「話したいことはいくつかあるんだけど……何から話せばいいかな?」 「どんな内容かも分からないのに、聞かれても困るな」 「あ、それもそうだね……」 苦笑いを見せるライン。笑うことで、緊張を紛らわそうとしていたのだろうか。 ヴィムに話すと決めはしたものの、まだどこかで躊躇っている自分がいるのだろう。 「……君の首に傷があるだろ?」 ラインはヴィムの首に目をやった。そこには三本の古傷があり、それは絶対に消えることのない傷だった。 傷、と言われてヴィムはふとラインの傷を思い出し、彼の首筋を見た。まだ爪の跡は残っていたが傷口はだいぶん小さくなっていた。 「これは討伐団から逃げていたときに、追っ手から受けた傷だが……それがどうかしたか?」 「その傷は……僕がつけたんだ」 「……!」 それほど大きな反応は見せなかったヴィムだが、少なからず驚いていた。あのときの追っ手の中にはラインもいたということになる。 キラーでも最も強力だと言われていた『蒼の殺人鬼』の追跡を任せられている。ヒュエナは討伐団でも中枢の役割を果たしていたようだ。 「もう昔の君じゃない、君の言葉に嘘はなかった。それが分かった途端に、その傷のことですごく罪悪感を感じるようになってね……」 ヴィムに対する誤解は解けた。しかしまだ傷はしっかりと残っている。 ラインには、その傷が自分がヴィムを否定している証のように見えてならなかったのだ。 「一言、謝っておきたかったんだ」 そう言ってラインは頭を下げかけたが、ヴィムはそれを制した。 「いや……謝る必要はない。あの時は私が悪だった。言うならばこの傷はその報いだ。それに、私もお前の首に傷をつけたから、お互い様ということだ」 「ヴィムは手加減してくれただろう? だけど、僕は本気だった。もし反撃されても一太刀は浴びせてやろうという覚悟までしていたのに……許してくれるのか?」 ヴィムを追っていたときは、どんなことをしてでも傷を負わせてやろうと、ラインは心に決めていた。 自分の中に、それほどまでに激しい激動があったのだ。今となってはその感情がおそろしいものに思えてくる。 「ライン。傷のことはもう終わったことだ、気にしないでくれ」 討伐団として、殺人鬼を討つのは当然の行為だ。組織としての行動にいつまでも悔やんで欲しくなかった。 「……そう言ってもらえると嬉しいよ」 「組織のために、そこまで必死になれるのは簡単なことではない。ラインは強い意志を持っているんだな」 それを聞いたラインは少し間を置いて笑みをこぼした。自分を嘲るような、寂しそうな笑みを。 そして、ヴィムの言葉を大きく否定するようにゆっくりと深く、首を横に振った。 「僕は……ちっとも強くなんかないよ。君を追いかけていたときも、森の中で戦っていたときも、本当は怖かったんだ。でも、弱音を吐くわけにはいかなかった」 どちらのときも、重要な責任がかかっていた。心のどこかに恐怖心があっても、それに負けるわけにはいかなかったのだ。 揺らぐ気持ちを押し殺して、ヴィムへと向かっていく。頭の片隅に、自分の死という恐怖を抱いていた。 「君に動きを読まれてしまったとき、死ぬんだって思った。……怖かったよ。まだ死にたくないって、心の中で叫んでた。ヒュエナの声が再び聞こえたとき、とても不思議な感じだったよ」 ヴィムは黙って話を聞きながら、内心少し驚いていた。ラインが心の中で、自分と戦うのを怖いと思っていたことが以外だったのだ。 彼とぶつかり合ったとき、迷いを感じているようには見えなかった。強い信念の元に、戦うことを決めていたような、そんな瞳だった。 (やはり、会話をしてみるものだな) ヴィムはそう感じた。いくら頭の中で思っていても、言葉に出さなければ伝わらないし伝わっても来ないのだから。 これまでの話で、今までは知らなかった、相手の意外な本心が知れたようで、ラインと少し近づけたような気がした。 「僕が今生きているのは、きっと君が手加減してくれたおかげだから。本当に……ありがとう」 「手加減したとは言っても、ラインを傷つけたことに変わりはない。感謝されるのは……複雑な気分だな」 ヴィムとしては、ラインを傷つけてしまったことにかなり後悔の念があったのだが。深く感謝されても、喜ぶべきなのかどうか、微妙な気持ちだった。 だが、彼の想いを無駄にするつもりはない。その感謝はありがたく受け取っておくことにする。 「……もう一つだけ話しておきたいんだけど、いいかな?」 「今更、聞きたくない、とは言えないな。遠慮しないで話してくれ」 話を聞くのなら、全てを聞いておきたかった。受け止める覚悟は出来ているつもりだ。 「分かった。話っていうのは……ヒュエナのことなんだけどね」 気のせいだろうか。心なしか、ラインの表情がさっきより陰ったような気がした。 ヴィムが目にしたのはほんの一瞬だったので、見間違いだと割り切ってしまえばそれまでのことなのだが。 「ヒュエナは……僕もなんだけど、昔からこの村にいたわけじゃないんだ。何年か前にここリスタにやってきて住み始めたんだ。 ちょうどその頃は、前の村長が引退したところで、誰が新しい村長をするかもめていてね。村ではいざござが起こってたんだ」 「彼女は村長にしては随分若いように思えるが……この村には適任な人物が他にいなかったのか?」 ヒュエナに対して失礼な言い方だったかもしれないが、村長と聞くと年輩者のイメージがある。 見たところ彼女はまだ二十代の後半と言った所だろう。村長と呼ぶにはかなり若かった。 「うーん……。僕もその場にいて話が聞こえてきたんだけど、みんな自分の意見を主張するだけで、人の意見は取り入れないって感じだったからね。村長には向かなかったんじゃないかな。 そこにヒュエナが仲裁に入ったんだ。そのやり方がすごく上手かったらしくて、見事に争いを収めてしまった。その時に誰かが言ったんだ、村長はあんたみたいな人が適任なんじゃないかってね」 彼女は他人を説得する話術のようなものを持っている。ヴィムはそれを信じて疑わなかった。 自分が今こうしてここにいられるのは、ヒュエナのおかげでもあるのだ。おそらく、レイルの言葉だけでは信じてくれない人も多かったにちがいない。 「最初は戸惑っていたみたいだけど、今はすっかり村長が板についてるよ」 話すラインは楽しそうだった。きっと、ヒュエナが村長になると決めたときは喜んで賛成したのだろう。 「本題はこれからなんだ。ヒュエナが故郷を出て、この村に来たのには理由があってね……」 「理由?」 「うん……。故郷に居たくても、居られなくなった理由があるんだ……」 深刻なラインの声がヴィムの耳に入ってきた。 |