【D】

「えー19番、雪原猛羅呂 合格」

ふらふらの足取りのモラロの顔はロルの言葉で生気を取り戻した。ワンリキーはしなる腕を振るい、クァと一息鳴いた。
ホーリィの肩を借りながら彼は充実した顔で息を切らし、ドームの一角を降りていったた。
そこにいた受験生たちはそんな彼を見て―― やっぱ強敵じゃん ――ちょっと力押しだけど凄いわ などと口々に言う。
ちょっとそこで若干17歳の彼に子供心がでてきた。少し英雄気取りに手を振ってみせる。ホーリィが苦笑した。

彼の戦闘をざっと振り返るとこう。

ワンリキーは最初から鉛のように重い牽制を繰り出し、聞くに堪えない鈍い衝撃音が周りをどよめかせる。
当然の事だが試験対象のポケモンを気絶させたら即、失格に値する。誰もが彼は試験の内容を知らないのかと疑った。
しかし、不思議とオニゴーリは倒れなかった。明らかに気絶しているはずなのに、聴衆の開いた口が塞がらなかった。
後で分かった事だが、ワンリキーには相手の体力を眠らせないぎりぎりラインに削る術、通称『みねうち』を持ち合わせていたのだ。
それが彼の試験の合否を決めたといっても良い。高度な技を受けたオニゴーリはそれでモラロと受け入れたのだ。

ロルがステージに立ち上がり、マイクで言う。

「では、次のブロックで最終とする。24番から29番、前へ!
次いで合格者はこのボードで班分けをしたので、同じ班の者は互いに顔を覚えて置くように」

その言葉に合格者たちは紫外線に魅せられた虫のように一箇所に集まり始めた。藁半紙に緻密な文字で受験生達の
名前が所狭しと書き綴られている。モラロとホーリィは目を皿のように細めて名前の隣に赤鉛筆で書かれた数字を探した。

モラロ・ユキバラ 1班 ホーリィ・ガイダンス 1班 カイン・アグルヴァルゼ 1班 オルビア・メリー 1班 …

各班に5人。もう一人は空白だった。

「お、ホーリィか。これも何かの縁だな、よろしく頼むぜ!」
「やれやれ…こりゃお前の足引っ張らないようにせにゃ…」

とかく二人はそんな会話を気楽そうに交わしている。その時にすれ違った者を見るまでは。
ひょろりと細身の少年。丁度、妹と同い年で同じクラスメート。そしてモラロと昨日の不良事件に関わった人。

「イスケ…」
「あ……」

モラロの目線が途端に冷たく、真っ直ぐ、そして見下ろすようになっている。
反対にイスケはモラロに対してどことなく引け腰なのが、いくつもの修羅を乗り越えてきたホーリィには判った。
イスケが手に持っている受験票は28番。ロルの言った最後のブロックに当たる。
戸惑い、肩をすくめながらイスケは自分の持ち場へ歩く。すれ違いにモラロの舌打ちが聞こえてきた。
その小さな背中とモラロを見渡し、ホーリィは訊ねた。

「あの子と知り合いなのかい?」
「いや、腰抜けだよ」

モラロの返答は今ひとつ要領を得ない。

「そういえば、シィラさんは?」
「ん?さっきから姿が見えないな…」

―― キィィィィン…

とその時、ドームのスピーカーからやたら波長の短い耳障りなハウジングが聞こえてくる。

―― 補佐隊入隊試験に集いし受験生諸君!

ノイズ交じりの声に受験生たちは―― 何だ?と一斉にスピーカーを向く。ロルは―― まずい、と下唇をぐっと噛み締める。

―― 残念だが、貴様等の行く道はここまでだ。俺の正体を知られた女のガキの口を封じにゃならんのでな。

その台詞とほぼ同時にドームの中央の空間に一つの球が軌道を描いて落ちてくる。赤印の刻まれたモンスターボール。
受験生たちが何だろう、と興味本位に眺めている。そのボールが吸い込まれるように地面に落ち、眩い光と共に一体の鳥ポケモンが現れる。
その直後、血走ったような眼をしたエアームドが蘇った悪魔のように叫びたくった。

―― ピギギィィィィィッッ!!

ホーリィがその異様な鳴き声に思わず耳を塞ぎよろめふためく。よく見てみるとそのエアームドには契られた何本もの鎖が
じゃらじゃらと音を鳴らしていて、胴は炎のポケモン技を当てられた跡の様に熱でただれている。
まるで何か強い力で無理矢理に拘束されたようだった。その近くにいた者たちがひそひそと

「おいっ、何だよあれは!?」
「あいつも試験のポケモンか?」
「いや、どうみてもおかしすぎ…」

最後の人の言葉がモラロの耳に入る前に、エアームドの鋼の翼が打ち貫いて遮られた。刹那、鮮血が飛ぶ。
モラロは目を点のように細めて、ぼそりと―― あ… としか言葉が出なかった。

「うわぁぁあああ!?」  
「きゃぁああっ!!」

一同の叫び声でドームは満たされ、血生臭い鋼鳥は呼応するように金属音のような雄叫びをもう一回一面に響かせた。
ホーリィは呆然と立ち尽くしているモラロの服の裾を軽く引っ張る。モラロの恐怖で震えた脚はそこでようやく止み、
流れていた冷や汗もようやく止まった。ホーリィの耳元での囁きに集中した。

「止めようぜ」

と彼は言った。モラロは袖で汗を拭い、ホーリィに返す。

「だな」

二人の脳裏に掠めたシィラの姿は消し飛んだ。すれ違いにイスケという少年がドームの出口目掛けて走っていく姿を見た。
イスケは一度だけこちらに目を向けたが、すぐに顔をもとに戻し、そのまま出て行った。イスケを蔑むように見送ったモラロの細目は鼻息と共に踵を返す。

「あれ?あいつ試験中じゃ…?」
「ほっとけ」

ホーリィはやれやれとため息をつく。モラロはどうせまたエアームドが怖くなって逃げ出したんだろうと思っていた。



地下6階、赤黒く錆びた鉄扉の向こうで叩く音と止め処なく鳴り続ける水音。その合間に私の叫び声が混ざる。

「誰か!誰かっ!!」

私はさっき返してもらった手持を開け放つ、キノココを出した。この子の跳躍と硬い石頭でなら扉を壊せる。
ヒンバスでも大水で開ける事は可能だが、失敗すれば水がより早く部屋に溜まってしまう。
波乗りを放つのはあくまで最終手段と、私の精神はこういう時に限って冷静だ。こういうのは女性の方が強いとよく聞く。

「頭突!」

キノココは私の指示に何も躊躇いも見せる事無く鉄の壁目掛けて飛び跳ねた。その途中はねた水飛沫とキノコ胞子を真後ろに居た私が喰らった。
軽くくしゃみする私の喉笛とキノココの壁にぶつかる音が同時に重なった。…ごおん、という鈍い音は正直聞いていていい感じではない。
…普通の人間なら頭は割れていて当然なはずだが、流石はポケモンといったところか。キノココは軽く涙目で水面の上をぴょんぴょん跳ねている。

「だ、大丈夫?」

頭突きの指示を出したのを後悔した。しかしキノココはふるふると胞子を飛ばしながらキノコ傘を横に振る。ノーのサインだ。
―― 抵抗感無しって感じね。少しは嫌がってもいいものを…  私は主の命に忠実すぎるポケモンのそんな所が人間と違う所に長所と短所を見つけた。
そうこうしている間に私の身体は溜まった水の浮力で脚が地面から離れ始めた。天井を見る。水位は部屋の3分の1まできている。

「やば…早く何とかしないと。キノココ、もう一回頭突を」

キノココはもう一度全身全霊のスピードとスピンをかけて鉄扉にぶちあたる。これで2回目。しかし扉は動じず仁王立ちしている。
3回目、動かない。
4回目、動かない。
10回目、動かない。
50回目、動かない。
ふらふらと目を回し、あまりの疲労にキノココは水面に力なく浮いていた。私は無言でキノココをボールに収める。手持はあとヒンバスだけ、後はない。
脇の下まで冷っこい水を感じるようになる。大して運動もしていないのに私は段々息が荒くなってきた。
真後ろのエンペルトは相変わらず理性を失ったように水を流し続ける。最終手段として赤い眼をしたエンペルトに泳いで寄った。
波はエンペルトを中心に沸き起こっている。そこまで泳ぐのに相当苦労した。泳ぎ寄ると同時に両腕でがっしりとエンペルトをつかむ。そして叫ぶ。

「やめて!もうあなたの主人はいないの!もう水を止めて!」

エンペルトは私の声など届いてない様子だ。それどころか私が居る事にすら気付いていないのか。

「やめて!やめなさい!」

無意識に口調が厳しくなる。死ぬ恐怖に。

「やめ…て…」

私は涙口調になっていた。天井まであと1メートル。水に浮く私がエンペルトを掴む腕は、次第にぶるぶると震えだした。
次の瞬間、私の両腕の中にエンペルトは抱かれていた。ざばざばと水が流れ続ける中、か細く小さな私の声が発された。

「酷いよね…こんな事、人間の操り人形にされて…酷すぎるよね…」

私が呟いたそのときだった。水の流れが急激に一方向に揃った。エンペルトにしがみ付きながら見てみると扉が壊され、そこから水が流れ出ている。
胸元の恐怖感がようやく抜けていったのを感じた。水が抜けた後、私は力なく床に座り込んだ。


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