玉座付近、大規模な破壊や強力な攻撃の無い、終わりの見えない攻防が続いている。
放った拳が交わされると同時に、その線上にあった筈の急所がズレを生じ、間一髪の所で避けられていく。
そんな当るか当らないかという位置での攻防だけが続く中、心中、スタミナの消費を狙った時間稼ぎだろうと、アリエッタはそう思っていたのだが、それにしてはどうも様子がおかしい。
持久戦に持ち込むにしては、格闘技の練習に用いられているスパーリングのようなものを延々とやらされているような、そういった「手加減」があるような気がしてならない。
違和感の正体に気付き始めた頃、かなりの老体である筈なのに、汗一つかいていない様子の「教授」と呼ばれている人物が言う。

「そろそろ、丁度良い頃か。」

玉座の裏にある格納スペース。元は脱出口として設けられていたそれは、現在、中央部にその身を構える巨大樹の、その登り口に繋がる進入ルートとして設けられている。
アリエッタは「人化の秘宝」がその大樹の中か、教授本人が持っている可能性があると判断して、この玉座の前で時間稼ぎを行っていたのだ。
その筈だったのだが、なんだか状況が逆転しているような気がしているのだ。

「一体何の話……。」

言い終える前に、入口付近に迫る違和感の正体にアリエッタが気付き、眼前の敵をよそに、後方にある入口を振り返る。
異様なものがそこにいた。
そこに立っていた人間の足元は、別に何かが燃えている訳でもないのに焼け焦げて、黒く燻っている。
服の合間、頭、手等、衣服から露出した箇所からも同じように燻っているのだが、着ている服が焼けている訳でもなく、まるで体の中から煙が噴出しているように、ただ黒い煙が立ち昇っている。
その者の顔は、アリエッタもよく知っている者のそれであった。

「ロッ……ク?」

ようやく目的の人物に出会えたと言うのに、燻る者の方はアリエッタなど見向きもせず、ただ目の前にいる「教授」と名乗る人物の方に鋭い眼光をぶつけて、静かに言い放つ。

「図鑑ナンバー475の合成生物と判明。最優先事項である「エボリューション」を優先させ、反応を追跡します。」

機械的な口調で語り、未だ燻りを繰り返すその者は「教授」と呼ばれる人物の元へ接近していく。
その方向線上にはアリエッタの姿もあったが、アリエッタが即座に身構えたその頭上を飛び越えて、その者は教授の元に接近する。

「なっ……!」
「安心したまえ。それは与えられた命令にのみ忠実に動いている。」

アリエッタが認識しているロックという人物の運動能力をゆうに超えたそれは、前方にいた「教授」をも飛び超え、その後ろにある玉座の裏側に向かった。
燻りも遠ざかり、玉座の向こうに去った者の姿も見えなくなった頃で、アリエッタはようやく、事態が自分の知らぬ所で動いていた事に気付いた。

「ようやくのお出ましか。元々君の方に用は無かった。私の目的も、ようやくこれで達成されるというものだ。」
「何の……話よ。」
「私の目的は、あのロックとかいう少年をここまで連れて来る事にあったという事だよ。君とネイティを捕まえるという命令を下したのも、彼が動かなかった時の保険に過ぎない。」

足音がまた一つ、聞こえてくる。



「私はとりあえず、傷ついた者達の手当てに当ろうと思う。」
「ロックさんを追わなくて良いのですか?」
「いや、助けに向かうよりかは、帰りを待っていた方が懸命であるようだよ。」

ヨルノズクはそう伝えると、倒れていたホーホーをアリアドスに差出して、その手当てを託し、森の向こうに消えて行った。
残されたアリアドスがホーホーを治療していく。ただの糸巻きだけではなく、治療の知識もあるようだ。傷跡に当てた分泌液の部分から、みるみるうちに傷が塞がっていく。
先ほど、ラグラージの連れて行った者よりも傷が浅かったせいか、応急手当だけでかなりの回復が出来ているようだ。
治療を終えて、アリアドスが背にホーホーを背負う。

「ここでお別れね。」
「……何の話ですか?」
「馬鹿。それおんぶしたまま、この先まで付いて来るつもり?」

それだったらさっきのラグラージも、と言おうとして、とんでもない痛手をくらってしまった事を思い出すアリアドス。
理屈は判ったが、それでも諦めが付かないのか、しばらくしょんぼりと俯いている。

「でも私は……追放処分で……。」
「契約もロクに出てない癖に、解雇ってのが気に入らないわ。村八分みたいにされる程嫌われてもいないんだから、どうどうと治療してきなさい。」

恩を売るみたいで恥ずかしいと言えば、緊急事態だと返され、その後強引なネイティの言い回しのせいもあってか、アリアドスは納得して後道を見る。
そのまま木の上に糸を伸ばすと、そこからするすると上に上がり、一礼する。

「そうだ……これを。」

と、アリアドスが上から何かを投げる。
毛糸のように見えるそれは、アリアドスが生成した糸で出来ているようだ。

「万が一の為にとっておきましたが、渡す機会が送れました!かなり丈夫に作ってありますので、何かにお役立て下さい!」

上からの声が終えるかという前に、ネイティは何者かの気配を周囲に感じていた。
アリアドスも同様にその気配を察知していたのだが、下を見るなりネイティに「早く行け」という目で睨み返され「ご検討を」と返した後、そのまま森の奥に消えていった。
気配が、だんだんと近づいてきたかと思ったその直後、正面入口とは丁度正反対の方向。ヨルノズクが去った場所から、それは現れた。

「……ん?」

人影のようにも見えるが、妙に四肢が丸々と分厚く、随所に棘が散りばめられている。
帽子を被ったような部分から見える眼光に、ネイティは見覚えがあった。
ラグラージと一戦交えた際、崖の上で登るアリエッタを待ち構えていた者である。
アリエッタの事をなにか知っているかもしれないが、現在の目的は、アリエッタではなく、三つ首とやらの発見にある。
どうしようかとネイティが考えている中、ゆっくりとその声は聞こえてきた。

「………ふふふ……ふふふふふふふ。」

物凄く、笑っている。
爆笑とは言わず、微笑とも苦笑とも違う、不気味な笑い声。
目の前の人物から発せられているであろうそれは、段々と此方に向かって接近して来るうちに、その音質と音量を十分に上げつつあり、飲み込まれてしまいそうな印象すら受ける。
表情はすこぶる笑顔だが、警戒を解く笑顔とはむしろ逆の作用があり、その者がいかに危険であるかを際立たせる程に釣りあがったその笑みから発せられる声は、最早笑い声の領域を超えている。
ゆっくりと、歩くたびにゆっくりとなるその足は、半死体が足を引きずっているかのようにも見える。
ネイティに備え付けられた歴史の頭脳が、その行動の意味を指し示す。
あれは低速になる程、自らの体内に眠る攻撃の構えを目覚めさせると呼ばれる技であり、目の前を歩いている人物は、無意識のうちにそれを発揮させているのだろう。
我に返り、目的の意図を辿るネイティ。
目の前の者が戦闘態勢にある以上、彼女の目的は、中央部への進入一つに定まった。
低速であるのならば構っている暇など勿論無い。

「……今のうちにっ!」

ネイティが目を離した、その直後。
ネイティはそれに気付き、横飛びにそれを回避した。

「………うわっ!」

何が起きたのか判らないまま感覚で避けていたせいで、態勢が整わないネイティ。
さっきまでノロノロと各所強化に当っていたその者が、物凄い早さで真後ろから突っ込んできたせいで、不意打ちをくらったのである。
回避に当ったネイティは急いで態勢を立て直したが、その準備が整う前に、その突っ込んできた者の目を見てしまった。

「……にたり。」
「……っ!」

睨まれたネイティは、一瞬体が強張り、そのチャンスを逃さんとばかりに、今度は真正面から追撃が来る。
間に合わないと、そう思った直後、その者の動きが止まった。

「今です!ネイティさん!」

声の指し示すままに、ネイティはその者の体に急接近し、その体に触れ、その者の体からなにかを引っ張り出すと、自分の体の中にそれを吸収する。
そのまま前方に回り込み、全身の力をクチバシに収束させ、対象の腹に向かってその切っ先をねじ込んだ。

「……ごほぁっ!」

すかさず、ネイティが後方へ飛ぶ。
クチバシから腹に直撃をくらい、対象はそのまま倒れそうになるが、それでもふらついた体を整えて、右の足を地面に叩きつけ、立て直した。
見ると、ネイティのつついた場所は深手であるものの、そこが急速に回復していく。
地面に足を叩きつけた際、そこから養分を急速に吸収し始めたらしい。

「……ラグラージは、今ので一撃だったのにね。」
「し……司令の悪口は……それ以上。」
「それ以上喋らないほうがいい。急速回復と言っても、脳天まで響いた一撃は、ポッと取れるものではないから……で、貴方に用があるって訳よ。」
「……?」

ネイティは、先程声のした方向に目をやると、そこからスルスルと何者かが降りてきて、ネイティの横に申し訳無さそうに座りこむ。

「す……みません。」
「……いや、結果的に助けになっちゃったからね。感謝するよ。」
「せめて、この子を置いてこれれば良かったのですが……。」

背に治療されたホーホーを抱えるアリアドスは、再びしょんぼりとした顔のまま俯いた。
横目に、ネイティが目の前のノクタスの足に絡まっている糸の元に寄り、器用にそれを口先で千切った。

「……あ、あれ?何してるんですかネイティさん。」
「この子、さっきみたいに治療してあげて。なんかラグラージの野郎に用があるみたいだから。」

一同、驚いた様子になるものの、ネイティが睨みを効かせると、何も言わずに治療を始めるアリアドスと、それに従って足を指し出す……

「名前……聞いてない。名乗る礼儀は、司令とやらからは教わらなかったの?」
「……ノクタスよ。……ええ、その通りよ。気持ちが先走って、名乗りも忘れていたわ。あの女に会った時みたいに。」
「……アリエッタの事?あの子、結構軽い感じではあるけど、まー例えて言うなら、自分からお誘いを断るタイプみたいだから、その点は安心していいかもしれないけど?」

アリアドスはいまいち付いて行けていなかったのだが、どうやらノクタスが抱えていたアリエッタへの嫉妬の思いを、先程の一件でほとんど把握してしまったらしい。

「あんた……一体いくつよ。どこをどう見たって、ただの子供にしか見えないんだけど?」
「意地の悪いガキよ。そっちだって子供みたいなものじゃない。」
「ああ子供ですよ。どーせあの人は任務任務で、私の事なんか全然見ちゃいないんだから。」
「私だってみすみす不意打ち喰らうようなこの身で、今更最前線に向かって行こうって言うんだから、ほんと、おかしいったらありゃしないわ。」

ノクタスとネイティは、互いに罵り合っているように見えるのだが、何故か表情はにこやかである。
その間にもノクタスの腹部はみるみるうちに修復されていき、完全に回復する頃には、なにか互いに、決意のようなものが現れていた。
その間、アリアドスは置いてけぼりをくらったように、居場所無く浮いている。
そうして入口までやって来ると、先程アリアドスの糸に縛られていた筈の者がそこに座り込んでおり、何やらポカンとした様子で此方の面々を見上げている。

「……ええと、誰でしたっけ。」
「あれ貴方……確か特例で上層部まで上がってきた……えーと、ホッグ?」
「ヘッグですよ。それより、何があったんですか?気が付いたらキキちゃんもいないし……なんか変な人間さんが助けてくれるし……あ、キキちゃんってのは僕の友達の……。」

これからの状況をこなす上での重要なキーがこの子に隠されていると瞬時に判断したネイティの中で、それとは別に、問いただしたい事が増えていた。

「アリアドス。なんで貴方、さっきこの子が襲ってきた時、名前とか階級の事とか色々尋ねようとしなかったの?」
「え……ええと、すいません。下層部の見張り番が常だったものですから、上層の事に関してはここ何年か情報が……。」
「……ラグラージもラグラージで、身に覚えとか無かったのかしら。」
「ああ、司令は覚える事を面倒がっていたから、常に同じ担当だった私が辞書代わりになっていたの。つまりは、司令と私は一心胴体の……。」

その下りが言い終わる前に、成り行きとは言え、ノクタスが行動を共にしてくれるようになった事に対して大きな希望を感じているネイティなのであった。

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