アリエッタは、部屋に呆然と立ちすくんでいる間に、一体どれだけの時間が経ったのか。 地鳴りと共に、それは目の前に現れ、アリエッタの頬を、横薙ぎに払った。 ノクタスの放った一撃は、アリエッタの頬にクリーンヒットし、そのままアリエッタは、流れるように床を転がり、玉座の前に倒れた。 「………っ!?」 かわせる筈であるのに、いとも簡単に、横薙ぎの一撃を喰らっている事に愕然とするのは、一撃を放ったノクタス自身である。 実力など上がっていない。それ所か、先程の失態でノクタスは、自らが尊敬するラグラージに、実力の無さを晒したも同然であるのに……。 歩み寄り、首根っこを掴んだノクタスの顔には、カカシのような無表情な顔に無理やり作られたように、激動の念が張り付いている。 「お前っ……!お前……なんだそれは!こんな事で、私が勝った気になると思っているのか!」 叫ぶノクタスの声に、無反応な視線で返すアリエッタ。完全に生気を失ったその顔と眼は、ノクタスの方を向いてはいない。 なにもない虚空を、ただ死んだように見つめている。 「ちっ……!」 どさりと、アリエッタの体が、根の張り巡らされた地に付く。眠っている様子はないが、その身はただじっと、動かない。 ノクタスはアリエッタの事情など知る筈も無いのだが、知らなくても、彼女の態度には納得のいかないものがあった。 どうにもならない事に、絶望としているアリエッタであったが、同時にノクタスも、アリエッタへの対処の仕方が分からないでいた。 その時になって、一歩歩み出た者がいる。 その者は裏切られた身である。その者にとって、そんな事は今迄に何度も経験したものとは比較にならないような事であった筈であるのに、それは何か、特別な事に思えていた。 「……やっと、やっと見つけた。」 「…………小鳥さん?」 地に伏している状態のアリエッタの目の前に、ネイティは立った。 小さな足のネイティは、地面から数センチも離れていないが、今のアリエッタの頭の高さには、それは丁度良く、身近に写った。 「テレポートが失敗して……それで、少し遅れた。」 「………。」 アリエッタの頭が、ネイティを視界に入れようと、少し揺れる。 そして、その背後にいた者達の存在に気付いた。 アリアドスは、森の入口部分を担当しているイトマルの群れを統括する、実力ある統括者である。 ラグラージは、アリエッタが崖下で鉢合わせた、森の中域を担当する統括者である。 そしてノクタスは、アリエッタが上方に上がった地点に待機していた者であり、薙ぎ倒してきたものの、実力の程はアリエッタもよく判っている。 アリエッタはまず初めに、この三者はネイティを森の上層部まで連れてきた者達であるのだと思った。 そして次に、それに気付いた。 「色々大変な事になっちゃってさ、なんだかんだで皆協力してくれて、はは……なんか、住んでる所なのに、随分遠くに来たみたい。」 ネイティが喋っている。 あれだけ断固に口を割らなかったネイティが、自分に向かって何の警戒も無く話しかけていた事に、アリエッタは驚いていた。 喋れなかったとか、無口であったとかいう問題ではなく、ただお互いの腹を探るように行動していた時とは、まるで別人のような態度で接してくるネイティを見ているうちに、何かがアリエッタの中で、音を立てるように崩れていく。 「ロックは、ここに来てるの?」 「……ロックは、ロックという人間は、もうこの世に存在していないのよ。」 アリエッタの口調が少し揺らいだ、その時、異変が起こった。 先程から部屋に響いていた衝撃の片鱗か、頭上にあった根が少し崩れ、ネイティ達の頭上から、糸屑のようなものが降ってきた。 「………こりゃぁ……ちょっとやべえな。なんか悪ぃ予感はしてやがったんだが、やっぱりこういう事になったか。」 「ど、どういう事でしょうか?」 「ノクタス。急いで嬢ちゃん担げ。」 突然の命令に面食らっていたノクタスであったが、ラグラージの真剣な顔を見た途端、すぐ対処に当たる。 トゲを引っ込めた後で、その箇所にアリエッタを担ぎ上げ、ラグラージいる廊下の所まで走っていく。 「わっ……ちょ……ちょっと!なによいきなり!」 「勘違いするなよ……いくら貴方が気に入らないからと言って、司令の命令は絶対。それだけだ。」 「……う。」 「ネイティ!お前も早く……っ!」 突如、天井からめきめきと音が鳴り響き、それと同時に、天井にある根の部分が膨らんでいき、そして……。 「ぐっ……おいネイティ!そこだ!そこの通路に逃げ込めっ!早く!」 それらが、一気に崩れた。 「っ……!」 間一髪、ネイティは近くにある通路のような空間に逃げ込んだネイティの後方にある空間は、上方から押し潰れてきた大きな物体によって押し潰され、通過する事の出来ない状態になってしまった。 「こっ……小鳥ちゃん!」 「こっ……こら!あんまり暴れるな!」 「大丈夫かネイティー!」 「大丈夫ですかー!」 軽く放心状態にあったネイティは、聞こえてくる声に、滑り込んだ自分の身を足で持ち上げ、なんとか身を起こした。 「しっ……司令、これは……?」 「見ての通りだ。くそ……こりゃあ、嬢ちゃんが暴れてたってだけの理由じゃなさそうだぜ。」 「部屋が散らかってるのは、私だけのせいじゃないわよ!」 「わぁってるよ……おいネイティ、よく聞け!どういう訳かこの木は、段々と構造が脆くなっているらしい!」 「!?」 驚いたのはアリエッタだ。 先程教授らが向かった部屋には、恐らくこの木の寿命を持続する為に、何らかの設備が設けられているものだと核心していた彼女にとって、ラグラージの言葉は、その核心を突いたものに他ならなかった。 そして今、ネイティが逃げ込んだであろう玉座の向こう側には、そこに続く通路がある。 アリエッタが、ノクタスの拘束を解いて下に下りる。 「こ……小鳥……ね、ネイティ!そこから、少し下の方に向かって通路が伸びてない?」 「え……これかな、なんか伸びてるけど!もしかしてロックは、この先に向かったの?」 「……そこからは、恐らく脱出経路が無いわ。だから、もし小鳥さんがテレポートを使えるなら、一刻も早くそこから……。」 「アリエッタ、ここに、他に誰が入ったの?」 「……私の、目的となった人物。ここの長、ダーテングの補佐にいた教授と、それと……友達が、いるわ。」 アリエッタが、迎えに来たと言っていた友達。 鼻のよく効くその者について、ネイティは覚えがあった。 「……。」 ネイティ自身、本当に遠くに来たと思っていた。 裏切られた事。ネイティはそれを、アリエッタに確認する為だけに、ここに来た筈だったのだが、それはいつしか、他のものに変わりつつあった。 アリエッタには、何かここに来た目的があるらしい。だがそれは、今のアリエッタに可能な事か。そしてそれは、彼女がするべき事なのか。自分がするべき事なのか。 「もういいの小鳥さん。私では、ああなってしまったロックには適わない!そしてあれはロックですらないの!キキバナはもう、私が利用しただけで、私に助けられようなんて思ってもいないわ!もう私には、どうしようもないの!」 ネイティにはそれが聞こえていた。それはとても大きな、そして、とても小さな叫び声だと、ネイティは思った。 ネイティ自身、異質な影に包まれたロックの姿は、記憶にある限り、自分の適う相手ではない。だが今、自分が今、そこに立っているのだ。 可能性の、ある場所に。 「おいネイティ、俺は知ってるぞ。俺に使ったあの技法、ちょっとここで試してみねえか。」 技法……と言われて、ラグラージとの戦闘の事を思い出すネイティ。 ネイティが、独自に生み出した力である、その技。 「……ここで試すって、まさか、駄目だよラグラージ。そんな事したら、貴方達が逃げられなくなる。」 「という事は「遠距離でも可能」そういう事だな?」 「どういう事ですか、司令。」 ラグラージは自らの戦いにおいて、ネイティが自身のエネルギーのようなものを、ラグラージから吸収して、自分のものにしたかのような技を受けていたという事を、その場にいた全員に説明し、そしてラグラージは、再びネイティに語りかけた。 「そっ……そのような事をして、この木の中にいる者達の救助もまだ済んで……。」 「さっき、あの種坊主を病室に送ったすぐ後で、ヨルノズクの陣営に連絡を済ませてきた。あの坊主以外の連中は、ここから外に避難させてある。崖上の方からは、非常通路に逃げこめば、早く下に到着出来るようにしてあるし、あとはあの種坊主だけだ。」 「……す、すごいですね。」 「黙らせて動かすのは慣れてやがるが、こればっかりはヨルノズクの旦那に感謝するぜ。ボールの自我を短時間でよくもあれだけ抑えられたもんだよ。問題は人間連中が上手く逃げられるかどうかだな。」 既に避難が済んでいた事に、驚く面々。 ラグラージが続ける。 「そういう事だネイティ。お前らも、覚悟は出来てるよな?」 「司令の命であるのならば、ネイティがどうなろうと知った事ではありませんが、力を貸しましょう。」 「私は、もう覚悟を決めています。粘り強くくっついてきたかいが、ここでようやく生かされるというものです。」 「………私……は。」 突如、アリエッタの横から、一閃の拳が入った。 しかしそれを条件反射か、すぐさまそれを払って、横に受け流す。 にやりと、拳の主は笑みを浮かべた。 「……それだよ、それ。」 「ノクタス……。」 ノクタスは受け流された拳を静かに収めると、アリエッタを見る。それ以外は、特に何も言わなかった。 手首の横で流した拳は、アリエッタの腕に、少し痛みを残している。 「ネイティ。貴方に……貴方に全部、任せるわ!」 「……ありがとう、アリエッタ。」 途端。崩れ落ちた部屋を伝って、その場にいた全員に、酷い疲れのようなものが走って、そのまま全員ががくりと、一斉に肩を落とした。 かろうじて動ける事を確認したラグラージは、その場にいた全員に意識がある事を確認すると、再びネイティに向かって言う。 「お……おもいっきりやりやがって……。だが、どうやらその力には、制限時間ってもんがあるらしい。ケリをつけるなら、早いに越した事は……。」 声は返ってこなかった。ラグラージの方向から見て、ネイティの姿は確認出来ないので、行ってしまったのか、それとも自らの力に呆然してそこに立っているのかは、ラグラージには判らない。 「ま……しっかりやれよ。さてと、こいつら全員、まさか俺が運んで行くってのか?」 声は、返ってはこなかった。 「おいおい、冗談……キツい……ぜ。」 ラグラージはそのまま、音も無く床に伏してしまった。 崩壊が迫るように、周囲に軋むような音が広がっていく。 |