第15話 疑念




ラインが落ちていった場所は、さっきまでヴィムがいた開けた土地だったようだ。
ひらりと地面に舞い降りるヴィム。そこには、ぐったりと横たわったラインと、その隣で必死に彼に呼びかけているヒュエナの姿があった。
「ライン! ライン、しっかりしろ!」
ラインの体を何度か軽く揺さぶるが、反応はない。
ヒュエナはヴィムが降りてきたことに気がつき、彼を睨んだ。
(……ライン)
思ったよりも傷が深かったらしく、ラインの首筋からは血が流れ出ている。
意識がないということは、かなり危ない状態に思えた。
「ライン、お願いだ。目を……開けてくれ……!」
肩を震わせてラインに呼びかけるヒュエナ。しかし、彼の返事はない。

ヴィムは歯を食いしばり、俯いた。
どうしてこんな事になってしまったのか。
話し合いでは無理だった、だから戦うことになった。
だが、逃げようと思えば逃げ切れたのではないか。
それなのに自分は、ラインと戦うことを決めた。
表向きは戦いを避けていたつもりだったが、本当は心のどこかで戦いを望んでいたのではないか。
様々な想いが、頭の中をよぎった。
ラインはヒュエナにとって、家族のような存在だ。
長い間一緒にいたパートナーを失う悲しみは底知れない。
涙を流すヒュエナの姿が、昔見た、村を滅ぼされて嘆いていた人々の姿に重なってやまなかった。

「……うぅ」
ふいに聞こえてきた微かな声。本当にわずかで、注意していなければ聞き逃してしまいそうだった。
そのため、それがラインから発せられたものだと気がつくのに少々時間がかかった。
「ライン!」
ヒュエナは驚いてラインの顔をのぞき込む。閉じたままだった彼の瞳が震え、そして開いた。何度かまばたきをして、今自分の目の前にあるものを確認したようだ。
「……ライン、私が……分かるか?」
ラインから見ればヒュエナの顔がすぐそこにある。それは紛れもない自分のパートナーの顔だった。
いつも自分の側にいて、一緒に暮らしている。その顔を忘れるはずもなかった。
ラインはゆっくりと体を起こし、彼女の目を見つめた。
「あ……ああ。分かる……よ」
頼りない声だったが、ラインは確かに返事をした。それだけで、ヒュエナにとっては十分だった。
もう聞くことが出来ないと思っていた声。二度と交わす事が出来ないと思っていた言葉。
ラインが無事だったと分かった途端、抑えようのない喜びがわき上がってくるのを感じた。
「ライン……よか……った。本当に……」
ヒュエナはラインの体をぎゅっと抱きしめる。血を失っているせいか体は少し冷えていたが、それでも生きているという温もりを感じることはできた。
(ヒュエナ……泣いて……いるのか?)
ラインは首筋にわずかながら、水の感覚を覚えた。冷たくはない。彼女が嬉しさのあまりこぼした、暖かい涙だった。
どうしてヒュエナが泣いているのか、よく分からない。まだ頭がぼんやりとしていて、今の状況がつかめなかった。
(……ライン?)
体を起こしたきり、何の反応もないライン。心配したヒュエナが、再び声をかけようとした時だった。

ガサガサと草を掻き分けてくるような足音が聞こえてきた。やがて、近くの茂みが揺れ足音の主であろう人物が顔を出した。
「ヴィム!」
叫び声と共に、そこから飛び出してきたのはレイルだった。
急いで辺りを見渡し、ヴィムの姿を確認してホッとしたのもつかの間。
予想だにしなかった別の二人の来客に、目を疑うレイル。驚きが大きかったのか、後ろからリーフが勢いよく走ってきていることも忘れてしまっていた。
「レイルーー!! うわっ!!」
「え……うわぁ!」
レイルより少し遅れて茂みから飛び出してきたリーフに突き飛ばされて、前にすっころんでしまった。
リーフはレイルの後を追いかけて走っていた。だが、森の中は視界が悪い。また、レイルより背の低いリーフは周りを確認するのが難しかった。
さらに、茂みを出たすぐそこでレイルが立ち止まっているなど、考えもしなかったのだろう。勢い余って、レイルの背中に激突してしまったのだ。
「痛てて……」
体はレイルより小さくとも、リーフはなかなかパワーがある。背中に受けた衝撃は、結構大きかった。ぶつけた所をさすりながら、レイルは起きあがる。
「だ、大丈夫?」
「ああ、大丈夫。それより……二人とも何を……?」
レイルはヒュエナとラインの方に視線を送る。

少しの間、押し黙るヒュエナ。答えることを拒んでいるようにも見えたが、やがて口を開いた。
「私は、あいつを殺しに来た……」
彼女の口から出てきた『殺す』という言葉が頭の中でこだまする。一瞬、耳を疑った。
だが、ラインの首にある生々しい傷や、ヴィムの体に黒く焦げたような後が残っているのを見て、何が起きたのかは予想できた。
「……ど、うして?」
リーフの声が震えている。
まだ、彼女の言葉が信じられないといった様子だ。
「私とラインは、キラーと敵対する討伐団の一員だったんだ。だから……あいつを」
レイルはふっと、ヒュエナの家での出来事を思い出す。
あの記事を見せたときの二人の不自然な言動や、ヒュエナの辛そうな表情。
キラーの行いをその目で間近に見てきた討伐団だったとすれば納得がいく。
レイル達には、自分たちがキラーと関わっていた討伐団であったことを知られたくなかったのだろう。
「ヴィムは何もしていないのに、どうして……?」
「……そんな! ヴィムは何もしてないよ!」
ほぼ同時にレイルとリーフの言葉が響いた。
二人がヴィムを擁護していることに、内心驚きながらも、ヒュエナは首を横に振る。
「……私は、あいつの言葉を信用できない。あいつがどんな非道な行いをしてきたかを知っているのか?」
「ヴィムから……聞いた。でも、それは過去の話じゃないのか?」
「そうだよ。今のヴィムは絶対にそんな酷いことはしないよ!」
次から次へと飛んでくる、擁護の言葉。それをいくら聞かされた所で、ヒュエナの心は変わらなかった。
「レイル達の言うように、今は何もしていないんだろう……。だが、私は不安でならないんだ。もしこのままあいつを放っておいたら、またどこかで人を殺すかもしれない。悲しみにくれる人が出てくるかもしれない……」
「……そんな」
レイルは言葉を詰まらせた。ヒュエナはどうしてもヴィムに対する疑心を払えないでいる。
口で言ったことだ。疑おうと思えばいくらでも疑えてしまう。やはり、ヴィムを信じてもらうのは無理なのだろうか。

「……もういい」
ヒュエナとの会話のやりとりを、ずっと聞いていたヴィムが口を開いた。
どこか諦めたような表情だったが、とても穏やかだった。
「もういいんだ。……私が酷い行いをしてきたことは、紛れもない事実だ。ヒュエナに私の言葉を信用してもらえないのも無理はないさ」
「……ヴィム」
名を呼んではみたものの、それに続く言葉が見つからない。
レイルには、ヴィムが心の中で悲しみに耐えているような気がしてならなかった。
「……待って!」
その場が少しの間沈黙した。
今までずっと黙っていたラインが突然口を開いたのだ。
どうしても伝えたい事があったのだろう。彼の目の真剣さがそれを物語っていた。


戻る                                                       >>第16話へ

 

inserted by FC2 system