「おじさん……。」

空駆ける群れの真下、羽回る炎の群れから逃げ伸びた小さな鳥が、飛び回るそれを眺めている。小鳥の姿形は、上にあるそれとよく似ている。
崖上から少し離れた木々の中には、所々にヨルノズクの巣が張り巡らされている。崖をまたいでの出入りは珍しく、監視役の声がその巣の中に飛び込んでくる事 は滅多に無いのだが、裏切り者の一件が森全体に伝わっていた事もあってか、鳥の一派は戦闘態勢を整える事が出来ていた。
だが今回は、少し状況が違った。いくら進入してくるであろう位置に陣を張っていても、一人と一匹は、一向に姿を見せないのだ。妙だと思って、崖近隣にいた一匹を、対象が進入したであろうラグラージの見張っているであろう
監視役のノクタスが倒れている事を最初に確認したのは、この小鳥の父親にあたり、そして小鳥自身にも勿論その声は聞こえきた。
小鳥の父親は、周囲からの信頼も厚く、地位としては大した事は無かったのだが、こういう時の発言力は高かった。
巣で待機していた住民の非難命令がいよいよ決定した時になって、何を思ったか、父は突然きびすを返して、我が子の元へと駆け付けた

「いいかぼうず。たとえこの先、俺がお前に襲いかかる事があっても、その時の俺を俺と思うんじゃない。俺の格好をした、なにか別の種類の生き物だと思うんだ。」
「ど、どういう意味だよ。」
「意味も何も無い。これは今から、じきに起こる事だ。いいなぼうず、強く生きろよ。」

そう言った後で、子は親の姿を確認する事が出来た。
本人が言う所、別の生き物になってしまったそれは、今も子の頭上をおぼつかない速度で飛んでいる。
その上には、人間が乗っている。

「……が。」

あれほど人間を毛嫌いしていた誇り高き姿が、霞むようにして目の前から消えていく。それに耐えられるほど、彼は強い心を持ち合わせているのか。
そうして漏れた嗚咽にしては、あまりにも醜い姿に映ったそれは、次第にその顔に張り付いていく。

「………う……うが…がが。」

顔全体が憎しみでいっぱいにならんかというその時、その背後で突然、何者かの声が聞こえてくる。

――誰かを憎んでいるのであろう。
「……がが。」

気付いてなお、小鳥の表情は変わらない。

――憎んで、その為に今、お前はあるのだろう。
「………おじ……さん。おじさん。」

その声に驚く前に、自然とそれを受け入れる態勢が出来ているかのように、小鳥は怒りを表しながら、その息遣いはなんとなく平静を保ちつつあった。

――憎しみがお前を生かしている。その事実、受け入れるのか。
「おじさんを……おじさんがあいつらに……。」
――事実を、受け入れるのか。

小鳥は、ゆっくりと頷いた。



鋭利な感覚を使い、三者の中でその異変をまず始めに察知出来たのはアリアドスであった。
どうやら地表の異変に関しては、彼のが一番に優れているようである。
遅れてそれに気付いたネイティとラグラージは、瞬時にその発達した触角機関を使って、周囲の警戒に当る。

「……なんだこりゃ。おい、でもこれってまさか。」

察知の感覚を磨かれたおかげか、その異変が起きた居場所までが特定出来るようになっているらしい。
だがその導き出したポイントの違和感に気付いた三者が見上げた方向には、捕獲したヨルノズクを危うい操作で動かしているその男がいる。

「どうしたんですかみなさん。突然怖い顔になって。」
「そうだな、今直アイツになにか、伝令のようなモンを送りたいんだが……おいアンタ、通信機みてえなのは持ってねえのか?」
「伝令用の拡声器ならありますが。」
「よし、そいつでいい。」

言うと、部下らしき男は懐に下げてあった紐をといて、ラグラージにその小さな通信機械のようなものを渡した。
見覚えがあったらしく、ラグラージは脇にあったスイッチを大きな手で器用に押して、それを口から少し離してロックの方に向けた。

「聞こえるかロック!」



「おとと……おいおい、もうちょっとしっかり飛んでくれよな。」
「やかましいわ。貴様のような人間の命令を聞く事すら頭にきていると言うのに、その上細かい命令までいちいち聞いとられんわ。ああイライラする。」
「頑固な奴だな。ちっ……球の性能が悪かったのか?」
「私は器の小さな人間には適当な力しかよこさんよ。あの馬小僧ども、潜在的な運動能力はそこそこの割に、主人の技能が悪いせいでいまいちそれが発揮できておらん。」
「ポニータの事か?まさか、あいつらのレベルは、図鑑判定のステータスでも最高ランクの性能を……。」
「我々の森が焼けずに生き残っておるのも、あいつらの仕業だよ。忠実な性格であろうと、生まれ育った大地の一部を焼く事を本能的に拒んでおる。」
「………。」

ロックはとある王国の剣士として、以前は事ある毎に国の為に毎日剣を振るう生活を送ってきたのだが、自分ではその命令されるような生活に飽きがくるようになっていた。
ただなんとなく成果を上げて、上がりすぎると上等兵の都合が悪くなるという理由から大した功績も上げられず、同じような事が毎日ぐるぐると、まるで胃の中のものをそのまま食べているような生活に耐える事が、だんだんと苦しくなっていた。
それを断ろうにも、家業である剣士を辞めたら生活もロクに出来なくなってしまうし、下手をすれば反逆者の汚名を着せられかねない。
理不尽さを感じたある日、城の内部に進入者が入ったとの噂を聞き、ロックはその侵入者を取り押さえた。
その功績も奪われてしまったが、彼がある日、牢の見張りをする事になった時、捕まっていた例の侵入者が彼に向かってこう言った。

「ねぇ兵士さん。私、牢屋って始めてなの。」

それが、アリエッタだった。
その後、牢をあっさりと脱獄した彼女を城内で探し回って、彼は脱獄者が城の窓から飛び降りようとしているとの情報を周辺の兵士から聞き、自分の持ち場を離れ、そこに向かった。
上階に集う兵を掻き分けて、彼女の元に走った。そうして、一室の部屋の窓から飛び降りようとしている彼女と、なんとなく目が合ってしまった。
交渉者やらが集う中、自らの都合で兵の群れの中から飛び出してきてしまった為、ばつの悪そうな空気が漂っていたのだが、その時の彼は、それが気にならないと言わんばかりに彼女の方を見つめていた。
城内部の窓は頑丈な鉄格子が嵌められていた筈なのに、その時アリエッタが座っていた窓にそんなものは取り付けられていなかった事を、ロックはよく覚えていない。
目が合うと彼女は少し笑みを浮かべ、自分に手を差し伸べて、こう言った。

「遅かったじゃない。じゃ、行きましょうか。」

その時の彼女の手は、某国で語られていたカンタダという男の話に出てくる天の糸ように思えて、それを掴んでしまうと、余計なものまで彼女に背負わせて、そ の重みで手を離されてしまいそうな、そんな不安が、手を見た彼の足を少し躊躇わせたが、それに構う事なく、彼女は自分が頼りなく差し出した手を、何を言う 事もなく掴んでくれた。
それから先の事は、よく覚えてはいない。なにか神秘的な光景を見たような記憶があったが、気が付くと自分は、彼女と一緒に城の外を歩いていた。
あれから何年か経ち、自分は今でも彼女に余計な荷物を背負わせているような気がしてならないのだが、彼女の方はどう思っているのだろうか。

「おい人間。さっきから呼ばれているようだが、返事をした方がいいんじゃないのか?」
「へ?」

我に返ってロックが前方を見ると、大きな青と小さな緑と平べったい赤が、なにやら並んでこっちを眺めている。脇にいるのは、先に向かわせた部下だろうか。
大きな青は、こう言っているようだ。「真下だ、ロック。真下を見るんだ。」真下?
このふらついた状態で下を眺めると今にも落っこちてしまいそうだったので、仕方なく、ヨルノズクにそれを任せた。
そうした後で、何故か飛行状態がなだらかになった。やっとまともに飛んでくれるようになったらしい。

「おうどうした。人間が云々とやらはもういいのか?」
「ロックとやら、心臓に自身が無いのなら、絶対に下を見るな。」
「……え?」

言われて、止めておけばいいのに早速下を見てしまうのは、これはもう本能としか言いようが無いのか。
そしてその光景を見た途端、またもや飛行状況は悪くなった。ロックが暴れ始めたのである。

「もっ……こ……こらっ!頼む!も……もっと早く飛んでくれ!」
「あだっ!だっ……だから見るなと言ったものを……この。ええい、速度的にはこれが限界だわい!」
「なんだあれは!なんか見えたぞ!おい!あれはポケモンなのか!?」
「あんたらの言う「ポケモン」とやらが具体的に何の事を指しているのかは知らないが、あれに何かを求めるのは止める事だな。命がいくつあっても足りるもんじゃない。」

真下に、謎の眼光がちらついている。
対になって動いている二つの光が三つ、つまり六つの赤い光が、ロックとヨルノズクをゆらゆらと眺めているのだ。
しかもそれがただ止まっているのならまだ安心が出来るのだが、その光は不規則に森の中を駆け回るように動いており、しかもそれは、ロック達のふらついた動きとほぼ一体化したような速度で移動している。
もうすっかり昼を回っているのにも関わらず、その光は薄暗い森の中からこちらを突くように光り輝いている。

「とりあえず落ち着く事だ。」
「い……一体なんなんだよあれは……。まさかあの……ジグザグマの森にいる、神様とやらじゃねえだろうな。」
「人化の秘法の話か。懐かしいな。だがあれは昔話だよ。マトモに聞いて噂を広めておる奴が何人もいる。」
「え……な、なんだそうか。あのさ俺、そいつらの頼みを聞いて、この森まで来たんだよ。火を付けたのも、この森の連中が悪さしたって言うからさ……。」
「縄張り争いの闘いに、余計な首を突っ込むんじゃない。貴様らの言う所の「戦争」とやら、軽い気持ちで手助けをした輩がロクな目に合わないのは知っておろう。そういう事だ。」
「は、はぁ。そんな大層な話で?」
「当たり前だ。どこの世界にでも、闘いというものはあり、それは非日常的なものと常の隣り合わせの状態で、その辺にゴロゴロしておる。不用意にノコノコと近づいておると、余計な面倒を吹っかけられかねんぞ。ま、どうせ今もそうなのだろう。」

ロックとしては騙されているという気持ちは無かったのだが、それは疑うという事をしなかったという事にも繋がってくる。
あのジグザグマ達は、本当に正しい事を言っているのだろうか。

「しかしよくも飽きないよな……戦争ってなぁお前、そういう生活疲れねえか?外には草原が広がってるってのに。」
「お前さんと違って、我等はここに住んでいる年数が長いのだよ。場所ではなく、状況という意味でな。」
「状況か……。」

流されるままの人生に嫌気が刺していたロックであったが、今の自分はどうなのだろうか。
ジグザグマの命令通りにこの森に侵入して、火を放って、それでなにか得られたのだろうか。
結局の所、自分は何一つ変わってはいないのではないか。

「……へっ、フラフラの癖して、よく俺を乗っけて飛べるもんだぜ。」
「そいつは褒めておるのか?」
「任せるよ。」
「そうかい。」

何気ない会話の中、一人と一匹は、フラフラと目的地を目指す。
足元では、今も残光が駆け回っている。

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