第20話 心残り



レイルの家の中。セリアの実験室。
いつも薬品くさいにおいが漂い、床にはそれらをこぼしたと思われる染みが。
レイルにとっては近づきがたい、というより近づきたくない場所だ。
うっかり近づこうものなら、セリアの実験に巻き込まれてしまう可能性が大いにある。
もっとも、今回の場合は彼女の方からレイルを巻き込みに来たのだが。

白衣を着たセリアとその隣に立っているレイル。一応気を利かせたつもりなのか、部屋の中にケルドはいない。
彼らから少し距離をおいて、そわそわした様子で見ているリーフはいたが。
セリアの目の前には、グツグツと煮えたぎる鍋があり、中には得体の知れない謎の液体が沸騰している。右手に持っている試験管で、その液体を慎重にくみ上げた。
「いい、レイル。絶対にこれを落としちゃだめよ」
セリアはその試験管を手渡す。レイルは心なしか嫌そうな顔をしながらも、受け取った。
露骨に嫌な表情をすれば、セリアに文句を言われてしまう。
文句を言いたいのはこっちだったのだが、ここは無駄な言い争いより、適当に手伝いをすませてさっさと抜ける方が良策だろう。
「これをどうするの?」
試験管内のうっすらと青い液体を目を細めて見るレイル。
何なのかまるで見当がつかなかったが、セリアに聞いてもちゃんとした答えが返ってきそうにはなかった。
彼女が実験で使う薬品は、適当に混ぜ合わせたものがほとんど。しっかり成分を計算している可能性はゼロに等しかった。
「私の持ってるこっちのやつと混ぜるのよ」
ヒュエナはもう一つの試験管を見せる。まだあったのか、とレイルは心の中で突っ込んでおいた。
別の試験管には濁った赤い液体が渦を巻いていた。何となく、血を連想させる色だった。
「ま、混ぜたらどうなるの……?」
おそるおそる聞くリーフ。レイルからも、セリアからも少し距離を取っている。
レイルと一緒に実験室に来させられたリーフだったが、細い試験管を握るには手の爪が不向きだ。
助手としては役に立ってないが、レイルをそのままにして出ていくわけにもいかない。
かといって側に行くのもちょっと怖いので、離れて見守っているというわけだった。
「仮に失敗だったとしても、爆発したりはしないと思うのよ。だからそんなに心配はいらないわ」
セリアの大丈夫はまるで説得力がない。今までの経験からして、レイルもリーフもそれはよく承知している。
仮に、と言っているが、失敗となる確率の方が明らかに多いことを彼女は気にしていない。正しく表現するなら、仮に成功したとしても、だろう。
「失敗だったとしてもって……混ぜるのやめた方がよくないか?」
「混ぜたら何か起こるかも知れないでしょ? 混ぜなかったら絶対に何も起こらないわ」

それは確かにそうだ。しかしセリアは混ぜたときに起こりうるリスクというものを考えていない。
だが、その危険性を説明したところで無駄だろう。そんなのやってみなくちゃ分からないじゃない、との返事が返ってくるのは目に見えている。
「……分かったよ。僕の青いやつをそっちに入れればいいんだろ?」
もうやるしかないと覚悟を決めたのか。ため息混じりのやる気なさげな声で、レイルは訊ねる。
「そう。出来るだけ慎重にね」
レイルは試験管をセリアの持っている試験管の口にそっと近づける。
もし、失敗してまずいことになったとしても、この立ち位置ならば一番被害を受けるのはセリアだろう。
液体をあっちに流し込んだら、素早く離れよう。そんなことを考えながら、試験管を一気に傾けた。
二種類の液体が混ざり合う。レイルはそそくさとその場から退き、セリアと三メートルくらいの距離を取った。
そこにはちょうどリーフがいて、だいじょうぶかなと小声で囁く声が。
「……分からない。もしもの時は逃げるぞ」
「分かってる」
小声でやりとりをしているのはもちろんセリアに聞かれないためであった。
もし聞かれてしまっていたら、実験が終わったとしても後々面倒なことになってしまう。

混ぜ合わせた直後は試験官の中で何の反応も見せなかった薬品だが、やがて煙がのぼりはじめた。
それは普通に考えればどう見てもおかしい煙。黒でもなく白でもなく、紫色の煙だった。
その怪しい物体を持っている本人は、真剣な表情で煙の立ち上る様子を睨んでいる。
適当に混ぜ合わせた、何が起こるか分からない薬品だ。破裂したり、火がついたりする可能性も十分に考えられる。
しかし、セリアはそれらを全く気にも止めていない様子だった。試験管から目を離さずに、じっと見つめている。
彼女の様子を見たレイルは、ふと前にヒュエナから聞いた言葉を思い出す。

『何か一つのことに真剣になれるって凄いことだと思わない?』

龍の鱗を返しに行ったときに、ヒュエナが言った言葉だった。彼女はセリアの実験に対する熱心さを見込んで、貴重な龍の鱗を貸したと言っていた。
確かに実験をしているときのセリアは、普段の生活の中では考えられないような本気の表情を見せていた。
実験の内容はともかく、これがセリアが本気になる場面なのだろう。それを考えてみると、レイルにもちょっとだけ彼女が格好良く見えた。

セリアは相変わらず試験管とにらみ合いをしていたが、紫の怪しい煙はだんだんと勢いを失い、やがて消えていった。
何の反応も見せなくなったそれを見て、ふうとため息をつくセリア。
「……煙以外の変化無し、か。今回はどうやら失敗ね」
残念そうに、紫の液体の残った試験管を見つめる。
どうやら今回の実験では変な煙が出ただけという失敗に終わってしまったようだ。
「実験に付き合ってくれてありがとうね、二人とも」
失敗などまるで気にしてないような笑顔でセリアは言った。いや、おそらく彼女の場合本当に気にしていないのだろう。
レイルやリーフが思うに、セリアは失敗で落ち込むような弱い精神の持ち主ではない。
「行こうか」
「うん」
二人ともやれやれといった感じで、実験室をあとにする。
今回は危険なことが起こらなくて良かったという思いを胸に秘め。
だがセリアのことだ。また実験をし、彼らを巻き込むこともあるだろうが。
とりあえず今は解放されたことで、ホッと息をつくレイルとリーフなのであった。

「ふう……薬品臭いのは苦手だよ」
家の外に出て、新鮮な空気を吸うレイル。
室内とは打って変わって清々しい香りが鼻を突く。
「無事に終わってよかったよ」
「ああ、本当にな……ん?」
外に出た二人。すぐそこにいたヴィムを見て少し驚く。
すぐ側にラインとヒュエナの姿があったからだ。今までにない組み合わせだった。
「……ヒュエナさん、それにラインも」
「めずらしいな、三人が一緒なんて」
口々に言葉を漏らす二人。かつて敵同士だった者が一緒にいる。
彼らの表情は穏やかだったことから、険悪な雰囲気ではないことが伺える。何かを話していたのだろうか、気になるところだった。
「ヴィムと、ちょっとした話をしていたのよ、ちょうど今終わったところ。じゃあ、そろそろ帰るわね、行きましょ」
ヒュエナはラインを呼び、彼もヒュエナの後に続いてその場を去っていった。
小さくなっていく彼らの背中を、ヴィムが無言で見送る。
「ヴィム、三人で何を話していたんだ?」
どことなくヒュエナが逃げるような感じで去っていったのが気になったのか。
レイルはヴィムに訊ねる。もちろん話の内容を知りたい気持ちもあったが。
「……なに、ちょっとした昔の話だ。大したことじゃない」
首を横に振りながら、ヴィムは短く答えた。
その言葉と行動にはこれ以上検索してほしくないというヴィムの想いもこもっていた。
「そっか。ならいいんだ」
ヴィムの言動から彼の気持ちを察したのか、レイルもそれ以上は聞こうとしなかった。
だが、リーフにはそれが伝わらなかったのだろうか。
「あ、昔の話で思い出した。ちょっと気になってたんだけど……ヴィムは昔ザルガスって人と一緒にいたんだよね」
「ああ、そうだが」
「その人って、今はどうしてるの?」
ヴィムは突然押し黙る。一瞬、彼の表情が暗くなったのをレイルは見逃さなかった。
「……どこにいるのかは分からない。ただ、捕まったらしいことだけは聞いた。私も詳しいことは知らないんだ」
「そうか……あ、教えてくれてありがとう、ヴィム」
リーフは何ら最初と変わらない調子でヴィムに言った。
彼は自分の質問が、ヴィムに悩みの種を植え付けてしまったことに気づいていない
だが、レイルはどことなく感づいていた。ほんの一瞬のことだったが、ヴィムは明らかに当惑していた。
彼があんなにも悩んだような表情を見せたことは、今までにはなかったのだ。
少なくとも、リーフの言葉を聞くまでは。


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