第29話 朝靄の刑務所 前編




自分が今どこにいるのか分からなかった。
まるで、もやもやした霧の中を歩いているかのように。
朦朧とする意識の中、ぼんやりと光を見た。もやのかかった景色の中でゆらゆらと揺れている。


これは僕が進む先なのか?

この先にある影に僕は勝てるのだろうか?

いや、影でなく光が見えているってことは……もしかしたら――――。


どうもはっきりしない頭でそんなことを考えていると、なにやら耳元で声が聞こえた。
聞き覚えのある声だったのだが、はっきりとは聞こえてこない。
「……ル」
「…………?」
「レイル!」
体を揺すられてレイルはようやく目を覚ました。今までのは自分が寝ぼけていたせいなのだろうか。
たしかにさっき見たぼんやりとした光は、リーフが開けたカーテンから差し込む光に似ているが。
「あ、リーフ……おはよう」
まだ眠たそうな顔をしながら、レイルはリーフに言った。
とりあえず、夢のことは心に秘めておくことにする。
「おはよう。まだ眠い?」
「それはそうだけど、今日は刑務所に行かないと。ここでのんびりしてるわけにもいかない」
レイルはベッドから立ち上がる。軽くのびをしてから、洗面所へ向かった。
すぐにでも刑務所に向かいたい所だったが、最低限の身だしなみは整えておくことにする。

部屋を出、受付のカウンターまで行くと昨日の男が立っていた。レイル達に気が付くと、おはようございますとにこやかに言った。
「鍵、返します」
「はい、たしかに」
差し出された鍵を、男は受け取る。
そして奥にしまいに行こうとした彼の背中を、レイルは慌てて呼び止めた。
「あの……ちょっと聞いてもいいですか?」
「何でしょう?」
男は振り返る。こんなちょっとした瞬間にも笑みを絶やさないのは、サービス精神のなせる技なのだろうか。
「この街からそう遠くない所に刑務所があるって聞いたんですが……どうやったら行けますか?」
一瞬だけ、男の笑顔が歪んだ。ような気がした。
目の前の少年が、そんな場所に用があるようには思えなかったのだろうか。
「刑務所ならば北の方角です。ここを出て、反対側に門がありますから、そこから出て真っ直ぐ進めば見えてくると思いますよ」
すぐまた元の表情に戻った男は、丁寧に答えた。
どうしてそんなことを聞くのか、気にはなっていただろうが表には出していないようだ。
「ありがとうございます」
レイルは軽く頭を下げると、出口へと向かっていく。
「お気をつけて」
男は言葉を掛け、小さくなっていく彼らの背中を静かに見送った。

朝の街は静かだった。人通りはあったが、夜に比べるとまばらで少ない。
昨日は人混みからくる熱気のようなものがあったが、今はなくひんやりとした空気が肌に伝わってくる。
「行こうか」
「……うん」
北側の門を抜け、二人はラゾンの街を後にした。
建物が建ち並ぶ街中とは対照的に、外は短い草の生えた草原が広がっていた。
その風景はあまりリスタと代わり映えがしない。違うところは辺りに木が少ないことか。
門を出たところからは舗装されていない道が伸びている。ここをたどっていけば、刑務所に着くのだろう。
「……これから、ザルガスに会いに行くんだよね」
リーフが呟くような声で言う。レイルは短くああ、と答えると歩き始めた。
彼の後を無言でついていくリーフだったが、しばらく歩いた後レイルの背に呼びかける。
「本当に大丈夫なの? ヴィムだって何を言われるか分からないんだよ?」
レイルは足を止め、振り返る。リーフの瞳からは不安の色が見て取れた。
「……分かってる。だけど僕は半端な気持ちでザルガスに会いに行くことを決めたわけじゃない。それに、ヴィムもそれは覚悟の上だと思うんだ。もし自分が傷ついたとしても、それでも会いたい相手なんだよ」
それはリーフにも分かっていた。いや、分かろうとしていた。
レイルの強い決心を見て、自分も怖がっていてはいけないと思った。
思ってはいたのだが、どうしても心に不安が残り、口に出さずにはいられなかったのだ。
「あの人も言ってただろ? 考え方次第で、物事は大きく変わるって」
昨日の占い師から聞いた言葉だ。レイルの中にはまだ鮮明に残っている。
「だから、僕は思うんだよ。きっと大丈夫だ、ってね。何があろうと負けない。前向きな気持ちで挑めばきっと……大丈夫だよ」
大丈夫、と強調するようにレイルは言った。その言葉を聞いたリーフには、不思議な安心感が湧いていた。
何の根拠もなかったが、ややこしい理屈を並べられて説明されるよりもずっと納得がいった。
自分が信頼する相手から受けた言葉。その効果は絶大だった。
「そう……だね。きっと、大丈夫……だよね?」
「ああ、大丈夫。その気持ちがあれば」

楽観的すぎる考えだったかもしれない。しかし、マイナスな考えばかりではどうしようもなく不安が湧いてくる。
前向きな気持ちがあれば、不安をうち破ることが出来る。ここで引き下がるわけにはいかなかった。目指した目的地はもう目の前だ。
言うならば乗りかかった舟、だろうか。もう後には退けない、ひたすら前に進むのみだった。


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