「「理解せよ。たとえその身が赤く染まろうとも、決してその刃は、命を奪う事があってはならないのだと。」
「……ならない、ならない。」

記憶の断片に残る残留思念。人工的な薄緑色の光が映し出すその部屋に充満するのは、無数のコード……とも見える、植物の蔓、蔦、根の群れ。
自分は何の為に生まれてきたのだろう。そんな事は決まっている。
そういうふうに、作られているのであるから。

「憎しみを恐怖で切り裂き、その身が邪悪に塗れようとも、森に安息を齎すのだ。」
「憎しみを……消す。それが、目的か?」
「結構。頭脳は申し分無い。後はそう、事の成就だけが、何よりの成功の証。我が家に帰るまでが、遠足なのだという言葉があるように。」
「遠足……遠足。」
「……少し従順にしすぎたか。まぁ、期待している。」
「理解した。宣告者。」



キキバナは、未だ建物の内部を彷徨っていた。

――なんだあの化け物は。外部からの侵入者だなんてとんでもない。この森こそが、危機の中枢であるのではないのかっ!

襲撃者の攻撃は器用にも致命傷になる部位を的確に外し、だがそれでもなお、傷と苦しみ塗れた友人を背に担ぎ、キキバナは上層部からの脱出を計った。
攻撃によって気絶させられたキキバナが目を覚ました時、辺り一面は侵入者が放った攻撃によって破壊された後であり、その瓦礫に塗れて眠っていた友人を彼女が見るや否や、ひとまずこの場から逃げ出そうという決断を下した訳である。
あの敵はどこを目的にしているのか、此方に敵意があるのか無いのか、敵か味方なのか。
もしかしたら、ヘッグは何か聞かされているのかもしれない。
自分には知らされる事の無い、何か重要な事項を。

「もう大丈夫だよ。キキちゃん。」

言うと、ヘッグはキキバナの背から強引に降りる。
驚くべき事に、付けられた傷は殆ど癒え、状態が良好である事を証明するかのように、くるりと半回転して、そのついでに足を打ちなしているヘッグ。

「ちょっ……ちょっと。大丈夫なの?あんまり無理しないほうが……。」
「うん。なんか不思議だね。さっきは動けなかったんだけど、自然と体の方が回復に向かっているみたいで……。」

回復能力の部類に属する技を覚える事の出来ない種族である事をキキバナは知っているせいか、彼女にとって、その現象は不思議でしょうがなかった。

「なんなのよアイツ。もしかして、本当にただ動けなくする為だけにやった事で、危害を加えるつもりなんか無かったって訳?それにしてもちょっと乱暴すぎない?」
「キキちゃん。さっきキキちゃんのいる方向から、一瞬叫び声みたいなのが聞こえたんだけど、大丈夫だったの?」

間の悪いヘッグに、キキは顔を赤らめて殴りかかるが、珍しく避けられる。

「うわっ。何するんだよキキちゃん。いくら元気になったからって言っても、また傷でも付けられたんじゃさすがに……。」
「さっ……さっ、叫び声なんか、誰が出したって言うのよ!」
「え?だからえっと……あの場にいたのはキキちゃんとアイツだけで……あとは……。」

冷静に対応しているつもりであったが、続けた自分に対するキキバナの眼光を見るなり、今の言動が冷静でなかった事を自覚するヘッグ。

「……わ、判った。何だかよく判らないけど、判ったから、その爪をしまって……。」

そうして話しているうちに、二人は根で作られた建物の出口までやって来た。
外を走って、下層部の崖に辿り着くまではまだ距離があるが、近くに避難出来そうな場所があれば、とりあえず誤魔化せそうではある。

「でもキキちゃん。アイツ戦う気が無かったんだったら、何を探しにあそこまで来たんだろうね。」
「それは……うーん、私にはよく判らな……。」

出口付近にかかって、キキバナが立ち止まる。
表情は一変して、またもや先程のような恐れを抱いているようにも、闘争心を向き出しにしているかのようにも見える。

「う………嘘。なんで。」
「ど、どうしたのキキちゃん?まさか、またアイツが来たの?」
「……違う……違うけど、違うけど……。」

次に返る声は、キキバナのものではない。
よく似たそれは、しかし少女と似ても似付かぬ、二足歩行の侵入者。

「やっほー。」

上げた右の手を左右にブンブンと振る動作を見ても、ヘッグには到底、その者に対しての警戒心を無意識に緩めてしまっているのだが、キキバナだけは違った。
恐らくこの森の中で、一番にそれを理解出来ている筈の住人は、その者のかつてのパートナーである、キキバナ本人に他ならないのであろう。
かつての主人、アリエッタが、呑気に構えてそこに立っていた。

「えへへ、来ちゃった。」
「わ……ねぇキキちゃん、あの人なんだか可愛……。」
「何か言った?ヘッグ。」

様々な執念が、その言葉には込められていたもので、ヘッグはそのうちの何個かを見出して、純粋にそれに恐怖した。

「……ど、どうしたのキキちゃん。」
「ああ貴方、そこの子のお友達?」
「あ、はい。僕はヘッグって名……。」

瞬間、高速の蹴りが二発、ヘッグの腹部と頭部の二箇所を狙い、それぞれ叩き込まれた。
眩暈と嗚咽でその場に倒れたヘッグをよそに、キキバナはその、向かうべき相手を見据えたまま、動かない。

「それより貴方、一体この森に何の用事なの。タダで帰ってくれるような顔じゃなさそうだけど。」

キキバナはこの時、数年前に置き去りにした自分を連れ戻しに現れたのだという事に気付いたつもりでそれを聞いていた。
何か用があって戻ってきたのだ。自分はその為だけに都合良く呼び戻されているだけなのだ、と。
だが何か、違った。
それすらもこの目の前に立っている見透かされているような、そんな妙な気迫に釣られて眩暈がする程に、キキバナを違和感が包んでいた。

「勿論、貴方に用があってきたのよ。」

だがやっぱりそういう事なのかと、自覚し、安心感に包まれたキキバナ目掛けて、それは宣告された。

「相手が人間以外の場合、人質の事をなんと言えばいいのかしら。」
「………なんだって?」

そして彼女の元主人たる人間は、冷ややかにそれを告げた。

「キキバナ、こっちの都合で悪いけど、貴方の体を少し借して頂戴。要求に応じなければ、この子が少し、悲鳴を上げる事になりそうよ。」

見ると何時の間にか、気絶したヘッグがアリエッタの足元に位置する場所にまで運ばれている。
頭上には手刀こそ振られてはいないが、アリエッタの本筋を知っているキキバナにしてみれば、この状況は、明らかに脅しをかけているようなものであった。
一瞬で従わざるを得ない状況になってまでも、心のどこかで、彼女が自分を迎えに来てくれたのかもしれないと思っていた自分を攻め立てる事が出来ないまま、アリエッタが自分の横を通り過ぎて初めてハッと我に返るまで、彼女はその場から動く事が出来ないでいた。


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