中央部医務室。

人為的な息のかかった薬用物を改良した、天狗の森オリジナルの超自然的医療薬。
使い方は、人が持つそれとはほぼ変わらず、ましてやこの森での経験が長いラグラージであれば、それを扱うのは容易な事である。
大きな手である事もあってか、手先は不器用だが。

「ううん……。」
「妙だな。そろそろ一人で起き上がれるまでには回復していると思うが……。」
「……違う……ほ……包帯が…。包……。」

巻き方が悪いのか、タネボーはその丸々とした体で寝転がったまま、苦しげな声で呻いている。

「大丈夫か。それに動けない状態なら、それはそれで好都合……だよな。」
「うぐ……。」

内部は混乱に満ちている。
事柄とは無関係のタネボーですら、容疑者であるラグラージと行動を共にしている所を発見されてしまえば、疑いの念をかけられないでもない。
もう発見されてしまっているのであるのであれば、安全な所に隠れていた方が、都合が良い。

「まぁ、ここが崩れそうになったら迎えに来てやるよ。安全には出来ているが、もしもの事もあるからな。」

大木の根の中に存在する各部屋は、強度の関係で、滅多に崩れる事は無いのだが、長年使っている部屋の中には、老朽化しており、耐久性に問題のある場所もある。
ラグラージはその点を把握し切れてはいない為、もしも、とはそういう意味での事なのだろう。

「んじゃ、大人しくしてろよ〜。」
「……。」

木のドアを開け、ラグラージが部屋から立ち去る。
簡単な器具に囲まれた、簡素なベッドにぐるぐる巻きの状態で寝かされたタネボーは、大人しく天井を見上げている。
タネボーは少し眼を閉じて、少し考えるように口を結び、己について考えている。
崖の上から落ちてきたタネボーには、判らない事があった。
それは崖の上から落ちる前の事であり、そのずっと前の事でもあり、そのずうっと前の事でもある。
タネボーは、自らの記憶を失っていたのである。
ただ一つ覚えている事は、今森で起きている事について、何か出来る事はないかと考える気持ち、それがタネボーの中に渦巻いているという事だけなのだ。
その情報も、ただ単に「騒ぎ」としかタネボーの頭の中では認識されていない為、それについてどう考えていいのか判らない状態にあった。
その時、それが聞こえてきた。

じゅるるる……

何かが這うような音と共に、紫色の物体が、部屋に設置された窓の方から聞こえてくる。
ラグラージはこんな音を出して這い回ったりする事は無い。
一緒に居た森の住民たちでは無い。
では、この音は一体なんなのか。

「んん……なんだ、森の中の癖に、この妙に薬臭い感じは。」

声はすぐ足元まで来ている。
位置から推測するに、丁度寝ているベッドの真下という事になる。

「ああ〜……適当なのがいるな。OK……ちょっとの間、借りようか。」

言うと、声は言葉では表現し辛い、ぐにゃぐにゃという奇妙な音を立てて、その後で、足元のベッドに頭をぶつけたのか、ゴツンという音と共に、また声が聞こえてきた。

「あいったぁ……ってぇ、あれ。あんまり痛くねえな……ああそうか、そうね。そういうタイプなのか。へー、面白い。」

声は自問自答で納得すると、そのままベッドの下から抜け出て、飛び乗るようにしてタネボーの前に現れた。
そして、絶句した。
目の前に居るのは、自分と全く同じ顔と形を持った、タネボーそのものの姿だったからである。
治療後から何から全てが同じであり、しかもわざとらしく、同じ包帯まで巻いている。

「なんだぁ、お前。へったくそな巻き方だなぁ。」
「……え、ええと、これは僕が巻いたんじゃなくて……。」
「まあいいや、ちょっと取引しようぜ。」
「え?」

よくよく聞いてみると、声や仕草まで全く同じであるような気がするのだが、そんな訳が無い。
記憶は曖昧であるが、自分の体の細かな特徴が同じ者など、いそうなもので、世に殆ど居ないものだ。
そんな者が居るのだとすれば、それは柳か何かの見間違いであり、現実のものである筈が無いのだ。

「お前は、この騒動をどうにかしようと思っている。コッチはそんな事どうでもいいんだが、それとは別に、お前に用事がある。」
「な……なんだよ。」
「お前の体の自由を、少しだけコッチに預けてくれ。そうすりゃお前のその「どうにかしたい」目標が、少し解決するかもしれない。判るか?」
「え……?」

直訳すると、どうにかしたいなら俺に任せておけ、と言ったようにも聞こえ、金銭を貸してやるから言う事を聞け、と言っているようにも聞こえてくる。
明らかに怪しく、突拍子も無い出来事に、タネボーは判断をする所か、事態に付いていけていない。

力とは何なのか。
自分のしたい事は何なのか。
そして興味も無いのに、何故この体が必要で、何故それが「騒動を止める」事に繋がるのか。

判らない事でいっぱいだったが、どうやらこの者は、自分に興味があるらしい。
こんな所で寝ているだけでは到底役に立ちそうもないこの身に、何故興味があるのかは知らないが。

「……少しでも、この森の為になる手段があるのなら。」

機会を生かす事が、今ある自分の定めであると、彼は判断したのだろう。

「使えるものなら、好き放題使ってみなよ。」
「交渉……成立だよ。」

途端。
かりそめの姿を象ったそれは、紫色をした蛇のような物質に変貌し、決意新たにした者の体に向かって、そのまま

「戻れない道。でもこれが間違いかどうかは……。」

むさぼるように、喰らい付いた。

「すぐに、判る。」

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