《6b》


―― ま、不味い…おえ

気つけに、と言って手渡された赤ポロックは人間にとっては異物でしかない。暗い地下通路の縁にそれを吐き 捨て、キノガッサが不思議そうにそれを眺めた。
辛い味なのは確かだが、それ以前に動物の餌のような香ばしさが口の中に広がって吐き気を催す。
あ の金髪の美人がこれを平然と食べている姿を想像したら、メリーに対する憧れの印象が少し崩れてくる。
というより何もない通路を歩けばこんな風に余 計な想像が容易くできるものなのだろう。片手にある無線機は今の所音沙汰なく、静かだった。
松明役のキノガッサに寄ってもらって無線機をもう一度 見た。裏側に刻まれたロゴマークは製造の会社らしいが、私の知る所ではない。
無線が捕らえる波の周波を決める突起状のレバーは下手な不可抗力で数 値がずれてしまいそうだった。予め数値メモしておいたのは正解かもしれない。

さて、坂道を降りて平坦な洞窟が一直線に続き、両サイドには メリーの言ってた通り鉄格子の扉が規則正しく並んでいる。
壁から床まで赤茶けたレンガで張り付けられ、足音が無駄に反響した。
鉄格子はい ずれも猛獣ポケモンを収容していたのか、壁から格子まで傷が余すところなく刻みつけられ、中には強い衝撃に格子が歪んでいるものもあった。
しか し、その猛獣たちの痕跡は空っぽに開け放たれた牢屋に空しく残されていた。一本道の反対側の扉にたどり着くまで全ての牢を調べたが、
そのいずれに も居なかった。扉を閉ざす鍵には壊された形跡はない。自分で脱走した訳でもなさそうだ。
ここにどんなエピソードが綴られているのか、どんよりとし た空気に加えて、ポロックの嫌な後味が増して喉が干からびていった。

一本道の先に大部屋が在ったが、重圧感を感じさせる鉄の扉は壊され、 拉げて(ひしゃげて)打ち倒されている。
中に入ってみると思ったよりも広く、大きいテーブルとそれを囲むような椅子が置かれ、壁には蝋燭を立てる 燭台が埃をかぶっている。
間違いなくここが会議室だ。最果ての海の鉄塔、その地下の奥深くで人の目に触れないようにひっそりと眠るこの空間で、
ど れだけ後ろ暗い活動を培ってきたのか…考えてみるだけで嘆息感が込み上げてくる。キノコポケモンの類であるキノガッサも普通なら
このような日陰を 好むかもしれないが、今度ばかりは流石に怖いと感じたのか、必死に私の裾を引っ張って「こんな所嫌だよ。早く出ようよ」と問いかけている。

「ほら、もう少し我慢して」

テーブルの右手を横切り、壁伝いに歩いて扉からの反対側まで歩く。椅子を見比べてみたが奥の方だけ幾らか装 飾されている。
椅子の両側にはガラス張りの棚が隅に置かれ、中にはファイルが積まれて厳重に保管されている。
首領格の椅子にも机にもそれ らしき仕掛けは見当たらない。キノガッサの言う(?)通り、早くここを出て上で合流せねばならない。
焦りかけた時、壁に細い影が浮かんでいる。壁 の一角だけ少し出っ張りが見える。すぐに私はその個所を両手で軽く押しこむと、
レンガのどこかに埋め込まれた機械が反応したのか、電子音を奏でて 出っ張った部分が凹み、砂埃をあげながらゆっくり開く。
真後ろのキノガッサが飛び上がり、胞子をまた散らした。壁の中にはレバーが4つ、いずれも ONになっていて、派手なランプが光っている。

ふと、その壁の裏側に目をやると、とても古い書籍のようなものが隠されている。私がそれを 手に取って、表紙の文字を読もうとした時だった。

「―― よく見つけたもんだなぁ。恐れ入ったぜ」

背中越しの声に ぞっと身震いする。振り返ると黒装束の男が会議室の入り口で塞いでいた。仕掛けの探索に夢中になっていて全然気付かなかった。
すらりと長身で前髪 は片一方の目を隠すまでに長い。キノガッサが今までになく唸り声を挙げている事に少し度肝を抜かれた。

「あなたもスカイ団ね?」
「ネルファと呼んでもらおうか」

淀みきったもう片方の瞳には大罪の烙印が刻まれているかのように見える。
ここにたどり着くまで 見てきた牢に閉じ込められたポケモン達を、目の前に立っているこの男が手にかけている映像が頭の中に鮮明にイメージできた。
おぼろげだが、彼には 啜り続けた血の匂いがぷんぷんする。

「何が目的なの?」
「あ?ホウエン警察隊のメンバーのお前が知らねえのか?」

ま だ見ず知らずの女の子に対しても彼らには何もかもお見通しだった。思わず仰け反った。
男はやれやれと大げさに身体を捻じり、頭を掻き毟りながら面 倒くさそうに言いだした。

「碧竜レックウザを眠りから覚ますんだよ」
「え?」
「そうさ…もうかなり昔だと 言ってたな」


ネルファの説明はスカイ団の設立の時間軸にまで遡った。

約25年前、まだホウエン地方の踏破が半分 にも満たなかった頃、キナギとカイナの狭間にある流れの速い海流の手前で一隻の船が難破した。
幸い船が乗り上げたのは浅瀬だった為か、船の損傷以 外乗組員は全員助かり、浅瀬にキャンプを張って救助を待っていたという。
そんな時1人の船員が偶然にも希少な地下資源を見つけ出し、たちまちその 名前もなかった海は世間の注目を浴びた。
人は集まり、浅瀬を開拓して足場を作り、その足場で市場が形成し、やがてそこは「キナギ」という水上都市 と発展した。
地下資源の所有者は最初に地下資源を発掘した者、それがゼウムという名の男であった。

ゼウムは、キナギの北東を調べ ているうちにこの島を見つけ出し、地下を探っているうちにその『碧竜』は居た。
洞窟の奥底でそのポケモンはずっと眠っていた。輝かしい碧色の竜の 姿に魅かれたゼウムはその竜を何とか目覚めさせようと
以来全国各地を回ってその手段を模索していったという。

当時乗り合わせた乗 組員の仲間から小さな組織が結成され、そして年月を経て少しずつ拡大し、現在のスカイ団と呼ばれる。


「…スカイ団にそんな過 去が…」
「まぁ、俺らにしてみればそんな戯言、単なる馬鹿としか思えねえな。
お前は間近にレックウザを見た訳じゃねえから分か んねえが、あの力は凄まじいな。
操り人形にして兵力にしてみろ。この世を一変するぐらい容易いもんだ。それだというのにあの老いぼれ…」
「…!」

そこでやっとネルファ自身の話題に戻った。
口調もさっきとは違って怒りと嘲笑の情が赤裸々になっていて、嫌な予感とい うものを全身で感じ取る。
彼は続けた。

「俺とハルスでその計画を話したら顔真っ赤にして怒りやがって
『私は兵 器の為にレックウザを目覚めさせるのではない。ただ自由に大空に飛ばしてやりたいだけだ』
と、来たもんだ。挙句の果てには俺達を外道だと 言って首を切ろうとしやがった。ふざけた話だぜ」

背筋がまた一層寒くなった。私には目の前の男と親友を手にかけたハルスがその話の先でど んな展開をしたのか予想できた。

「あ、あなた、まさか…その人を…」

聞き終える前にネルファはにやりと笑い、音 もなく私の側に忍び寄る。懐から何か取り出したように見えたが、よくは見えない。
次の瞬間私の目の前数センチの位置、机の上に鋭くとがったナイフ が突き立てられ、至近距離でネルファの言葉が響いた。

「殺してやった。俺達が団を占拠するためにな」 
「何て…こと」

ネ ルファはナイフを引き抜き、けらけらと笑いながら腰元に備え付けられたモンスターボールを手に取る。
がくがくに震える私の前にキノガッサが立ちふ さがるが、今の動きで腰がすっかり抜けてしまった。

「さぁて、長話はここまでだ。お前にも消えてもらうぜ」

ボールを 開け放つ。金切り声が耳に響いてとても痛々しい。部屋の中に出ててきた銀色の鋼鳥は手負いの傷をいくつも持っている。
いつしかヒマワキの採用試験 の時に見たエアームドだったが、そんな事を考える余裕もなかった。
頭は必死に動けと身体に命令しているが、恐怖でなかなか動いてくれない。こんな 遅さではエアームドの技を避けようがない。
仮に部屋を抜けたとしてもその先には、牢の立ち並ぶ長くて一方通行の廊下がある。地形で考えるとエアー カッタ―の餌食にならないためには
音速をはるかに上回るピジョットの滑空速度ぐらいの俊足で走らなければならなくなる。こんな脚で?笑わせる話だ が苦笑もできない。

しかし、手札はまだ自分に切り抜ける道を示していた。私は低い天井を指差し、喉が裂けそうなぐらい大声をあげていた。

「アッパー!」

すぐにキノコの身体がはじけ飛んだ。ネルファが泡を食った顔をしたが、止めるには間に合わない。人工のものとは言えど
こ の地下の地盤は脆く、格闘ポケモンが少し力を込めて殴ればすんなり崩れるのは、とっくに検証済みだった。鈍い音を奏でてすぐ、
大量の土が会議室の 卓の真上に落ちていく。作り出した煙幕に身を隠してただ只管走る。

「くそっ、おのれっ…!」

エアームドは重そうな鋼 の翼を軽々と振るい、噴煙を払ったがもう既に少女の走る足音は廊下奥へと消え入った。
逃げられた事に憤ったネルファは手のナイフを振るい、土くれ で覆われた机にもう一発突き立てた。
団の内情を話してやったのは良しとして、取り逃しては非常にまずい。蝋燭の明かりも、さっきのキノガッサのフ ラッシュもない。
殆ど真っ暗な闇と化した空間の中で、額に汗が流れていた。足音からしてもう一本道を突き抜けて地上へ行ったのか?
14歳 の少女にしては足が速すぎる。それに会議室に入って、確か彼女は鉄塔の屋上を封鎖する扉の電子ロックを外そうとしていた。
うっすらとした記憶で あったが、まだONのままだったはず。1人でここまで来たのであれば、多分ロック解除を別の人間に任された可能性が高い。
…とすれば再び、ここに 戻るかもしれない。その時に口を封じれば良い。
隙をついて殺すのなら、空室の地下牢に身を潜めた方が良い。ネルファはエアームドをボールに収め、 ゆっくりとした歩調で廊下に踊り出た。

一本のナイフで相手の命を奪う瞬間…その感覚を味わええるのを今か今かと待ち望み、ネルファがポ ケットのライトの電源を入れた。
取りあえずは、のつもりだったがその明りで人間の像が映し出された。シィラではなかった。大鳥と背の高い男が地下 通路の先に立っている。

「ネルファ」

ギストだった。見た瞬間に、ぎくりと呼吸が止まったような感覚がした。
ド ンカラスの鋭く大きな目と、彼の義の象徴を秘めた目に手足が痙攣し、空気が薄くなったような気さえする。

「って何だよ、ギストじゃね えか。お前の持ち場は地上だろ?」

とぼけ口調に戻った。青年はゆっくりとした口調で暗闇の中で答える。

「もう守備 につく必要はない。この団はもう破滅だ。じきにメリー隊長が屋上に向かい、ハルスとレックウザを止めようとしている」
「何だと?あの裏切り者 が今更帰ってきた、というのか」

ドンカラスの胸板がネルファの言葉に大きく広がり、鋭くとがった眼でネルファを睨んでいる。
さっ きのキノガッサの時といい、どうも彼はポケモンに懐かれない性分らしい。大半はこんな風に低い鳴き声で唸る。

「裏切り者はお前とハル スだろう?」
「へぇ、てめぇ…メリーを始末しない上に仲間同士でやりあう気かよ?」

ボールを再び開け放ち、エアームドが現れ る。狭い通路にこの鳥の体格ではいささか動きが悪くなる。
ギストとドンカラスは2,3歩だけ後方に歩き、低く構えた。

「お望 み通り死んでもらうぜ!」

エアームドは翼を大きく広げ、無理やりに滑空する。両側の地下牢は大きく広げすぎた翼にぶち当たり、むざむざと 壊れていく。
半ば攻撃が自棄なのは目に見えていた。エアームドの滑空速度は障害物によって減速していく。
ギストはすかさず地下通路の床に うつ伏せになる。そしてその上にドンカラスが乗る。エアームドの滑空攻撃は空しく外れて、
狭い一本通路の反対側(入口の壁)に衝突する。凄まじい 音が地下中に広がった。主力が敵の反対側に押しやられ、ネルファは無防備となった。

「くっ…」
「抑え込めドンカラス!」

ネ ルファはギストの言葉を背に部屋の方へ逃げようとするが、到底逃げ道があるわけでもなく、そして間に合わなかった。
大柄の体躯をしていたドンカラ スの圧し掛かりには人間は身動き一つとる事すらかなわない。ギストは大声で怒鳴った。

「その辺に隠れている奴!早く行け!」

大 鳥の下のネルファは、ギストが誰に向かって言っているのかすぐに分かった。瓦礫となった地下牢からボロボロに薄汚れた少女が飛び出す。
息を切ら し、咳をしながらネルファとギストの姿を確認し、元いた会議室の方へ駆け出す。
他ならぬシィラだった。彼女はあの煙幕ですぐに地上へ出たのではな い。遠くへ逃げたと見せかけてすぐ隣の地下牢に身を隠していたのである。

戻ってきた時に地下牢に隠れて殺害しよう、というネルファの作戦 は既に彼女が先手を打っていた。
部屋の中へ姿を消した後、レバーを動かす音が4つ響いた。ロック解除された。

「くそったれ がぁ!エアームド!奴らの息の根を止めろ!」
「!」

遥か後方にて目を回しているエアームドはネルファの言葉にもう一度目を覚 ます。ギストのドンカラスはネルファを抑え込んでいるために自由に動けない。
更にギストはエアームドのすぐ近くの場所に立っていて、ドンカラス以 外のポケモンは持ち合わせていない。こんどは彼が丸腰となってしまった。
エアームドの目は確実にギストを狙い、大破した牢で広がった空間の中で充 分に翼を広げた。その分速度も倍速い。その目の片隅にミロカロスが映るまでは
確実にそいつの勝利だった。役目を終えて部屋から出てきた少女は既に ボールからミロカロスを出し、指示を出す。

「波乗り!」

少し角度のある津波が狭い通路で押し流された。
ドン カラスの居る個所にだけ水が及ばないように調整したのだろうすかさずギストその死角に入り込み、エアームドが金切り声と共に押し流される様を見届けた。
ま だドンカラスの身体の下でもがいているネルファだったが、ミロカロスの波乗りの後には、空しくギストの手刀で気絶していた。
少女は全身の埃を両手 で払い落し、ネルファを担ぎあげるギストの所へ歩み寄る。隣にいたドンカラスはついさっきまで怒りに鋭くとがっていた目をしていたが、
今ではすっ かり元の八の字の目に戻り、警戒を解いている雰囲気であった。ギストはシィラの方を見て、ふっと笑みを浮かべる。

「見事な腕前だ」
「あ、ありがとうございます」

スカイ団の人間は皆同じ様に黒装束を身に纏っていたが、彼やメリーは雰囲気が全く異なっていた。ネルファ のような血の気もなく、落ち着いた雰囲気を持つ青年である。
だが、話している余裕はなかった。また再び地響きがおこる。震源はここより地下ではな く、島の上の方からの共振なのだとすぐに分かった。
地下牢に入っておおよそ1時間はたつが、もう半日は暗い場所をさまよったような気がする。すぐ にギストはシィラに行った。

「話している場合ではなさそうだ。すぐに君も地上へ向かった方がいい」
「もしかして、レック ウザですか?」
「その通りだ。この男は私に任せておけ。ホウエン警察に私と共に名乗り出る」
「え…」

地響きがも う一発起こる。さっきと比べて頻度が急に多くなってきた。
それに呼応して地下の地盤と天井が危うくなってきたのか、少しずつ崩れ始めてきた。

「急げ!」
「は、はい!」

天井のレンガはすべて剥がれおちてしまい、地下牢は全て壊されてもう役に立ちそうにもない。落ち てきたレンガに足を取られまいと注意しながら走り出した。
地下通路を抜け、最初の分岐点に戻って上へ駆け上がる。その間に、メリーがどうなってい るのかとても心配でたまらなかった。
ポケットの中には会議室の壁の裏に隠された古い書籍が眠っていて、表紙には「Diary:Zeum」と書かれ ていたが、
彼女は表紙を読む暇さえなく、地上に出て鉄塔を仰ぎ見る頃にはすっかりその存在を忘れていた。


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