第12話 血染めの記憶 後編



ヴィムは今の位置から少し下降すると、一番端に見える家に向かって火炎放射した。
轟音と共に紅蓮の炎が家を包み込む。木造だったので、火の回りは早い。
息を吸い込んでいたため、炎の威力は相当なものだった。
下から人々の悲鳴が聞こえる。突然の出来事に、何がおきたのか理解に及ばない人もいるようだ。
再び、炎が飛ぶ。ヴィムにとって火炎放射という技は、造作もないことだった。
炎が村にあるすべての家に燃え広がるのに、それほど時間は掛からなかった。薄暗くなった辺りを、紅い光が照らし出す。
家の中にいた人々が慌てて外に飛び出してくる。逃げることも叶わずに、焼死した人も少なくないだろう。
さっきまで自分のいた家が燃えている、このような状況を誰が予想できただろうか。村は、逃げ惑う人々で一杯だった。
「……さてと」
ぼそりと呟くと、ヴィムは地面ぎりぎりの位置まで下降した。

何が起こったのかもよく分からずに、その場から逃げようとしていた人々。
冷静さや判断力は欠けていたが、目の前に現れた大きな影に対しては、ただならぬ気配を感じたらしい。
中には、引きつらせた表情のまま、その場に立ちすくむ人々もいる。
その隙に、ヴィムの容赦ない爪の一撃が及んだ。

ザッ――――。

近くにいた二人の体が切り裂かれ、鮮血が飛び散った。
ヴィムの爪にもなま暖かい感触が伝わってくる。倒れた二人の体からは血が流れ出し、地面を赤く染めていった。
ヴィムの出現に立ちすくんでいた人々も、本能的に命の危険を感じたらしい。
「うわああああ!!」
「た、助けてくれええ!!」
人々は悲鳴を上げ、散り散りに逃げてゆく。だが、ヴィムからすれば、簡単に追いつくことが出来る距離だった。
翼を軽く羽ばたかせ、体を浮かせる。低空飛行をしながら、すれ違う人々を薙ぎ倒していった。
ヴィムが爪で斬りつける時はいつも下腹部を狙う。大量の出血があれば、心臓を潰さなくとも殺めることができ、そこならば肋骨に阻まれる心配もない。
腹を裂かれた人々は、声のようなものを発してその場に倒れ込む。ヴィムの狙いは正確らしく、再び起きあがる人はいなかった。

ヴィムは地面に足をつけた。
運良く爪の攻撃から逃れられた数人の村人が森に差し掛かるのが見えた。
彼らは逃げ切れたと思っているのだろうか、それとも、これからさらに遠くへ逃げるつもりなのだろうか。
どちらにせよ、彼らを逃がすつもりはなかった。
ヴィムは黙って大きく息を吸い込む。口の周りに黄色い光が集まり始めた。
時折、バチバチと弾けるような音を出すそれは、火炎放射とは異なる。
光は徐々に激しい閃光を纏い、やがて前方に勢いよく放たれた。
高熱で目映い一筋の光は、数人の村人に向かって一直線に進んでいく。

刹那、轟音と共に爆発が起こった。爆心部であろうと思われる中央には、人の形をした黒い物体がいくつか横たわっていた。
所々に見える白い部分は骨だろうか。肉はすべて焦げ、黒ずんだ煙を放っていた。
さっきの光、破壊光線は、火炎放射の威力を軽く上回る強力な技だ。そのぶん、体に掛かる負担も大きく、連続で繰り出すことは出来ない。
攻撃の反動からか、ヴィムは大きく息をついた。疲労が残っている間は、行動が制限されてしまう。
ふと、自分の視界の端に、何か動くものが映ったような気がした。
まだ他にも生き残りがいたのだろうか。ヴィムは周囲に気を配り、探るように見回す。
村の家はもうすっかり焼けこげてしまっていた。煙が所々でくすぶっているが、炎は出ていない。
人影を見つけたのは、家の残骸の側だった。薄暗さと、建物の影になって見落としていたようだ。
一人の男が、かろうじて残っている建物の壁に向かって、呆然と立ちつくしていた。
ヴィムはゆっくりとそこへ向かって歩いていく。おそらく、彼がこの村の最後の生き残りだろう。
「……!」
足音に気がつき、男が振り返る。何かを言おうとして口を開いたが、声にならなかった。
ヴィムは黙って前足の爪を振り上げる。
「ま、待ってくれ」
男は慌てて一歩後ろに下がる。背後は壁なので、逃げられそうにはなかった。
「助けてくれ……頼む」
手と膝を地面につけ、男はか細い声でヴィムに言った。
ヴィムは何も表情を変えない。このような命乞いは今までに何度も聞いてきた。それに応じたことは、一度たりともなかったが。
姿勢を低くした男の頭は、ヴィムの爪の高さよりも低い。振り下ろせば、男の命は消え去るだろう。

「なぜだ?」
「え?」
「なぜお前は助かりたいと思う?」
振り下ろそうとしていた爪を下ろし、ヴィムは男に対して尋ねた。
もしかすると、それを見て男はほんの少しでも希望を持ったのかもしれない。彼の顔が幾分か、明るくなったような気がした。
「なぜ……って」
「お前はこの先、生きて、まだやりたいこと、自分の目標としていることなどがあるのか?」
ヴィムは続けて質問をぶつける。
こんなことを聞くのはなぜだろうとでも言いたげな表情をしながら、男はゆっくりと立ち上がった。
だが、質問の答えが見つからないのか、うつむいて黙り込んでしまった。
「助けてほしいと言う割には、自分の目的や目標も話せないようだな」
「……確かに、な。考えてみれば、こんな森の奥で、毎日汗流して畑を耕して……苦労ばっかりだったな」
男はうつむいたまま、ぼそりと呟いた。極力、ヴィムと目を合わさないようにしているようにも見えたが。
ヴィムの体には、あちこちに村人の血が飛び散っている。そんな彼を直視するのは抵抗を感じるのかもしれない。
「……なんだ、その……生きるのってさ、結構大変だよな?」
男は顔を上げると、ヴィムと目を合わせ、訊ねた。初めてじっくりと眺める殺人鬼の姿。
体のあちこちに飛び散る血には、恐怖を感じずには居られなかった。しかし、一度その姿を見てしまえば、自分が想像していたよりは震えは込み上げてこなかった。
「そうだな……私もそう思うことがあるよ」
「な、なんだ。お前もそう思うことがあるのか」
共感できたことに対する嬉しさだろうか。男は引きつった笑みをこぼした。
「そんな生きる苦労も、ここまでだよ」
「え?」

ドスッ――――。

鈍い音。いったい何が起こったのだろう。男は自分の体を見た。
「……なっ……がっ」
ヴィムの鋭い爪が、自分の腹に深々と突き刺さっていた。
血が流れ出ているのを感じる、痛い。目の前に居るはずの殺人鬼の姿もだんだんと霞んできた。
「な、んだ……俺……死……」
朦朧とする意識の中、何とか口を開いたが、それ以上は言葉が出てこなかった。
口からは言葉ではなく、赤い血がこぼれ出る。男はほろ苦い鉄の味を感じた。
ヴィムは男の体に食い込んだ爪を軽くまげると、力任せに引いた。
生々しい音がして、肉片が、内蔵が、血が、地面に飛び散る。
「がはっ……」
男は体を仰け反らせ、吐血した。ヴィムの頬に血が降りかかる。
地面に倒れ、何度か痙攣を起こして震えていたが、やがて彼は動かなくなった。
「……すまないな」
目を見開いたまま、絶命している男に向かってヴィムは呟いた。

背後から手を叩く音が聞こえた。ヴィムが振り返ると、ザルガスが笑みを浮かべて手を叩いていた。
「ヴィム、なかなか素晴らしかったぞ。腕は鈍っていないようだな」
「…………」
拍手は賛辞のつもりなのだろう。ザルガスに褒められるのは、確かに嬉しいことだった。だが、心のどこかではそれを真っ直ぐに受け止められずにいる。
出会った頃は、自分の行いで、ザルガスが満足してくれるのならそれでよかったのだ。
それが、徐々に時間が経ってくるにつれ、少しずつ疑問が浮かんできた。そして今も、それは自分の中で大きくなりつつある。
「……どうした? さすがに今回のは厳しかったか?」
どこか浮かない顔をしているヴィムに気がついたのか、ザルガスが訊ねた。
「いや……大丈夫だ。心配ない」
いつか自分の心の内を、ザルガスに話さなくてはならないときが来るのかもしれない。
だが今は胸に巣くう靄を、どう伝えればいいのか分からなかった。まだ、しばらくの間はこの気持ちを自分の中に秘めておこうと思う。

ザルガスは村の中央に向かって歩いていった。
倒れている人々、血に染まった地面、それらを気にも止めず、足を進める。
そして中央までたどり着くと、空を仰いで――――笑った。

村の無惨な様子を見て笑った。

血にまみれ、倒れている人々を見て笑った。

闇に響く高笑いだった。

その笑い声は、ヴィムの心にも響いていた。
聞き取ろうと集中しているわけでもないのに、心の奥底まで入り込んでくる。まるで、催眠術のような不思議な声だった。




「……!」
ヴィムは首を起こした。そして慌てて、辺りを見回す。
目の前に広がるのは森だ。建物の残骸も、人々の死体も、見あたらなかった。
深く息を吸って、吐いた。心臓の鼓動が早い。
「また、か……」
ヴィムがこの夢を見たのは一度ではない。
あのときのザルガスの声と共に、惨たらしい村の風景が頭に浮かんでくるのだ。
ヴィムにとっては忘れようとしても、忘れられない記憶だった。
キラーにいた頃の自分は、他人を殺めることに抵抗は感じなかったかもしれない。だが、殺すという行為に快楽を覚えたことは、一度たりともなかった。
初めて出会ったときに、ザルガスは世の中を憎んでいると言った。その理由を詳しく聞くこともなく、そして、ヴィムは自分の胸の内を話すことなく、別れることとなってしまったのだ。
「……なぜ、あの状況で笑えた? 何がお前をそうさせたんだ、ザルガス……?」
答えが見つかるはずもない問いかけ。だが、予想もしていなかったことに、別の声が返ってきた。
「ずいぶんとうなされていたようだな。悪い夢でも見ていたのか?」
声は背後からだった。普段のヴィムならば、気配を感じ取っただろう。だが、さっきは夢のことに気を取られていたため気がつかなかったようだ。
しっかりとした口調から、ヴィムに驚いているようには思えない。
「……やっぱり、ここにいたんだね」
さっきの声とは別の声だった。少し、悲しそうな感じがする。
自分に用があるとすれば、何となく予想はつく。喜べる訪問者ではないと予想しながらも、ヴィムは振り返った。


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