カプセルに収まった状態においても、その者に意識はある。故に、背後から迫っている影の正体にも気付いている。

「……指示を出せ、ロック。」

捕獲した者に、カプセルの中の者が命令を下すという事は、その者が主人に反抗的か、あるいは、かなりの信頼性を持っている時に限る。
自分の危険を犯してまでも、主人の身の上が危ないと感じるが故に、その球体から身を乗り出す者が時に存在する。
だがヨルノズクの場合は、そのどちらでも無かった。
彼は主人の事よりも自分の事を優先するが故、外に出たいのだと願っていた。
彼の血筋もまた、超能力を扱う種族の一つに当る。
先のラグラージやアリアドスには備わっていない特有の超感覚が、後方から迫り来る影が何者であるかを、この時初めて彼に自覚させた。
上空を飛んでいた時、モヤがかかったように捉え切れなかったその姿が、ここまでの接近と共に明確になったのである。

「……ロック?」

出ようと思えば、彼も強引に外へと飛び出せる筈なのだが、どうもその主人の様子がおかしい。
前方には二つの影。そして後方から接近する一つの影。
策でも練っているのか、いやそんな事を考えているような顔ではない。
これ以上考えている時間は無いと判断し、ヨルノズクはその開閉口にある部位に力を込め、キーを入力する時のようにそれを真っ直ぐと叩いた。



桁外れの力に怯えている訳ではなく、自身の力の無さに絶望している訳でもない。
今の彼は身動き一つ取らず、指先一つ動かしてはいないのだが、強大な何かと戦っている。
目の前の二体、ネイティとアリアドスの体から伸びた赤黒い影は、ロックの体の大半の部分を侵食し、その自由を奪っている。
二体は嘲っているのか、それとも単に動けないだけなのか、此方も身動き一つ取らない。
ロックに伸びた影は全身を蝕まんとばかりに襲い掛かっているのだが、それでも何故かロックは今もなお、その意識を保っている。
背中に沿えた剣。何故かそれだけが、獣を退ける闇夜の炎のように、侵食する影から孤立している。

「………。」

ロックの体は、先程転ばされた状態のまま、地に伏している。
その時、奇妙な事が起こった。
地に付いている部分から、燻った煙がじわじわと吹き出している。
その煙が勢いを増す毎に、赤黒い影がそれに退けられるようにして、ロックの体から離れていく。
動かない状態にあったネイティとアリアドスは、影を退ける煙が勢いを増すごとに、その体をぶるぶると奮わせている。
そしてついに、ロックに纏わり付いていた影は完全にその体を離れ、ロックが、その場から起き上がった。



中央部入口付近で、手持ちの馬を脇に待機していた筈のロックの部下である男が、いつの間にかその姿を消していた。
崖を登ってからすぐに、ヨルノズクの襲来によって全滅してしまったロックの部下達の中から唯一生き残った筈のその者は、何故か事態とは関係のない方向へと足を進めている。
男は中央部の外壁に沿って周回し、入口とは丁度真反対の、ロック達のいる所から見れば裏口に当る部分に来ていた。
そこには入口のようなものは無く、根が寄り固まって出来た壁が地面からしっかりと形成されている。
男は乗ってきた者から降りると、何故か自らの手持ちである筈のその者を収める事無く、こんな事を耳打ちした。

「OK、ここまでいい。付き合わせて悪かったな。」

告げた後でその者は喜んで主人である筈の男から離れていき、そのまま森の奥に消えていった。
姿が見えなくなると、おおなんという事か、男の体の各所は常識ではあり得ない方向へと次々に折れ曲がっていき、最終的にはこじんまりした液状の物体へと変化してしまった。
ゲル状の物体は未だ意志を持っているらしく、そのまま建物の壁に吸い付いて、上へ上へと登っていった。



「う……うう、キキちゃん。」

アリアドスによって球状に縛り上げられたヘッグの体からは、赤黒い影は染み出しておらず、彼は既に正気を取り戻していた。
思い切り縛り上げられてしまったせいか、彼の体は自らの各所を痛めない程度に固定され、身動きが取れないでいる。
視界すら危ういので、周囲で何が起こっているのかすらの見当も付かない。
その時だった。
妙な地響きがしたかと思うと、あらぬ方向から向かってきた何かによって、彼を取り巻いていた糸が体から抜け落ちた。
ヘッグの体を固定されていた糸まで切断されたせいか、彼の体はゴロゴロと転がり、そのままヘッグは、壁に頭をぶつけてしまった。

「ほごっ!」

キキバナによって散々暴行を加えられていたせいか、あまり痛みはない。
先刻、彼の体は傷だらけであったが、それも鍛えられており、なおかつアリアドスの糸に治癒効果があったせいなのか、今の彼は、ほとんど無傷の状態にあった。

「………あ、ありがとう。」
「………。」

誰かが目の前に立っている。だが、ヘッグはその者の顔を知らないし、今までに会った事も無い。
だがその者は何か、ヘッグの奥底にある何かを見つめているような目を向けており、それがヘッグにとって、奇妙であるのだが、何か言いようのないものに縛られて、先程とは違った身動きの取れなささを感じていた。
心を許してしまって、だからこそ捕まえられてしまっているような、そんな感覚だった。

「………上か。」

そう告げ、彼はそのまま、入口付近にある階段に向かって駆けていった。
先程まであれだけ興味を持たれていたヘッグを、まるで眼中に無かったように突き放し、そのまま足音は遠ざかっていく
ヘッグがぼおっとしていると、目の前から見覚えのある二者と、見覚えのあるような無いような二者がそれぞれ駆けてきた。
ヘッグには先程まで自分が何者かに操られていたという記憶がうっすらと残っているものの、それが言葉や情報として、まだ頭の中に入ってきてはいなかった。
周囲から見れば、寝ぼけていた彼を起こしに現れた集団が、彼の前に集っているように見えたのだろうか。

「……ええと、誰でしたっけ。」

呆けた声が、正面玄関に響いている。



少し前に、それは起きた。
ロックの体から立ち登ったものは、最初は煙のように思えていたのだが、そうではなく、それはロックの周囲にある草木が高熱を帯びて燃えているが故の、所謂、発火現象であった。
飛び出してきたヨルノズクも、突然の事態に頭が付いていかないまま、その行動が止まっている。
するとようやく、ヨルノズクの正面から、森の中を這っていた影が姿を表した。
ヨルノズクよりもやや小さく、似たような姿をしたそれは、紛れも無く、ヨルノズクの我が子の姿であった。

「……ぐっ、どうしたんだ坊主!」

倒れていたロックと同じような顔付きになるヨルノズク。だがその顔が歪まぬまま、驚くべき事が起こった。
ヨルノズクの子が、途端にその勢いを止めたまま地面に着陸し、その場で動かなくなったのである。

「……お……おじさんが……おじさんを返せ。」
「!」

唸るように言葉を吐き出す小鳥の目には、父の姿が映らない。
その向こうにいるロックを、血走った目で見つめている。

「おじさん……を。」
「………。」

ふいに、ロックが小鳥の方に向かって、その燻った手を伸ばしている。
背後の気配で何かに気付いたのか、ヨルノズクがロックの方を見つめようとするが、既に足元を小鳥から伸びた赤黒い影が侵食しており、身動きが取れない。
何か言おうとするものの、声はロックにも小鳥の耳にも届かず、突如目の前で起きた爆音にかき消された。
音の後で小鳥は、その身体の動きを完全に止めているばかりか、その体から、燻った煙が立ち登っている。
同時に、ヨルノズクの足元を取り巻いていた赤黒い影が消滅し、小鳥の体からも、燻った煙以外の奇怪な物体と気配が消え失せている。

「……ぼ……ぼうず!」
「……おじさん。」

警戒も無く駆け寄ったヨルノズクだが、その体に赤黒い影は忍ばない。爆音と共に、影は完全に消え失せてしまっていた。

「おじさん……ああ、あの時のおじさんだ。」
「あまり喋るんじゃ……!」

くすぶった煙が立ち登っている小鳥の体は、何故かどこにも火傷や負傷の後が無く、それ所か、ほとんど無傷の状態にあった。

「おじさん……今度会った時は、違う何かだって言ってたけど、おじさんはやっぱり、おじさんだったね。」
「……洗脳というものは、自分で思っているよりも、洗脳されているような感覚には陥らないものだ。」
「難しい事はよく判らないけど、大丈夫。おじさんは、優しいおじさんのままだよ。」
「………。」

これまで敵意を抱いていた筈の人間が、何故か自分自身のイメージと食い違っている事に、ヨルノズクは驚いていた。
崖を登ってきた人間の中には、落馬している者も何人かいた筈である。それをほおっている事を、この場で唐突に思い出していた。

「私は……。」

投げかけた声が届く前に、小鳥は疲れたように眠り始めていた。



「……あの女……見つけたら今度こそ、鼻先から叩き潰してくれる。」

上層、崖上から少しばかり離れた所の森中から、おっかない声が聞こえてくる。
監視役に見つけて貰ったノクタスは、これまでの間、ヨルノズクの集落で地に根を張り、体を休めていた。
その間に人間も何人か運ばれてきたようだが、どのような手当てを受けているかなど彼女の知った事ではない。
以前はラグラージの部隊に所属していた彼女。その国の中では、非人道的な強化手術が日々行われており、その度にラグラージやノクタス等は、人間達から惨い扱いを受けてきたのである。
それを思い出す毎に、彼女の心には、恨めしいものが溜まり積もってくるのだ。
なにより、元々強化されている筈の自分が、アリエッタに素手で負けた事が悔しくてたまらない。

「司令も司令だ……これだから男は信用ならない。」

今、彼女は森の中を中央部に向かって歩いている。
既に侵入者は中央部に乗り込んでおり、その中になんとあのラグラージが加わっているとの情報も回ってきている。
懐柔されたのか、それとも人間達が好んで捕獲に使うと言われている、カプセルにでも収められたか。
頭は固いし悪いしどうしようもないが、信頼は出来る男。それが彼女にとっての「寛大なラグラージ」である。間違ってもあの女にヘコヘコするような事があってはならないのだ。

「ん?」

見覚えのあるポケモンが飛んでくる。
その先に、何やら小鳥のような物体が転がっており、それを下層部の先導隊長と緑の小鳥が取り囲み、何やらぼそぼそと話し合っている。
ノクタスは先導隊長がこんな所で何をしているのだという疑問よりも、緑の小鳥の方に注意が向かった。
紛れも無い。彼女が目指す、あの性悪女に最初に成り下がったと情報のあった、下層部のネイティである。
肝心の司令が見当たらないが、彼女にとってそれは問題ではない。
見当たらないのであれば、捻じ伏せて吐かせるまでだ。

「………。」

彼女は戦闘の前になると、なるべく計画を練ってから行動に移るタイプの戦術を好むが故、彼女の戦闘開始はまず、対象に気付かれないうちに始まっている。
その筈であるが、今の彼女は何か、復帰後に無茶をするベテランのような心境に陥っていた。
ネイティの超感覚には、上層部の方でも警戒があったのだという事を頭の隅に置いてしまえる程に、この時の彼女はどうにも、

「………ふふふふ。」

冷静さが、ぶっ飛んでいた。

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