力を手にした者は、何を想うのか。
きっとその者は、延々と長く続く階段の途中で、力を使い果たすまで、膝を付いているだけなのだ。
その者に悪意は無い。同時にその者には、振り返る余裕も無い。

「………。」

中央部玉座裏、隠れ通路。
上層部を支える大樹の中心部が、丁度この中央部玉座の、真下になる。
大樹は、延々と成長を続けている。
それに伴う土の養分等、とうに無くなっている筈であるのに、何故か大樹は成長を止めない。
特異な秘術が施されている。実は森の住民を喰らっている等、この森の中では、大樹にまつわる噂が幾つか飛び交っているが、その真実に辿り着いた者は、森を統括する、あのダーテング一人であると伝えられている。

「……お爺様……ダーテング……様。」

彼こそが、この玉座と、その裏に隠された、大樹の中心へ通じる扉を守る者であったのだが、どういう訳かその彼自身が行方知れず。
それが彼の意図によるものであるのか、それとも、不審な輩の策略であるのか。
どちらにしても、彼は今玉座を留守にしており、その留守を狙って、事もあろうか玉座の目の前では、侵入者が大規模な戦闘を行っている。
そしてその侵入者こそが、

「……どこ……ですか。」

このキキバナの主人、アリエッタである。
キキバナは今、その力強い足で、玉座裏通路の中を下へ下へと下っている。
傾いているどころの話ではない。
立てている爪が外れれば、真っ逆さまに下へと落っこちてしまうのだ。
中央部に向かっているのかどうかすら、彼女には判らない。
なにせ彼女が、かつての主人から与えられた指令は、単純にして明確、そして彼女にとって、反論のしようがないものであったのだ。

「……貴方は……なにもかもを救ってくださるのですか。」

中央部、玉座裏にいるダーテングに会って、真実を聞く事。
その為に彼女は今、手足が千切れる思いに耐え、果てしない木々の絶壁を、ゆっくりと下っている。



「アリエッタ!」

叫び、その後で扉を開く。
そんな行動を、何度繰り返せば気が済むのだろう。

「ええい!ここか!」

ばたん!と、人工的にして植物的な扉が、その構造に関係無く、大音を立てて開く。
開けども開けども空部屋ばかりであるが、そんな事は開けている本人が一番よく判っている。
目指す彼女は中心部であり、ここ一番の高所であり、主犯格かつ目的の人物がいる筈の、中央部玉座に向かっている筈なのだ。
なのに、さっきから無駄に扉ばかりを開いて回っている者が、入り口から中央部へと続く、走り廊下の前で暴れまわっている。

「……会った時から思ってたけど、かなり落ち着きの無い奴ね。」
「は……早く止めないと、部屋がボロボロになっちゃいますよ!」
「あの扉は加工品だから、自己修復は出来なさそうだけど。」
「呑気な事言ってる場合じゃありませんよ!」

さっきからドアを開けている、誰よりもアリエッタに会わなければならないと言わんばかりの者の正体は、他ならぬ

「ノクタス……そんな扉いくら壊したって、アリエッタは……。」

ノクタスは、今暴れまわっている。何故だろうか。
こんな現象を、ネイティは前にも見た覚えがあった。

ある時は、棘の生えた紫色の獣の後ろに
またある時は、引き裂かれた親子の後ろに
またまたある時は、自らが誓う仲間と、己自身の中に。

彼女は少しばかり、危険な面を持ち合わせた性格の持ち主であるが、それは彼女のリビドーに沿って動いた結果故の行動である。
故に、彼女は今もしかしたら、自身でも制御不能な状態にあるのかもしれないと、この時のネイティはそう考えていた。

「アリアドス。後方へ三歩、続けて斜め上方に向けて捕縛行動。」
「……え?ええ?どういう事ですか。」
「とっととやる!」

近頃気性の荒い者の影響か、はたまた度重なるストレスの結果故か、威圧感の高まったネイティの指示を聞き、アリアドスは後ろ足で数えて散歩の部分まで飛び、

「アアアリエッタァァ!」
「うわっ!」

そのまま、意識的にかそうでないか、斜め上に向けて捕縛の糸を放った。
そしてなんと、それが何故か、此方に猛然と向かってきたノクタスに、見事命中したのである。

「わ……わぁ!なんで私が叩かれて……あ、れ?でもなんで避けて……ええ?」

アリアドスの訳の判らぬうちに、ネイティは先程から集中に入っていた念道力を、ノクタスに向ける。

「……ギギ」

その一歩手前で、気付く。

「……こ……の私を……ウグ……ぐぐ。」

ノクタスが、完全に意識を乗っ取られていない事に。

「ノクタス……貴方まさか、自分で呪縛から逃れようと……。」

並外れた精神力を、彼女は持っている。念道力を操るネイティですら、この黒い呪縛の前には、全く歯が立たなかった。

「……ちゃ……チャンスよノクタス!糸で体が抑え付けられている今なら、貴方の力で……!」
「う……るさい……。」

ノクタスは、何に付け込まれたのであろう。
アリエッタによる、完全敗北。
そのアリエッタと行動を共にしていたネイティによる、親愛なる上司の敗北。
その親愛なる上司が、敗北したネイティに連れ添っているという事実。

「うるさい……アンタに……、アンタに言われる事が…一番、イライラする。」

彼女は、自分の考えがハッキリしないまま、路頭に迷ってしまった。
いつもいつも計算高さ発揮している癖に、いざという時に限って、起こった何もかもに歯が立たなかった。

「アンタに言われる……までも無い。二度もこのノクタスに喧嘩を売っておいて……このアマが……。」

さっきからノクタスの体からは、いつか見た者達のように、赤黒い影が浮き出ている。
その妙にどろりとした影の様子が、何か、今迄のものとは違っていた。
これまでネイティが見た影は、対象の内側から溢れ出しているようにして浮き上がってきていた。
だが今、目の前でノクタスに纏わり付いている影を見る限りで、その物体の状態は明らかに、今迄のものとは異なった変化を遂げていた。

「な……なんですかあれは!ねえネイティさん!」
「ほ……本人に聞いてよ。私だって、ただ取り込まれるだけだったのに……それを、なに、これは。」

赤黒いその物体から、黒い部分だけが染み出し、その色を真紅へと近づけている。

「なんだって言うの。一体、この森で何が起きてるのよ!」



「ロック!ちょっと待ちなさい……そっちは!」

玉座の前に現れたロックは、そのまま眼中に入らないと言った素振りで玉座の後ろに入り込み、その向こうへと消えて行った。
耳元で叫んでも、声は届きそうになかった。それ所か、彼は記憶すら、別の誰かと入れ替わってしまったかのように動いている。
動揺はしていたが、止まってもいられない。
あの向こうには、絶壁を下っているキキバナがいるのだ。
迎撃でもされたら、計画所か、キキバナの命すら危うい。

「アリエッタ。君は単身一人でここに飛び込んで来ながら、どうやら何も知らないようじゃないか。」

居ても立ってもいられないアリエッタに向かって、挑発のように教授と呼ばれる者が語りかける。

「何も?全部知ってるわよ。数年前、貴方は研究の為に立ち寄ったこの森で、自らが作り出した「進化の秘法」と呼ばれる物質を体内に吸収して、姿を変えて、この森に住まうようになった。」

追った所で、今何も出来なかった自分に、何が出来るかどうかは判らない。

「助手として付き添っていた私は、結果、違法な薬物を作り出した教授の協力者であるというレッテルを貼られ、貴方が出てくる訳も無いのに、人質扱いで、自国に幽閉された。」

それでも、何の理由も無く、彼を止めたい想いのアリエッタは、ほとんど叫ぶように話していた。

「そこでロックに、ううん、正確にはロックを利用して、私はなんとか城から脱走出来た。ロックは……ロックは私にチャンスをくれたのよ。なのに……なのにあのロックはなに!?あれはまるで……。」
「まるで、そう、そうだな。その通りだよ。さすがは私の育てた、聡明なるサイエンティスト。」

アリエッタにはロックの変化に心当たりがあった。
他の人間と比べ、アリエッタには奇異な才能と、異質な力に恵まれている。
ロックが変化した原因は、そこにあると、アリエッタは踏んでいる。
だがそれを肯定するという事は、自身において、なにかよからぬ結果になるのではないかと、それだけをただ、恐れていた。

「……そうだアリエッタ。ロックには、私と同じような処置を施させて貰った。彼の体内には、最早普通の人間では達成出来ない限界を超えた、進化の可能性が宿っているのだよ。」
「いつ……いつ進化の秘法を投与したの。チャンスがあったなんてとても……!」
「ここの隣にある、ジグザグマの森に入った時、ジグザグマの群れに紛れて投与させて貰った。彼にしてみれば、ギザギザとした体毛が刺さった程度の感覚でしか無かったとは思うがな。」
「……ロックは……ジグザグマが話せる事を知っていて、それでも恐れず近づく事の出来る人間だったのに……それをよくも!」
「話が出来るとたぶらかしたのは、君の方ではないか。いやぁ助かったよ。彼に近づく機会は、あの一瞬で十分に確保出来たからね。」

殴ろうとしても、殴りにかかれない。
そんな暇は無いのだ。
だが何故自分は動けなくなってしまっているのかを、アリエッタは心中に問いかけるが、さっきから口だけが動いているのに、その足だけがただ、動かない。

「……ついでと言っては難だが、面白いものを解かせて貰ったよ。今の彼の姿は、その力が関係しているようだね。」
「ついで……まさか。」

ジグザグマ達はしきりに、封印の事について話していたという事を、ロックから、そして、ジグザグマ自身から聞いていた。
進化の秘法を盗んだから、神様が怒っている。うろ覚えではあったが、確かそのような事を言っていた事を、アリエッタは思い出す。

「あれらの説明にも時間がかかったよ。神の祠には進化の秘法が置いてあると言えば、あの場には自動的に見張りが付く。ただ祠を開けて、それが無くなったと騒いでおけば、ロックは自然にこの森にやって来る事になる。」
「それには気付いていた。問題は、そのジグザグマ達の言っていた、神様とやらよ。」
「そう……その神とやらに、ロックはどうやら気にいられてしまったようだ。おかげで彼は、改良した進化の秘法の力で私の意のままに動き、更にその力で、新たなる力をも呼び寄せたのだ。」
「………!」

アリエッタは、ほとんど一部分だけを聞き取っていた。
進化の秘法の力で、ロックが教授と呼ばれる者の意のままに動くようになってしまった。
ほんのそれだけの事で、アリエッタは足を止める所か、完全に膝を付いてうな垂れてしまっていた。



ようやく下に地面が見えて来た頃、何かの音が聞こえてきた。
何かが飛ぶような大きな音とは違う。
パチパチ、と、まるでいつか見た覚えのある「炎」と呼ばれるものが、ゆっくりと木々を焦がして燃えていく時の音のような、

「……。」

そんな音が、崖を降りている途中で真後ろから聞こえてきたとすれば、まず絶望を覚えるだろう。
キキバナの真後ろに、燃え盛る炎の影が揺らめいている。
ロックと呼ばれたその者の匂いに、キキバナは覚えがある、筈だった。
見張り番のネイティを残して、中央部に向かった時、一瞬だけ、主人の匂いと似た何かを秘めた匂い。
だが、それをキキバナが思い返す事は無かった。
その者が放つ、全身の全てが焼け焦げているような異様な匂いの中に、懐かしさも何もかも埋もれてしまっていたからである。

「……あ……あああ。」
「図鑑ナンバー30。先刻すれ違った、合成生物のパートナーであると判明。最優先事項は……。」
「ああ……。」

言い終える前に、その手が放れた。
疲労も限界に達していた為、このまま下降を続けていようと、時間の問題であったのかもしれない。
それでも、彼女は手放してしまった。
もしかしたら命だけではなく、他のなにか大切なものすらも繋ぎ止めていたその手を、ただ、離してしまった。
地面は見えているものの、その高さはゆうに、叩きつけられたらひとたまりもない高さを超えている。

――ごめんなさい、アリエッタ

助けを求めるより前に、彼女は、久しぶりに与えられた指令が、嬉しかったのであると、ここにきて初めて実感する事となった。

――私を……逃がしてくれたのに

彼女には判っている。
アリエッタが、幽閉されていた事も。
巻き添えをくらうからと言って、自分を置いていった、アリエッタの優しさを。
待っていて欲しいと、命令を受けた、自分を、捉えていた。

――ごめんね……。

はるか上に、灰色に燻った煙が見える。
それがはるか高く登っていく事で、自分が落下しているのだという実感が沸いてくる。
そして、地面に叩き付けられるという気持ちが、ようやく蘇ってきた頃。

「……え?」

何かが、キキバナを支えていた。
森に来てばかりの時、自分を支えてくれた者、森で出来た友人、仲間達。
その懐かしいような、寂しいような香りが、キキバナの体を支えながら、空中に浮かんでいた。

「……図鑑ナンバー……ナンバー………132……273…4…5…???不適合…奇怪…奇怪。」
「やれやれ、あれに奇怪と呼ばれるようになってしまっては、私もそろそろ、終わりが近いという事かな?」

ゆっくりと地面に降り立ったのは、キキバナを抱えた、行方不明である筈のダーテングではなく、

「お爺……様?」
「今の私は、ただの小さな種坊だよ。」

ただの小さな、タネボーだった。

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