「人間?」

森林の中央。聳え立つ大木の根元に空いた穴の中。驚愕はそこから響いている。

「はっ、偵察より戻ったキキバナ本人による、確かな情報に御座います。」
「中階級の者が進入していたと漏らしていた、あの森か。」
「それともう一件。外部監視者からの通達にあるもので……」

会話対象とは見当違いの方向を向き、ぐるりと周囲を確認した従者は、森の長と名の高いその天狗のようなポケモンに、耳内でその報を伝える。

「……ネイティが?」
「はっ……刺客の手引きを手伝っているとの事であります。」
「ふむ……。」

長であるそのポケモンは、その扇とも桑の葉とも見える手を口元にあて、何やら考え込むように口を紡いだ。

「ダーテング様。これは立派な反逆ですよ。我が森のルールを守らぬ者を野放しにしておいては、主としての収集が付きませぬ。」
「……後の判断は、お前に任せよう。」
「宜しいのですか?」
「私がこの場を離れ、事の確認に当る暇はもう無いのであろう。眼前に敵が迫るのであれば、私よりも前に出でた者を使わせた方が、遅すぎるとも、幾重かまともな対処が組めるというものだ。」
「……仰せのままに。」

言うと、音も無く立ち去る従者。
後に残された天狗のポケモンは、我が子のように見守ってきた小鳥の事を思い返し、虚ろの中にも宿る真剣な眼差しを、自らが森へと向ける。

「……お前は人に飼われた事が無かったな、ネイティ。」

返る過去を払い、ゆっくりと立ち上がる。



数時前より、私の周囲を包む気配が一変している。
成り行きとは言え、警戒対象である人間の進入を許してしまったのだ。
追放以上の罰則か……あるいは、

「ねぇ小鳥さん。なにかしら、あれ。」

キキバナの気配を辿る中、後方を歩くアリエッタが振り返り、向かってきた方向から真横の方向を指差して言う。
寄り道などしている暇はと、そう思って指の指す方向を見る。
見ると一本、小川が流れているのが見える。それが月光を浴び、ゆらゆらと揺れている。

「夜の森って始めてなの。貴方はどう?小鳥さん。」

人間というものは、自然の中の汚さを殆ど知る事の無いまま、それを綺麗なものと決め付けて、大事にしたがる生き物だと聞いている。
それにしても、その時に見た川の綺麗さには、私も共感せざるを得なかった。
基本的に夜中は少しの睡眠と、意識を飛ばす練習時間だけとして設けていたものであったので、実際にその場を移動しての散歩をする事など、自分にしては珍しいものであった事に、たった今、気付かされたような気がしていた。
前に一度だけ、あれはこの森へと初めて来た時の事であったろうか。誰かに連れられて、森の中を歩いた時の事さえもを思い出す。
と、感傷に浸っている暇は無い。
一刻も早く、用を済ませて誤解を解かなければ。
最も、誤解を解いている暇すらもう無いように思えて……。

「……!?」

視線が前方に返り、それに気付いた。
大量の見えない糸のようなものが正面で壁を作り、道を塞いでいる。
闇の中では到底視界に入らないような極度に細い糸である為、念で察知するのが遅れてしまったのである。

「あらら。これじゃあ進めないわね。どうする?小鳥さん。」

呆けた顔をしているが、この女。まさかこの仕掛けに気付いていたのであろうか。
わざと立ち止まって、少し焦りを感じていた私に確認させる暇を与えていたとでも言うのであろうか。
本当に何者なんだこの女は。このままでは下手をすると、こっちの身が危ういのではないか。

「やっぱりあの子、もう私に会いたくないのかな。」

アリエッタは小枝を取り出して、さながら会話のようにそれを手で遊び始め、前方にある糸から上を見上げ、狙い定めるように、目線を近くの木へと移らせた。
ふとその木に向かって、なにやら勢いを付けるような態勢を取る。

「えいっ!」

アリエッタが木に向かって力強く、渾身の蹴りを放った。腹いせに木を蹴っているようにしか見えなく、その行為になんら特別な意図は感じられない。
それともまさか、大木でも使って糸を払う気であったのか。当然だがその木が倒れるような事は決して無く、ぐらぐらと揺れる木に合わせ、前方に備わっている糸の壁も次第に揺れを増し……。

「………っ!」

声にならない声が響いた。女や男のものではない。と言うより、それは人間の声ではなかった。
それはなんと、木の上からポケモンの落ちてきた音に他ならなかった。
そしてそのポケモンは自らが張っていた糸に絡まりながら、空しくじたばたと暴れている。
と、副作用か、糸の壁は落下の衝動で破壊され、通行の出来るようになっていた。

「わっ、ごめんなさい。痛くなかった?」

幸い、落下の衝撃は張られた糸によって軽減されているようである。
そのポケモンの特徴でもある、尻にある顔が歪んでいる所を見る限り、その具合は悪そうである。
だがあろう事かアリエッタは、そのポケモンに絡まった糸を、自らの手で剥ぎ取り始める。
一瞬、何をやっているのかと口を割りそうになるが、これは不慣れな光景に自ら判断が遅れているだけだと無理に言い聞かせ、冷静にその場を見守った。
下手をすれば自らが絡まっていたかもしれないその罠とその主を、器用な手付きで介抱し終えると、再び一礼して謝るアリエッタ。

「ごめんね……痛くない?」
「あ……うん。」
「よし、偉いぞ。じゃあ私達急ぐから、ばいばい。」

アリエッタが目配せしてきたので、行為に疑問は持たず、続いて解けた道を移動し始めた。
それから何度か糸の壁に出くわしたが、その度に彼女は今と同じような行為を繰り返し、同時にそのつど、そのまま襲いかかって来るようなポケモンが出る事は無く、彼女は勿論私も無傷で、その外部から中央部にかけて設置されたトラップ地帯を、あっさりと通過してしまった。


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