中央部外殻、巨大樹の崖。
外殻から内部へ上がる為に必要なものは、底知れぬ体力か、並外れた移動能力。
その前者、底知れぬ体力をその身に宿すラグラージが、太い腕をしならせて根を登っている。
上部で待機しているノクタスに任せておけば、自分の勝敗有無に関してはあまり大した問題ではないと、一人と一匹が崖の根元に到達する前まではそう思っていたラグラージであったが、今の彼が浮かべる表情には、当時の余裕が感じられない。
先刻戦ったネイティが繰り出した、超念力による不意打ちに驚いての事ではなく、最初に出会った一人の女性がその原因である。
もしこの崖のてっぺんで、ノクタスが地に顔を突っ込んだような無様な姿を晒していたのだとすれば、それは他ならぬ自分に原因がある。
彼女をノクタスに任せるという判断を自分がした事に対して、ラグラージは酷く負い目を感じていたのだ。

「頼むから、目覚めの悪ぃ光景だけは勘弁してくれよ……よっこらせっと。」

ラグラージが崖のてっぺんに到達した後、的中した予感の前に、目の前に広がっている異様な光景が眼に入った。
根の上と言っても、固く平らになった平たい根が地に張り巡らされているので、土の地面とはあまり変わりの無い地形ではある。
一面にも似たような森が茂っている為、見た目にもこれといった変化は無いのだが、何か様子がおかしい。
どうも枝や木の大半が、何かに切り裂かれたように短くなっているのだ。
各所葉も落ちた影響あってか、若干の風景に乱れはあるものの、何故かその破壊には無駄が無く、荒れているようでスッキリしている。
見ると傍らに、上部で自らの待機を命じたノクタスが、仰向けに転がっている。
辺りの地面同様傷に塗れており、どこもかしこもボロボロの状態であるが、それほど深い傷は見られない。

「……話せるか。」
「あ………司令、奴は……奴はどこへ。」
「迂闊だった。まさかあの嬢ちゃんが、これ程までに強靭な……。」
「違う……違うんです司令。この惨状は、この傷はあの女ではなくて……。」
「……?」

上部に逃げたノクタスは勿論、アリエッタとの接触があったのだろうと、ラグラージは迷う事無くそう思っていたのだが、この傷とこの惨状は、崖を登ったアリエッタが起こしたものではなく、別の者の仕業であるのだと、ノクタスは言う。
ラグラージが戦っていた根の崖のふもとを通過してのルートを省くとすれば、その者は初めから上部に存在していた誰かであり、それが意味するのは、外部の裏切りか、はたまたその類の行動となる。

「司令……私……逃がしちゃって。それで……起きたら奴が……。」

告げるノクタスの眼は、明らかに困惑しきっている。
上部に住まう者はどれも凶悪な者ばかりではあるが、襲われたとしても彼女の見知った顔ではある筈だ。
この斬撃の雨の降ったような現状だ。陰険な手を得意とする者によって、精神に影響を受けたとは考えにくい。

「俺がついている。だからしっかりするんだ。意識のある合間に、お前の獲得した光景を教えてくれ。」
「……司令……三つ首です。三つ首の悪魔が……目覚めました。」

一瞬ノクタスを瞬支えていた腕が奮え、ラグラージの眼の色が変わったと想うと、その後で何かを確認するように、懸命に辺りを見回し始めました。

「はは……司令、お前が付いてるとか言った癖に……それに探査の時には……眼じゃなくてレーダーを使って……。」
「結果的に、判断を誤っちまった。あの小僧の念力ならば、耐性のあるお前でも……あぁだが、鳥とカカシじゃ相性が……。」
「司令……なんであの女を通したんですか。駄目じゃないですか……あんなのと戦えなんて……私……動揺するに決まって……。」
「だからそれは……俺の判断が間違ったって……。」
「もう……だから司令は……駄目なんですよ。」
「……?」

ラグラージは比較的、戦闘戦術に頭の回る際には恵まれていたのだが、こういった事となると、どうも鈍いものがある。
ノクタスはラグラージと接する機会も多かったせいか、彼のそういった部分をよく知っている身である。
判っているからこそ、彼女は彼女と戦い辛くなってしまった。
少し笑みを浮かべていたが、すぐに顔つきが鈍り、絶え絶えにそれを伝え始める。

「奴は……三つ首はここから中央部に向かって……それで……でも私、せめてあの女だけは……。」
「………。」
「嫌です司令……司令は私だけを……私が……司令の……。」
「………………。」

告げた後で、そのままノクタスは動かなくなった。ラグラージは辺りから受けの良さそうな地面を選び出して、ノクタスの体を、ゆっくりとその根に寝かせた。
彼女が負った傷は浅い。それ所か、致命傷に至る部位から傷口がそれを避けけるに至るまで、的確にダメージを与えられている。
傷を負っているという事は、三つ首はノクタスの事を、自らが目的を妨害する敵であると判断していたのだろうか。
ラグラージ自身、その三つ首の名前をしばらく聞いていなかったせいか、彼がどのような人物であったかという事を、彼はほとんどと言って良い程に忘れていた。 
だが物覚えの悪い彼にしても、それが危険である事に確証はあった。いくら相手が加減の達人であろうと、ノクタスはそこに倒れているのだから。
彼はそのまま歩み進もうとしたのであるが、何を思ったか、今自分の登ってきた根の向こうにある森の入口を見据え、少し考えるように立ち止まった。
一刻も早くという時であるのにも関わらず、落ち着いた素振りで、その向こうを見据えるラグラージ。

「……ふうむ。」

駆け出そうとした彼はそこに座り込み、またしても考え込むようにして顔を歪め、口を顎に当てて頭をひねった。
こういう所を、彼の身内は評価しているらしい。



「今だ!放てっ!」
『エッサ!』

覚えのある場所で、覚えのある掛け声を聞いた直後、我が身を驚愕が襲った。
丘からゆらゆらと揺れていた火の群れが、そこから一斉に森へと降りかかった。
松明や、矢の先端に油を塗りつけたもの等、種類方法様々な火が、着火と同時にパチパチと音を立て、一斉に森を焼いていく。

「敵は人語を話す化け物だ!異形であり、我らと行動を共にするポケモンの類ではない!容赦無く全てを抹殺せよ!」

少し高い丘の上でそれをぼんやりと眺めている事にようやく気付いた私は、気付いてなおその光景に眼を疑ったが、とりあえず現時点での状況を確認する。
なんて事は無い、移動範囲をおもいっきり間違えただけの話。
崖の上に移動するつもりが、森の離れにある丘の上に飛んで来てしまったのだ。
言い訳も冗談も通じない。状況は最悪だ。何時の間にかアリエッタを置き去りに、自分だけ森から非難する形となってしまっている。

「…………。」
「…………。」

気付けば丘の付近に、口を閉じ、皆が揃えて黙っている集団がいる事に気付く。
先ほどから一斉に森に火を放っているのは、男の後ろに付いていたあの人間の集落の群れ。
先頭をきって投擲の指示を出しているのは、蜘蛛に出会う前か後にアリエッタが話していた、ジグザグマと言葉を交わしたという剣士。
そして現在、付近に集って口を閉じているのが、集団が移動に利用していた火のたてがみを持った四足一頭の群れである。

「……ねぇ。」
「!?」
「……っ!?」
「…っ!」

驚いて騒ぎ出したら困った事になっていたが、そのまま何故か一斉に静かになり、そのまま石を眺めるかのように頭を向けた。

「少し……お話しない?」
「………。」
「……。」

集団の中から、のそのそと、集団の長らしき者が出てきて、一礼する。

「先刻は失礼致しました。貴方は、あの森に住むネイティさんですね。」
「……そうよ。」
「どうやらとても無口な方のようですが、我々とまではいかないようですね。自由に話せる環境にその身を置かれていらっしゃる。」

長らしき者はさも判ったような口調で話しているし、話しながら後ろの集団は不安がっている。
どうやらこの集団の主人は、主従にある生物が会話をしているという事に、強烈な不安感を持っているらしい。

「……東の森の事情は、アリエッタから聞いています。」
「アリエッタ様から……そうですか。では貴方はもしや、アリエッタ様と共に、キキバナさんの元へ?」
「……うん。」

言うと気のせいか、周囲が安堵に包まれる。
あのアリエッタの事だから、どうせ構わずに、長達ともよく話をしていたに違いない。
関係は良好であるようだが、どうしてそれを予測していながら、主人にそれを知らせていないのだろうか。
喋れないというだけの理由であれば、その体を使って、止めるなりなんなりの抵抗は出来る筈である。
他者事等と一言でも口にしたのならば、それだけで怒りは収まらないが、納得した後で、すかさず男達を止めに入ろう。

「あの火は、我々が預けました。」

長の後ろの男が言う。

「我々の身は、あの方達と共にあり、道行きの先を共にしている。」

長の脇にいる女が言う。

「あの方達が、口を効いた者の住む邪悪な森を焼き払えと一言下せば、私達は森を焼き払って前に進むのみ。」

長の右に立つ男が言う。

「貴方に我らの行動は否定出来ない。我々が授かった使命は、口を叩く森に住む者と、その森を焼き払う事。」 

長が言い、続ける。

「貴方はここで踏み潰されてしまう。だから我々の行動を、貴方は否定する事が出来ない。」

長が言うと、長は足に付いた炎を焚き上がらせ、その足を此方に向かって蹴り上げた。
出すぎた口のせいか、かろうじてそれを避け、ひとまずは落ち着く。
ここで彼らを敵であると認識してしまうという事は、人間に忠実である彼らの想いを否定してしまう事になるのか。
それとも、ただ我が身が傷つく事が嫌であるから、かわりに彼らの身を傷付ける選択肢を取るのか。
だが今、余計な感情はいらない事に気付かされる。
喋っているからなんだと言うのだ。
他と違うからどうしたと言うのだ。
他ならぬ彼女こそが、そういった考えの持ち主なのではないのか。

「これは我々の意思ではありません。これは他ならない主人の意思です。」
「我々は主人の命令に従っているだけだ。我々にはそれだけの覚悟がある。」
「快楽も悲哀もそこには存在しない。主人がくたばれと一言申せば、我らは全員息を止める覚悟ぞ。」

長の右と後ろと斜め左後ろの者が畳み掛けるように喋り、最後に長が言った。

「アリエッタ様も我らが主人です。アリエッタ様と言葉を交わした者同士、その考えを理解しましょうぞ。」

長は淡々とそれを述べた。
何を考えてその言葉を口にしたのだろう。何を想ってそれを語るのだろう。
そしてそれを言われる事で、私はその言葉から、どれ程の意味を感じ取る事が出来たのだろう。
周囲に漂う草花が、真夜中の草原に吹いた、妙に生暖かな風の往来を告げる。

「視界が……これはなんだ。我らは今、なんだ。奴はどこにいる!」

内から湧き出る力の大半をそれに注ぐ。冗談を言えば心地良い。
幼き頃から共にあった力ではあるものの、これ程までに上手くいった試しは無い。
悪夢が見せる精神攻撃。それが今の私の、力の結晶。

「何故我らの体が焼ける!何故私の体が燃える!嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ!」
「やめろやめろ!私の体に穴が開く!私の体が二つに割れる!私は木ではない!木は私では無い!」
「皆さん落ち着きなさい!私が落ち着いていないのです!私は落ち付いてなどいない!」
「黙れ殺される!黙れ焼かれる!黙れ!黙れ黙れ黙れ!」

たてがみの四足が絡まり、悶え、その息苦しさに胸が焦げ、身にある火は戸惑いのあまり煙を生じ、暴れるままに彼らの群れが、依然火を放っている人間達の元へ一斉に駆け出した。
人間達は人間達で、真後ろから突然に現れた、有象無象の言葉を語りながら混乱しきった自らが主従にある筈の暴れる集団を目撃し、ある者はその身を払いのけ、ある者はその持っていた矢を馬の足元に放ち、ある者は持っていた剣で斬りかかった。
転がりこみなだれこみ、森の周囲は混乱と激動に包まれ、だがそれで、辺りに燃え広がる火の勢いは止められない。
こんな時の為に機能するのがラグラージの集団なのであろう事に今更のように気付き、起こった出来事を横目に、群れが突っ込んだのと同じ方向へ駆ける。
念による移動は、なるべくなら使いたくは無かった。ただの一度の失敗が、思わぬ祟り具合を見せてくれる。
進路の後退は勿論の事、自分がアリエッタの事で、念に影響を及ぼす程の動揺を隠せずにいた事が、何より恥ずべき事に繋がっている。
このままでは、二度の失敗は免れない。だがそうして技を使わなければ、それこそ移動に遅れが生じる。
ジレンマに駆られて森へと足駆けるその姿は、周囲で自らが奥底の悪夢にうなされている暴れ馬の連中よりも、私自身にとっては十分過ぎる程、醜い姿となっていた。

「………。」

アリエッタからジグザグマの話を聞かされた時すぐに引き返していれば、このような惨劇には繋がらなかったのだろうか。
何故自分は、あの場で振り返らなかったのだろうか。
何故自分は、あの場で言葉を交わさなかったのだろうか。
アリエッタの事を警戒していたのではなく、内にある妙なプライドがそれを抑制したのか。
業火に暴れ回っている連中と自分と、何がどう違うというのか。違うのであるから、悪夢を放ったのではないのか。
恐怖か誇りか。どちらにせよ戯言に過ぎない。
何かを掲げる前に、自分には目的が出来てしまったのだから。
彼女を追うという、たった一つの目的が。


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