究のときの助手として、彼女をサポートしている。
「あら? お帰り、レイル。ちょっと遅かったわね」
いつもと同じようなセリアの声だった。心配しているような様子は微塵もない。
レイルにしても、細かいことをいちいち言われるよりは、こっちの方がいいと思っていたが。
「……ただいま」
「どうしたの? もしかして……ヒュエナさん、怒ってた?」
元気のないレイルを見て、もしかするとと思ったのかセリアが訊ねた。
一応、それなりに罪悪感は感じているのだろうか。
「そんなことなかったよ。正直に理由を話して、謝ったら許してくれた」
「そう、それならいいんだけど。じゃあ、もう晩ご飯出来てるから、食べちゃってよ」
机の上にはセリアが作った料理が見えた。怪しい実験を繰り返している彼女だったが、こう見えて料理はそこそこ作れるのだ。味は、レイルもリーフも公認している。

二人は黙って椅子に座り、食べ始めた。普段なら何らかの会話を交わしたりするのだが、今日はとてものんびり話をする気分にはなれない。
レイルはどうしても、ヴィムのことが頭から離れなかった。
(あの後彼はどうするんだろう。これからもずっと独りで生きていくんだろうか……?)
ヴィムに対する想いが、頭の中でぐるぐると渦を巻いている。
考えながら食べていたせいか、いつの間にか食べ終えてしまっていた。
「姉さん」
「ん?」
「もし、誰かが大きな罪を犯して、たとえそのことを後悔していたとしても、その人は絶対に許されないと思う?」
レイルの声を背中で聞いていたセリアだったが、思っても見なかった質問に面食らってしまった。
「な、何……あんたいきなり何言い出すのよ?」
慌てて後ろを振り返り、うわずった声で聞き返す。
レイルの質問はどう考えても、食事の場で交わすような内容ではないように思える。
「……答えて」
間髪入れずに、レイルは再び訊ねる。

真剣な彼の様子に、セリアも押し黙る。
レイルがどんな意図で質問をしたのかは分かりかねたが、曖昧に笑って答えるのもどうかと思う。
ちゃんとした言葉を求めていないのなら、聞き返したりはしないだろうから。
「いきなりそんなこと言われてもねえ……」
セリアは何度か頭を捻って考える。罪だとか、許されるだとか、そんな難しいことを考える機会はなかった。彼女の頭にあるのはほとんど実験のことばかりだ。
「う〜ん、私にははっきりしたことは言えないけど……もし自分の罪を自覚して反省する気持ちがあるんだったら、絶対に許されないなんてことはないと思うわ……。その人が犯した罪は、消えてなくなりはしないけどね」
面と向かって話す彼女の意見は、筋が通っていて的を射ているように聞こえた。
セリアからちゃんとした答えが返ってくるとは半ば期待していなかっただけに、レイルもリーフも驚いていた。
(今の意見、なかなかよかったんじゃないかしら)
セリア自身がいいこと言ったかなと、密かに思っていたことは別として、レイルに取っては十分納得できる答えだったようだ。
「そうか……姉さん、ありがと。参考になったよ」
一言礼を残して椅子から立ち上がると、レイルは二階にある自分の部屋へ向かった。
リーフも彼の後に続いたが、ふと立ち止まり、
「セリアさん、さっきの言葉、かっこよかったよ」
「そう、ありがとね。でも、いきなりあんな質問されてびっくりしたわ。何かあったの?」
「ううん、別になんでもないよ。気にしないで」
首を横に振ると、リーフは軽い足取りで階段を上っていった。

「気にしないで、か。そう言われるとちょっと気になるものなんだけど……」
本人が言いたくないのなら、深くは追求しようとは思わなかった。
もともとレイル達が何をしているのかに無関心だったこともあるのだが。
多少心に引っかかることがあったとしても、彼女はほとんどの場合、
「ま、いいか」
この一言で終わらせてしまうのであった。




「……やっぱり気になるの? ヴィムのこと」
部屋の窓から森の方ばかり見ているレイルに、リーフが訊ねた。レイルは黙って頷く。
窓から見える森は、静かに闇の中に佇んでいる。時折吹く風によって、木の葉をサワサワと揺らしていた。
「絶対に許されないなんてことはない……か」
セリアの意見を反芻し、考えるレイル。質問の内容は深いものであり、これが絶対に正しいと言える答えは見つかりそうにはなかったが、さっきの言葉はレイルの心に残っていた。
「リーフはどう思う?」
「僕も同じだよ。ヴィムは、きっと自分のしたことを後悔してたと思うから……」
「もう一度会って話せないかな?」

レイルからしてみれば、ほとんどヴィムの話を聞いていただけで、互いに意志のやりとりをしたとは思っていなかった。
彼の話を聞き終えた後も、まだまだ話したいことはあったのだが、ヴィムはそうでなかったらしく、拒絶されてしまった。
もっとも、その原因は自分の失言だったかな、とレイルは思い始めていたが。
「レイルの気持ちは分かるけど、でも……」
不安そうな表情のリーフ。レイルの考えに対しては、おおむね同意できた。
再び話をすることによって、新たな道が開けることがあるかもしれない。ヴィムが孤独でなくなる方法が見つかるかもしれない。
だが、心のどこかで彼に会うことを拒み続けている自分がいたのだ。
「……そうだよな。あの、ヴィムの吼えは強烈だったよ」
耳を劈(つんざ)くようなヴィムの怒りに満ちた声、そしてその瞳。
ついさっきのことだ。リーフはまだ傷が回復しきっていないのだろう。
レイルも、リーフの前では落ち着いていたが、森から出る間はしばらく震えが止まらなかったのだ。

「あんなふうに言われた後じゃ、会いに行くにも行き――――」
レイルの言葉が途切れた。彼の視線は窓の外の森に釘付けになっている。
「どうしたの?」
「あれ……何だ?」
レイルは窓を開け、森の上空を指さした。
雲一つない澄んだ夜空を優雅に舞う、二つの影。
暗さのせいでそれが何かは判断しかねたが、どうやら飛行タイプのポケモンかと思われた。
次の瞬間、突然炎が吹き上がった。二つの影が、互いに炎技を放ったのだろうか。
暗闇を照らす紅蓮の炎。その明かりの中垣間見えた姿は、間違いなくヴィムのものだった。
もう一つの影が何者なのまでは分からなかったが、どう見ても穏便な様子ではない。
「ヴィム! 森で何かあったんだ、行こ……」
レイルは言いかけて、
「僕は行く、リーフはどうする?」
確認を取るような形に、慌てて言い直した。

レイルはちょっとした気遣いのつもりだったのだが、リーフにとってはそれが嬉しかったらしい。
自分の身を心配してくれる相手の言葉。それを断る理由なんてどこにもなかった。
「僕も行くよ。僕はレイルについていくからね」
二人は互いに微笑み、頷くと、急いで部屋を出て階段を駆け下りた。
食事の後かたづけをしていたセリアが、何事かと驚いて彼らの方を見たが、レイル達は脇目もふらず、一直線に玄関へと向かう。
彼女が玄関の方に目をやると、ドアの外へ出ていく彼らの姿があった。
「姉さん、ちょっと出かけてくる!」
こんな夜遅く何の用事があるのかと思ったが、彼らには彼らの事情があるのだろう。
セリアは慌てた様子も見せず、平然と、
「暗いんだから、気をつけるのよー!」
ドアの外へ向かって叫んだ。
そして、開け放されたドアを閉めると、再び台所へと向かうのだった。


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