第19話 影を抱き




「……何があったのだ?」
やや躊躇いを感じながらも、ヴィムは訊ねる。
故郷というものは、ほとんどの者が大切に思う場所だ。中には疎ましく思う者もいるようだが。
居たい、という意志があるところを聞くと、ヒュエナは故郷を大事にしているのだろう。
「ヒュエナは……故郷を半壊状態にさせられたんだよ。……キラーにね」
「!!」
それを聞いた途端、ヴィムは自分の体に衝撃が走るのを感じた。
ラインに何かを言おうとしたが、何を言えばいいのか分からなかった。
「あの日、僕はヒュエナと一緒に村へ戻るはずだった。旅の帰りだったんだ、村は三年ぶりでね……。
旅の途中で僕はヒュエナと出会ったんだけど、村に戻ったら僕のことをみんなに紹介するって言ってくれたのを今でも覚えてるよ」
「……それから……どうなった?」
何とか平静を保ちつつ、ヴィムは続きを促した。心臓の鼓動が早まるのを、抑えることは出来なかったが。
おそらくラインも、覚悟を決めた上で話をしているようだった。彼の瞳に迷いは見られない。
「村に着いたときは……何が起こったのか分からなかった。建物は無惨に壊されて、何人かの村の人たちは殺されて……僕もヒュエナも、ただその場に立ちつくすだけだった。
残った人たちは頑張って村の復興を目指すみたいだったけど、どうしても村には残れないってヒュエナは言った。討伐団に入る決心をしたのはその時だったんだ。もうこれ以上こんな事があってはいけないから、自分たちみたいに苦しむ人を増やしたくないからって、そう僕に話してくれた。もちろん、僕も同じ気持ちだった」
寂しげな表情を保ちながら、ラインは静かに続けた。
村のことも、村を破壊されたヒュエナのことも、思い返すのは辛いことなのだろう。
だが、ヴィムに突きつけられた事実は、それ以上に衝撃的でショックが大きいものだった。

「ライン。一つ、聞かせてくれないか?」
もしかすると、声が震えていたかも知れない。言葉を絞り出すように、ヴィムは言った。
「どうして、そのことを私に話した? お前は、話しておきたいと言った。なぜその事実を私に知ってもらいたかったのだ……?」
戸惑いを含んだ声で、ヴィムは訊く。正直、聞かされるのがかなり辛い内容だったことは言うまでもない。
心の底にある古傷を再びえぐられたかのように、胸が苦しくなる。ヒュエナに対する罪悪感が沸き上がってくるのを感じた。
「僕は決して……君に皮肉を言いにきたわけじゃないよ。森の中で戦ったとき僕らが本気だったのは、ただ単にキラーと敵対する討伐団だったから、それだけが理由じゃなかった。
故郷を襲ったキラーに対する憎しみや怒りが大きかったから、キラーで中枢の役割を担っていた君に対して、その気持ちを抑えられなかった。たぶんヒュエナの憎しみはきっと、僕のそれよりも大きかったんだと思う」
ラインは以前故郷がどんな形をしていたのか知らなかった。だが、ヒュエナはそうではない。
自分が昔慣れ親しんだ故郷。きっと旅の間も何度か思い出していたことだろう。それが、無惨な姿にさせられてしまった。そのときの彼女の悲しみ、怒りは計り知れないものだったに違いない。

ヴィムはふと、戦ったときのヒュエナの様子を思い出す。
向けられた鋭い視線、皮肉をこめ投げかけられた言葉、突き放すような冷たい態度。ラインの言ったことが本当ならば、納得するには十分だった。
故郷を襲われた憎しみが、ヴィムと会ったときに憎悪となって彼女の表面に現れていたのだろう。
「……話の意図は掴めた。続けてくれ、ライン」
ラインが自分にこんな話をしたのは、表面上だけでない、内側の事実を知ってもらいたかったからなのだろう。
たしかに、話されなければ分からないままだったことばかりだった。
ラインは小さく笑みを作ると、黙って頷いた。ヴィムに目的を理解してもらえて、嬉しく思う。
「僕もキラーを憎むようになった。村は酷い有様だったし、何よりヒュエナが悲しんでるのを見ていられなかった。その日から彼女の笑顔がなくなったのを僕は知ってる。
そして……討伐団として行動を重ねるうちに、キラーに対する怒りや憎しみはどんどん大きくなっていった。『キラーは悪だ。キラーは殲滅せよ』いつの間にか、それが当然のことのように思うようになっていた」
ラインはヒュエナのことを信頼し、慕っていた。その主人が傷つき、悲しんでいる。
なんとか力になりたい。きっとラインはそう思ったことだろう。
ヒュエナがラインに望んだこと、それは討伐団としてキラーと共に戦うことだった。
「僕らは元キラーという肩書きに捕らわれて……君の話を全く信じようとしなかった」

「そう。何もヴィムだけが悪いなんてことはないのにね……」
突然、聞き慣れない声が聞こえた。優しい響きの中にも、どこか憂いを含んだような声が。
二人が振り返ると、そこにはヒュエナの姿があった。落ち着いた表情で、ヴィムとラインを見つめていた。
「ヒュエナ……いつの間に」
「何だかやけに思い詰めた様子で出ていくから、心配してこっそりあとをつけてみたのよ」
そう言いながらヒュエナは、ヴィムの方へ歩み寄る。そして真っ直ぐに、ヴィムの目を見つめる。
「私達は……ヴィムがキラーだったというだけで、自分たちの憤りをぶつけて恨みを晴らそうとしていたわ。あなただけが悪いわけじゃないって、気づくことができなかった。話を聞こうともしないで、随分酷いことも言ってしまって……ごめんなさい」
頭を下げるヒュエナ。ヴィムはそれを制するように、慌てて首を横に振った。
「いや、いいんだ。私が恨まれても、それはしかたのないことだ。キラーの非道な行いを考えればな」
少し戸惑ったような声のヴィム。森の中で見た表情や、言葉遣いとはまるで違うヒュエナに驚いていたのだ。
まるで、顔のよく似た別人が目の前で話しているような錯覚を覚えたほどだった。

「私の中にはもう一人の私がいるわ……。討伐団として活動するのに、キラーに対する哀れみや慈しみなどの感情は必要なかった。だから私はそれらを抑えて、本来の自分を隠していたの。
……そこに、戦場で生きていたもう一人の自分ができてしまった。それはヴィムにも分かるでしょう?」
「ああ。以前とは随分雰囲気が違う。……正直、驚いているよ」
「もう一人の私は、私であることには違いない。でも、今の私ではない。それはきっと私の心の中にある影、なのかもしれないわ……」
ヒュエナは胸に手を当てて静かに言った。リスタで平穏に暮らしている自分と、討伐団として活動していた頃の自分。
今の自分が本来の姿であると信じたいのだが、時々どちらが本当の自分なのか分からなくなってくる。
キラーに対する憎しみや怒りが作り出したもう一人の人格。思い出すたびに、あんなにも恐ろしい面があったのかと不思議な気持ちになってくる。
「……それは私にも言えることだ。キラーとして活動し、自分の手を紅く染めていた私。あの頃の私は、影となって私の中に潜んでいる」
「そうかもしれないけど……」
ヴィムとヒュエナの会話を黙って聞いていたライン。突然、その間に割ってはいるかのように口を開いた。
「僕はどっちが本当の自分だとか、影だとかよく分からないんだけど……人に知られたくないような気持ちってのは、誰にでもあること何じゃないかな。
その現実を否定して逃げたりしなければきっと大丈夫だよ。ヒュエナもヴィムもそれを認めてるじゃないか? だから、そんなに深刻に言う必要なんて全然ないと思うよ」
ラインには、話す彼らの口調が必要以上に暗く思えた。
ヒュエナやヴィムを励まそうとして言った部分もあったが、自分の正直な気持ちというのがほとんどだったかも知れない。
それを聞いたヒュエナは、笑顔で頷いた。おそらくその行動には感謝の念がこもっていたことだろう。
ヴィムもラインの言葉で、少なからず安心したのだろうか。ホッとしたような声で、そうだなと答える。

「……僕がヴィムに真実を話そうって決めたのも、僕らの本心を知ってもらいたかったからなんだ。何かをずっと隠してぎくしゃくするよりも、全てを話してすっきりさせたかったから。共にここで暮らしていく……仲間として、ね」
「仲間……か。そうだな」
ヴィムは心の中でその言葉を反芻する。共に暮らす仲間――どこか心地よいような、不思議な響きだった。
「あの時は私の口から直接言えなかったけど、あらためて言わせてもらうわ」
ヒュエナはヴィムの正面を向いた。ヴィムの目線は彼女のそれよりも少し高いので、やや見上げるような形になる。
「よろしくね、ヴィム」
そう言って彼女は笑った。本当に屈託のない、きれいな笑顔だった。
心に影が潜んでいる者の笑顔だとは到底思えない。これが本来のヒュエナの姿なんだなと、ヴィムは感じた。
「僕からも言わせてもらうね。よろしく、ヴィム」
少し照れくさそうにしながらも、ラインもヒュエナに続いた。
「……ああ。よろしくな。ヒュエナ、ライン」
ヴィムも笑顔で受け答える。彼らの心からの挨拶に、喜びを感じながら。


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