人化の秘法。
その意味を、その言葉を、彼女、キキバナは以前聞いた事があった。
あれはいつの話だったか。
ある日突然、飛んできた赤い球に入れられて、それからなんだかよく判らないうちに、アリエッタという名の女と出会っていたのである。
彼女は何か、人間の体臭を嫌う私ですら寄せ付けるような、なにか特殊な力があったような気がするが、それも後から判ったが、ボールというようなヤツの力のせいだったのかもしれない。

「それでねキキバナ。」
「キキ……バナ?それ、もしかして私の名前?」
「あら、気に入らないなら、別に変えてもいいわよ。」
「……いいわ、良い意味にせよ悪い意味にせよ、私に似合う名前なんだから、好きに呼べば?」

いい名前だった。
凄く嫌だった。大きな鼻も、力強い足も、でもあの言葉のおかげで、なんだか私は、自分に自信が持てるようになった。
それに対して感謝というのは、完全に私の都合で、アリエッタは本当に、なんとなくその名前を付けたのだろうか。聞いた事が無い為か、そこは未だにハッキリしないままだ。

「教授がいなくなったの。貴方の鼻で、探してくれないかしら。」

薬物という液体は、色は綺麗なものもあるのだが、基本的に、あの臭いは好きになれない。嫌いだ。
それをしょって歩いている教授という、あの今にもくたばりそうな老人を探さなければならないというのは、正直どうにかならないかと考えたものだったけど、探すのはこれが始めてではなくて、そう、慣れていたからやったまでだ。
結局その後で、教授とやらが見つかる事はなかったけど、同時に、アリエッタの姿も消えていた。
森の入り口で落ち合おうという約束を交わしており、それを信じた私が見たものは、外側の草原へと猛スピードで消えていくアリエッタの姿だった。
捨てられたのだと、そう思ったが、捨てられた事の無かった私に、そんな事は判らなかった。
ただ、もう会えないのだと核心するような、何かが自分の中にあったような気がする。裏切られないように、私の気が余計に強くなったのは、彼女のせいだと思う。元々、気は強いけど、それ以上に何かが芽生えていた。
それ以上に、あの教授はどこへ逃げたのか。あの薬物臭い香りごと、どこかへ消え失せてしまったのには、何かしら原因があるのかもしれない。
ずっとそれが、おかしいとは思っていたのに、何故それに気付かなかったのか。
玉座の近くをうろついていた私の、ダーテング様への恩義を返そうとする私の、ずっと近くにいたのに、何故それに気付かなかったのだろう。
あの薬物の香りが、懐かしさだなんて思いたくも無かったが、どうやら私の過去には、嫌な思い出しか残っていなかったらしい。

「調子はどうかな?メタルモンスター。」
「これはこれは……まさかここで貴方様がおいでになられるとは。上の暴れ女はどうしました?」
「それまで遊んでいたのが嘘のように崩れたよ。荷物運びの癖に、そのゴミが随分効果的に役立ってくれたようだ。」

メタルモンスター。通称、メタモン。
紫色のゲル状の体を持ち、どんな生物にも、自在に姿を変える者。
彼らは決して好戦的な性格では無く、臆病な性格である為、よく彼等を見つける際には、私の鼻がよく役に立っていた。
何匹か捕まえた後、教授はそれを薬物の臭いが詰まった部屋に持ち込んで、口ではとても言えないような非道なる研究を続けていたらしいが、私の知った事ではなかったが、その研究が生み出した、生物兵器を作り出す特殊な製法の名前ぐらいは覚えていた。
それが、人化の秘法である。

「フランベルジュ。これを持ち出す事が出来れば、私はこの森で、ありとあらゆる生物を使った、生命の実験が可能となる。」

横たわっている人間の背中から剣を取り出して、ひと振りする教授。
教授が力を少し込めると、剣の柄から火のようなものが吹き出し、刃がそれに応じてゆらゆらとゆれている。
少し、たじろいでしまう。こんなものを大半が木で出来た森の中で振り回されて、それに適う者といえば、下層にある水辺に住んでいる者達ぐらいのものであろう。

「素晴らしいです教授。炎により住民を鎮圧し、そしてこの私、天狗の体を乗っ取った、メタルモンスターのカリスマと力があれば、草ポケモンは皆我等の言いなりとなり、喜んで我らにその身を差し出す事でしょう。」
「なっ……!なんですって!」

思わず叫んでしまったが、全く気にしないで貰いたい。あんなぞっとする笑みで此方を向かれては、私としては溜まったものでは無いからだ。
天狗の体を乗っ取ったとは、つまりあれは、本当にダーテング様の体だとでも言うつもりなのか。
まさか人化の秘法というのは、そういう能力を持っているのか。
人に取り付いて、その精神と意識を奪う為のものであったのならば、森の中で一番付いて欲しくない者に、それが取り付いてしまった事になる。
そして案の定、種坊の格好をしたメタルモンスターは、まるで森全土へ向けて宣戦布告をするかのように、大きな声でこう叫んだ。

「我が森の民は、生きる為の材料だ!我が森の民は、神へと捧ぐ生贄だ!我が森の民は、生きる心を糧とする、最高の材料だ!」
「よく言った、メタル……いや。森長、ダーテング!溢れる生命を好きなように支配する。これが神に通ずる力でなくて、他になんと呼べばいいのだろうか!」

最悪の光景が、目の前で踊り騒いでいた。
教授は今の今迄、着々とこの日の為に準備を進めてきたのだ。
人化の秘法。そして進化の秘法。最悪最低の組み合わせが、私の見ている目の前で、今誕生してしまった。全然感動的じゃない。これに勝る悪夢を、私はどこの世界で見ればいいのだろうか。
しかもあの者は、森の長ダーテングなのだ。懐かしい香りが、より一掃私を苦しめて、そのせいか私は、もう立つ事も話す事も出来ない状態になっていた。
上の暴れ女がどうとか、そこの人間がどうとか言っていた。
恐らく、なんらかの原因があるにせよ、あのロックとかいう男は正気ではなく、その事がアリエッタにとっては、酷くショックな出来事になっていたのであろう。そこに教授らの手が加わっていたのだとすれば、なおさらのショックだ。
私のと、どちらが大きいのだろう。問いを投げかけて、あの女が答えてくれるとは思えないが、今の私には、そうする事しか出来ないのだ。

「……アリエッタ……ごめん、いっつも止められない。私いっつも、昔も今も……ずっと変わってない、ずっとだよ……アリエッタ。」

もう、どうにでもなってしまえという気持ちになっていた。
何事が起きようとも、立ち直れそうに無かった。
もう、通路の向こうから近づいてくる香りも無い。なぜならばもう、全てが終わりなのだから。



中央部、玉座の間
最深部のキキバナに呼応するように、教授が過ぎ去った時から、フロア内部でうずくまっている人間が一人。
無論、アリエッタである。

「………ロック。」

アリエッタは、自分で自分に、罪をいくつか着せている。

ロックを兵士の生活からはみ出させた事
ロックにフランベルジュ渡した事
そしてそんな事よりも、彼女はロックに黙っている事があった
自分が、一体は何者かであるのか。ロックに対して、その事については一言たりとも告げてはいないのだ。
ネイティに関しても、関わってきた者達に、アリエッタは嘘を付いて生きてきているような、そんな思いすら、ぶり返してしまっていた。

「あたしが仕組んだんじゃない。なによ……それを、教授だけが悪いみたいに……ほんと、馬っ鹿みたい。」

声こそ覇気があるが、実際は誰にも聞こえないような、本当に小さな、掠れた声で、喋っているというよりか、喉の奥から、心がそのまま零れてしまっているような状態になっていた。

「全部……小鳥さんも……ロックも……キキも……巻き込む必要とか全然無いのに……なんでこうなっちゃうの……なんで私、全然、駄目な事ばっかりやってるの。」

声はずっと、零れている。
先程から、この状態がずっと続いているのだ。
誰も止める者はいない。教授との抗争によって、その場にいた誰もが気を失っている。
時間だけが、刻々と流れていく。



中央部渡り廊下。廊下を歩いてくるペタペタとした軟体系の足音に、小鳥と蜘蛛は聞き覚えがあったのだが、赤いサボテンにはそれが何だかよく判らなかったので、そこに一撃が入る事となった。

「どわぁっ!?」

鋭い一撃だったが、ラグラージの反射速度が良かったお陰か、真っ赤になった首のような右腕の一撃は、無事回避出来ていた。

「え………え!?え!?」

三つ首に襲われた筈の自分の部下が、伝承通りの三つ首の姿になっているのを目の当たりにしたラグラージは、さすがに度肝を抜かれたのか、その場で一旦硬直する。
そこに続けてまた、今度は左腕による一撃が入ろうとして、ネイティがそれを止めようと、アリアドスに指示を出そうとして、その先を呼んだアリアドスも、正面に向けて糸を吐こうとした所で……。

「え?」

その一撃が、止まった。

「……ぐ……こ……この体…ご……ごぉおぉおお!!」

ノクタスの体から、段々とその赤き色と、腕にある眼の印が消えていき、そのまま元の状態に戻っていった。
先程から驚きを隠せないラグラージは、ひとまず部下が戻ってきた事を確認しようと、手を差し伸べる。
が、これをノクタスは、あろう事か払い除けた。棘こそ当っていなかったが、それでもラグラージは、今度は別の意味で硬直した。

「だらしないですよ……司令。なんですかその、呆けたような顔は。」
「あ……ああ、すまねぇな……で、その、お前確か、医療班に運ばれたんじゃ……。」
「上司を裏切り者に仕立て上げられて、おちおち寝ていられますか。それに……。」
「……なんだ?」
「よ、余計な詮索はしないで下さい。プライバシーです。」
「あ……ああ、判った。」

完全に事態が飲み込めていないラグラージは、ネイティ達のいる方向に、助けを求めるような視線を送ってくる為、二人ともこれを無視したら、向こうから返答が返ってきた。

「あぁーと……なんだ。お前もしかして、さっきまで俺達に、協力してくれてた……のか?」
「い……いえ、それがあろう事か、三つ首に体を乗っ取られてしまい、あのような……し、司令を殴るなんて…その、お、お許し下さい。」

突如現れた三つ首という名前に、ラグラージの顔がまたもや硬直したかと思いきや、さすがに慣れてきたせいか、状況を理解するまでに至ったらしく、アゴに手を当てて考えた後で、うんうんと頷いて、納得したような顔を見せた。
それにしても、ノクタスから抜け出た三つ首は、一体どこへ消えたのだろう。
ノクタスの体内に宿った事にも、何かしら原因がある筈なのだが、ネイティの頭では、それが上手く理解出来ないでいる。
アリアドスは、なにか部下に恵まれているような二人を見て、どこか遠い眼をしている。

「彼等は分類グループが違うから、相性は少し悪いと思うけど?」
「ぶぶっ……なっ……何の話をしてるんですか!この緊急時に!」
「……そうね。ちょっとお二人さん。仲が良いのは良い事だけど、ちょっと時間が無いみたいよ。協力してくれる?」

いきなりの分断に、アリアドスは思わずネイティの口を糸で塞いでしまいそうになったが、やるべき事を思い出して、足元をしっかり踏みしめた。

「仲が良いとか悪いとか、そんな事は関係無い。私は尊敬を持ってわが身を司令に捧げて……。」
「俺はぁ別に……仲が良い方が良いと思うんだがな。」
「なっなな……!何言ってるんですか司令!」
「ネイティ。遠回りが嫌なら、この真上を叩いてこじ開けりゃ、玉座のすぐ前まで出られるぜ?こいつのアームなら、なんて事はねえだろ。な?」

ネイティとアリアドスは、それに同意し、その後でラグラージが、ノクタスに「景気良くやれ」との指示を出した後、ネイティは数分前、ノクタスがドアを張り倒した時の光景を思い返していた。
だが、その時の破壊力以上の音を吹き上げて、飛び上がったノクタスの拳が、見事天井を突き破ったのである。
突き破られた天井に、一番最初に辿り着いたのはノクタスであり、そのノクタスは、一番最初に部屋の中に眼がいき、その人物と一番最初に眼が合った。
リベンジを誓った相手であり、屈辱を晴らしたい相手であるその女が、驚いた子供のような表情で泣き顔を浮かべ、じっと此方を見つめていた。

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