上層下層の境目、切り立つ崖。
空をホーホー、ヨルノズクの軍が休み無く徘徊し、崖付近の下層に下る通路の付近を先導するのは、森の下層部からかけつけた者の群れと、人間が数名である。
ひとたび暴動が起これば、すぐさま上空の者達が容赦無く眠らせてしまう為、今の所大規模な騒ぎにはならず、スムーズに避難が済んでいる。
下層の森は一部、大樹の根と絡まっている箇所がある為か、安全域とは言い難く、念の為遠くに逃げるように指示が出されている。

「なにっ、ロックさんがまだ戻ってこないだって!?」
「大丈夫だ!あの人は潰れてもくたばるような人じゃないし、逆に帰って来た俺らの中から怪我人でも出したら、あのお嬢さんに大目玉くらいぞ!」
「こらそこの人間!なに無駄話してやがる!つっかえさせるようなら、眠らせて崖上からの貨車行きだぞ!」
「そ、それだけは絶対に嫌だ!くそう……なんで俺達がポケモンに命令されなくちゃいけねえんだ、普通は逆の筈だろうよ。」
「頭のキレる奴には先導を、力のある奴は先陣を、どっちも冴えてる奴にはどっちもやらせとけって、昔ロックさんが言ってたぜ。」
「お前らの頭も、随分とイカしてやがるな。うちの天狗様も、そういうルールが好きな方だぜ。よっしゃお前ら!あともうちょっとで全員確保だ!気合入れていけよ!」
「エッサ!」

上空の陣営において、一回り大きなヨルノズク。
その者は地上に気を配ると同時に、気が逸れているように、未だ崩落の唸り声を上げる中央の大樹を眺めて、なにか考え込むような表情を浮かべている。

「呪縛は解いたつもりだったが……あのロックとかいう男、何故だかまだ少し、興味がぬぐえん……ぬぅ。」

ラグラージと連絡を取り、避難の確保に当った上でなお、ヨルノズクはしばらく、ロックという男の事が気になっていた。
人間に大してはそんなに良いイメージを持ってはいなかったヨルノズクであるが、どうもそれは偏見であったように思えてくるのは、まだ呪縛が拭えていないせいなのであるのか、それとも単に情が移ってしまっただけなのかと、とにかく悩んでいた。

「悪い人間には思えなかった……か。少しはマシに育つ傾向も見られるが、死んでしまっては元も子も無いぞ、ロックよ。」

下の方から騒動が聞こえる。下層と上層の者達が、力と階級の格差の事について揉めているようだ。
すぐさま念動で指示を出すと、既に気付いていたのか、対応は随分と早く行われていた。

「ロックよ……配下の者がいる私も、主らの言うトレーナーとやらの枠に入るのか。もし主が戻ってこれたら、それについての話をしてくれると、私としては嬉しい限りだよ。」

そのまま視線を逸らした後で、大樹から轟音と煙が迸ったので、ヨルノズクはそれに少し反応して、大樹を振り返った後で、驚くべき光景を目にした。
大規模に崩れたのは、大樹に組み込まれた機能性を重視した建物などの工作であるらしく、大樹はその内側から、その原型を取り戻そうと言わんばかりに、再生している。
そして何故か、それがヨルノズクには、大樹が生きているかのように見えたのである。

「無事に戻ってくるのは、中々に骨が折れそうだな、ロックよ。」



キキバナには、その時の状況がよく飲み込めないでいた。
いきなり種坊が、森長であるダーテングへと変貌していった事は、彼女の頭の中ではまだ整理の付く段階の出来事だったのだ。
そしてダーテングは何を思ったのか、傍にいたネイティに歩み寄ると、ネイティの方に向かって、その平たい腕を差し出したのである。
キキバナは、それがなんの動作であるのか理解していた、理解出来なかったのは、それを何故ネイティに向けていたか、の一点であったのだろう。

「う……うぐあ……く……な、なにを……!」

ネイティの顔は苦痛に歪み、その体は歩みを始め、それが中央に向かう直前になって、キキバナはダーテングの顔に浮かんだ笑みを見る事になった。

「お……おじいさま?」
「私は嬉しく思うぞネイティ。お前が見事、その技を会得してくれたお陰で、この森が救われるのだからな。」

先程、ネイティがアリエッタ達から受け取った力。キキバナには気付けないものがネイティの中にうごめいている事を、ダーテングは知っていた。
蠢くようにして地に伏していたメタルモンスターは、この時になって、それに気付かされる事になった。

「……き……貴様、貴様まさか!この僕を利用したのか!?小さくなった体で、手早くこの地に足を踏み入れる為に、わざと吸収されたというのか!?」
「我が身を運ばせると、私はそう言ったつもりだ。最も……医務室に運ばれてしまったのは、此方としては誤算だったのだが、助かったよ。おかげで、目的を達成する事が出来る。」

完全に利用されていた事を知り、愕然とするメタルモンスター。
その背後、ロックの付近より立ち登った、その赤黒い煙が、ロック自身の体になんとか入り込もうと、

「無駄だ三つ首。その者は既に、戦う力を失っている。ここにある亡骸と、大して変わらない状態にある訳だ。そして……。」

ダーテングが手を振ると、それに合わせるようにして、ネイティが中央に向かって飛び出した。
そして中央にあった亡骸を貫き、ばさりと音を立てて、亡骸は崩れ去った。
そして亡骸を支えていた、行き場を失った蔓のような物体が丸い檻のような形状になり、ネイティがその中に閉じ込められる。

「これで君の本体、つまりこの大樹の中を循環する生命エネルギーは、このネイティの体内に蓄積された力に変換される。」

赤黒い塊は不安定な動きを見せ、その形状を、段々と保てなくなりつつあった。
希望を失ったキキバナは、その塊の薄れていく様子に、自らの心境を重ねていた。

「……どういう事なんですかダーテング様。これは一体、なんの真似ですか!」
「このネイティは数年前、とある一族から、森長たる私に託された。一族は私を信頼してネイティを預けていったのだ。つまり私はその力を、最も友好的に活用する必要があった。そういう事だよ。」
「それが……その力で、ネイティに三つ首の代役をさせて、森を保つ事が、ダーテング様の……貴方の選択なんですか……。」

殆ど、その質問は意味を成さなかった。
確信めいた事を聞いているキキバナ本人が、それを一番によく判っていた。
だがキキバナには、それをする必要があったのだ。

「そうだと言ったら、どうする。」
「私は、真実が何かを知りたかっただけです。」

壁際から少しづつ歩き、くすんだ煙の前に立ち止まる。
そして少し呼吸を置いて、キキバナは、それを決意した。

「貴方を、どうにかする事に、決めました。」
「数年前にも、そう言った者がいたよ。その者は誰かを憎み、恨み、そして私に倒され、この有様だ。」

ダーテングはキキバナの後方にある、もう燃えカスのようになってしまった赤黒いそれを見て、少し微笑んだ。

「君は先程、その恨みの者の力を気力で打ち破った。それは評価しよう。だがそれだけでは、私をどうにかする事など出来はしない。」

キキバナは、おもいきりダーテングを睨み付けていた。
その足に震えは無く、目も座っている。
そして全てを確認し終えたキキバナは、静かに語りかけた。

「そこの紫芋。貴方も協力してくれるんでしょうね。」
「だっ……誰が紫芋だ!それはいいとして、お前判ってるのかよ。もう判ってんだろ、そいつはお前一人でどうこう出来る相手じゃ……。」
「だから、一緒に戦えば、勝てるかもしれないじゃないの。」
「………な、なんだと。」

そこから品定めするような目で目線を変えた後、そこにいた者にも語りかける。

「あとはそこの、えーとお付きの……えーと、人間なんだっけ?」

いきなり話しかけられたので、少し間があった後で、教授が言う。

「……君はこんなどっちとも付かないバケモノにまで、一緒に戦えと言う気なのか?」
「ネイティならどうするかしらって考えたら、案外抵抗は無かったってだけ。そういう奴なのよ。だから、助けるの。いけない?」
「時は過ぎ去ったが、根本は飼い主とあまり変わらないな。」
「もう飼ってるとか言わないでよ。私はこれでも、自立してる方なんだから。」

再びダーテングを見据え、少し姿勢を直すキキバナ。
その背後には、先程まで彼女の敵であった者二人が、控えるように構えている。

「いい余興になりそうだ。」
「ごちゃごちゃ言ってると、舌噛むよっ!」

それが引き金となったのか、キキバナは強く踏み込み、ダーテングに向かって行く。
そして一度の踏み込みの後、蹴りの態勢に入った途端、目的であるダーテングの体から、薄い分身のようなものが次々と飛び出してくる。

「そこだっ!」

一時も迷わず、キキバナが蹴りだした無数の分身の群れの中のただ一つ。それが本人かどうかも確認する前に、飛び出していた分身が一斉に掻き消えた。
足を受け止めるようにクロスさせたダーテングの木の葉のような腕が、二度の素早い蹴りの衝撃を全てやわらげている。

「散々見切っている技を出しているのは、お互い様のようだな。」
「そこが甘いってんだよ!」

突如、キキバナが口から吐き出した毒の針が、ダーテングの顔面に向かって飛んでいくが、ダーテングは体を回転させ、自らの白く分厚い体毛で攻撃を防いでいく。
そしてすぐさま回転を止め、先程ネイティに向けたように、キキバナに木の葉を向けて念じ始める。

「……ぐ!」

直撃が走る、と、キキバナ自身もそう思っていた筈のそのそれは虚空をかすめ、キキバナの前方で掻き消えた。
キキバナが途端に後方に回避した為、こうなったのである。しかしキキバナは、これを回避した覚えが無い。
と後ろを見ると、メタルモンスターがキキバナを引っ張っているという事が判り、突っ走っていた自分の行動を思い出してみる。

「いきなり突っ込んで行かれたら、僕の出番がなくなっちゃうよ。」
「キキバナよ、奴はステータスで勝っているのだ。我々が力を合わせずして、倒せるものではないという事は承知している筈だろう?」
「あ……え、えーと、ごめんなさい。」

ダーテングは、種坊の時に見た、ネイティ達の様子を思い返していた。
そうして何を思ったか、蔓に絡まったネイティを見るダーテング。
ダーテングは、犠牲を出すという事において、何が悪いのかが、判っていたつもりであったが、それは本質だったのだろうか。
だが存続の為には必要な事であると自分に言い聞かせ、再びキキバナ達の方を見て、それに気付いた。

「……なんだあれは。」

先程からくすんでいた赤黒い煙の塊が、未だその形状を歪ませたまま浮いているのである。
とっくに吸収されたものであると思っていたのだが、それが中々消滅しない事もあって、ダーテングはそれを不自然に感じていた。
そしてかすかに、そこから声が聞こえているようにも思える。
キキバナ達も、ダーテングの不自然な様子に気付き、赤黒い煙の塊に気付いていた。
そして、その赤黒い物体が、中央に向かって移動し始めた。

「………。」

嫌な予感を感じ取ったダーテングが、少しだけ足元をグラつかせた。
それを見たキキバナは、明らかにダーテングが動揺している事に気付き、少し後方の二人に耳打ちをし、ダーテングの方へ飛び出して行った。
案の定、不意を付かれたダーテングは十分な態勢が取れておらず、クロスした腕による衝撃吸収が上手く取れていなかった。

「ぐっ……こ、このっ!」
「未だ、やれっ!」

突如、メタルモンスターの体がダーテングの足元に向かって伸び、その足を縛り上げた。
これに驚き、支えを失って転倒したダーテングへ、更なる蹴りの二撃が入った。

「ぐっ……き、効かぬわ!」

かなり深い所に入ったように見えたが、なんとかこの葉で振り払い、足元の拘束も解いたダーテングに、あまりダメージは無いようにも見えた。
しかしその間に、赤黒い光はとうに中央に到達し、ネイティのいる草の檻へ近づいていく。
何故キキバナは、それを止めず、目の前のダーテングを止めたのか。
彼女の慕うダーテングよりも、彼女が恐怖した三つ首の光がネイティに近づいて行く事を、何故止めなかったのか。
彼女は本当に真実を知ったのだろうか。彼女の知る、ダーテングの考え、三つ首の現状、それらは本当に、彼女の求めていた真実であったのか。
それを真に確認する事なく、行動に出てしまった彼女に、後悔は無かったのだろうか。
それよりも彼女は、もっと別の思いに駆られていたのだ。

「もう終わりにしましょう。私はなんだか、それを言う為だけに、ここへ来たような気さえするのです。」
「……う……ううん。」

その時、蔦の檻に縛られ、ほぼ気絶状態にあったネイティが、薄っすらと目を空けると、目の前には赤黒い光が立ち登っていた。

――ネイティ、よく聞け。現在わが身とお前は、大樹の循環の中で、エネルギーを同調させている状態にある。この声も、最早お前にしか聞こえぬだろう。

「ど……同調って、そんな偉い事になってるの……?」

――あまり時間が無い。私がお前にかかっている大樹からの拘束を解いたら、すぐにテレポートを使って、ダーテングから逃れるのだ。

「いやだよ……。」

――なんだと……。

「逃げるくらいなら、全員連れていく。納得いかない事は沢山あるけど、生きてれば、そうれにしっかりカタが付くもの。ここでくたばらせたら、目覚めが悪いの。」

そう言ったネイティの目は、とても安らいでいて、三つ首は表情こそ無かったが、その時彼に体があったのならば、なにかを解き放ち終え、満ち溢れた姿になった彼がそこにあっただろう。

――ネイティ、お前に任せて良かったよ。どういう訳か、お前の体に流れていたエネルギーを見ていると、若き日、人に仕えていた頃の自分を思い出せそうな気さえしてくるのだよ。

「……ははは、そりゃそうだよ……だって。」

――……?

ここまでの会話は、ほとんど三つ首とネイティにしか聞こえないような、声にすらなっていない声のやりとりであった為、キキバナの方から見れば、それは会話をしている姿というよりかは、ただ寄り添っているようにしか見えなかっただろう。
ダーテングはその時何を感じ取ったのか、ガラガラと何かの柱が崩れてしまったような顔を浮かべて、あまり動く事なく、それを見ている。
そして何かを悟ったように、ゆっくりと語り出した。

「木々が無くなった所で、森に住む者達の生活が変わる訳ではない……そんな事は判っていたのだ。判っていたのに、やはり伝えるのを拒んでいた。」
「やはり、判っていないようだなダーテング……。」

教授が言い、ダーテングに向かって続ける。

「私もこの身を変貌させて、この森に住んで、何年かの月日を過ごしてきたが、やはり慣れ親しんだ場所を奪われるのは、生活が続けられる事を差し引いても、辛い事に変わりは無いのだよ。」
「……元は人間だった者に、それを言われてしまうとはな。」
「野望は失ったが、やはり私は、貴方の配下である事に変わりは無いのかもしれない。」
「どうやら私には、まだまだ学ぶ事がありそうだ。だがここで朽ちてしまうのは、やはり悔さが残ってしまうな。」

そうダーテングが言い終えた時、その声は、その場にいた全員の中から聞こえてきた。

――あーあー……え、えーと、、ちゃんと聞こえてるよね?

「ネ……ネイティ!」

声を上げたのはキキバナだけだったようだが、その場にいた全員が、同時に似たような反応を見せていたせいか、ネイティは声が伝わっている事を把握する事が出来た。

――良かった……この分なら大丈夫そうかな。もう崩壊が進んでいて、入ってきた所からの脱出も無理そうだから、今からこの場にいる全員を外に送る事に決めたの。

「ネイティよ、それを聞く所によると、木々の中にいる者達の避難は住んでいるらしいな。」

ダーテングが尋ねると、蔦の檻の中にいるネイティがそれに応じて、少しほくそえんだようにも見えた。

「そうか……いや、巻き込んでおいて、やはり何も知らせずに事を進めてしまうのは、民の都合を考えていない証拠だな。」

――そうに決まっています。全く……こっちはおかげで、散々な目にあったんだから、後で色々と聞かせて下さいね。

ネイティがそれを言い終えると、疑問を浮かべたメタルモンスターがそれを問う。

「でもさ、わざわざ知らせなくたって、いきなりテレポートしちゃえば良かったんじゃないの?」

――精神が安定してくれていた方が、こっちとしては動かし易いの。あんまり未練があるようなら、どこかのゴーストさんみたいに、この場に置き去りになっちゃうかもしれないからね。

「ああ、もう大丈夫だ。」
「まだ決着が付いていませんよ……その、おじい様。」
「……ああ、ここを出たら、久々に戦おうか。今度はそうだな、君のトレーナーとやらも交えての勝負といこうか。そういった勝負は、あまり経験が無いものでな。」
「あの女……自分から肉弾戦に出てきそうで、いつもヒヤヒヤするのよ。またあれを味わうかと思うと、懐かしくて仕方が無いわね。」

そう言い終えるか言い終えないかという所で、キキバナとダーテングの姿は、その場から段々と消えていった。
野望を持った者達の刃は、そのまま、振るう先を失ったのである。

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